第130話 前途多難の学生生活 3

 しばらくして教師が戻ってきて、スサーナの感覚で言うと手びねりの箸置きか、ちんすこうみたいな形をした素焼きの粘土塊が配布された。

 表に生徒の名前の彫り込みと、たぶん平民生徒を示す印影。つまるところ名札だ。


 手元に数個ずつ配られたそれを無くさないようにという指示とともに、それを使って、いわゆる履修登録をするのだと説明される。


 学院では学生は初年から希望の学問が出来る、というわけではない。

 まず、いわゆる基礎教養、人文科目の進度がそれぞれ六等級ある。そこの試験に最上級まで合格することで、そこでようやく専門科目を専攻できるというわけだ。


 自動的に初級ということになるスサーナ達新入生は、初年は最初に組織されたクラスで受講する必修科目と、各人で履修する選択科目を受講することになる。

 その選択科目を履修するのに、授業一回目に出席して教師(まだ教授ではないらしい)の持っている箱に名札を入れることで履修登録になるのだという。


 希望する講義によっては人数制限とかも無いでもなく、第二回の際に受講許可者名が掲示されるので……などとほのかに前世の大学を思い出すような説明を聞き、配られた革ポーチに大事に名札をしまいこんでオリエンテーションは終了となった。



 スサーナは早足で教室を出る。お嬢様たちをもう結構待たせているのだ。

 諦めて寮に戻ってくれていればいいけれど、待っていてくれていたら申し訳ない。


 スサーナが今まで居たのは本館北棟と呼ばれる校舎だ。お嬢様たちがいるのは西棟。学院内には校舎が7つ点在しているらしいが、同じ建物で貴族のオリエンテーションもやってくれていてよかった。到着が早そうだ、と思ったスサーナだったがしばらくしゃかしゃか早足で移動した後に息を切らせた。

 同じ建物の中なのにやたら広大なのだ。

 ――なんとなく前世の大学規模ぐらいの建物を想像していたんですけど、土地感覚っってどちらかといえばヨーロッパなんですよね! そこ前世感覚じゃ駄目だった!

 そういえば式の後の移動も結構距離を歩いた感じがしたっけ、もう13年ここで暮らしているのに、などと思ったスサーナだったが島の土地感覚と間取りを思い出してみても何もかもがここまで広いバカでかい、ということはなかったように思う。

 ――となると、これは本土感覚、と言うか大陸の感覚なんでしょうか。

 スサーナは認識を新たにしつつ、淑女の行いではないもののこっそり走ってしまうことにした。


 北棟を出て中央棟に入り、西棟に近づいたところで雰囲気がガラッと変わる。

 北棟もスサーナの感覚だと十分重厚なのだが、どちらかというとやや無骨な風情を残し、石積みの厚い壁や、灯りのシャンデリアが鉄の輪だったり、天井のヴォールトが切り出した石の形を残していたりなど山城めいた雰囲気をしていたものだが、中央棟は壁の凹凸一つとってもいくらかの装飾が施され、壁はタペストリで覆われており、更に西棟に近づくほど柱一本ですら単純な円柱造形をしていないものに変わっていくようだ。


 さらに西棟に入れば、内装の接続部には美しい彫刻が施され、柱自体に人物像が彫り出されているもの、浅浮き彫りが施されているものがぐっと増える。そうでなくても構造のパーツパーツには飾り彫りが施されており、壁の上部には北棟にあったものよりずっと繊細なステンドグラスが飾られ、壁自体も白く塗られ、要所を金で縁取られている。


 ――貴族資本を感じる!

 スサーナは足を緩める。なんとなくここで誰かにぶつかったりしたら命取りになるような気がした。

 ……平民生徒と貴族生徒では多分ほぼ間違いなく貴族生徒のほうが多いので、何処でぶつかっても確率的には圧倒的に命取りの方が上なのだが、相手の気持的に許されない度が上がりそうという点では圧倒的に西棟だ。


 淑女らしい優雅な足取りで、許される限りの早足で歩みを進める。

 階段を上がり、広い廊下を歩き、曲がり、どうやら教室のある並びに辿り着いて、教室の前に紋章と共に飾られている教室番号を頼りに見ながら歩いて――

 どん、と跳ね飛ばされる。

 ――ぎゃーっ、走ってないのに!! というか前も横も見てたつもりだったんですけど!

 スサーナはよろけて膝を付きながら青くなった。確かに一瞬前には前にも横にも誰も居なくて――

 ――ん? 誰もいませんでしたよね?

 スサーナが目を上げ、ぐるりと周囲を見渡すとそこには不快そうにそちらを見下ろす女子が三人立っていた。

 こちらのオリエンテーションはだいぶ前に終わったようで残っている人間はほとんど居ないようだったが、それでも教室前の廊下に数人居た貴族の子供たちが不穏な空気を察したらしく、すうっと距離をとっていく。


「平民がこちらで何をしているのでしょう?」


 スサーナの目前で、三人の少女のうち一人が声を上げた。豊かな金髪を左右で編み込み、後ろでまとめてハーフアップにした髪型をした少女だ。花のように象った宝石を満載した金の髪飾りを着け、豪奢な赤いドレスに抽象図案化した花模様。布地の所々に宝石が縫いつけてあるのが少し離れた位置からでもよくわかる。布も高品質で、ビジューも本物であるようで、となると偉い貴族かな、とスサーナは判断した。

 見下ろす目に冷たい険があり、わかりやすく声に威圧が籠もっている。


「初日からちょろちょろと入り込んでくるなんて、なんて図々しいのでしょう。」


 彼女の言葉の後に横に控えた二人の女子が頷き、それぞれ口を開いた。


「汚らしい溝鼠が貴族に取り入れるとでも思っているのかしら。」

「物乞いなら街の方に出てされたら如何?」


 どちらも少しドレスの質は中央にいる女の子よりも落ちる。ドレスの豪奢さは多分家格とある程度比例していると思われるので、多分きっとそういうことなのだろう。


 ――おう。ということは、いまのはわざと!

 スサーナはそれでようやく後ろから追い抜きざまに突き飛ばされたのだ、という結論にたどり着いた。

 立ち位置的にも押された場所的にも、多分取り巻きめいた雰囲気の女子の片方、イエローオーカーの髪をツーサイドアップにした長身の女子のほうが実行犯だろうと想像がつく。


 貴族の機嫌を損ねることは本当に恐ろしいスサーナだったが、同時にちょっと浮き立ってしまう気持ちをそっと抑えた。


 わざわざ歩行している人に近づいて後ろから突き飛ばす、という行為は明らかに消費カロリーも高ければ、やるぞー、という意気込みも大量に必要とするムーブである。なんたってまず前に移動している相手の後ろからより速い速度でアプローチし、速度を落とさずにドーンっとやる必要があるのだ。

 つまりいかにもひと手間かけた暴虐というべきか、こうお嬢様とその取り巻き、というイメージの行動で、うわーっ前世見た少女漫画によく居たアレだーっ、という悪いワクワクが湧いてしまったのだ。


 ……とはいうものの、前世を思い返してみても女子とはだいたい三人で行動するものだった気はするし、となると影響力の強い一人と取り巻きふたりのカタチにはなりやすかったし――これが仲のいい二人と一人になると大抵一人は仲良しグループからそのうち離れる――そんなものなのかもしれない。

 そしてよくよく思い返せば高校ぐらいまでは学年に数組はそういう気性の強い女子グループは居て恐れられていたりした記憶もあるので、そこまで少女漫画フィクションの産物というわけでもない。


 ――そういえば中学の時そういう立ち位置だったの、一般受験組の子でしたっけ。

 体の弱い紗綾とは全く関わりがなかったが、日舞の発表とかお茶席、能楽鑑賞なんかがメインだった――それでも模擬店なんかはあったのだが――学祭を自由で斬新なものに出来ないのは教師の横暴と怠慢だと怒って取り巻きを連れて授業をボイコットしたりとか、演劇部の上下関係がどうとかで下級生の半数を退部に追い込んだとか、そういう何処の学校でもいがちな気性の強いお嬢さんが同じクラスにそう言えば居た。というわけで特にお嬢様アーキタイプというわけでもなさそうだ。どちらかと言うと正義感の強い思春期女子の類型というやつだろう。

 ――一方的に遠くから見ているぶんには面白そうな方だったなあ。人生の全力度合いが……。

 なんとなく記憶の断片を掘り起こしたりしながらスサーナは気持ちを切り替える。


 殊勝な表情を浮かべ、さっと立ち上がり、一番深い段階のお辞儀をする。


「ご気分を害されましたら申し訳ございません。私はこちらに本日から入学致しました伯の子女に仕える侍女でございます」


 態度は怖いながら、言っている内容は分不相応な真似をするなというようなことだ。まあ平民生徒で貴族のコネを求めて入ってはいけない? 貴族の方の領域――本当に寮以外に立入禁止場所があるのかは何も言われていないので不明だが――に入り込む者が居ないとはスサーナには言えないし、上昇志向が強いならワンチャンを求めてアタックした生徒が過去居た、というのはありそうな話だ。そして貴族の娘さん達がそう言う話を聞かされて注意喚起されているというようなことも。


 つまるところ多分思春期女子の規範意識のなせる言動なのでとりあえずそこに居てもおかしくない理由を述べられれば一旦納得はしてもらえるのではないか。とりあえずスサーナはそう判断した。


 初見でよくわからない理由で最悪の印象を与えていた、ということでもない限りそれで済むはずである。多分。きっと。

 ……ちなみに突き飛ばされたタイミングで髪覆いがどうにかなっていたらその可能性もあり、そうなったら脱兎のごとく逃げるのが最適解に近い気もするが、現状髪覆いはしっかりしているのをそっと確認済みだ。一安心である。


「侍女? ではその制服はどういうこと?」

「はい、学内でも主に側近く仕える事ができるようにとのご父君の取り計らいで、入学の推薦を頂きましたためでございます」


 誘拐事件に巻き込まれた結果なんだか後援をしてもらってなどというややこし目の事情はあるが、主事情的には嘘はない。スサーナがここにやって来た切っ掛けの一つは間違いなくお嬢様達のおねだりだ。


「呆れた。学友に呼び寄せるにしても平民をだなんて。下級の方はご苦労しておられるようですね。……紛らわしいこと。早く行ってしまいなさい」


 赤いドレスの少女が手に持ったこれまた赤い扇子をたなごころでぱちんと鳴らす。

 スサーナはお許しが出たのをいいことにもう一つ深くお辞儀し、できるだけ早足で多分六番教室らしいと目星をつけた教室まで歩きだした。

 背中に視線を感じているので走り出すのはギリギリ我慢する。


 ――ひゃー、お嬢様達すみません、もしかしたらお嬢様達まで偉い貴族の人に睨まれる可能性を作ってしまったかも……

 今の返答は最適解だとは思うのだが、お嬢様達にご迷惑をかけることになるのはよくない。下級貴族が平民を学内に伴うのが普通のことならいいが、聞いてみてそうではなかったらうまく言い逃れを考えておいて貰う必要があるかもしれない。


 スサーナは流石に背中に冷や汗をかきながら教室番号を確認し、できるだけ優雅に見えるよう苦労しながら教室の扉を開けた。

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