第229話 ユーモレスクへの供物 4(セルレあり 残酷・流血)


 調理場にて。

 入ってきた給仕係が立ち働く調理人たちの一人に声を掛ける。


「済まないが、リレンス修道院のワインはまだあるかい」


 彼は王族に給仕を許される位でありながら、気さくで人懐こく、調理人たちによく好かれていた。


「ん? あのワインは王族の方々にお出しすると言ってなかったか。秘密の試し飲みかい?」


 彼がこの集まりのために探してきたという最高級ワインをまだないのかと問われ、調理人はさては役得かとグラスを傾ける仕草をする。

 それに応えて彼はお人好しそうに眉を下げた。すぐに濯いでくれと予備のグラスを示す。


「ははは、それが第五王子殿下にお出しする分を我儘な貴族のお嬢さんに飲まれてしまってね。まったく困ったものだねえ。お許しになるからと増長するんだから。」

「ああ、そうなのか。良かったねえ、まだあるよ。しかし数量ギリギリしか仕入れてこれなかったなんて、よほど絞った量を作っている荘園なのかい?」

「ああ、とてもね。」


 グラスとワインを受け取った給仕係はにこにこと礼を言うと、調理場の入り口脇にしつらえてある大理石の注ぎ台に向き合い、慎重に瓶からワインを注ぎだした。


「失礼」


 その腕を後ろから取るものがいる。


「それは、なんです? 申し訳ないが、確認させてもらおう」


 彼が指差したのはグラスの中に給仕人が落としたものだった。

 光沢のない、真円の小さな白い粒。真珠に多少似ているものの、グラスに真珠を落とす理由はない。そしてそれは彼らの目の前ですうっと溶けたように消えた、ように見えた。

 周りを囲んでいるのが王族の衛士の一人、そして騎士達だと気づいて、給仕人が身を強張らせた。


 一瞬の後。

 叫び声が湧いた。


「おのれ貴様……!!」

「曲者…… ……!」


 異常事態を察知して会場の空気に混乱と恐れが交じる。


 次の瞬間。来賓の数人、小間使いの複数人。そして警備の騎士のうち数人が目を見交わしあった。

 叫び声のもとに走っていこうとする騎士の一人に小間使いの一人が駆け寄る。

 その手に握っているのは腰飾りだ。やや古いデザインの腰飾りの一部からだしぬけにそれに隠せるはずもないサイズの赤い刀身が伸びた。

 騎士の背から血が飛沫き、半ば刃を背に埋めて呆然と崩折れる。断末魔の痙攣に一瞬遅れて小間使いも泡を吹くが、まるで麻薬の影響下にあるようにぎらぎらと目を輝かせ、動きを止めること無く身を起こす。


 小間使いが騎士の背に切りつけたのを合図のように残りの者達もそれぞれを手にする。それは面白いほどにバラバラで、一見武具の形をしていない、という所だけが共通点だった。

 そしてそれぞれに刀身や穂先が生まれていく。

 誰かが長い悲鳴を上げた。蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う貴族達の間を、あるものは入り口の警備を目指し、あるものは貴賓席を目指して走る。


「貴様、第五隊の……」

「まさか、裏切り者だと!?」


 走るルートを塞いだ騎士たちは苦々しい思いで声を上げた。数人、剣を持った騎士達は皆数年前に邪教に関わったとして隊が解体された騎士団の分隊の隊員だった。彼らは皆汚染の恐れなしと今の隊に編入されたものだったが、今になって何故。

 騎士達は行く手に立ちふさがり、対峙した相手裏切者が構えたそれをマントで絡めようと試みる。布地の弾性など無かったように、バターめいて切り下ろされた布地に一瞬戸惑うその次の瞬間、刀身が長く伸びる。

 対応しきれなかった若い騎士が首元に迫るそれに死を覚悟した瞬間。

 超自然の刀身は甲高い音をたて、虚空に生まれた小さな透明な壁に阻まれた。


「成程、成程。術式付与品。しかも再装填品。確かにこれは私達の出る幕のようです。」


 両腕を優雅に差し伸べた女魔術師がふわりと吹き抜けの廊下から飛び降りてくる。

 感情の全く見えぬ平坦な声音は混乱しきった部屋の中でも乾いた雪のような響きを持っていた。


「厄介ですね。」


 全くそうは聞こえない声で女魔術師は後に続いてきた魔術師二人に指示を飛ばす。


「この場の無力化と防御は任せました。可能ですね。どちらかは王族の防護を。私は奥へ。」


 魔術師達は頷き、中空に無数の光の薄板が浮いた。




 そこからの制圧は迅速だった、と言えるだろう。

 曲者達の刃はすべて輝く薄板に止められ、動きを止めた瞬間に体の周りに光の輪が生まれ、一人また一人と絡め取られていく。


 しかしながら、それは魔術師たちにとってごく簡単な行為だった、と言うわけにも行かないようだった。

 理由の一つは無秩序に逃げ惑う貴族達に行動を阻まれたこと。また一つは彼らを傷つけぬようそれなりに注意を払っていたことも挙げられよう。


 とはいえ、後は時間の問題と思われた。

 魔術師達はそれぞれ両手に光の文字を保持して防御と捕縛を行い、王族の居る周りには半球状の薄い光の膜がぐるりと張られる。

 魔術師二人は時折確認を交わしつつ、王族たちのいる席の側で場を掌握することに努めだしたようだった。





 スサーナはガタガタと震えていた。

 腹が熱い。強烈な違和感。一番似ているものは胃潰瘍の時の、泡立った胃液で穴が開くまで胃壁が焼けただれる感覚だろうか。

 レオカディオ王子とフェリス――いつもより男性めいた服装だったし、フェリクスという男性名で呼ばれていたのではっきり言い切れないが、だと思う――の願いで予備の解毒の護符を付けてもらったスサーナは、それが毒の影響ではないと思われる以上、精神的な影響で不調が出ているものだと判断された。

 下の王子二人は介抱をと申し出たが、王族を守ることを優先される状況的に、流石に彼女を王族の側に置いておくことは出来ないと護衛達は決定した。

 他の、偶然そのとき壇上に居た使用人や数名の貴族とともに王族からは少し離れた位置にまとめ置かれる。

 それでスサーナは違和感に耐えている。


 ――だいじょ、うぶ。もうすこし。がまんできる。

 忙しいのだから、迷惑をかけるのはいけない、と先程から随分と回りが悪くなった思考が言う。

 それは凄く当然のこと。いつもそうだ。

 当然のようにそう流れた思考をいやいや、と一応訂正する。

 多分、頼めばたすけてもらえる。たすけてもらえるのだ。だけど、この局面でそれを求めるのは流石にいけない。もっと重要なことがあるのだから。

 膝をついて前のめり気味に肩を地面につけ、亀のような姿勢で唸る。

 ――これ、は、なんなんでしょう。

 我慢しなくてはいけないものだ、ということだけはわかる。我慢しなければ、多分、このよくわからない不快感よりもずっと悪いことが起こると直感している。

 少し離れた位置、護衛たちに半ば抑えられるようにしながら心配げな目線を向けてくるレオとフェリスにへらっと笑い、スサーナはもう一つ呻いた。




 防御を任された魔術師の一人は、もう一人が防護と捕縛の術式を保持しながら指先でより複雑な術式を少しずつ構成しているらしいのを横目で見ている。

 それが走った瞬間に、抵抗していた常民達の体が一斉に跳ねた。


「それは?」

「神経の麻痺と筋肉の弛緩。生存したまま動かなくなればいいのだろう」


 端的な返答があり、捕縛の術式がごく単純な拘束を行うものへと変更されたのを確認する。個体個体の動きを内側から精密に指定して止める、ということが難しいために開発されたのが外界からマーキングされたターゲットを追って捕縛の式なのだが。

 しかし精緻で繊細で……乱暴な手段だ。うっかり指定を誤って心臓でも止めようものならあの気難しい前の第三塔の不興を買うのは間違いないだろうに。内弟子とはそれを恐れもせぬものかと中位魔術師は半ば感心する。


「乱暴な……」

「容量ばかり食う。維持の手間が重い。非効率だ。」


 吐き捨てたもう一人は自由になった片手を振る。確かに今維持されていた術式は委細を判断せずともいい代わりに重い。一人二人分ならまだしも、十数人分を同時に展開維持するのは上位魔術師達の行うの範疇だ。殺さず、正気のままで、他の常民たちに危害なくという条件を望まれたために行使することになったが、正直違えても仕方がない。特に反論もなく頷いた彼はしかし何故ここで行使の負担を減らそうとするのかと疑問に思った。


「警戒を任せたい。気になることがある」


 言った相手……当代の第三塔がそれでも王族の防護の術式を保持したまま、そちらの方向へ早足で向かっていくのに頷き、中位魔術師は騎士達が地に転がった謀反者達の武装を解除しようとするのに向き直る。

 あちらが何に気づいたかはわからないが、無力化したとはいえ彼らから意識を離しきってしまうのは良くはない。あの玩具付与品におかしな効果のものが紛れていたらまだまだ十分人は死ぬ。

 別に彼としては常民がどれだけ死のうが構いはしないのだが、偶然でも彼らの則に関わることが起きたのだから、まあ、使命だ。

 そう結論づけ、彼は中空に術式付与品の発動妨害ジャミングの式を描きはじめた。




 みぞおちを掴みたいのに胴着と豪奢な宝石飾りが邪魔をしてうまくいかない。

 横に誰かが屈み込む感覚がしてスサーナはすこし目を上げた。

 青の衣装に濃紫のヴェールの魔術師。

 ――第三塔さん。

 知った相手にスサーナは笑みを浮かべようとして、頬がうまく動いてくれずに息だけを吐く。


「君は、何故護符を――」


 忌々しげな声に、色々ありまして、と返答しようとした言葉が音にならない。

 頸に短く指が当てられる。ちっと低く舌打ちの気配がして肩を引き起こされる。


「これは――くそ、手間のかかる……!」


 がちっ、とした音の正体は一瞬わからなかった。

 ええっ、となにか信じられないものを見たかのような悲鳴。

 ――レオ君の声だ。まだ、何か、あっちで――

 ぼんやり考えかけたスサーナは次の一瞬口腔に満ちた鉄臭さに僅かに意識をはっきりさせた。

 ――ええと。

 ――ええと?


 現状を全く理解できない数秒。それから視界情報と感触からすると、どうやら強く噛んだ舌を口に突っ込まれたのだ、ということを理解する。

 ――いや、いやいやいや。なんだろう、これは。何か、意味が。

 一瞬完全に混乱した思考は急激な嘔吐感に遮られる。

 ――ああ、駄目だ。この状態で吐くなんて、最悪では……

 喉を駆け上がる異物感と痛み。がちりと歯が噛み合う音。

 スサーナは喉から何か引きずり出される感覚に悲鳴を上げ、泡の混ざった血を吐きながら咳き込んだ。

 娘の肩を押し退けるように押した魔術師は首を大きく振る。

 魔力を濃く乗せた血を餌におびき出し、噛み止めた魔獣を勢いで振り飛ばす。


 第三塔が間髪入れず片手に生み出した光の切片が魔獣に降り注ぎ、スサーナの知るものならミカヅキモによく似たそれはびちびちと断末魔めいてその身を跳ねさせた。

 ――なるほど。

 スサーナは生暖かい血が流れ出てくる感触に喉を押さえながら得心する。



「何を飲まされた!! 同じものを飲んだ人間は、他には!」


 吠え声に似た魔術師の叫びに娘はかすれた悲鳴に似た声を上げた。


「お酒……っ、です! 赤いお酒……!グラスの……!!」

「お酒……っ、僕ら皆飲んでる! 父上も!」


 呆然としていたフェリスがハッと声を上げる。


「 獣師か……! 師をここへ! 他の個体はより育ちは遅いはずだ、まだ対処は効く!」


 鋭い声を上げた魔術師は一瞬スサーナに視線を残すと、それから肩を掴んだ手を離して立ち上がり身を翻す。


「済まない。少しだけ堪えてくれ」


 くずおれた彼女はごほごほと喉を押さえて激しく咳をした。



 護衛の手を振り切ったレオカディオが駆け寄り体を抱き支える。


「スサーナさん、スサーナさんしっかり!」

「レオ、くん? 私はだいじょぶ、ですから……ええと、薬? なんとか対処してもらって……きて……ください……、これは流石に……死んじゃうから……駄目ですから……それは……」


 ぼんやりと声を上げた少女にレオカディオは涙をこぼしながら首を振る。


「僕は飲んでません……! スサーナさんが庇ってくださいましたから……ですから……」

「フェリスちゃんも……他の人も……駄目で……」


 彼女の言葉に歩み寄ってきた第四王子がそっと声を掛けた。


「すぐ対処されるって。最優先は父上と兄上みたいだけど。……苦しくもなんとも無いしボクらもダイジョブだよ。」

「じゃあ、良かった……」


 肩で息をしながらスサーナはぼんやり笑う。


「薬師を……この壁はまだ消えないんですか!」

「落ち着け、魔術師がすぐ戻る!」


 息苦しい。喉とはらわたが痛い。ああそういえば喉から血が湧き上がってくるのってこんなに煩わしいことなんだっけ。そうだ。そういえばそうだった。懐かしい。出来ることなら前のめりに倒れてしまいたいのだけれど、その方がずっと楽なのだけれど、せっかく支えて貰っているのだからそれはきっと失礼だな。

 ああでもどうしてレオくんはそんなに泣いているのだろう。フェリスちゃんも泣きそうな顔して。王族の方々が誰も問題なくて怪我をしたのも私一人なのだから、万々歳なのに。それに、魔術師さんたちがいて絶対に大丈夫なのにね――

 首を下げ、三角に伸ばした舌を差し出してうえーっとだらだら血をこぼす。

 ――ははは、こういう小手先の窒息の対処はお手の物なんですよね。あれえ、でも、なんでなんだっけ。

 堪えきれず嗚咽を漏らすレオの背を逆に擦りながらスサーナは見るともなしに忙しなく行き交う人々を眺める。


 ミランド公とガラント公がそれぞれ何か指示を飛ばしている。どちらも動揺はしているようだが流石に大貴族、表情はしっかりしていて、きびきびと部下たちが動いているようだ。こういう時は流石そういうお役目の人達、頼りになるんだなあ、と思う。

 光の壁の際でエレオノーラが座り込んでいる。こちらもひどく泣いていて化粧が溶けてひどいことになっている。とても怖い思いをしたのだろう。可哀想に。

 ジョアンとミアがこちらに何か声を掛けているのも見えるのだが、音がだいぶ遮られているせいでよく聞き取れない。

 ――いえ、本当に大丈夫なんですよ。声がぜんぜん出ませんけど。ああでもこれ、あんまり大丈夫だと逆に心配ですね。権能っぽくて。権能って死にかけてる時使えるんでしたっけ。


 そして視界に戻ってきた魔術師達が引っかかる。

 苦々しげな雰囲気でなにか会話をしながら戻ってきたのは二人。王宮魔術師さんと第三塔さんだ。

 第三塔さんの――多分血で張り付くのを避けて――少しずらしたヴェールの下、口元から顎に明らかに乱暴に拭った血の跡がこびり着いているのがなんとも申し訳ない。


 ふと出入り口から少し入ってきたところで足を止めた魔術師二人はそこでなにやら数言言葉を交わす。


 王宮魔術師さんが第三塔さんの肩に手を置くのが見える。すっと第三塔さんが屈んだ。ヴェールが少し持ち上げられる。王宮魔術師さんは少し背伸びをしたようだった。

 丹花のような形の良い唇が青年の薄いそれに触れ合わされる。柔らかそうな口元からすこし差し伸ばされた舌先が乾きかけの血を少し舐め取る。

 王宮魔術師さんは少し眉をひそめたようだった。

 何か一言。それからぐっと顔が重ね合わされる。


 ――う、うわあ。

 思考が、ブロック状に押し出されたようによくわからないままぽこんと空白になった。

 美男美女のキスだ。さっきのが「口に舌を突っ込まれた」なら、こちらは実に絵になる、物語の挿絵のような完璧な絵面。


 失血でだいぶ単純で胡乱になっているスサーナの意識はわあ、と単純な単語を繰り返した。


 うわあ、凄いものを見た。

 ――これは誰かに話さないと。話して、ええと、それで? ああ、でも、本当に凄いものを見たんですけど、これってミアさんに言ったとしても全然共感してはもらえないなあ。絶対にきょとんとされて、カエルがどうのとか言うのかも。

 それどころかそんな話をしている場合じゃないと言われるかもしれない。折角の演奏会なのに最後に結構なケチがついてしまったのだから。これは暫く何か騒ぎになるでしょうものね――


 それはなんだか悔しいなあ。本当に本当に凄いものを見たのに。

 スサーナは意識の中で話せそうな身の回りの人物たちを上げて、フローリカちゃんまでが呆れた顔で一体何を言ってるの、と返してくるイメージにどうしても辿り着くもので、違うんだ違うんだと良くわからない不服を感じながら唸る。

一旦混乱した思考はたやすくちかちかと断絶したイメージの混ぜ合わせに変わり、ランダムに途切れた。スサーナは支えられた姿勢でもがき、くたんと目を閉じる。

 言語化しづらい衝動の正体は結局よくわからないままだった。




 ◆  ◆  ◆


 薄暗がりの部屋。


「失敗したのか」


 彼は不服そうに言う。


「絶対に成功する、と言うからお前たちにはいろいろなものを貸し与えてやったというのに」

「はっ」


 彼の足元に平伏した男は再度額を床に擦り付ける。

 彼は気まぐれで残酷だ。機嫌を損ねればおのが首に手が掛かりかねぬ。


「絶対に成功するはずだったのです。単純な毒を使わせ、そちらに目を向けさせている間に腹で孵った魔獣が内側からジャース王らを食らうはずで……」

「それが何故か失敗したのだろう。露見する理由があったはずだ。」


 偶然のはずがない。もし偶然だと言うならそれは神々の意志が私を阻んだということになるのだからね。そんな事はあるはずがないだろう。ゆったりとそう言った彼は玉座に似た意匠の椅子に足を組む。



 いっそ穏やかな声に男は背筋を震わせる。


「調べさせなさい。ああ。もう猶予がないのだからね。あるべき場所を取り戻さなくてはいけないのに。」



 ◆  ◆  ◆



 祝賀演奏会後の会食に置いてヤローク人工作員が貴族を毒殺しようと目論み、捕縛された。目的は混乱と示威。そして混乱に乗じて宝物庫の文字盤の奪取。

 計画はそこまでかと思われていたが、給仕係一名(これより獣師と呼称)が王族のグラスに魔獣卵を混入。護符の魔力で孵化させることによる殺傷を計画していたことが判明。同時に来賓、小間使、そして護衛騎士の一部、合計14名が術式付与を施した隠し武器で蜂起。

 獣師は包囲されたものの魔獣を発生させ抵抗。王宮魔術師によりやむなく殺害される。この者は長く王宮に勤めたが、元を辿れば「東の方」の離宮の給仕であったことが判明している。魔獣を使う技術はヴァリウサ外のものであり、「東の方」の国外脱出後も接触する手段が確立されていた事はほぼ間違いない。

 同時に蜂起した14名も無力化、捕縛。彼らはどの時点で「東の方」の思想汚染を受けていたかは不明であるが、接触があったことは確実として極秘裏に調査を進める――


 護衛騎士に死亡者二名。調理人四名。重症、騎士三名、民間一名。


 この報告を検めながらジャース王は瞑目する。

 事態に対して損害はごく少ないほうだった。事前の密告ゆえに対処も可能な限りなされ、被害は最小限に抑えられたと言うべきだろう。

 念の為にと呼ばれた魔術師達が積極的に動いたのも不幸中の幸いだった。彼らは通常容易く常民へ助力をすることはない。彼らが重く見る要素が事態に揃っていた。下手人達の捕縛も人々の保護も彼らの助力がなければもっと恐ろしい事態になっていたはずだ。重傷者達の回復もまた。

 こうして上げれば都合がいい要素しか揃っていない。転がったコインは運良く、細く細く作られた塀の上を通り、どんな陥穽にも落ちずに手元まで戻ってきた。最高に運がいいと言うべきだ。

 そう結論づけて、しかし王のその表情は晴れぬ。


「東の方」。

 それは王宮に掛かっていた不吉な靄の一つ。

 その呼び名は、20数年前に神々の意志が下らなかった王兄のことを指すものだ。

 当時、王兄とその支持者達は王の選定において不正があったとして神殿を糾弾し、その結果が覆らぬことを不服として姿を消した。当時最も荒れていたネーゲの血筋を彼の母方が持っているというのをその理由に。

 確定ではないものの異国で果てたとの報告を最後に足跡が途絶えていたものだったが。

 ――今になって。

 今になってその名を聞いた理由はきっと一つだ。

 代替わり。

 神々の目は人の間の遺恨などには関わらぬ。代替わりの時に彼と彼の子供たちがみな死ねば、神々の指先は兄か、その血筋のものを指すだろう。

 普通ならば滅多なことはない。しかし、王位継承のこの不安定な時期ならばそれは十分に起こりうる。


 兄本人か、その血縁か。どちらにせよヤロークのどの位置とか関わりがあることは間違いない。


 戦争にならねばいい。どうか子供たちのこれより長い生に平穏があるよう。数多あまたの神々よ、どうぞ守り給え。

 ジャース王は静かに息を吐いた。


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