第328話 偽悪役令嬢、おもねる。

 しばらく大人しくしているうちに、それなりに落ち着いた、と言っていいだろう。

 会場を眺めながらスサーナは、先程までの自分はどうにも焦燥感に追い立てられていたな、と喉から息を漏らした。

 ――急いては事を仕損じる、という格言、そのままですよねえ。

 でも、安心したかったのだ。これ以上悪いことが起こらず、案外好転しやすい状況だった、だとか、最悪の事態に接続したりしない、だとか、信じられる材料が欲しかった。


 何かが起こって、何かが進んでいる、という感触だけあって、それがなんなのかがわからない。怪しい宗教団体の関与に、魔術師の関与。欠片欠片だけでも十分恐ろしすぎるほどだし、なにか背中にまとわりつくような嫌な予感が消えない。

 ――だからせめて、サラさんは大丈夫だ、って成果が欲しかった。欲しくなってしまった。

 だが、それで頑張っている大人に迷惑をかけるようでは本末転倒なのだ。そこまで見越されて自由にさせてもらっていると仮定したって、ミスは少ない方がいい。


 本当は大人達に任せて大人しくしておいた方がいい、ということはわかっている。確実に迷惑を増やした直後の今なら、とても。だが、それではどうにも恐ろしくてたまらない。このままではいけない、何かが手の間をすり抜けていく、という、形のない、しかし確信に似た恐れ。

 ――とても自分勝手で迷惑だということは解っているんです。でも。

 使い捨ての布巾としてはきっと少しは役に立つから、どうかどうか許してほしい。


 スサーナははあっとため息を吐き、思考を切り替える。

 ――サラさんをこちらに引き込む、というのには失敗した。今できるのは……。



 それからしばらく、パーティーの会場を見渡した第二王子ウィルフレドは、先程アブラーン卿の養女と揉めた公の娘が静かに場内の会話を聞いているのを見た。

 耳を澄ませては、ひどくさりげない足取りで何か興味を引いたらしい者たちが談笑する側まで近づき、しばらく聞き入って、また時折万年香の枝を取り、いかにも「冬至の妖精」として振る舞っているのだ、という風に渡しては挨拶をする。

 しばらく追っていると、眺める視線に気づいたらしく、こちらに目線を投げてうっすら眉をしかめたようだったが、すぐにすっかりなんの興味もない、というふうに目の前のしょぼくれた壮年貴族達の自慢話に耳を傾けるようだった。


「ウィルフレド様、先程から随分気を散らしておいでですのね。もうこちらには飽きてしまいました?」


 特に興味もない貴族との会話を任せていた女がひととおり相手をあしらい終わり、振り向いてもう少し楽しいところに行きます?と微笑みかけてくるのに王子は微笑み返し、側に張り付いている娘の籠から青い枝を取り上げて唇に当てる。


「それは魅力的だね。でも今日の私は引率のよいお兄さんだからね。これからどこかに遊びに行くより、宴の終わりまでお行儀よく冬至の妖精さんをちゃんと馬車に乗せて連れ帰ってやるほうが良さそうだ。」

「まあ、ウィルフレド殿下にしては真面目なことをおっしゃいますこと! 人を呼んで後の世話をさせればよろしいのに」


 笑う彼女にむっと眉を寄せ腕に絡みついてくる年若い令嬢の頭を一つ撫でて、置いていったりしやしないさと宥めてやる。今日でなければ――どうせ自分の側近も一声かければ出てくるあたりに紛れているのだろうし――そうしても構わなかったのだが、今日は品行方正に振る舞った後のおまけのほうが随分と愉快そうなのだから仕方ない。


「ははは、最初からそんな風だとよほど嫌われてしまいそうだしね。まずは信頼してもらわなくちゃ。人間関係ってそういうものだろう?」

「まあ、ウィルフレド様を嫌えるような女がいるのかしら。そんなふうにお心を砕いて頂けるなんて、羨ましくなってしまうわ」

「参ったな、私は小心者なんだよ。もちろん、貴女に嫌われるのも怖いに決まっている。」


 そう微笑んだ王子は人懐こげに微笑むと、手にした万年香の枝を、セイスデドスの噂をしていた男達の方へ挨拶に向かうらしかった貴族の一人に差し出しに向かうのだった。




 気づいたことはいくつかある。

 スサーナは、ビセンタ婦人を偶然見かけたという素振りで近寄り、談笑しつつ考える。

 何気ない雑談や挨拶で断片的に見えるつながりとして、アブラーン卿と親しい者たちがこの集まりには多いようだ、とか。それはどうも開催者との親しさとも一致していそうだ、とか。

 もしかしたら、親しげに振る舞う相手の共通点を思えば、ビセンタ婦人はスサーナの当初の想像と、事前に聞き集めた関係図以上にアブラーン卿とは近しいのかもしれない、とか。


「あの亜麻色の髪の乙女の子に食って掛かったのですって?」

「ええ、ビセンタさま。……だって、身の程知らずも過ぎますでしょう?」


 問いかけてくる声が、面白いゴシップを見つけたという色をしながら、もう少し警戒を底に秘めた、経緯を把握しようと望むものの声をしている、とか。

 ――もしかしたら、この件に関して利害関係はあるのかもしれない。

 スサーナは思考を揺らしながら唇を横に引き、刺々しい気分を頑張って呼び起こしながら微笑んで見せる。


「仮にも王家の王子の相手になろうという方があんな風なんて。ええ、でも、案外ああいう方のほうがお好みかもしれませんね。……思い直させて差し上げようと思ったのですけれど」


 ――さて、これで、どちらとも取れるでしょうか。

 レオくんと仲がいい、とも仲が悪い、とも第三者からは言質を取れない感じで、ビセンタ婦人からすればあまり好意的に見えないように。サラさんを軽視している、と思ってもらえると良い気がする。スサーナはとりあえずそう計算する。

 こういう言い方なら、サラ本人が何を言われたのかをアブラーン卿に話していたとして、それがビセンタ婦人まで伝わっていたとしても違和感は少ないはずだ。


 身分も才気の高さもどちらも重視するタイプの女性だし、こういう風に返答すれば納得されやすいだろう、という計算もある。

 ――この会話、サラさんに伝える人がいなければいいけれど。いえ、こう発言する意図は取って、そのうえで駄目そうなんですよね。

 パーティー会場の中でサラが居る一角と、今ビセンタ婦人が談笑している場所はそれなりに離れている。スサーナはそちらのほうにちらりと視線を投げ、声が向こうまで届きそうにないことに内心少し感謝した。流石に直接当てこするような物言いを聞かせたいとは思わない。


 はふ、とわざとらしげにため息をついてみせたスサーナの表情を覗き込み、そこに何を見出したのか、ビセンタ婦人の気配は少し緩んだようだった。


「まあ、ほほほ、確かにその通りだわ。趣味がいいとは言えませんわね」

「本当に、困りものですこと。……そんなことより、ビセンタさまもこちらの夜会にいらしていたのですね。教えてくださったら最初にご挨拶に伺いましたのに」

「まあ、嬉しいことを言ってくださいますのね。では、次にはきっとお声がけ差し上げましてよ」


 はしゃいだ表情と甘えた声ですり寄って見せれば、与し易い子供を見る計算高さと侮り、それと自尊心が満たされた満足感が視線に混ざる。


 スサーナは距離をはかりつつ、ビセンタ婦人の取り巻きの一人のような顔でしばらくその場にとどまることにする。この十日あまり、与し易い小娘としてそのように過ごしてきた実績と、先日宴席に伴われたという事実はそこそこ役に立ったらしく、本当ならもっと遠慮されても良いはずのミランド公の令嬢を気にして口をつぐむものはどうやらそう多くはないようだった。

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