第277話 偽物令嬢、いろいろ下準備をする。

 妃宮に行くには、王宮までは侍女について来てもらい、馬車留めで別れる――もしくは妃宮の入り口で侍女に帰ってもらう――という手順らしい。

 流石に王宮にはミッシィは連れてこられないため、スサーナはクァットゥオルに会う為、馬車を呼んでもらうフリをしてから侍女が戻るのを確認し、それから忘れ物をしたと御者に断ってフェリクスに言われた場所に向かう。


 フェリクスに教えられた符丁を侍女に伝えることで指定の場所に現れたクァットゥオルは、本当にスサーナが待っているのを見てなにやら呆れたような顔をしたが、指示と解説は簡潔で的確だった。


 スサーナが入り込む下級の侍女の仕事と本来の採用形態。一体誰に通常は指示を受け、どういう命令系統なのか。


「それと、殿下のご指示で、妃宮の侍女の一人、イネスと呼ばれている者に話が通してあります。融通が必要なら多少でしたら彼女に言えば効くはずですので。他、疑問なども彼女に。ただ話せることしか申し上げられませんので、それは了承を。」

「妃宮の方に! 手厚いご援助、心から感謝いたします……!」


 スサーナはホッとして深く頭を下げる。

 妃宮は感覚的にだいぶアウェイなので、口裏を合わせてくれる侍女がひとりいるだけでも安心感はだいぶ違う。なにか質問できるというのもありがたかった。


「フェリクス殿下のたってのご依頼ですから力を貸しますが、くれぐれも軽率な行動で宮中に面倒を掛けることがないようお気をつけを。殿下のお力でもみ消すにも限度というものが御座います」

「き、気をつけます……!」


 最後にちくりと釘を刺された後に侍女のお仕着せを貰う。

 彼女が言うことによると、一応名簿に適当な名前は潜り込ませたが、これから2日3日のうちに他の侍女が奉公に入るタイミングがあり、その時が最適だと思われるという。機会が来たらイネスから連絡がある、ということで、スサーナは至れり尽くせりに心から感謝した。


 ――じゃあ、2日ぐらいは書庫にいたりするデモンストレーションを。イネスさんのお顔も確認して……人の来ない部屋があったらそれも教えてもらえれば良いんですけど。

 しっかり荷物の中に貰った侍女の服をしまい込んでからスサーナは今度こそ妃宮を目指す。



 やることは昨日とだいたい同じく。

 ――彩色の細かい植物辞典は駄目ですね。絵があるせいかちょっと興味を引いちゃう。戻ったら違う本に替えなくちゃ。

 スサーナは広間であまり人好きのしなさそうな本を読み、適度に様子を見つつ、タイミングを見計らってそっとイネスという名の侍女を探しに出た。


 サンルームを通り、昼前の冬の日が差し込む小礼拝堂を抜け、絵画を飾った細い廊下をぽてぽてと彷徨いていると、向かいからやって来た侍女の一人にそっと声を掛けられる。


「恐れ入ります、なにかお探しでしょうか?」

「ええ、こちらにイネスという侍女が勤めていると……」

「はい、そうではないかと思っておりました。ショシャナ嬢様ですね? クァットゥオル様からお話を頂いております。」


 極力令嬢らしく言ったスサーナに、静かに微笑んだ侍女が答えた。

 ――この方がイネスさん。

 40を少し過ぎたぐらいだろうか。清潔そうな外見の落ち着いた雰囲気の女性だ。

 なんというか、すごくうごきがきれいなひとだなあ、とスサーナはそうっと半眼になった。

 ここの所数ヶ月、ほぼ毎日毎日カリカ先生に稽古をつけられているせいで、なんとなくその手の「動きの綺麗さ」を察することができるようになりだしたスサーナである。


 多分護衛官のコネになるようなタイプの人材なのだろうなあ、と思いつつ、まあ妙な詮索はよくない、侍女として力を貸してくれるならそのことだけを考えよう、とスサーナは思った。


「どうぞよろしくお願いします。」


 会釈に深い礼を返したイネスに、とりあえず必要な相談をする。


「人の来ない所、で御座いますか。」

「はい。抜け出すときはそこに居た事にしようと思いまして。口実になれば良いんですけど……。とりあえず、書斎に籠もっていたと言い訳する予定ではあるんですが、他に候補があれば念の為に覚えておきたいなと。」


 書斎は普段人がこなさそうな雰囲気だが、全く使わない、というわけではなさそうだ。

 一般的な貴族の屋敷よりはずっと本があり、書棚も壁際だけではなく独立で数棚立っているので、書棚の影にいました、といえばギリギリ誤魔化せるような気もするが、やはり安全マージンは取っておきたいところである。


「そうですね。書斎は普段使う方をお見かけしませんのでいい場所です。ただ定期的に使う用事がありますので、その際には別の部屋に居た事にされるとよろしいかと。」

「ああ、やはり使うんですね。」

「はい。大体使う日程は一定していますが、多少ブレはありますので、使う際にはお知らせ致しましょう。他に使わない部屋と言いますと……簡易の倉庫の代わりにしている角の小部屋か、食堂横の待機室も向くかと。」

「待機室。でも、そちらですと侍女の方が使われませんか?」

「昼に温かいものを出すことはほとんどございませんので。パンをいくらかと冷製の肉を毎日妃宮全体の厨房から運んで参ります。」

「なるほど……。あ、先程礼拝堂を通りましたけど、あそこはどうなんでしょう?」

「礼拝堂は都合よく思われるかもしれませんが、ご令嬢同士での逢い引きに使われる方がいらっしゃいますので」

「ごれいじょうどうしの……あいびき……」


 まさかの百合。いやまあ、居ておかしくはないのだけれど。

 スサーナは絶対出くわさないようにしよう、と心に決めた。




 それから数日は穏やかに過ぎた。


 妃宮に出向いては書斎に入って本を読んだりしつつ、アリバイ作りのために時折広間に本を持ち込み、皆の見えるところで広げる。

 御本を好き好んでお読みになるなんて、働き口を探さなくてはいけない下級貴族のご令嬢のようなご趣味、などとグラシア嬢がさえずったりもしていたものの、それ以上接触してくるわけでもなかったので特に問題はなかった。

 ミレーラ妃が親睦にいらっしゃるのではないか、と少し警戒したスサーナだが、どうやら向こうの社交でなにか忙しかったらしいこともあり、妃宮に到着した際に挨拶を交わす程度の関わりで放任されるようだった。



 ネルさんからも危なそうな報告はなく、あちらの方も小康状態ではある様子だったし、カリカ先生はいつもの通りだ。スサーナはこの間に特に変哲もないスイセンをことに成功し、カリカ先生を大喜びさせたりもしていた。



「やはり刺繍の精密さを上げたのが成功の秘訣かしら。精細な刺繍は手間がかかりますけど、先日言ったとおり「確からしさ」の力になってくれますからね。面倒がらずにしっかり刺すことです。もちろんイメージもとても大切ですから、どちらにしても必要なのは観察。ただしイメージを固定しすぎてはいけませんよ。」

「はいカリカ先生」


 頷いたスサーナにカリカが上機嫌で笑い、その場に現れたスイセンを手折る。


「ふふふ、アナタは本当に飲み込みが良くて嬉しくなってしまいますね。ああ、ちゃんと香りもする。」


 香りを嗅ぎ、花の枚数や葉の形、断面を見た後にカリカは合格、と言った。その手の上でスイセンが消え、彼女はああ、と少し残念そうな顔をする。


「制御の時間をもう少し取れるようにしたいところですね。」


 もう構わないのかと消したスサーナは慌て、小さくなって謝罪した。思えば最初の一回は色々確認することがあっておかしくない。

 ――細かい刺繍をして使った魔法は気軽に使い直せないのは問題ですね……! 刺繍の替えは流石に作ってない……!


「あっ……すみません。もういいのかと気を抜きました。」

「いえ、先に言っておくべきでした。集中を乱してしまいましたね。……今の草は実は毒草なのですよ。だけではなく、伴う要素の再現も出来るようになるとぐっと出来ることが広がります。そして、大事なことはこの形の草だからといって同じ毒を伴わなくてはならぬ訳ではないこと。それこそがイメージを固定してはいけない理由です。……とはいえ、まずは基本から。しばらくは「動かぬもの」を呼び起こすことに習熟していきましょう。」


 現した水が喉を潤すように、毒を与えれば効果は残ります、と彼女は言う。スサーナは彼女の講義を聞きながら、

 ――いやうん、本当に鳥の民はセキュリティホールですね……? っていうか……実在の毒じゃないならもしかして護符の加護を抜けたりしません? いいのかなあ、王宮の中に入れるのにこんなスキル身につけて……

 カンタレラは洒落にならない。

 守ろうとする側ではあるから今は問題ないよね、とそっと唱えたりしつつ、詮無いことながら、なんとなく遠い目になっていた。



 この数日中にはスサーナがそんなセキュリティホール度を上げているだなどとつゆとも思いもしない第五王子が訪ねて帰ってきたりもする。


「レオくん」

「スサーナさん。どこかへお出かけでしたか」


「行儀見習い」の帰り、馬車から降りたところに一段豪華な馬車が停まっており、護衛官が黙礼してきたのを見て、スサーナは降りてくるレオカディオを出迎えた。


「あ、はい。実はここ何日か、第二王妃様の妃宮へ行儀見習いに出ているんです。」

「む。そうだったんですか。そういえば……おほん、フェリスが手紙をくれたんですが、その用だったのかな。忙しくて見そびれていましたけど……。」


 レオカディオは少しだけ複雑そうな表情をした後に、気を取り直したように微笑む。


「行儀見習いはどういうものなのですか。華やかな場だと聞いていますけど。」


 出迎えの侍従と侍女に従って上着を脱ぎ渡し、歩きながら問いかけてくる彼にスサーナははてなんと答えようか、と悩む。

 ――まさか書庫篭りをしています、というわけにもいきませんものねえ。


「ええ、そうですね。いろいろなご令嬢がいらっしゃって……。外の社交の場とは雰囲気が違うのが興味深いです。」

「なるほど、そうなんですか。」


 言ったあとでレオカディオは数言行儀見習いについて問いかけてきたので、スサーナは内心ヒヤヒヤしつつもすまして見てきたように返答した。

 上着を脱ぐと、居間に一息ついて体を温めるためのお茶が用意されると侍従が言ったので、二人は軽くお茶を飲むことにして、居間へ向かう。


「…… それで、あまり決まりが厳しいというようなこともないようです。皆、好きなようにしているように見えました。」

「それは面白い仕組みですね。スサーナさんはどうして行儀見習いを?」

「第二王妃様がお誘いくださったんですよ。こちらでまだお友達が少ないでしょうと……」

「それは少し羨ましいな。母の妃宮が行儀見習いを行っていたらこちらのほうに是非お呼びしたんですが。」


 異国生まれである第三王妃ザハルーラ妃はこちらの慣習である行儀見習いを行ってはいないのだという。言いつつ彼はなにやら複雑そうな顔をした。


「まあ……近頃意欲は見せているんですけど……。ミレーラ様のように普通の行儀見習いを集めてくれればどんなにいいか。」


 運ばれてきたハーブティーを啜りながら深く深くため息を吐く。


「なにかおありなんですか?」

「ええ。……「乙女探し」で人数が集まったら、行儀見習いのように自分の妃宮で過ごさせようと願っているようで……。いろいろ問題もありますし、流石に止められたんですが。」

「沢山集める前提でいらっしゃるんですね……。」

「ええ。早く建前をちゃんと思い出してもらいたいです。普通に考えても一人本物がいれば残りは騙りだというのに、貴族達もそのあたりは失念しているのか、どうでもいいと思っているのか……。」


 断行しかねないのが困ったことです、とレオカディオはそっと首を振った。

 比べてミレーラ様の行儀見習いは楽しそうですね、とくったり言った彼にスサーナは、楽しいかどうかは人によって意見の分かれるところだと思いますけど、と思ったものの、事態を想像するとレオくんはとても大変だろうな、と思ったのでそっといたわりの表情を浮かべる。


「早く……その、解決するといいですね。」


 解決は非常に自分のためでもあり、ネルさんを動かしていたりするというのに他人事みたいに言うのは変な気持ちだなあ、と思いつつもスサーナはレオカディオを慰めた。


「いっそレオくんも第二王妃様の妃宮へ遊びにいらしたらいいのでは。フェリスちゃんもお茶に来るそうですよ。」

「そう出来たらいいんですが。本来僕ら……王子は妃宮を行き来することはないんです。」


 本当は政治的な問題が色々あるので推奨されないらしい。王妃様達の仲は良いので有名無実ではあるのだが、やはりこれまでの慣習を全て取り払うのは貴族たちがいい顔をしないのだ、とレオカディオは説明する。


「そういうものなんですか……。」

「はい。フェリスとは王宮で会えるので、寂しいことはないんですが。」

「ああ、それは少し良かった。……実はフェリスちゃんが、行儀見習いに来たあとで三人で王宮でお茶するのはアリ、みたいに言っていたんですが、そういうことだったんですね」


 スサーナがホッとして笑うのに彼は笑いかけかけ、そして何やら気づいたというふうに妙な顔をした。


「あ、フェリスに会ったんですか? こちらに来てから……」

「? はい。」

「妃宮でですか? その……おかしな事を聞くかもしれませんけど、格好は……」


 スサーナはああ、と頷く。


「ああ、びっくりしちゃいましたけど……フェリスちゃん……男の子だったんですね! 本当に驚きましたけど、中身はフェリスちゃんですし。王家のご事情だと伺いましたけど、大変なんですね」

「あー、ああー……いえ、もう知っているならいいんです。」


 レオカディオはなにやら遠い目で、ああ、とうとうバレたんですね、などとしみじみしたようだった。まあこれで過剰にスキンシップをすることも減るだろうからいいのでしょうか、などと呟く。


「どうか?」

「いえ、こちらの話です。じゃあ、お暇な時にでも……侍従を介してラウルに言付けてください。三人でお茶をしましょう。」


 そうしてハーブティーを飲み終わり、それぞれ着替えの準備ができたと使用人たちがやって来る。スサーナは、まあみんなでお茶を出来るなら妃宮、ひいては王宮に行く楽しみが出来た、というものかな、と思いながら頷いた。

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