第5話 日常とお友達 2

 次の日。スサーナは非常に早い時間に目を覚ました。

 毛織の毛布とガーゼの中掛けから抜け出して、裸足で窓辺に出る。

「……わあ。空がむらさきいろ……」

 居室の窓の鎧戸を開け、ぼーっとひとりごちる。

 まだ日の出前らしい。知らない子供と会うのが楽しみで太陽が登る前に起きてしまうだなんて、まるで本物の子供のようではないか。スサーナは何となく自分が情けなくなった。

 実は昨日の夜もなんとなくなかなか寝付かれなかったような気がするのだが、心当たりが増えれば増えるほど情けなさも増すのでとりあえず深くは考えないことにする。


「ん……む、ふぁ。 ……まあ、早起きしたんなら出来ることも……増えるし……」


 にゃむにゃむ言いながら部屋の中に取って返す。スサーナには挨拶の前にやりたいことがあった。


「子供同士でも……付け届け……じゃなかった、プレゼントって大事でしたよね……」


 紗綾が六歳やら七歳しょうがくいちねんせいだった頃、転校生はたいていなんだか可愛いシールなどを持ってきて配っていたものだ。そして大抵それで一挙に打ち解けるものだ。生臭いきらいもあるが、好意を示すのに物品を渡すというのはわかりやすい。なにせ鳥ですら気に入った相手には芋虫を渡すというのだから。

 遠い記憶を思い出し、スサーナは戸棚の中を目当てのものを探してひっくり返し始めた。




 挨拶の準備は滞り無く進んでいる。中庭に面した窓の広い応接間に香を炊き、水盤にバラの花をたっぷりと放す。

 口の細い銀のティーポットに高価な茶葉をたっぷりと入れるのを見ながらスサーナは、なるほど、これは従業員の親戚が挨拶に来る、というものではなく新しい商人が顔見世の挨拶に来るようなものなのだ、と納得する。

 場の指揮をしているおばあちゃんは普段着の生成りの作業着ではなく、商人たちと商談をするときに着る、前にずらりとボタンを並べた形のベルベットの紫の詰め襟ドレスを着て、上に濃紺のガウンを重ねている。

 スサーナ自身も白い絹のブラウスの上に暗紅色の袖なしで胸元にギャザーのあるワンピースを重ね、髪を香油でたっぷり梳かれて左右で編み込まれ一つにまとめられて、だいぶおめかしをした状態だ。……ふと気づくと、着替えの手伝いを頼んだ以外の女衆もみんなしてスサーナの周りに集まって、ああじゃないこうじゃないと服を次々に変えられ、髪を結い上げたり下ろしたり、さんざんお針子たちのおもちゃにされたような気がするのからは目を逸らしておく。


 スサーナが長椅子の端に腰掛けて足をぶらぶらさせていると、じきに挨拶の時間になった。

 来客が告げられた後に、叔父にエスコートされて数人の客が応接間にやってくる。

 優しそうなそこそこ若い男性と、華やかながらもおっとりとした雰囲気の金髪の女性。それと、確かに6歳ぐらいの女の子だった。

 この人数ということは公式の訪問でありつつもうちうちの挨拶でもあるのだなあ、とスサーナは思いながらそれぞれの顔を見渡し、最後に友達になる予定の少女を見て――


 ―か、かわいいっ!!


 きゃーっと黄色い声を上げそうになるのをすんでのところで抑えた。


 あんずを思わせるオレンジがかった金色のふわっふわの髪。軽くこてを当ててあるらしく、きれいに揃ったウェーブを描いて長く垂らしている。

 前髪は上げていて、きれいなハート型の顔の形がよく見える。

 肌はこのあたりの特徴だろうか、ちょっと金色味がかった健康的な肌の色。

 びっしばしのまつげとくりっとした目。それを彩る瞳の濃い青。右の目元にぽつんと薄茶の泣きぼくろがあるのがむしろアクセントになっており、鼻がツンと尖っているのも愛らしい。いちごシロップの色としか呼びようのないツヤップルの唇は、まったく作為無く生まれつきらしい形で、可愛らしいアヒル口だ。

 そんな少女がフリルをふんだんに使ったシャーベットブルーのドレス――腰をリボンベルトで留めるタイプでとてもとても愛らしい――を着て眼の前にいるのだ。


 ――て、天使???それとも生きたフランス人形?地球に連れて行ったら即座に美少女コンテストでトップ取れちゃうよ? うわーっ連れていきたい、3日で映画の主演ですよこれは。撮ってほしい、見たい。かわいい、かーわーいーいー、かーわーいーいーーー!!


 知らないところに連れてこられて緊張しているのか、ちょっと不機嫌そうな表情であることすら可愛さを引き立てるスパイスにしかなっていない。

 スサーナは静かに興奮した。


 仕立ての仕事場以外の家の中にあまり鏡がないので実は鏡を見る習慣はないが、スサーナは自分のことをそれなりに可愛いのでは?と思っていた。光沢のある直ぐな黒い髪と、日本人でも珍しいような黒曜石色の瞳。彫りが深くアーモンド型の目。肌はミルク色で唇は血の色を透かして赤い。そんな容姿を確認するたびにちょっと幼い頃のアナ・トレント似で白雪姫チックなんじゃない?などと思っていたのだ。しかしこれは無理だ。完全敗北である。ここまでカワイイの概念みたいな相手が目の前にいると腹も立たない。


 これは絶対に友達にならなくちゃ。

 友だちになって、この世界にあるものであれ、ないものであれ、思いつく限りの可愛らしい格好を彼女にさせるのだ。


 スサーナは心の底からそう決意した。



 挨拶はほどよく厳かにはじまった。

「ブリダから、よく話は聞かせていただいております」

 優しそうな男性が口火を切る。大きな舟形の籠に盛った商品……おみやげと言って渡されたものよりもずっと質も良さそうなものを、うやうやしくおばあちゃんに渡す。

 これから商売をする商店の名前を述べ、この縁を大事にして、長く仲良くやっていきたい、と述べたのちに平穏と繁栄を祈る言葉。それに応えるおばあちゃんからは同じような言葉と、仕立て前の上等な布を三巻き。


 なるほどなあ、これがここの挨拶か、とスサーナは興味深く眺める。普段はあまり意識しないけど、挨拶にそのまま祈りの言葉が入るとは、結構宗教思想が生活に食い込んでいるのだろうか。


 それが終わると、おばあちゃんが砕けた口調で――わざとらしく砕けた、と感じたので、これもきっと商人流の何らかの儀礼なのだろう――三人に椅子を勧め、控えていたブリダがワゴンを押して進み出てきて、ポットに熱いお湯を注ぐ。

 お茶のカップを出したところで優しそうな男性がこちらも砕けた口調で自己紹介をする。ニコラスさんという名前らしい。

 ううむ、多分この順番なのはなにか意味があるんだろうなあ、身内扱いの挨拶ってことなのかしら、と首を傾げたスサーナだったが、すぐにそんなことはどうでも良くなった。


「こちらは妻のイルーネと、娘のフローリカです。」


 フローリカちゃん! なんて可愛い名前!!

 外見になんてぴったりな名前なんだろう、と、にへらと頬がゆるむが、紹介された二人が軽く頭を下げている間になんとか真面目な顔を取り繕う。

 いけないいけない、第一印象が大事だよね。あまり馴れ馴れしすぎず、それでいていい感じの印象を与えなくちゃ。スサーナは意気込んだ。


「私はエンマ。どうかあんたたちの祖母だと思っておくれ。この子は一番上の孫娘のスサーナ。」

「ど、どうぞよろしく」

 ぺこり、と頭を下げる。こういう時はあまり下げすぎても浅すぎてもいけないのだ。ちょっと勢いが良すぎたきもしなくもないが、イルーネさんが微笑ましそうに笑ったのが見えたので、小さな子供のやることとしては及第点だろう、と判断する。


「あ、あの」

 頭を上げて、ちょっとおずおずと発言する。

「もしよかったら、これ」

 フローリカに向けて小袋を差し出す。


 自分で作った端をレース風になみなみに切った小袋に、小さな木綿のガーゼのフチをしっかりかがり縫いして作ったハンカチにバラの花びらのポプリを包んで入れた。カワイイものは万国共通だろう、という目論見で、スミに世界ぜんせで一番有名なうさぎの女の子を細かい並縫いで縫ってある。線は微妙にガタついてはいるが、まあアジの範疇だろう。これでアレにそっくりな……例えばクリオネみたいなモンスターでも存在した場合、笑うしかないが。


「まあ、まあ! フローリカ、良かったわね。」

「……ありがと。」


 ちょっとぶっきらぼうだったが、フローリカが受け取ったプレゼントをポケットに仕舞うのを見てスサーナは満足感に満たされた。

 ああ、声もなんて可愛らしい。鈴を振るような、というにはちょっと幼く舌っ足らずなのがなんとも最高。いやあ、自分が生前おかしな趣味がなくてよかった。きっと何らかの閾値を超えていたら我慢できずにほっぺにチューとかをしているところだ。

 だらしなく頬がゆるむのをこらえていると、無言で立ち尽くす二人の子供をとりなすつもりだろう、スサーナの内心がそんなふうだとはつゆ知らず、おばあちゃんが声を掛けてくる。


「世間話なぞ聞いても子供には退屈だろうから、良かったらスサーナ、中庭にでも案内しておやりなさい」

「まあ、是非お願いできるかしら? フローリカ、遊んでいらっしゃい」

「はあい」

「はーい」


 ワゴンから茶菓子と、数枚の羊皮紙が彼らの前にサーブされるのを見つつスサーナはフローリカに向けて手を出した。


「中庭にいきましょう。今はバラが咲いてとってもきれいですよ」

「……うん。」


 スサーナの手をフローリカが取る。スサーナは舞い上がる。

 天使みたいな女の子と仲良くなれそうで、今ものすごく幸せだった。

 もと22歳だということを心の棚の一番高いところに上げるぐらいに。


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