第103話 赤鉄鉱の犬 3

 なにかしていれば少し落ち着く。スサーナは焦る気持ちを押さえつけ、しばらく部屋中の棚や箱を開けたり閉めたりして部屋の中に役立ちそうなものがあるかどうかを調べて回った。


 ろうそく差し部分が尖った燭台。

 銀メッキらしく強度に不安があるが重たい。まあ振り回す程度には使えそうだ。


 台所用と思しき麻ロープ。

 細引きで体重を支えるには少し不安があるが、まあ出来ないと言い切れない。


 刃先がギザギザの、肉切り用のナイフ。切れ味というものは無いに等しいと思われる。あとスプーンとフォーク。


 針金が一巻き。焼串が数セット。古くなったテーブルクロスとカーテン。


 とりあえずなんとなく役立つかな、と思われたのはそんなものたちが主で、どうも他に術式付与品があったりはしないようだった。


 ――残念。術式付与品さえあれば一発逆転も狙えるような気がしたのに。

 そうそううまいことはない。スサーナは目を閉じて1つ深く呼吸し、無為な恐ろしい想像に逸れがちな思考を方向修正する。


 ――さあ、考えろ。どうしたらいいのか考えなきゃ。対策してもらうためにはまず誰かに知らせないと。ここまでははっきりしてますよね。


 聞いた話を人に知らせるためには、逃げ出すか手紙か何かを外界に届けるか、なにかをすることが必要だ。

 手紙を投げるのが比較的実現性は高いが、数度外を見た感じでは特に人通りもないし、道までは少し距離がある。第一窓ははめ殺しだ。

 建物の感じは飲食店のようだから他の客がいればドアの下などから書付でも出して、とも思うものの、ここにいる他の人間が運良くさっきの偉そうな男の関係者ではない、というのはなかなか希望的観測だ。それになにより、さっきから耳を澄ませてもろくに人の気配がない。どちらもあまりいい手ではなさそうだ。


 では、部屋から出るしかないだろうか。

 部屋から出るにはまあ常識的に考えて窓を壊すか、ドアを何とかするかの二択。

 燭台を叩きつければ窓は割れる気はするが、高い位置にあってすこし割りづらい。ドアは――

 スサーナは先程中断していたドアの確認を再開する。ドアの鍵はさっき閉まった音がしたとおり掛けられているようでドアノブを動かしてもドアが開く様子はない。


 ――鍵がかかってる。でも、両面に鍵穴がある。この鍵は人を閉じ込めるのに向いてないやつなのでは?

 ドアに付いている鍵はいわゆる両面錠だ。外からも中からも鍵を開けられるタイプの鍵。中からはつまみで自由に開けられる、というものなら更に良かったのだが、さすがにそこまでは望めないのは、まあ、仕方がない。


 希望的観測に基づいて鍵穴の中を覗き込む。

 こっちでも鍵には色々ある。魔術師の関わった明らかにこれは生体認証システムなのでは?みたいなわけのわからないものもあれば、ごく単純な構造のものも。

 夕暮れの光が差し込む廊下側がぼんやり見える。貫通式の鍵。たぶんウォード錠というやつだ、とスサーナは思う。


 普通、玄関の鍵はそれなりに複雑な構造だ。たぶん鍵無しで開けるのにシーブスツールみたいなものが要る。洋物ファンタジーなんかでよく見かける専門職のお仕事。だが、室内の部屋の鍵は一般にもっと雑で、子供でもちょっとした工夫で開かないこともないはずなのだ。

 実例として、ドンが食料庫の鍵をこじ開けて叱られたと言う話やボードゲームを奪いに兄の部屋の鍵を壊して叱られたという話をリューに随分聞いた。ついでに、スサーナには出来るとはその時は思えなかったけれど、大工さんたちがやる簡単なつくりの鍵の開け方も。


 貴族の家なら別、貴重品置き場でもまた別だが、どうも飲食店らしい作りの建物を見れば希望はあった。特別室とはいえ、本格的なものならともあれ町家が密談用に洒落に作るような場所なら厳重な鍵は要件ではない。


 ドアノブをそっとひねって歪みをかける。中にある刻みは多分1つ。

 ――あれ。これ、ウォード式というにも単純な造りのやつ……では? まるでピアノの鍵みたい。


 紗綾だったころ、洋間にあったグランドピアノの蓋を鍵無しで開けた記憶がある。


 確かあれはスタインウェイのピアノだっけ。お気に入りだった。スサーナはすこし気をそらし、いやいやと鍵穴の中をまた注視した。

 なんでそんなことになったのかはどうしてかうまく思い出せないけれど、どうすれば開くのかはこれならわかる。


 ――杜撰だなあ! まあ、縛ってあるからいいと思った……んでしょうか。まさか脱出させたいわけではないでしょうし。

 あまりの鍵の簡単さにスサーナはなんらかの陰謀ではないかと一瞬頭を巡らせたが、よくわからない誘拐者たちがスサーナに苦労して脱出させて得をすることがいまいち思いつかない。実は人間爆弾にしてある、とかならこんな脱出出来るか出来ないかの瀬戸際みたいな状況をわざわざ作りはしないだろう。


 本来誘拐されてきたはずの貴族の娘は一般にイメージするうえでいきなり縄抜けもしないし鍵をピッキングしようとは試みない、というようなことは彼女は気づいていない。


 スサーナは焼串を選び出し、端を床に押し付け、体重をかけて曲げた。

 鍵穴の長さに合わせて先端を肉切りナイフでごりごりと傷つけ、しばらく苦心して幾度も曲げて折る。


 ――だいぶ暗くなっちゃったけど、あの鍵なら見なくてもなんとかなるはず。……なってくれないと困ります。なって。


 ピッキング用の金具を作っている間に日はすっかり落ちていた。薄闇に沈む部屋でスサーナは短く祈り、金具を構えてドアに歩み寄り……


 暗かった鍵穴の向こうから淡い光が差したことに気づき、それが廊下の向こうから近づいてくる蝋燭の灯だと直感したことで慌てて部屋の奥に飛び戻った。


 間一髪、縄を手足に通し、出してあった集めた道具と作ったばかりのピッキングツールは棚と床の間に押し込む。




 床にうつ伏せに転がって弾みかけた息を抑えるスサーナの元にがちゃりと鍵を開ける音が響いた。

 ドアが開く。


 入ってきたのはあの黒犬と呼ばれていた黒髪の青年だった。

 黙ったままで手にした燭台を壁のくぼみに置き、体を正面に向けたまま器用にドアを閉めて片手で鍵をかける。


「意識は……戻ってるみたいだな。」


 スサーナを見下ろした青年が口を開き、スサーナは何をするつもりだろう、と身を固くした。


「メシだ。食え。」


 青年はぶっきらぼうに言い、そして黙る。

 それから手にしたお盆から皿を一枚どけると、残りを床の上にがしゃんと下ろした。

 薄暗い光の中、お盆には浅い皿が据えてあり、中に入った濡れたものが蝋燭の光を照り返しているのが見える。


 ――ごはん!? ……えっこれごはん?

 スサーナは暗い視界をクリアにしようかというように目を数度瞬いた。

 状況に似合わぬ間抜けたような感想が胸をよぎったが、それも仕方ないことだった。


 まさか盆の中のものが食事だとは思わなかった。特に食べ物らしい匂いを感じなかったのが一つの理由だ。その理由はすぐわかった。彼の持ってきたものは冷たく冷えて、湯気の少しも出ていない様子なのだ。これはきっととても匂いは弱まっているだろう、とスサーナは思う。


 二つ目の理由はもっと単純だった。

 ぼんやりとした明かりに慣れてきた目に、灰色のどろどろ、としか呼びようのないものが皿に盛られているのが見えている。


 ……料理屋に捕まっているからと言って、いいものが出てくる期待など一瞬もしたわけではないのだが、これはひどい。

 スサーナは思った。


 多分冷え切った雑穀粥。

 ポリッジ、オートミール、その手の類のものだが、その中でも特に処理の悪い雑穀を全くやる気のない料理人がぐちゃぐちゃに煮てそのまま放っておき、挙句の果てに冷めて固まり糊状になった、というような代物だ。具材というものは見当たらず、多分味付けというものもない。他におかずというのもなさそうに見える。


 これは捕虜の気力を削ごうという目的で作られたのだろうか。スサーナはちょっとそう思い、どうやらそうではないらしい、ということを、適当な木箱を引きずってきて腰掛けた青年が、さっき棚の上にどけた同じものの皿を持ち上げ、匙を取って一口食べだしたことで理解した。


 信じられない気持ちで青年が雑巾色の粥を匙で口に運び、噛みもせずに丸呑みにするのを眺める。いや、偏見は良くない。もしかしたらどこかの民族食なのかもしれない、そう思うスサーナだったがあんまりに美味しくなさそうで堪らない。


「食事はこれだけだ。俺が部屋を出たら一緒に下げる。腹を減らして泣いても何も出ないぞ。」


 三口目を口に運び、それからそちらを見上げたまま動かないスサーナを見て青年は言い、それからああ、と何か気づいた顔をした。


「……そういえば縛ってあるんだったな。」


 言うと、彼はお盆の端を押してスサーナの目の前まで粥の皿を滑らせた。

 鼻先まで粥がやってきて、流石にもわっとした籠もった匂いが鼻に届き、スサーナは頬を引きつらせる。やっぱりこれは最高に処理の悪い雑穀だ。色が雑巾色なのはまだしも、なぜ匂いまで雑巾に似ているのだろう。


「これで届くだろ。食えよ。」


 スサーナが思わず少し顔をそらすと、顔の横に流れた髪覆いが粥の皿に掛かり彼女を少し慌てさせた。奥方には服が汚れるのは仕方ないことだと思ってもらうしか無いとさっきとうに割り切ってはいたのだが、それでもお家の人たちが技術を込めた髪覆いがドロドロ粥に浸るのは反射的に忌避感を感じることだった。


 反射的に大きく首を引こうとしたスサーナは、短く舌打ちした青年が箱から降りてくるのを見て、しまった、とハッとした。


 ――あっ駄目だ、ノロノロしていたから怒らせた!

 多分きっと今のはわざとだと思われた。あちらからすればわざわざヴェールで遮って食事を拒否してみせたように見えたことだろう。

 多分正解は即座に犬食いで粥を舐めることだった。人質にお情けでわざわざ食事をお勧めくださったわけだから、余計なことを意識に留めずにへりくだって受けるべきだった。蹴られるか、殴られるか。それとも粥に顔を突っ込まれるのか。


 せめてぐっと腹筋に力を込めたスサーナはぎゅっと目を閉じ衝撃に備え、髪覆いを乱暴に後ろに引っ張り上げられた感覚に身をすくめ、顎か!とぎゅっと歯を食いしばった。


 ……数瞬。何も起きないのに薄目を開けたスサーナは、あっ、と一連の自らの失態を全力で後悔した。

 髪覆いを引っ張られれば、それは――





 引き剥がされた髪覆いの下から黒髪がこぼれる。

 燭台の薄ぼんやりした明かりをそこだけ切り捨てたかのような闇色。


「お前――」


 黒い髪の青年は唖然とすらして、手に掴んだ装飾布と、それを剥がされた瞬間怯えた顔でこちらを見上げた少女、この国の貴族ではありえぬだろう夜鳥の髪をした娘を瞬きもせず凝視した。

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