第329話 偽物令嬢、無断外出をする。
それから、しばらくして。
宴はつつがなく終りを迎え、第二王子のエスコートで少女たちは各々の屋敷の前まで送り届けられた。
甘い微笑みを浮かべた王子がなにやら歯が浮くような言葉と共に令嬢たちを見送るのを見ながらスサーナは、よくやる、とだいぶ呆れたような感心したような気持ちでいる。
年の近そうなご令嬢達からお披露目前のグラシア嬢まで、別け隔てのないマメっぷりで、なかなか色男の面目躍如というところなのだろうか。
最後の一人として、正式な作法の先触れを伴って帰宅したスサーナは、まず家人たちに帰還の挨拶をし、侍女たちに適当に濁した土産話をしつつ服を着替えると、疲れ果てた、という顔をしてみせる。
「メリッサ、後の世話は貴女だけで構いません。少し早いですが、もう眠ることにします」
「はあいお嬢様」
侍女たちを下げ、スサーナは帰還前のウィルフレド王子の意味深に手を振った仕草を思い出してさあてと気合を入れた。
――お父様はお戻りではない、ということは報告は明日の早い時間。手紙を書いてもいいですけど……、時間の余裕的に、先に。
「さて、ミッシィさん、ちょっとこれから抜け出しますので、お手伝いをお願いします」
――普通、公の令嬢というものはお家からそうそう気軽に脱走ってしない気がするんですけどねえ!
脱走そのものまではこれまではほとんどやらかしはしなかったものの、なぜだかすっかり人目の少ない出入り口だとか、家人の行動パターンだとか、部屋にいないのをごまかす方法だとかに習熟してしまった偽令嬢はため息一つ、新たな不良行為に手を染めることにした。
ミッシィがドレスを用意してくる間に不在を示す符丁を庭先に吊るし、こっそり作り貯めてある洗浄の刺繍魔術をそっと発動させて全体的にさっぱりしたスサーナは、ミッシィが見繕ってきた中から裕福な商人階級か下級貴族ぐらいに見える茶色のドレスを選択する。髪はベージュブラウンのかつらで、近隣の国では庶民階級に多いものながら、貴族にも十分いる色合いだ。
「それで、お嬢様、どうするの?」
「横手の通用口側に迎えに来てくれることになっているんです。申し訳ありませんが、ミッシィさん、取り次ぎ役をお願いしても?」
「はあい、わかったわ。もしかして、第四王子様?」
「……今日は二番目です」
「あら!」
スサーナがそう言うと、ミッシィはなぜかきらきらした目をして、凄いわお嬢様、あとは第一王子殿下と第三王子殿下ね、などとぽんと手を打ち合わせたりしていたが、スサーナはそんな物騒なビンゴを完遂するつもりは一切ない。第二王子殿下であっても、この件が終わったらぜひに没交渉になりたいところだ。
末永く仲良くしたいのは、立場的にきょうだい同然であるところのレオくんと、それなら自分もきょうだい同然ではと言ってくれたフェリスちゃんだけで十分なのである。
先にさり気なくミッシィに通用口側に居てもらい、馬車が来るのを知らせてもらう。申し訳ないが、馬車から近づいてくる相手を呼び止める役も今夜はミッシィだ。
本当は誰何は腕に覚えのある人間に任せたいのだが、ネルが潜入捜査をしている関係でそうはいかない。一応ミッシィがシンミアをしていた頃に簡単な護身術の心得がある、というのが不幸中の幸いかもしれぬ。
当初、家人の了解なしに外に出る予定などほぼ無かったものの、なんだか脱走癖の付いた猫のごとく外出を繰り返す立場になりそうな予感もするので、このぶんだと外回りの使用人か、もしくは警備の誰ぞをうまく抱き込む必要があるかもしれない。スサーナはそう思いながらもうまく人のいないタイミングを見てもらい、屋敷の外に出た。
貴族の屋敷とはいえ、屋敷の横手の細い路地にはほとんど灯りというものはない。ミッシィが掲げた手持ちランプの灯が照らし出したのは何の変哲もない二頭立ての小さな箱馬車で、ランブルシートについているのは夏にホテルの庭で見たことのある気がする男性だった。
スサーナはちょっと思わず目を逸らしたが、どうやら第二王子の側近か護衛官なのだろう彼がスサーナに気づいた様子はないのでなんとなくホッとする。
ドアを開けてもらうと、中で足を組み座っていたウィルフレド王子がにっこりと微笑み、小さく手を振る。
「やあ、時間ぴったりだ。素敵な格好だけど、しっかり付き合ってくれるってことでいいのかな。じゃあ、わたしも悪い虫として外務卿に殺されたくはないし、見咎められる前に乗って」
「父は今日は王城ですけどね。では、遠慮なく」
「おや、そうだったのか。今日父は帰らないの、っていうのは良い台詞だね、そう思わない?」
「いいええ、特には」
馬車に乗り込むスサーナに手を差し出しつつも戯れかかってくるのをこれだから色男言語は――騎士言語のプリセットに近く、さらにうっとおしさを増したものがその定義であると言って良い――と適当にあしらいつつ座席につく。
扉が閉められ、御者がゆっくりと馬車を走らせだす。ミッシィの持つ灯りが中に戻っていくのを見てからスサーナはきちんと座り直した。
「さて、じゃあどこに行こうか。」
「あら、行き先は決まってらっしゃらないのですか? でしたら私としては馬車で走りながらお話を聞かせていただいても構わないのですが……」
スサーナが、ただでさえ疲労困憊している体に鞭打ってこの夜中に脱走などをしているのは何故か、といえば、ウィルフレド王子が「詳しくは後で」と言った事情を皆を送ったあとで話そう、と帰りの馬車に乗る前に囁いたからだ。
判断基準は一つでも多いほど良い。サラを懐柔しそびれたことでその思いを新たにしたスサーナは、少し悩んだものの、断る選択肢はないな、とご招待にあずかることにしたのだ。
「馬車の中で、というのも刺激的だけど……正直語らいには向かないからね。人に聞き咎められないっていうのは悪くないけど、込み入った話にはうるさいし、わたしは何度隣に座る御婦人の美しさを讃えながら舌を噛んだことか。」
言いながら、どうやらその理由は本気のものであるらしく、なんとなく真面目な表情で首を振った王子にスサーナは納得し、久しぶりに、中で密談がし放題だった前世の乗用車とアスファルト道路が懐かしくなった。
「なるほど……。では、行き先はウィル殿下にお任せいたします」
「ふふ、そう言ってくれるのを待っていたよ。君のためにホテルの部屋を取ってある」
「以前お邪魔した部屋でしたら、別に私のために取った部屋というわけではないのでは?」
「お姫様、君は本当につれないねえ。もう少し男に気を持たせてくれても良いんだよ?」
とびきり、といったふうに甘い微笑みを浮かべてみせた王子殿下に、なんとなくこの王子様のノリが理解できはじめたような気がしてスサーナは半眼になる。貴婦人たちをまとめて腰砕けにしそうな甘い微笑みは、なんだかとてもフェリスちゃんが悪ふざけをして見せる時にやるわざとらしい笑い方に似ている気がしてならなかった。全体的に思考に伴う表情の作り方が似ている気がする。
「ウィル殿下は、本当にフェリスちゃんのお兄様なんですねえ……」
「おや、あいつにも似たようなことを言われたの? フェリクスもなかなか油断がならないね」
「いえ、ウィル殿下のその笑い方、フェリスちゃんがわざとふざけてみせるときの笑い方とそっくりですので」
しみじみ半分ため息半分でおもわずスサーナがこぼした呟きに、目を瞬いたウィルフレド王子がふと浮かべた笑みはやっぱり見慣れた友人が浮かべる邪気のないものに似ていた気がするので、多分その理解はあまり間違っていないに違いない。
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