第330話 偽物令嬢、密談をする。

 スサーナが案内されたのは、今思えば随分前に思える夏の日に招き入れられたあのホテルの部屋の一室だった。


 今回は長椅子ではなく、小卓を挟んだシンプルな背もたれ椅子を示される。


「クッションは好きなものを取って。飲み物は?」

「ええとお構いなく……」

「じゃあわたしと同じものだね。ティラリンデン煎じ茶インフシオンでいいかな、蜂蜜が嫌いならご愁傷さまだ。」


 ウィルフレド王子の護衛官らしき男性が手早く少なめの湯を沸かし、直ぐに陶器のカップがサーブされる。

 ――茶葉の壜も結構使ってありましたし、普通にお好きな煎じ茶なんでしょうか。

 胃と心に優しいという触れ込みの茶で、幼い子供がよく飲まされるやつなので、そんなものを常備しているのは意外なような、案外それらしいような。

 同じポットに蜂蜜を注いでくるくると混ぜてから注ぎ分けられたのは、毒や薬物が入っていないと示してのことだろうか。器二つはそれぞれの前にではなく、どちらがどちらを取ってもいいように卓の真ん中に置かれ、まずスサーナが勧められた。

 ありがたく受け取り、一口頂いてみせる。それは場違いなほどに実直な味で、さらにたっぷりの蜂蜜でお子様が喜びそうな仕上がりだ。

 迷わず色が変わるほどたっぷりと足された蜂蜜に、普段のウィルフレド王子の嗜好が垣間見えるようでなんだか少し面白いし、護衛官の人がこちらの嗜好を聞くわけでもなくウィルフレド王子のいつもの味らしい淹れ方をするのがああこの人も仕える王子最優先の人だな?という気がして、スサーナは少し場違いにもほのぼのしてしまった。


 茶を出し終わると黙ったまま一礼した護衛官の男性は隣の控えの間に下がり、部屋にはウィルフレド王子とスサーナだけが残される。

 ――とはいえ、話が聞こえないってこともないんでしょうけど。

 物慣れているなあ、という感想をいだきつつ。成人男性一人分の圧迫感が減ったので、余計なことまで喋ってしまわないようにしなければな、とスサーナはそっと思う。その心理効果まで含めて計算されているのだろう。


「さって、じゃあ、どちらから話そうか。」


 顎の前で指を組んだウィルフレド王子が楽しそうに言うのに応え、スサーナはそれではと一つうなずいてみせた。


「では、お約束どおりにこちらから。とはいえ、聞いてみてそちらが面白いようなお話かというと、そうでもない気はするのですけれど……」


 さて、こちらの事情を話せということだったけれど、どこからなら様々なところに迷惑がかからず済むだろう。一応ごちゃごちゃと考えていたものをまとめ、口を開く。


「私が今日ああしていた理由ですが、本当に政治的な絡みがあるというわけでもないんですよ。サラさん……アブラーン卿の養女になったお嬢さんとは…… ……フェリスちゃんの手引きで宮中の侍女に紛れ込んだ時に知り合ったのです。そちらで聞いた話ではアブラーン卿の言うような経歴ではありませんでしたから、あまり良くない目に遭わされているのだろうと考えました。……侍女に紛れ込んだ理由は、レオカディオ殿下が乙女探しのうちに良からぬ方の思惑でよくない目に遭わされないように、という用心です。……護衛や侍従では止めきれないこともあるでしょう? 例えば、ウィル殿下なら喜ばれるようなことだとか。」

「ふーん、まあ納得出来ないわけじゃない理由だけど、じゃあ、わたしが謀反と言った時に驚かなかった理由は?」

「覚えていらっしゃるでしょうけれど、演奏会の時にレオくんの杯を取ったのは私です。……ですから、詳しい話は聞かされませんでしたが、何者かが王家を狙ってそのような事件を起こした、というぐらいは後々聞きましたし、わざわざ私がそうだということを隠して、さらにレオくんに負担を強いる形でこういう催しをするのですから、なにか父や陛下に思惑があるというのはわかります。どなたかを釣りだそうとしておられる、ぐらいは想像がつきます。その状況でああ声をかけられれば……」

「ありゃ、じゃあわたしはまんまと乗せられたのか。」

「殿下に対して含む気持ちはありませんでしたよ。そこは偶然です。……アブラーン卿が父達が警戒する相手に含まれるだろう、ぐらいはわかっていましたし。サラさんを心配するにあたって、父にも多少の確認はしましたし、色々ときなくさいようですね。」


 なんとなく予想外そうに目を瞬いたウィルフレド王子に、スサーナは微笑んで見せる。

 そればかりではないのだが、そればかりではない部分はもちろんどこにもお出しできないし、言っていることはほぼ嘘ではない。演奏会の時点での事情とあんやくするネルさんが取ってきてくれた情報を抜くと大体その形になるし、ショシャナ嬢の発言の裏を取ろうとする場合、出てくるのはこれで相違ないはずだ。


「ふうむ。じゃあもう一つ。君はどうしてあの時レオの杯を取れたの?」

「それは……だいたいウィル殿下が事の発端ですね。」

「……ん?わたし というと?」

「前回このお部屋にお邪魔した時。ウィル殿下が妙な勘違いをされましたでしょう。」

「ああ、うん。」


 何を言い出したんだろう、という目をした王子殿下にうなずきかける。少し後ろめたそうに見えたのは希望的観測というやつだろうか。


「飛び込んで助けてくださった女性が殿下のご親友の恋人でした。……彼女は私がオルランド様の新しい恋人だと思ったようでしたけれど。丁度、友人の……エレオノーラ様の家に泊めていただいていまして、借りたものでそう思ったそうです。彼女は良からぬ計画をなんとか陛下の側に伝えようとされていた勇気ある方で……とはいえ、後ろ暗い身分に身をやつしておられましたから、騒ぎにならず伝えられる相手を探しておられたそうで。私と知り合ったのはエラス神の良い導きがあったのだろうと仰っておられましたが。 それを父に繋ぐ際に多少事情をお聞きしたので、怪しい動きをする方があの時目について……つまり、今思えばウィル殿下がああしなければレオくんは大変なことになっていたのかもしれないのですね。……お礼を申し上げるべきでしたでしょうか……。」

「それは……まあ、なんとも……」


 そこをある程度吐いたのはミッシィの恋人であるオルランドがそういえばこの第二王子の親友らしいと思い出したからだ。ミッシィについての説明はその形でミランド公とガラント公で情報共有し、手打ちがされた、というような状況であるので、第二王子の立場からであれば調べればわかるかもしれないし、その形で説明を受けている――ミッシィはこれは国を揺るがす悪逆であると直感し、取り込まれつつあえて伝えられる時を待ったということになっている――オルランドが話すかもしれないので、言っておいても構わない要素である。

 かつての誘拐のこととセルカ伯の説明ができればさらに楽なのだが、そこはすり合わせていない要素であるので省きつつ、なんだかちゃんと後ろめたい目をしているようだったので追求されないようにぐいぐいその要素で押し込んでおいたスサーナだ。


「……なんというか、済まなかったね?」


 スサーナの説明をそのまままるっと信じたのかどうかは分からなかったが、ウィルフレド王子はそれ以上問い詰めてくるという様子もなく、少なくともこの場ではその事情をスサーナの事情として受け取ることにしたらしい。微妙に目を逸らしつつの謝罪めいた言葉が一つあり、それからわざとらしい咳払いが一つ。


「さて、じゃあ今度はわたしの番かな? こうして遊んでいる理由と、あとはわたしの把握している事情を話すのだったね。」


 こくり、と飲んだ煎じ茶のカップをことりと置き、第二王子はひじを突いて顎の前で指を組んだ。


「話すといったからには話してあげる。でも、他言無用に頼むよ? ……実はね、わたしは、謀反を誘われたことがあってね?」

「え?」


 ふっと吐いた息に卓上に置かれた蝋燭が揺らぐ。わざとらしく秘密めかして笑ってみせた目元が揺れた炎を散らして深い緑にひらめいたのを、スサーナは息を詰めて覗き込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る