第327話 偽悪役令嬢、会場に戻る。

 ウィルフレド王子に連れられてパーティー会場に戻る。

 戻った先でウィルフレド王子は如才なく、酔ったショシャナ嬢を休ませておいたのだけれど、と前置きして、酔って心配事が見過ごせなくなったのだろう、なかなか情熱的な性質のお姫様だね、と苦笑してみせたので、大人たちの間では醜聞まで行かぬよくある事として首尾よく認識されたらしい。



 とはいえやはり家の評判を下げることには違いないので――成果があれば自分の責任として黙殺する覚悟であるが、なんの成果も上げられませんでしたという状況で更に自分で下げた評判の裏付けが出来るとなれば――そう収めると決めたときにはだいぶぼんしょりしたスサーナだったが、廊下を歩きながらの忙しない会議の間にウィルフレド王子は享楽的な表情が似合う目元に奇妙な鋭さを滲ませて肩をすくめ、笑ってみせた。


「おや、ショシャナ嬢は妙なことを気にするね」

「自分でそれでと決めたことの延長ですから、沈むのもおかしいのかもしれませんが。……眼の前にどぶがあって、今からそこに足を入れるとなるとやはり人間というものは気後れすると思うのですが。……私はただでさえ皆様の採点は厳しいでしょうし。」


 サラを取り込めなかった以上、そう言ってもらえればサラがアブラーン卿に何かご注進したとしても程よく場が収まるけれど、同時に流石に王子様の手を煩わせたと認識されるのだと、真偽不明の噂としてうやむやにはなりづらかろう。可哀想な乙女をどこかに連れ込んだという噂とはちょっと解像度が違う。

 そうだ。スサーナは思う。自分が結局全部済んだ後にどう振る舞うことになるのかはわからないけれど、とりあえず現状、実娘として迎えられ、そう扱われているのだから、それにふさわしく振る舞うべきだろうとは思うのだ。

 本当は瑕疵なくあるべきだとは思う。ただでさえ、異国から招かれた隠し子などという触れ込みの娘だ。もともとある程度差し引かれて見られるのは想定のうちなのだから。

 必要があってのことであれ、種々繰り合わせて手元におく労力を払ったものだというのに。ただでさえ使い勝手が悪そうな上、ろくな使いみちが後に残らなくなってしまえば、流石にお義父様が不憫に違いない。


 まあ、そうは言っても今回まずそう印象づけたのは自分であるし、やらかさない選択肢はなかったのだが、痛むとわかっている注射の時間を待つ間に憂鬱になるようなものだ。そればかりは人間、どうにも致し方ないことだろう。


「おや、評判が下がるのが嫌だったのかい? その割には思い切ったことをしたね」

「この場合、思い切るところかなとは思いましたので。ただ、でも、評判のいい娘のほうがなんにせよ重宝なものでしょう?」

「それはどうだろう。外務卿の好むやり方なら、癇癪持ちですこし考えなしな後継者候補なんてものは一人いるときっと使い勝手はいいだろう。あれも親類の一人もいないわけじゃないからね、養子の貰い先には不自由していないだろうから、評判がいいのが欲しくなったら替えはいくらでもいるさ。」


 この時期に呼び寄せたんだから、思惑がないはずもなし。実子なら多少出来が悪くても大目に見られると思って寄ってくるものも多いだろう。そういう汚れ取りは一枚あると重宝するものだ。

 そう、なぜか少し意地悪な顔をしてみせた第二王子にスサーナは少し考える。

 ――普段の行動を知っているこの王子様がそう言うなら、望まれる方向性はそちらだと期待してもいいんでしょうか。

 そういう考え方はわからなくもない。というより、彼女自身ネルにそう指示したものだ。愚かで与し易いアホボンというのは、さぞや素敵なものに違いない。


「私が思うに、そのぐらいの思惑はあるんじゃないのかな。……わざわざ異国から呼び寄せられたのだから期待されていると思いたいだろうけど、申し分ないお姫様役に据えるならそういう子は親族にちょっと声をかければいるわけだしね。君もそのぐらいのことは考えてこういうことをやっていると思っていたけど、そうじゃないならあまり気負ってもいいことはないかもしれないよ?」

「なるほど、父と面識のあるウィル殿下がそう仰られるなら安心ですね。せいぜい不出来な娘として羽根を伸ばしていきたいと思います」


 ウィルフレド王子が、自分が飾られる絹のハンカチだと思っていると使い捨ての木綿の布巾だったということもあるのだから、慢心すると足元を取られるかもしれないよと言うのにそううなずく。

 その役割は完璧で素敵なご令嬢というものよりずっと果たしやすそうで、なおかつあくやくれいじょうらしくて良いし、程よく損切りしてもらえるなら気も楽だ。せめて使い勝手のいい布巾で居たい。とはいえそれは貴族の娘としてだけで、全力でそれに力を注ぐというわけではなく、鳥の民としての部分はそちらに切り出すつもりは現状ないわけで、結構自分の都合のいいように振る舞うつもりであるのだけれど。


「ありがとうございます、ウィル殿下。」


 すっかり気を取り直して微笑んだスサーナに、ウィルフレド王子が一つ、目を瞬いた気がした。



 戻った後は、ショシャナ嬢は叱られて少ししょんぼりした、という風情でウィルフレド王子の比較的近距離に佇んでいることにする。

 とはいえ、この王子様は怠惰でとろりとした雰囲気で、長椅子あたりに寄りかかっているのが似合うくせに、結構動くし、少し目を離すとつかつかとどこかに歩いていってしまったりもするので、パーティーに到着したところからずっとそうして彼の周りにいようとしていたご令嬢たちの苦労を思い知るばかりである。

 たまに見失ってアワアワウロウロする少女たちがどうにも鴨の子供とかに見えて不意に和んでしまったりもするスサーナだ。これは先程スサーナと別室にいたタイミングではよほどぴよぴよしていたことだろうと思う。

 グラシア嬢が暴走したショシャナ嬢に文句を言いたそうにしていたようだったけれど、そういう理由でウィルフレド王子の後を追うのが忙しそうで、そんな暇がなかったのは喜ぶべきことだったかもしれない。


 スサーナとしては別に多少の距離ができても問題ないので、比較的近距離という言い訳を保てるぐらいは意識して、アブラーン卿にだけは近寄らないように会場を観察する。

 帰還まではそれなりに時間はあるけれど、流石に速攻で二度目にサラに挑み、玉砕するほどせっかちでも向こう見ずでもないのだ。

 サラは暫くして戻ってきて、壁際でまた大人しくしているようだった。アブラーン卿はそれなりに良い身分の相手と会話に至れていたようで、そちらに夢中であまりサラの方に目を向ける様子はなさそうで、ひどく叱責される様子も無いのにほっとする。


 様々な階層と、年齢層の人々が入り交じり、会場は色彩で満ちている。

 盛装の上に着られる短い毛皮のマントの衣擦れの音。余興の演奏に歌声、芸人の口上。食器の触れる音に、声高な社交の声と華やかな笑い声。

 ――華やかな場に見えますけど。

 この中のどれほどの人に思惑があり、駆け引きを巡らせているのだろう。絢爛な雰囲気の会話に紛らせる低く押さえた声や、それだけでなく華やかな笑い声に会話ですら。

 少なくともウィルフレド王子やアブラーン卿はそのためにここに居るのだ。

 ――魑魅魍魎。

 でも、それはどこでも、どの世界でも同じことなのだろう。

 スサーナはごく一瞬目を細め、そこで精緻なダンスを踊りきれる娘なら有用と見做されるものだろうか、と感傷を弄び、それからまた観察に戻った。


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