第38話 契約式 4

 結局、子供達が儀式の間に入れると連絡があったのは一時間半ほどしてのことだった。

 待機中にだれか漏らしたりするんじゃないかと戦々恐々としていたスサーナだったが流石にそんなことはなく、お手洗いに向かう子供は数人居たものの、慣れた様子の神殿の人間に付き添われてまっとうに着付けをしてもらっていた。


 ――あ、そうか。流石に主催側の方も慣れてますよね、毎年やってるんですから。


 ホッとしつつ、待機中に配られた梅干しから塩を抜いたような味の酸っぱい干し果物を部屋に入る前に噛んで飲み込んでおく。

 水がなくても乾きを抑えるとか、眠気を抑えるとか、そういう効果が目されたもののようで、子どもたちには好き嫌いがあるようだったがスサーナは結構気に入った。


 ――口がスッキリしていいですね、これ。……まあ、だからってドンくんのようにポケットにパンパンに詰めるのはどうかと思うんですけど。

 ドンは味が好きではないらしい子供達から干し果物を集めて周り、衣装のポケットいっぱいに詰め込んでいた。


 非常食!じゃないって。突っ込もうかとも思ったスサーナだったが、見るとそういう事をしている男の子は複数人いる様子だったのでなんだか面倒くさくなってやめた。ドンのポケットから干し果物をひっぱり出してポケットをすっきりさせたところで、多分別の男子のポケットにその分が移動して頬袋のようにパンパンになるだけなのだ。男の子たちのポケットを循環する干し果物、あんまり想像したいとは思わない。




 介添人たちが子供達の間を走り回り、大体身長に即した順番に二列に並べられる。小柄なスサーナは一番前の方で、少し緊張した。

 介添人がガチガチになっているスサーナを見て少し微笑ましく笑う。

「あら、緊張してる? 一番前の子には持ってもらわないといけないものがあるの。出来るかしら?」

「は、はい! えっと、何を持ったらいいんでしょう?」


 渡されたのはさっき水の中に沈んでいたのによく似た器だ。

 ただ、アレは石でできているように見えたがこちらは石のように彩色された軽い木で、多分レプリカなのだろう。

 スサーナが指示通り器を捧げ持つと、介添人がそこに寒色の花を沢山ふわふわと盛り付ける。


「はい。お部屋に入ったら、隣の子と並んでまっすぐお部屋の一番前まで行って、そこで待っている人にこれを渡してね。あなたの席は一番前の一番外側になるから、渡したらぐるっと部屋の端っこをとおって席に着く。わかった?」

「はい、大丈夫です」


 スサーナの横では、一番小柄な男の子がさっき見た紙のレプリカらしい布でできた巻物を持たされて、同じように段取りを説明されている。


 介添人の先導のもと、ぞろぞろと部屋を出た。


 わっと拍手の音に包まれる。

 見れば、屋外に出たところにたくさん人が居て、一斉に拍手をしてくれている。


「おめでとーう!」

「契約式おめでとう!」

「さあこれからは大人の準備だぞ!」

「おめでとう!」


 口々に投げかけられる祝いの言葉がこそばゆい。

 さっきからの色々で、自分の格好がお店の宣伝になる、ということを少し忘れかけていたスサーナだったが、はっとそれを思い出してしっかり背筋を伸ばし、指先まで意識して歩くことにした。


 回廊をぐるっと回り、階段を上がり、中庭を通る。

 回廊の周りや階段の両側、中庭には保護者や見物人らしい人たちがいて、通っている間中ずっと拍手し続けてくれるし、所々で花籠を抱えた人が居て、頭の上からいい匂いの花びらを撒いてくれた。

 だいぶ待たされたせいで降り注ぐ太陽光は朝の光と言うより午前中の陽光と言った具合になっていたが、それがまた祝祭感を盛り上げているようにスサーナは思う。空は青いし時折吹き渡る風も快く、歩くのに合わせて風が内側に入り込みふわふわと覆い布のレース部分が揺らぐのがわかるのも嬉しい。


 中庭の先にある大きな扉が大人二人がかりで開かれて、儀式の間に入る。

 一歩足を踏み込んだ途端に、待ち構えていたようにマーチめいた軽快かつ音の重い曲が演奏され始める。はっきりと四分の二拍子。

 式だ! スサーナはあまりの式っぽさに思わずにこにこしてしまう。

 微妙に歩調が音楽につられてしまうのは仕方ないし、きっとそれを目論んでの音楽なのだから問題ないはずだ、と思いながら背筋を伸ばして歩みを進める。


 部屋の後ろ半分には保護者達が居て拍手をしてくれている。微妙に曲につられて手拍子になっているのはご愛嬌というところか。


 杯を捧げ持ち、胸を張ってその間を歩く。


「あら、一番前の子カワイイ」

「変わったものを着けてるね。キの様式かな」


「名受けの杯を運ぶ先頭の子用に神殿が合わさせたんじゃないかな、三つ重ねでいかにも手が込んでて儀式向けじゃないか」


「あの子の着けてる被り物、素敵じゃない?なにもないところに刺繍してあるみたい」

「異国風でいいね。ああして抜いてあるのはだいぶ軽そうで子供にはいいな」


 保護者たちの間から漏れ聞こえる感想には被り物の話もあり、スサーナは一層誇らしい心持ちになった。

 ――叔父さん! おばあちゃん! ちゃんと宣伝になってますよ!!!


 一番前まで進み、男女一人ずつ控えていた神官に持ったものを渡す。

 ぐるっと回って席に着くと、ひと仕事終えたような気持ちになった。


 跪いた形で祭壇に向き合った神官が、杯と巻物を頭の上に高く差し上げる。

 脇に控えた別の神官が祭壇の上にそれを置く。儀式開始の鐘が鳴り響いた。


 祭壇の下のスロープから老人の神官がゆっくりとした歩調で歩み出てくる。両手には真っ白な木の枝をひとつ携えていて、枝には青い糸が房で結びつけてあるのがわかった。


 あの人はきっと偉い神官なのだな、とスサーナは当たりをつける。しかしここに入ってからというもの、青と白ばかりがでてくる。ということは宗教的に意味がある色彩なんだろうなあ。どの神様が厳密にどの色、なんて話はこれまで聞いたことがなかったけれど。

 そんな事を考えているうちに、老神官は居並ぶ子どもたちの前に出て、数歩歩いては向き直り、大きく枝を振り、また数歩歩く、と言うやり方で横切っていく。


 ――あ、神道のお清めみたい。

 スサーナはなんとはなしの親近感を抱いた。


 一通り横切り終わると老神官は壇上に上がっていき、よく通る声で言った。


「契約を司るミロスと健やかさを司るジュウェンのお導きの元、この日を迎えられたことを幸いに思います。今日からあなた方は正式に王のよき臣下として護られることとなります。どうぞ王の庇護を裏切ることなきよう励まれることを。」


 つづいて老神官は契約の意味を語り始める。


 ひとから漏れ出す余った生気が災害や魔物を呼ぶこと。

 古代の時代に人の長がそれを憂いて神々に助力を願ったこと。

 ミロスとジュウェンが人を憐れみ、人の長たちに契約の方法を教えたこと。

 それにより、僅かな眷属が神々から護られていたのと同じようなやり方で、王が人々を守ることが出来るようになったこと。


 ――へええ。経緯……は神話だからわかりませんけど、そういう効果だったんだ。

 スサーナは感心した。

 庶民として生活していると、契約で意識するのは戒律の方ばかりらしく、そうではない話はふんわりとしか聞かせてもらえないのだ。たぶん、皆そこまで意識していない。


 名前を預けて契約をした人は王の眷属となること。


 眷属になった人たちの生気は王に同調するので制御できるということ。


 それによって王は人の生気を束ねて一つの力にして、様々の奇跡を振るい、尊い仕事をするのだ、ということ。


 遠い昔の神々の時代にそうだったように、眷属になる時に護って貰う代わりにどんな戒律を守るのかを王が決められる、ということ。


 大三項はどこの国でも同じように定まっていて、小二項は国ごとで少し違う、ということ。


 昔は王が直接契約を行っていたけれど、王がすべての国民くにたみと直接契約するのは国が大きくなってしまった今では難しいことなので、領主と神殿が契約式を代行して、契約紙のかたちで行った契約を王にお届けするのだということ。


 そ、そんな世界だったんだ、ここ。スサーナは二度目の感心をする。

 王様は尊いという話はされるものの、イメージのファンタジーの王様を遥かに超えるようなこんな神秘な話は普段されたことがない。

 とりあえず普通に子供として生活しているとわかることは、王様はえらく、いろいろなことを決める、ということぐらいだ。

 だからなんとなくイメージのファンタジーの王様的な、統治するけれど能動的な神秘とかそういうのに縁がない、みたいなイメージをこれまでしていたのだ。


 あれ、そういうルールなら、じゃあ貴族ってなんなんでしょう。スサーナは内心首を傾げたが、さっき見た様子的に契約を重視しているという感じはしなかったので、どうも王権は神授っぽいけど貴族は世俗的みたいな感じがするな、と理解することにした。


 戒律的なものを定めるほう側だと言うならあんなふうに変えろだの無くせだのは言わないのではないか。スサーナはそう思った。



 神官の話は名前のことに移っていく。


 この契約式で与えられる名前は人としての呼ぶ名前ではなく、王、ひいては神がその人の魂を見分けるための名前だということ。

 だから、うかつに人にその名前を教えてはいけないし、みだりに呼んでもいけない。

 魂の名前であるから、うかつにその魂の在処を示せば悪い影響が無いとも限らない……


 知ってる!まことの名前!

 スサーナはそっと目を輝かせる。

 前世読んだファンタジーでは一旦元の名前は捨てたけれど、ここではそんなことがなさそうなのがちょっと残念なような、良かったような。

 スサーナは一度カラスノエンドウとかそういうケレン味のある名前をちょっと名乗ってみたかった。

 まあ、そんなことよりも、多分お父さんかお母さんが名付けてくれたはずのこのスサーナという名前にもとても愛着はあるので、捨てるのなんかまっぴらではあったのだけれど。



 そうこうしているうちに神官が祝福の言葉を述べて話を終わらせる。


 さて、これから契約の儀式に入るのだろう、しかし、順番とかはどうなっているんだろう?賄賂とかがあるなら契約するのが誰かわからないといけないだろうし。戸籍の順番とかで呼ばれるのだろうか?そう首をひねったスサーナだったが、横に介添人が立ったのに気づく。


「さ、立って。端の席からじゅんじゅんに順番が来るんです」

「ええ? わ、私からってことですか……?」


 そんな、心の準備が!そう言いたかったが、壇上から、


「立ちなさい」


 そう重々しい声で声を掛けられてしまう。

 さらに、後ろの楽団がなんだか荘厳な音楽を演奏し始めてしまったので、スサーナはたじろぎながらも覚悟を決めざるを得なくなる。


「さあ、この先にある契約の間に進みなさい。そこでまず名を授かるのです。」


 スサーナは一度大きく深呼吸をして、それから、少しぎこちなく立ち上がった。

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