第104話 赤鉄鉱の犬 4

「そうか、お前、噂に聞いた黒髪の奴隷ってやつか。……娘の身代わりか」


 ややあって、青年の口から言葉が漏れる。

 多分そう称されるのはレミヒオのことだろうと思ったスサーナだったが、今はとりあえず全力で首を横に振った。


「身代わってません!人違いなんです!」


 誘拐犯の意見を是正しようとしてはいけない、と言うが、これだけは訂正しておかないときっと殺される。

 悪意あってのことではない、むしろとばっちりを受けたのはこちらの方だと主張しなくてはならない。スサーナはそう判断した。


「なら、その格好はどういうことだ。」


 問いかけてくる声に、スサーナはできるだけ真摯に聞こえるように答え、首に力を入れて哀れっぽく見上げてみせた。


「奥様が考案して流行らせる予定の新しい服装の試作なんです。下のドレス、10年以上古い流行りの形でしょう?」

「……」


 特に返答はなかったが、視線が全体を流れたのを見たスサーナはこれは取り合う気はあるようだと判断する。

 短い沈黙。相手の反応を待つ、願うような一呼吸、二呼吸。

 青年が箱にどさっと座り直す。


「なぜあのときあそこにいた?」


 質問が続く。


「ホールで皆さんにお披露目する予定で待っていたら台所から音がしたもので、今日は商人が来ないはずなのに誰か来たようなので、確認に……」


「その格好でか?」

「台所はホールから廊下二本で、すぐ側なんです」


 そんな風に一問一答が回数を増すたび、青年の表情にうんざりという色が混ざっていく気がする。




「畜生、ブルーノめ」


 しばらくスサーナを問いただし、言っていることに矛盾がないと察したらしい後で吐き捨てた。


「『ここの娘で間違いない』だとか言いやがって、腐れ無能が……」


 がしがしと髪を掻き、舌打ちをする。


 スサーナは、ああそう言えばあのいかにも配下と言うか腰巾着っぽい人はあのとき何か言った人だったか、と把握した。

 青年はスサーナの上に握っていたヴェールを投げつける。


「着けてろ、外すなよ。人違いだとブルーノにバレたら殺されるぞ。」


 言って、再度彼女の手が後ろに縛られているのを目視し、彼はちっとまた舌打ちをした。


「着けようがねえか。仕方ない。」


 ――あ、まずい。

 これはもしやいい人なのでは?などと思考に沈んでいた間に青年が立ち上がってこちらに近づいてくる様子にスサーナはあっとなる。

 縄は非常に緩めてあるのだ。今態度が軟化しているからと言って脱出を試みたことがわかればどう思われるかわからない。


「あ、いえあの、今なにかして頂く必要はその」

「……ん?」


 ――これはとてもまずいですよ!

 とは言うものの、特にいい言い訳なぞ思いつかない。スサーナがあわあわしている間に青年はスサーナの側までやってきて手首を縛った縄目を探る。


「なんだ……この縄。」


 青年は眉をひそめ、スサーナはそっと身をこわばらせた。

 ――これはいわゆるひとつのアカンやつ!

 縛り目が解かれ、ロープがぐいっと引いて緩められる。


「ブルーノめ、縄もろくに縛れないのか。お上品な歴々はこれだからな」


 ――セーーーーフ! セーーーーーーーーーフッ!!

 ブルーノさんとやらには悪いが、まあ誘拐犯の皆様の相互感情が悪くなったところでスサーナには得しかない。縄抜け出来る程度の下手くそな縛り方だったことも確かなので緩んだぶんは確かに誤差と言っても差し支えないかもしれない。スサーナは黙ってこの勘違いにありがたく乗っかることにした。


 ほどき際にロープをぞんざいに引かれたせいで擦れてひりひりする手首をさする。


 さて、縄まで解いてもらったことだが、とりあえずこれはどういうことなんだろう。

 そんな目でスサーナが青年を見上げるとどうやら疑問を察したのか端的な一言が戻ってきた。


「まずその布をつけろ。俺にはやり方がわからん。」


 言われたとおりにヴェールをかぶる。

 被り終わり、無感動な目でこちらを見ている様子の青年にスサーナは再度疑問形の表情を向けた。


「ええと……」

「終わったか。じゃあメシを食っとけ。食い終わったら縛り直す」


 それはいやだ。たぶんそのブルーノとかいう方の相手よりこの青年のほうが縄を抜けづらく縛りそうだった。スサーナは思案し、なんとかうまくごまかす方法と、現状を知る手段を探して会話を試みる。


「あの、ええと、それはいいんですけど、わたしどうなるんでしょう……」


 できるだけ哀れっぽく、か弱く、おさなげに声を上げる。ぼんやり暗い灯りでも見えることを期待して、縄で――主に縄抜けをしたせいではあるが――赤剥けになった手首がよく見えるようにぎゅっと手を握り合わせる。

 それはいいというか、まったくよくはないのだが。


「そうだな……」


 青年の顔に表情が動く。思案げな表情で髪をがしがしと掻き回す。どうやら思考するときの癖か何かであるようだった。


「報告か……ブルーノのやつがどうするか……」


 スサーナはことさら哀れっぽい顔をする。どうも人質価値なしとして殺されるかどうかはこの青年が報告するかどうかに掛かっているようだ。

 なんとなく人情を解する感じがする雰囲気に一縷の望みを託し、見つめる。


「自分の失点だと判れば大騒ぎしやがるからな。まあ、ご主人サマはお他所ヨソだ。あの腰抜けブルーノは後ろで騒ぐぐらいしかできないから、簡単に誤魔化しが効く。お前は身代金誘拐のフリにはまだ使えるし、人道主義の騎士サマにもまだ切れる札だろ。すぐ殺すようなことにはならねえよ、大人しくお嬢様のフリでもしてろ。」


 青年は言い放ち、ほっと脱力するスサーナを眺めた。それから何か思いついた、という様子で言葉を継ぐ。


「……ああ、待てよ? おい、お前。奴隷だって聞いたが、青帯はなさそうだな。あのお貴族様の屋敷の間取りは判るか? 当主の寝室か執務室、まあお嬢様とやらの部屋でもいい。あと普段使われない通路、部屋があれば――」

「む、無理です! 話せません!」


 いきなりの裏切りのご提案にスサーナは思わず全力で首を振り、それからあっしまった、と思った。拒否は相手の感情を悪くするのは間違いない。

 しかし、青年はこわばった顔のスサーナを見返し、その表情をどう受け取ったか、声音がほんの少し軟化する。


「貴族なんかに義理立てすることないぜ。折檻が怖いのか? ……俺の仕事はお前の所のご主人様を始末することだ。死んじまえば折檻もできやしないさ。お前もどうせ浮浪児上がりだろ? 盾になったところであのお貴族様は恩に着てくれたりしない。」


 スサーナはどう返答すべきか目まぐるしく思考する。

 これはほいほい裏切ったフリをして相手を袋のネズミにすべきところだろうか。しかし、あまり適当な事を言ってもバレるだろうし、あの屋敷には「格好いいスパイモノ」のように、ここに敵を誘導すればきっと勝利する、と言うような場所はない。良かれ悪しかれ下級貴族の屋敷だ。

 腕っぷしの強い使用人、はいても、精鋭の護衛、というのは――


 ……いるな。

 スサーナの脳内にレミヒオがぎる。

 彼は十指を超える魔獣をバラバラにできる能力の持ち主だ。


 ただ、彼がそのスキルを護衛として使うかどうかは判断がつかない。セルカ伯との関係は良好なように思うから、使ってはくれるのではないかと思うけれど。それによく考えたら目の前のこの青年も同じスキルを持っている可能性がある。


 さらに言えば、自分はその手の知識に疎い。その手の期待をあの屋敷でされたこともない。セルカ伯のスケジュールを把握しているわけではなく、レミヒオの行動パターンも判っているわけではない。つまり、相談もなしの機転だけで都合よくレミヒオの前に彼らを誘導する、ということは不可能だ。



「かっ、考えさせてください。すぐは決められません……」


 結局、恐ろしいことへの決心がつかない、というニュアンスを込め、怯えたような声音で脈ありげに返答するに留まった。


「そうか。今夜遅くにはここを引き払ってねぐらを変える。それまでに決めてくれると万が一の時お前の価値が多少上がる。」

「こ、心しておきます……。」


 スサーナは頷き、ねぐらを変える、と胸の中で繰り返した。

 移動する。つまり、外に出る。多分ここよりも逃げやすいはずだ。

 逃げるのはそのタイミングを狙うほうがいいだろう。多分このあと縛り直されるだろうが、棚の下にはナイフがある。縄をまた緩める機会はある、と考えてもいいはずだ。

 明確なチャンス。それまでは従順に振る舞ったほうがいい。


「まあいい。ほら、メシを食っとけよ。これ以上冷めようがないけどな」

「い、いただきます……。」


 スサーナは不安げな目つきで視線を彷徨わせると、とりあえずドロドロの粥の乗った皿を手にとった。

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