第162話 女子社会右往左往
「ちょっと」
本館へふらふら向かう途中、ぼんやりスサーナの視界に女の子が二人立ちふさがった。
――あ、えーと取り巻きの……イングリッドさんと……カルロッタさんでしたっけ。
黙って一礼した彼女に二人は不服そうにフンッと鼻を鳴らす。
木立際になにやら追いやられて囲まれ、スサーナはさてどうしたのか、と考えた。
特に危機感はない。
「わたくしね、今朝見ましたのよ」
カルロッタがもったいぶって声を上げた。
「貴女が朝早くに人の目を忍んでこそこそとうろついているのを!」
「朝帰りだなんてなんて浅ましい!」
少女二人が非難の声を上げる。
「あ、ええと、図書館に……」
「あんな早朝に? 信じるものがいるとおもいまして?」
「これだから平民は。何処の殿方を惑わしたのですの」
と言っても本当なのだから仕方ない。
「図書館、だなんて誤魔化し、信じる方のほうが少なくてよ」
「東屋を使う方は皆そう言うとわたくし達もう聞いて知っておりますの。言い繕っても無駄ですわ」
イングリッドがこれ見よがしに胸をそらし、カルロッタがせせら笑った。
――あー。なんでしたっけ、図書館側の東屋を上級生が逢引に使うとか……
でもそれは遺跡の一部なのでは? 実のところそれって危険なのでは?とスサーナはちょっと思考を逸らす。
なるほどそう思うとエレオノーラのあの巡回にはとても意味があるのだ。ダンジョンに続く地上部で逢引というとパニックホラーのシチュエーションみたいで変な不測の事態が起こりそうだものな、とぼんやり考えた。
「まあ、目をそらすということは認めたのですわね? 風紀を乱すにもほどがあります!」
「あ、いえ、そうでは……」
「エレオノーラ様にお仕えしながらそんな、ふっ、ふしだらなことをするだなんて!」
「なんていやらしい……! この事はエレオノーラ様にお伝えいたします。後悔しても遅いですわ」
「ええ、貴女みたいな人がエレオノーラ様にお仕えして、しかも高貴な方々のお口にはいるものを作ったと聞きましたけれど、そんなことをする者がそんな栄誉、明らかにふさわしくありませんわ! 処罰してもらわなきゃ」
一体何を想像しているのか。早朝に出歩いているのを見たからってそれはちょっとおませが過ぎるのでは? などと、なんだか顔を真赤にしたイングリッドを目にしてスサーナは内心突っ込んだが、誤解を解くのもなんだか面倒くさい。
「ええと……恐れ入りますが、その、本当に図書館にエレオノーラ様の召使いとしての用事で出向いたことでして。エレオノーラ様に仰ったらお笑いになると思います」
面倒くさい、が。スサーナは少女の黒歴史を一つ発生させず済ませようと一応声を上げた。
エレオノーラは今朝スサーナは図書館に行き、それが使用人としての仕事でのことだ、という認識をしている。なにせエレオノーラの侍従が証言者なのでそちらを信用するだろう。そこになんというか胡乱な想像をご注進されたら恥ずかしいのは高確率でぶっこんだ方だ。
「この期に及んでそんなことを……!」
ムッとした顔をしたカルロッタがスサーナの腕を掴み、転がそうとする。
――貴族のお嬢さんたちの嫌がらせ、ちょっとワンパターンじゃないですかねえ。転ばせたら勝ちだと思っていませんかー。
長身のカルロッタに押され、スサーナは寝不足のぼんやりもあって特に反発するでもなく振り回された。
ローズマリーの木立に突っ込む。
特に何処かひねったとか打ったとか言うことはない。
――あ、なんていうかこう、小枝が多い木ですから枝に支えられる姿勢が楽……
スサーナが脱力して呑気なことを考えていると、がさがさいう足音と、
「あんれー、お嬢さん方、なにしてらっしゃるだ」
声が響き、ハッとした少女たちは脱兎のごとく走り去っていったようだった。
「まったく……」
忌々しそうな声がして手が差し伸べられる。
「お嬢さん、大丈夫かい」
「ありがとうございます、ネルさん」
スサーナは手を借りて立ち上がり、腰に手を当てて少女たちが走り去っていった方を眺めた園丁にお礼を言う。
「ナイスタイミングでした。助かります。」
「ナイスタイミングというかな……。お嬢さん、お優しいのも悪くはないが阿呆の貴族のねんね共に合わせてやるこたないんだぜ」
「いやあ、実はちょっと眠くて」
そのまま少女たちを追いかけて説教でもしそうなネルにスサーナはパタパタ手を振って宥める。
それから拾ってもらった荷物を受け取り、平民の教室の方に向かった。
「……あれ、あ、しまった。荷物足りない」
スサーナがその事に気づいたのは授業が始まってからのことだ。
ぼやっぼやの所為で筆記具の箱がないことに机の上に物を揃えるまで気づかなかった。
――あー。あの時落としたんですかね……。たしか朝はあったような。
多分あの茂み周りに落としたまま来てしまったのだろう、とスサーナは類推した。
午前中はなんとか誤魔化し誤魔化し乗り切ったが、午後の授業には羽ペンと紙を使うものがある。
麻布紙もさることながらインクもけして安いものではない。
ミアやジョアンに借りるのははばかられる。スサーナは昼休みの間に荷物を探しに行くことにした。
朝突っ込んだ茂み周りに行き、地面をざっと見て回る。
「無い……ですねえ。」
茂みの中に頭を突っ込んでがさがさ探す。
「無い……」
「無様ですこと」
お尻の方から勝ち誇ったような声がかかったのでスサーナが立ち上がって振り向くと、そこには取り巻き二人が立っていた。
「教室にいらっしゃらないと思ったら、尻尾を巻いて平民クラスの方に行ってらっしゃいましたのね。」
「育ちの悪い平民さんでもその程度は恥を知っているようでなによりですこと」
――ああ、貴族クラスの方に行くと思って待ってた、ってことですね……。
待ちぼうけで午前中を過ごし、昼休みを利用して来そうな場所を確認しに来たのか、とスサーナは察する。
「恐れ入ります。なにか御用がおありでしたでしょうか?」
スサーナが聞き返すと二人は何か面白くなさそうな顔をし、それから気を取り直したように冷笑を浮かべた。
「みっともなく這いつくばって、何をお探しなのかしら。」
「もしかしたら粗末な筆記具?」
そう言われてスサーナはあー、となる。
なるほどこちらに拾われていたか、それとも持ち去られていたか。これは捨てられたか何かしただろうか。さて午後の授業はどうしよう、買い直しは面倒くさいな、と思う。
「あんまり粗末でゴミかと思いましたから――」
ああ、ほら。
「北の特別棟に捨ててきてしまいましたわ」
北の特別棟。
こら。
スサーナは流石に思わず突っ込んだ。
「それ、今、学生立入禁止のところですよね!? 駄目ですよ!?」
「貴女みたいな下々の者が入り込んだら、どれだけ叱られるかわかりませんけれど、頑張って探したら?」
これ見よがしにクスクス笑うイングリッドにいやいやそうじゃなくて、と首を振る。
何故今立入禁止かというと、それは魔術師が滞在しているためだと聞いている。
「いけませんよ思いつきでそういう事したら! 魔術師さん達のお仕事の邪魔にでもなったら大問題ですよ!ほんとに!」
「ええ、貴女みたいな平民じゃそうでしょうね。貴族でも過剰に萎縮する方も居るそうですけれど、ご存じないのかしら。エレオノーラ様のお父様は魔術師の管理をしておいでですのよ。わたくし達ぐらいの位の諸侯の子らが入っても問題になんかなりませんわ、貴女じゃ凄く凄く叱られるでしょうけど、ね。」
んもう、変なところだけ薫陶されてる! それから理解に見解の相違がある気がしますよ!
スサーナは頭を抱えた。
そんな管理なんて言う上の立場ならエレオノーラがどれだけストレスを貯めて不機嫌にならずに済んでいただろうことか。
立入禁止と言っても使用人や関係者は出入りしているし、スサーナは昨日入った場所である。多分入っても昨日のアレでエレオノーラの家の使用人だという認知がなされているので少なくとも出入りの人間には咎められたりはしない。
だから正直本当はスサーナの方こそ叱られる確率は低いわけなのだが、とりあえず今のノリを続けられた結果変なところになにかして魔術師に迷惑を掛けてはたまらない。
肩をそびやかし、なにやら満足そうにくすくす笑いながら去っていく二人に、スサーナは呼び止めようかどうしようか考えてそれから止めた。
――私が何か言っても駄目な気がしますよね!
後でエレオノーラか、使用人の誰かにご注進しよう。こればっかりは絶対に。
スサーナはそう決意した。
「仕方ないなぁ……」
スサーナは少し思案し、とりあえず筆記具を回収しに行くことにした。
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