第37話 契約式 3

 細い通路をなんとなく足音を殺して歩く。

 リューは確かに構造を熟知しているらしい。数メートルごとに開けられた小さな穴を覗いて今どこを歩いているのかを確認している。


「こんなのぞき穴があるなんて本当に隠し通路じゃないんですか……?」

「隠し通路だったらこんなのわかりやすい穴作らないよたぶん。あ、これランプ穴と伝声穴兼ねてて。ランプ鈎がつくようになってる。あと指示受けとかできるよう外に向けて穴が大きくなってるから、あんまり大きな声で話すとわかるよ」


 スサーナは急いで声を抑える。まだ発見されてもすごく叱られるほどの場所ではない、と信じたいのだが、発見されて何をしてるのと言われた際に説明するのに非常に恥ずかしくて困る理由でこんな場所にいるのだから。


 ああうん、どうもたぶんこっちこっち。そう小声で言ってリューが手招きをする。

 ドンがそのリューの横をすり抜けて先に歩いていく。


 それからたどり着いたのは、いかにも儀式!という感じの部屋の隅を通る通路だった。

 確かに雑用用なのだろう。調度や観葉植物の影に扉が空いていたり、目立たないところからなにか受け渡せるような小窓があったりして、用途には納得したけれど、今度は本当に雑用中の人がやってきやしないかとスサーナは落ち着かなかった。


 この部屋はさっき待っていた部屋とはだいぶ違い、壁が白いのは同じながら、天井は倍ぐらい高く、白い太い柱が壁沿いに幾本も並び、ヴォールトアーチに似た三角の切れ込みめいた装飾が天井に施されている。

 さっきの部屋がプロテスタントの教会に似ているなら、こちらはゴシック様式を思わせる。

 一つの神殿の中の連続性のある部屋なのだから、宗派の違いとかではなくて金銭の掛け方の問題なのだろうが。


 その中に、遠目にはキューブ状のウレタンクッションに重厚な木の土台を組み合わせたように見えるものがいくつも置いてある。

 どうやらそれは椅子らしく、しばらくまじまじ見ていたスサーナは、衣装を崩さないような配慮なのかな?となんとなく納得する。


 それに座っているのはスサーナたちと同じ年頃の子供達が五人ほど。どの子供もスサーナ達が身に着けているものよりずっと豪奢で動きづらそうな衣装を身に着けている。

 コルセットをしているわけでもクリノリンを着けているわけでもなさそうだが、長いマントや腰回りにたっぷりひだを取ったドレスなど布の総量が圧倒的に多く、みな金糸銀糸を多用した全面刺繍の衣装を身に着けていた。


 スサーナはなるほど重々しい刺繍が好まれるわけだ、と得心する。多分重たそうな方が受けがいいというのはこういうことなのだな、と理解しつつ、ここへやって来た動機からどうしても連想して、

 ――トイレに行きづらそうだなあ……

 が最初の感想だったのは淑女として絶対黙っておかなくてはいけない、と思った。


 そして、もっと一般的な形の豪華な長椅子が後ろに並び、そちらに座っているのがどうやら保護者であり、その脇に慎ましく立っているのがそれぞれの使用人らしい。

 ちょっとした群衆に見えるのは、貴族一人につき使用人が6人ほど付き従っているからであるようで、普段見る商人層の振る舞いですら十分豪華に見えていたスサーナには、ちょっと気圧される。


 ――そ、それにしても。後五人ならそれほどはかからなさそうですね。


 空いている椅子が多数ある、ということは、全員揃って最後まで、と言う形式の儀式ではないのだろう。


「そろそろ戻りましょう」


 スサーナはそっと小声で言った。

 貴族たちを囲むように楽団がいて、なにやら落ち着いた音楽を演奏しているので、ひそひそ声でなら会話をしたところで聞こえないだろう、という判断だ。


「! 待て、スイ! もっと奥に行ける!」


 頷きかけたドンがはっとまなじりを決して通路の奥に走っていってしまう。


 ――小学生男子ってこれだからーーーー!!!!


 その袖を捕まえそこねたスサーナは一瞬心の底から22歳の精神に立ち返って叫び出したいのを必死にこらえたのだった。




 貴族の子供達が座っている部屋の奥には、一段高い祭壇か説教台めいた場所があり、一人神官らしい老人が立っている。

 そして、その手前が緩やかなスロープのような形の通路として沈み込み、説教台の真下に飾り気のない入口がぽっかり開いているのが見えた。


 ドンが走っていったのはその奥にある部屋に繋がる通路のようだ。

 たぶん儀式を行う本番の場所はそちらなのだろう。そう思うと入ったり見たりしてはいけない場所のような気がしてドンを追うのもなんだか気が引けたが、ほっておいてなにか起こったらと思うとそちらのほうが問題だった。


 なにより、リューもドンより少し遅れてついて行ってしまっている。

 彼は比較的いつも冷静に見えて、ドンのことを任せて自分は戻ってしまってもいいのではないか?という誘惑がないでもなかったが、よく考えるとここへ入るように開けたのはリューの方で、やっぱり大暴走男子なのだった。

 放ってはおけない。スサーナはそっとため息をつくと、二人の後を追った。



 通路の奥へ行くと、男の子たちが夢中で穴から部屋を覗き込んでいる。

 スサーナが追いつくと、ちょっと目を上げたリューがほとんど口の動きだけで

『いまちょうどぎしきやってる』

 そう言った。


 穴から男の子たちを引き剥がすのにも多少物音を立ててしまいそうでよくない。出入りのタイミングに合わせられれば比較的目立たないだろうか。

 スサーナも穴に目を近づける。なんだか秘密を垣間見るようですこしどきどきする。


 少し、儀式の内容に興味がないでもない、けれど、これは男の子たちを連れてさっさと帰るためのタイミングを図る行為なのだ。だから仕方ない。

 スサーナは器用に自己正当化することにした。



 覗いた先にはやはり白い空間が広がっていた。

 最初、隣の部屋と同じような柱と天井の装飾であるように見えてなあんだと思ったスサーナだったが、焦点が合いだしてよく見れば、柱と見えたのは真っ白な木の幹のように見えるものだった。

 葉のない広葉樹のような真っ白な木が幾本も天井に枝を伸ばし、その半ばから天井と同化している。

 部屋に満ちた白い明かりは隣の部屋のように外光とランプの光、というわけではないらしく、光源がよくわからない。スサーナには白い木がぼんやり光っているように思われた。

 部屋の真ん中にのみ通路の形に絨毯が広げられていて、その半ばに円形の石の水盤が一枚あるようだった。その中央からはこんこんと水が湧き出している。


 その前に一人の貴族の子供が立ち、水盤の中を覗き込んでいるようだった。

 ややあって少年は水盤の中に手を差し込み、水盤の中に沈んでいた瑪瑙と思われる石でできた平たい脚付きの杯を持ち上げる。


 そして、杯を両手で捧げ持って奥へと進む。

 そこには短い階段と、石のテーブルがあり、脇には神官がひとり立っていた。


 少年がテーブルの前に立つと、神官が脇の小卓から一枚紙を取り上げて少年の前に置く。

 スサーナにはその紙はすこし奴隷の契約紙に似ているように思えたが、それよりもずっと大きく厚そうで、四方に房と紙垂しでが飾られている。


 スサーナの位置からは見えなかったが、紙には何かが書いてあるらしい。神官が手を広げて少年にそれを読むように示す。


 少年が杯の中身を紙の上に注ぐ。

 ぼっ、と音がして、青白い光が文字をなぞったらしい形に燃え上がった。


 しゅ、と音を立てて炎が杯に戻っていく。杯の中がぼんやりと輝いて、硬い表情の少年の顔を映し出している。


「契約があなたを受け入れる準備ができました。」


 穏やかな声で神官が言う。


「貴方が契約を司るエラスの名のもと、ジャース王の臣下として契約を受け入れることを誓うならこれを口になさい。」


「なんだこれは」


 無遠慮な声が混ざった。わあん、と高い天井に声が反響する。


 光景に飲まれかけていたスサーナははっと正気を取り戻す。


 どうやら貴族の少年の親らしい貴族が横から紙を覗き込んでいるのが見える。

 困惑したように神官が眉をひそめるのが見えた。


「なんだこの条項は。まさかこのままの内容で契約をしろというのではなかろうな?」

「大三項、小二項どちらも定められたとおりの内容でございます」


 神官が静かな、しかしどこか困ったような声でいらえる。


「それがいかんと言っているのだ、わからんとは言うまい? まさか貴族に素のままの条項で契約を行えとでも言うつもりか!」

「しかし……今から訳もなく小二項を書き換えろと仰られましても……」

「商人共とて書き換えておるのだろう! 小戒律も要らぬ!すべて消せ!」

「お戯れを……まさか王にお仕えされる貴族の方々が王との契約を軽視せよなどとお子様に仰られるとは」

「この島にはびこる魔術師共など小二項どころか大三項すら免除されていると言うではないか! それで諸王の盟友などと申しておるのだぞ!」



 何やらもめだした儀式の部屋をいいことに、スサーナはドンとリューの腕を掴む。


「今のうちに戻りましょう」


 男の子たち二人も光景に飲まれていたらしい。呆然としているのをいいことに有無を言わさずに腕を引っ張った。


 不思議なものを見た後の男の子は少し御しやすくなるらしい。特に文句も抵抗もなくさっきの廊下の突き当りに戻ることが出来る。


 どうやら気持ちが落ち着いてきたらしく、ついで興奮が盛り上がってきたらしい男の子たちを引っ張って部屋に戻る。

 二人は興奮した顔で儀式の内容についてささやきあっていて、気持ちはわかるもののスサーナは呆れてしまう。


「人に聞かれないようにしてくださいよ。見たってわかったら叱られちゃうかもしれないですよ」

「大丈夫だって。内容自体は兄貴からきいたことあるのにだいたい一緒だったぜ。」

「見ると聞くとじゃ大違いだねえ」


 なるほど、兄弟がいる子供はなんとなく話を聞くことができるのか。スサーナは納得しつつ部屋に戻っていく。


 小さなドアから待機部屋に入る手前、神殿の雑用係らしい人たちがドア横で会話しているのに行き逢った。


「長引いてるのはさ、お貴族様達がみんなして契約に文句をつけてるんだってさ」

「ああ、本土じゃだいぶ小二項は最初からいじってあるらしいね」

「圧力でなんとかなると思ってるから困るよな。商人たちのほうがまだ賄賂を払うだけいい。しかし国の安寧を思えばさ、小戒律はともあれ小二項は弄れるにしても限界はあるよなあ……。  おや? 儀式に参加する子たちだね? どこに行っていたんだい」


 話しかけられたスサーナは焦った。


「と、トイレに!!」


 頓狂な大きな声がでて、ああ、という生暖かい目を受けて、部屋の中から数人の子供達が振り向くのも見え、スサーナは恨めしい目で男の子たちを睨んだ。

 淑女の大きな声で言っていいセリフではない。

 おのれ。ぜんぶお前らのせいだ。

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