第131話 前途多難の学生生活 4

「お嬢様方~~~!」


 スサーナは優雅に扉を締め、教室の中を見回し、お嬢様二人以外に残っている貴族の子供が居ない、と確認した後にひょろひょろとお嬢様達に駆け寄った。


 北棟よりも大きくて細かな彫刻のある書見台に本を一冊広げ、二人で読んでいたらしいお嬢様達二人は驚いた顔をしてスサーナを迎える。


「まあスサーナ、どうしましたの? 顔色が悪いように見えますわ?」

「ええ本当。まさかクラスの方々に何か言われて?」

「あっいいえ、そういうことはないです! ええと、まずは沢山お待たせしてしまって済みません。実はお話をする前にお耳に入れておきたいこととご相談が……」


 よいしょと本を閉じたお嬢様達はスサーナに椅子を勧め、自分たちも優雅な長椅子に並んで腰を掛けた。

 スサーナは今廊下であったことを急いでお嬢様達に伝える。一応少し穏便に、突き飛ばされて転んだということは出さずに言われたことを述べる形だ。


「と、いうわけで……いかにも上級貴族というふうな方にお嬢様方の侍女だとご説明申し上げることになってしまったと言いますか、そう言い逃れて来たのですけど、……平民の召使いを学内に連れてくる、って眉をひそめられるようなことだったりしますでしょうか……? もしそうだったらお嬢様達にご迷惑をお掛けすることになりかねませんので、何かうまい言い訳を考えないと……」


 しょんぼり小さくなったスサーナを見てレティシアがううん、と声を上げた。


「怒られるようなことではないとは思いましてよ。男のかたで乳兄弟を先に入学させておいて後々補佐させるなんて話はよくあること、今年入ったらしい方でもいくらか聞きましたもの」

「わたくしたち下級の貴族でも、中位の方々でもそのようなことをするのはそこまで珍しくはないはずですわ。ただ、上の方が一体どのように思われるのかはその時の気分次第ですけれど」


 レティシアの説明に続いてマリアネラも頷く。スサーナは一旦ホッとしたが言葉の結びにやって来た情報にうええとなった。

 えらいきぞく、とてもこわい。


「金の髪の方というとどなたかしら。沢山いらっしゃるのでわかりづらいのだわ。……わたくし達二年以上は社交の場から離れていましたから仕方ないけれど。マリ、心当たりはあって?」

「レティ様は名鑑をお覚えになるの、お嫌いですものね……伯母様にまた叱られましてよ? 」


 くすっと苦笑しながらマリアネラがレティシアを諌め、口元に指を当てて思案した。


「金の髪の方は沢山いらっしゃいますから、それだけだとはっきりしませんね。わたくし達と同年代で、位の高いお家と権勢のあるお家の方に限るなら……ノガレス候ご令嬢、ベルプラド候ご令嬢、アレーナ候ご令嬢、それとイエロ公、ガラント公のご令嬢が確か名鑑によると金の髪をしておられるはず。こちらにいらしているのはベルプラド候ご令嬢、アレーナ候ご令嬢、ガラント公ご令嬢でしたかしら」

「マリアネラ様、もしかして特徴を暗記されてらっしゃる……?」

「ご挨拶の時に必要になりますもの。学内でお顔を合わせることもありますわ。」


 レティシアがちょっと恥ずかしそうに顔をそらし、マリは優秀ですからねとスサーナに言った。

 マリアネラがそんなと謙遜する。


「でも、さほど覚えることは多くないのですわ。スサーナも後で覚えましょうね。今年の入学生徒が300人ぐらいでしょう、そのうち留学生を除いた貴族の生徒は250人ぐらいだそうですわ。ほとんどが私達と同じ下級伯のうちの子供で、この方々は覚えることはごく簡単でいいのですわ。ちゃんと覚えておかなくてはいけない公の家柄の子供は5人ばかり、候でも20人ぐらいだったはずですもの。十分覚えきれる数なのです。」


 具体的な人数を聞いて、貴族の子供ってそんな多いものか、判っていたけど、と圧倒されるスサーナを尻目にマリアネラとレティシアは思案に入る。


「こちらに来ていて可能性がありそうなのはその三名ですのね、マリ」

「そうですわね……こちらの廊下にいらっしゃったということは私達と同じ位のおうちのご令嬢かもしれませんけれど、スサーナが良いドレスを着ていたと言うのならきっと上の家格の方で間違いないと思いますわ。ええ。後で名鑑を見てそれぞれどのように振る舞ったらいい方なのかを調べておきましょう。」

「こちらのほうにある教室にご用事があるようなかたとなるとベルプラド候ご令嬢、アレーナ候ご令嬢の何方かかしら。下賤な行いをする平民がお嫌いなだけだといいのだけど」

「上の方の貴族の方になると、家内に仕えるもの皆信頼の置ける家から招くそうですし、平民を伴うというご想像が出来なかったのかもしれませんわ。実際伴っている方々は他にもおられますし、日を過ごすうちにそういうものだと思っていただければいいけれど」


 下賤な行いをする平民ってパワーワードだなあ、最近ちょっと忘れがちだが下級貴族のレティシアもマリアネラもそういえば貴族なのだ。スサーナがちょっと感心している間に対策会議はさっと終了する。どうもお嬢様達としてはさほどまずい事態だとは捉えていないようでスサーナはホッとした。


「ともかく。スサーナさんがお気にすることではないと思いますわ。今後が心配なら私の家の紋章かマリの家の紋章を着けてもらえばよろしくてよ。折角だしどちらも入ったものを用意しましょうか」

「それがよろしいですわ。……ええ、さて。そんなことより。」


 お嬢様達は頷きあい、やれやれこれで良し、という雰囲気を漂わせてから、待ちかねたという表情で長椅子から立ち上がり、ささっとスサーナの左右を囲んだ。


「本題ですわ。ねえスサーナさん、ええ、挨拶をされた代表の方……その、見覚えがあるような気が致しませんでしたかしら?」

「わたくし達の思い過ごしかもしれませんけれど……そう、その、見覚えがある方のような気がするのです」


 他に誰が居るわけでもないのだが、ヒソヒソとした声音でぐっと顔を寄せ合う。

 ああやっぱりそういう話か。とスサーナは深く頷いた。まずは人違いをお嬢様達も考えたのだな、と思うと親近感が湧く。というか人違いであって欲しい。半分スサーナの中では人違いだったかも箱に入れかけていたのだ。だいぶ壇上からは離れた席だったし、暗かったし。

 しかし証言者が他に二人出てきてしまったので仕方がない。スサーナはしぶしぶ自分の見たものを認めることにした。


「ええ、そのう……夏にご案内した方によく似ていると言いますか……ご当人であるような……」


 とりあえず具体的な単語は避けておく。

 スサーナの返答にお嬢様達二人はホッとしたように目を見合わせ、こくこくと頷いた。


「やっぱりスサーナもそう思うのですわね! わたくし少し自分の目がおかしくなったのかと疑っておりましたの!」

「わたくしも、時間が経っているでしょう? 男の方とそう親しくした経験は多くないですし、まさかそんなこととも思いましたから、他人の空似かもと……」

「他人の空似と言うには似過ぎですし……もしかしたら影武者の方が公……あの方のご関係の方で夏来ていたのはそちらの方、ということもあるかもしれないですけど」


 スサーナはそう言って一旦言葉を切る。唇を湿す間にお嬢様達がその言葉にあっそうか、という表情をしたのを見て不本意ながら言葉を継いだ。

 思い返してみると人違いじゃないんじゃないか、と思う根拠が非常に残念ながらある。根拠があるなら言っておかねば対策は取れない。

 スサーナ一人のことなら今後関わることもないだろうし人違いと唱えて終わりにしたのだが。


「でも、……御本人じゃないかなと思うんです。だって、ラウルさんも居ましたよ、あの、護衛の。袖の方に。」

「……」

「……」


 お嬢様達はスサーナとじっと目を見合わせる。しばしのアイコンタクトの後、スサーナが沈痛に重々しく一つ頷くとレティシアが沈黙を破ってきゃあっと叫んだ。


「なんてこと! どうしましょうスサーナさん! ああ、わたくしあの時とんだ失礼を沢山!」

「不敬罪で呼び出されたりしたらどうしましょう……!!わたくし絶対失礼なことを申し上げました!!!」

「お嬢様方は丁寧に接されていましたもん! 私なんかパンを!パンを投げさせて!!」


 それを皮切りにして少女たちは頭を抱えたり手を握り合わせたりひとしきり悲鳴を上げた。

 息が切れるまで一時きゃあきゃあと声を上げつづけ、ぜえぜえとしながらようやく少し落ち着く。


「どうしましょう、わたくし達なにかするべきかしら。ご挨拶に上がるべきですの?」

「ご書状を差し上げるべきなのでしょうか。あの時は大変失礼を致しましたと……ああでもわたくしたちのような家格の者がそんなことをするなど、それこそ不敬罪ですわ」


 また目を見合わせ、最初のショックが落ち着いたところで次の懸案事項がポップアップしてきたらしい。お嬢様達は赤くなったり青くなったりしながらオロオロと頭を抱える。

 二人に無意識に左右から引っ張られたスサーナはややぐえっとなりつつもとりあえず状況を整理することを試みることにした。


「ええと、とりあえず。レティシア様はそういうことは全然伯には聞いておられなかったんでしょうか?」

「全然何も教えて頂けなかったわ! お父様のお友達の関係のお子さんだなんて言って……! じゃあお父様が全部悪いのね、帰省したら大事にしているお皿を全部割ってやるのだわ! マリは何か聞いていて!?」

「落ち着いてくださいレティシア様!」

「わたくしも何も。ただ、ご案内差し上げる時にくれぐれも失礼のないようにとあれほど仰られたのは伯父様にしては珍しいなと思いましたけれど……」


 でも、公……あの方のご親戚の方だと思っていましたからそんなものかと、と言ったマリアネラにレティシアが力強く頷いた。

 大領地の公の親戚、というのでも普通は結構な家格で、下級貴族の娘たちにとっては十分気を使う相手である。


 スサーナはううむ、と考えた。

 セルカ伯は明らかに正体を知っていた……と思っていいんだろうか。ミランド公の係累としか知らなかった可能性はないでもない。

 とりあえずそのミランド公だ。なんだかセルカ伯とは親しいのは間違いなくて、あの時はナヴァ伯を名乗っていたんだっけ。そういう人が王子様を連れてきていた。

 とりあえずそう組み立てて、スサーナは考え考え口を開いた。


「ええと……貴族の方々のやり方はよくわからないんですけど、もしかしたらご挨拶とかはしないほうがいいやつ……なんじゃないでしょうか……?」

「まあ、何故そう思いますの?」


 レティシアが首を傾げる。


「いえ、思い返すとあの時あの方を連れてこられていた方はナヴァ伯を名乗っておられましたよね。それで、あのー、レオ君……えー、代表者の方……も、ナヴァ伯に世話になってる……って。」

「ええ、そういえばそうでしたわね。」

「なんだか不思議な言い方だと思っていましたけれど……」

「ええと、つまり一応お忍びってやつですよね。それで、ええと」


 スサーナはふわふわとろくろを回した。


「ええと、それで聞いておきたいんですけど、お忍びっていうのは多分人には知られてはいけないことですよね? 身分を隠してこられた方に別の場所でお会いして話しかけるのは貴族の方々としてどうなんでしょう? ええと、例えば身分を隠した宴席もあるそうですけど……」

「ああ……そうね。あちらからお声を掛けて頂けるならご挨拶して、その時に前のときのことを仄めかしていただけたらそのように、そうでなかったら初めてお会いした方として挨拶するのですわ。……少なくとも仮面舞踏会ではそうするはず、なのだわ。そうよねマリ?」

「ええ。関わりのない方として振る舞われているならわかってもそのように扱うのが作法だと習いましたもの。」


 お嬢様達二人は少し曖昧そうながら仮面舞踏会でのルールを引いてくる。


「じゃあ、同じ感じでいいのでは……と思うんですけれど……どうなんでしょう?」

「それでいいのかしら……」


 レティシアが不安げに眉を寄せる。


「ご機嫌を損ねてお父様に類が及んだりしないかしら……」

「私は詳しくないので……そのう、お偉い……ご令息は、保護者とかそういう立場の方の決定を簡単に無碍にされるものでしょうか」

「そんなことは無い……と思いますわ」


 多分あの時ミランド公の立ち位置は保護者に近いものだったはずだ。レオ君……王子様の態度もそのように見えた。

 保護者がそう取り計らって案内をさせた相手をのちのち再開した際に挨拶や謝罪がないという理由で処罰するか、というとあまりしない気がするし、それが保護者の友人の子供の場合、保護者の友人に類を及ばせるかというとスサーナの感覚ではあまりなさそうに思える。

 例えば案内中に失礼さが度を越していた場合はその限りではないのだろうが、その場合は案内中でも護衛ラウルに切り捨てられていたことだろうし、閾値は超えていないものだと思いたい。


「礼儀として間違っていない方を行ったなら多分汲んで頂ける……と思いますわ。」


 マリアネラも少し考えた後に恐る恐るという風が少し混じりながらも頷く。


「では……あちらからお声が掛かったらご挨拶を差し上げて、そうでなかったらこのまま……で、いい……ですわね?」

「そうですわね……、本来私達が軽々にお声がけ出来る方ではありませんし、確かにそのほうが正しいように思いますわ」


 お嬢様達は頷きあい、それでとりあえず現状の方針は決まったようだった。

 レティシアがお父様にお手紙を書いて相談してみます、と念には念を入れた対策を重ねることにして、とりあえずなんとなく解決の雰囲気が漂う。

 セルカ伯はもうしばらくは島なので、多分鈍行便で10日以上、いくらか価格を上乗せして急ぎの伝書使で7日は往復に掛かるのだが、相談しないよりずっとマシだ。

 スサーナはふうと脱力する。


 ついでに思うのだが、王子様も夏のご案内のことなど覚えていないのではなかろうか。

 ああしてお忍びで各地を回ったりしているなら、その先で出会った下級貴族や、ましてや侍女のことなどそうそう一人ひとり覚えてなど居ないと思うのだ。

 遊説をしている政治家の人がいまいち講演会で会った相手を覚えていないのと同じ理屈である。


 つまり、大体においてはこちらのことを知らない相手ぐらいの認識で居ていいと思うスサーナである。

 偉い貴族であってもあれだけ怖いのだ。王族なんていつ首を落とされるか本気でわからない。怖い。お嬢様達もこんなに怯えているではないか。

 できるだけ礼を失さないようにしつつ、校舎の端と端ぐらいの距離で過ごしたい。


 できるだけ偉い貴族とか王族とかには関わらずに生きていきたい。スサーナは切実にそう考えている。

 なんと言ったって本来お針子になろうと思っていたのだ。そういう方々と関わる精神余力はあまり残していない。スサーナは安穏と平穏に生きていきたいのだ。


 将来研究者になってうっかり王宮に近づくことがあったとしても直接そのあたりに関わるようにはなりたくないなあ。スサーナは、偉くなって王宮勤めをすると言っていたジョアンの顔を思い出し、いやあそういう意欲のある人は凄いなあ、自分にはとても無理だ。と遠い目で考えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る