第102話 赤鉄鉱の犬 2

 ぎいっとドアが開く。

 髪覆いの影で薄目を開いたスサーナが見たのは、三人の人影だった。


 地味ながら高価そうな、しかしこのあたりで普段見かける様式とは少しずれた格好をした偉そうな雰囲気の男性と、それに付き従う、という感じの男性が二人。片方はどこにでもいそうな容姿の茶色い髪の男性で、もう片方はさっきぶつかった黒髪の青年だ。


「なるほど、これがセルカ伯の?」


 偉そうな男性がスサーナを見下ろす。

 多少島の言葉とは違うイントネーションが少しスサーナの意識に引っかかったがそれどころではない。髪覆いを剥がれたら、万が一の可能性を信じて足の間を抜けて外に走ろう、とスサーナはそっと備えた。

 揉み手をしながら男性の一人が前に出てくる。


「起こしますか」

「構わん。ぎゃあぎゃあ騒がれては耳障りだ。」


 そっと全身を緊張させたスサーナは偉そうな男性の言葉に少しホッとする。今この瞬間になにかされる、別人とばれる、ということはなさそうだ。


「予定とは多少変わりましたが、娘を溺愛していると有名な男です。牽制には充分かと」

「ふん、悪くはない。ブルーノ、貴様の考えか」

「ははあっ、黒犬めがヘマをしましたが、なんとかわたくしの機転で……」


 後ろでちっと舌打ちをしたのはどうやらあの黒髪の青年らしい。

 ――騎士様案件…じゃない? 政争? 下級貴族で?……

 今の話の感じ、お嬢様たちのどちらかを誘拐しようとしていたのだろうか、いや、予定が変わったと言っていたからもともとなにか別のことをする予定だったのか。


「とはいえ、セルカ伯の始末をしそびれたことは確か。」

「はっ、ははっ」


 始末とか言った! スサーナは静かに倒れながら内心でぴゃっと悲鳴を上げた。

 ――し、始末ってなんです? お給料を下げるとか謹慎させるとかそういう穏当な意味……じゃないですよねえ! 状況的に!


「俺の素性をあまり嗅ぎ回られては厄介。万が一あのいまいましい伯が国に上申でもしたらたまらぬ。……身代金でも欲しがっているフリをして、娘の交換を餌にあの目障りな伯を処分すればよい。」

「はっ!」


 頭を下げた配下の一人を見ながら偉そうな男は口元を扇で覆い、やれ面倒なことよとどこか陰性の笑いの混ざった声で呟いたようだった。


「あの騎士はいかがいたしましょう」

「騎士、ふむ、騎士か。面倒なことよなあ。確か、親類だと?」

「はっ、先の集まりでそのように。」


 男の言葉に配下の男が訳知りげに頷く。やはりあの騎士様も関わりのあることなのか。しかしどうやら任務とかミランド公とか、そういういかにもこの手の人達には厄そうな話はちゃんと秘密のまま、よそには流れていないらしい。スサーナは動かぬように努力しながらそう思考した。


「遍歴騎士一人が何ということも出来まいが、下級とはいえ貴族の後ろ盾を得たのがよほど得意か、蝿のようにぶんぶん鼻先で飛ばれるのは目障りだ。もろともに始末せよ」

「は、仰せの通りに!」


 ――フィクションならこの情報の軽視、やられパターンですよね。やられてしまえ。

 スサーナは願い、フィクションなら、だけど、と目をそらしつつも心の隅っこでツッコミを入れた。

 フィクションならこの手の誤認識は何もかもうまくいきがちなパターンだ。なんかうまい具合に騎士様に成敗されて、自分は助かるやつ。ただし、今ここにある危機としては祈りにしかならない。

 ――本格的になんとかして逃げなきゃ。いえ、待ってるほうが生存率は高そうなんですけど、でも、この人たち、処分とか始末とか、つまり、殺す気だってことだ。なんとか伝えないと。


 多分、「人殺し」という存在への警戒は、安全だった現代日本よりも、こまごまと物騒だったり治安が悪かったりすることもあるこちらのほうが甘いのだ。

 特に貴族。為政者である彼らの普段の生活において、異国と関わる一部の上位貴族や王族以外の者たちのそのあたりの警戒の薄さは現代セレブよりも上だろう。大三項に守られているからだ。

 為政者を殺意を持って直接に殺せば大三項によって下手人も死ぬ。それを逃れうるのはその国の王と契約していない者。もしくは最初から契約を必要としない者だ。

 ――きっと本当に殺せちゃうんだ。

 スサーナが倒れ伏している前、一歩後ろに控えてつまらなさそうな顔で立っている青年の髪は黒い。契約を必要としない漂泊民の色。


「黒犬、期待しているぞ。」

「……はっ」


 勢いよく跪いていた配下に反応を返さず、偉そうな男は後ろで控えた黒髪の青年に声を掛ける。一瞬遅れて彼が跪き、先に跪いた配下の男はひどく忌々しそうな顔をした。

 ――仲が……悪い……?

 仲が悪いというのはいいことだ。方針の不一致、連絡の不徹底。いい単語である、とスサーナは横倒しで考える。


「ふむ、俺はウーゴの支度が出来次第ここを離れる。この後は貴様らに任せる。」

「はっ、ご期待くださいませ!」


 言うと、偉そうな男は入り口脇にあった大きな葛編みの箱の蓋を無造作に開けた。配下の男がうやうやしく駆け寄り、主に先んじて中から物を取り出し、うやうやしく捧げ持つ。


 ――なるほど、人の前で長話をしていると思ったら、ここに用事があったんですね……!

 自分と直接関係ない話をしていないでさっさとどこかに行ってくれないか、と気絶したように頑張って装いながら切実に願っていたスサーナは納得し、取り出したものを薄目でそっと見た。

 ――なんでしょう、あれ……

 大きめの石版、いや、プラスチック板、のように見える。多分角や貝の素材なのだろう板。薄目なので判然とはしないがびっしりとなにか金属光沢のある文字で書き込まれているような気がする。

 ――術式付与品アーティファクト

 ついで男は短めの剣を一振り取り出し、面白半分といった口調で黒髪の青年の方に差し出した。


「黒犬よ、使うか。丈の短いこれならば下賤の身の貴様にも扱えよう。」

「お戯れを。こやつが剣など使えるはずがありません。せいぜい首切り用の小刀がいいところでございます」

「ははは、それもそうか。ならばブルーノ、貴様が使うがいい。切れ味が上げてあるゆえ貴様でも命のひとつは取れるだろうよ」


 黒犬と呼ばれた青年がぎっと拳を握りしめたのがスサーナの転がった低い位置からはよく見える。

 やはりなんだか仲が悪そうだ。スサーナは思う。話の感じ、偉そうな人といかにも配下って感じの言動の人は貴族階級か商人の上の方、剣の練習ができるぐらいのひとたちなんだろう。対して黒髪の人はやっぱり漂泊民で、それで、下に見られてる?

 スサーナにとって漂泊民が直剣を使うイメージはあまりない。ないが、剣舞はする人たちだと言う気もするし、剣を使えないということを気にするイメージもないのだが、まあ内容がどうであれバカにされたら頭にくるものである気もする。


 ――ともあれ、切れ味を上げてる、って言ってましたし、あれも術式付与品。

 スサーナは配下に渡された剣に意識を向けた。良くは見えないし、じっと見ようとして動く愚は犯したくないけれど、なんだか柄の飾り文字がヴァリウサの文字ではないように思われたのだ。

 文字自体ははっきりとは見えないものの、金の象嵌でチューリップかもしくはクロッカス、極度に意匠化した百合の花のような紋章が施されているのが見える。

 同じような意匠は配下らしい男が薄板を包んだビロードらしい布にも刺繍されているようだった。もしかしたらどこかの家の紋章か何か、意味のあるものなのかもしれない。

 ――島で誰か魔術師さんが作ったやつじゃないみたいな……? もしかしたら、この誘拐、夏のあのわるいロリコンの関係のなにかだったりするんでしょうか。


 確かベルガミン卿は魔術師に迷惑をかけるやり方で術式付与品を充電して密売していたのだった。そういえば買っていた人はそれはいるのだし、共犯だっていてもおかしくはないし、セルカ伯のパーティーで謹慎に至ったのだから、恨んでいてもおかしくはない。

 スサーナはとりあえずそう考えて、整合性があるなあ!と一人そっと怒りに燃えた。

 ――おのれベルガミン卿。謹慎になっても人をなやますなんて。おうちでタンスの角とかに小指をぶつけて折ってしまえばいいんです。


 遠い空の下、本土で謹慎しているというベルガミン卿のもとにスサーナが呪う気持ちを飛ばしていると、箱の中身を出し終わったらしい彼らはそれで用事が済んだらしく、スサーナのことを気にする様子もなく部屋を出ていった。


 がちゃりと鍵の閉まる音を聞き、それからしばらく待ってなんの音も聞き分けられなくなってからスサーナは身を起こす。


 ――捕虜と術式付与品を一緒においておくなんて、不用心ですよね。

 なんだか脱出に役立つものはないだろうか。そう思って術式付与品の入っていたらしい箱の中を覗いてはみるが、蓋すら閉めずに放置された箱の中は既に空で、スサーナを残念がらせた。

 ――あの人達が入ってくる前に気づいていたら!

 しかし、一時的にでもそんな置かれ方をしていたということは、本当に人質を取る予定も、そのための設備もないところに急遽囚われたのだ。

 それがなにか打開策になるかもしれない。スサーナはそう考えて部屋の中をもうひと調べしてみることにした。


 ――出なきゃ。そうじゃなくても、なんとかして伝えなくちゃ。

 他人の命が掛かっていることを知ってしまった。それは、自分ひとりが恐ろしい目に遭っているというようなことより、ずっと、ずっと恐ろしくて、意味のある、なんとかしなければいけないことだった。


 セルカ伯が脅迫に応えるかどうかはわからない。応えないかも知れない。捕らえられたスサーナは可愛い娘でも姪でもないのだから。

 今やむしろそうあって欲しい。だが、もし応じたら。

 騎士様も関わることなのだ。応じるかもしれない。例えば、不心得者を捕らえよう、などの意図。任務に丁度いい、とかそういう目論見。

 そうして、相手の狙いが自分たちだとは思わず出てきてしまったら。


 スサーナは焦燥感に喉を締め付けられたような感触を覚え、我知らずひゅうっと息を吐く。

 ――始末。どうするんだろう。身代金をどうのと言っていたということはきっとすぐ行うことじゃないはずですよね。脅迫状を出して、取引場所を通知して?人に知らせるなとか、一人で来いとか。 ともかく、そういうことをするはず。


 高い窓から差す斜めの日差しがスサーナの長い影を作る。

 それはそろそろ夕暮れの赤色に変わり、不吉な色に部屋の中を染めはじめていた。

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