第194話 後始末の顛末 2

 そして、それから少ししてからスサーナは貴族寮に戻った。


 貴族寮の門から一歩はいると、あれだけ街も寄宿舎も大騒ぎだと言うのにこちらはツンと澄まして静謐で、何事もなかったように使用人たちが立ち働いている。

 ――うん、日常だ……。

当然のことではあるのだが、ついさっきまで生きる死ぬの騒ぎだったりしたし、大騒ぎの場所に居たわけでもあるスサーナは、落差になんとなく感じ入ったりした。最近実感しがちだが、スサーナはそう言う温度差みたいなものでホッとし気味なタチだ。


 寮に入った先のホールに並ぶ豪奢なソファの一つでレミヒオが何食わぬ、無害無力な使用人の少年ですよ顔で面会許可の待機をしていたので、これまたさっきとの落差を感じてスサーナはなんとなく面白い気持ちになる。

 こうしていると書類を入れた文書箱やらティーセットより重いものを持ったことがない、という上品な侍従の少年に見えるのだ。


彼は優雅な羽ペンで台帳に署名をし、セルカ伯かららしい許可証を寮監に提示している。

 外からの男性は寮監に許可を貰わないと女子寮の奥までは入れないのだ。


「まあレミ、久しぶりの気分なのだわ!」

「遠路はるばるご苦労さま」

「お嬢様方に置かれましてはお元気そうで何よりです。お父上からのお荷物をお届けに参りました」


 横をすれ違っていったお嬢様たちが挨拶をするのを背中に聞きながらスサーナが部屋に上がろうとしていると、背中からレティシアの襲撃を受けた。


「スサーナさん! お父様からの荷物が来ましたの! レミも一緒でしてよ!」

「はい見えております、このあとで許しを頂いてそちらの部屋に伺いますね!」


 両手でぐいーっと後ろの方、苦笑するレミヒオとにこにこ手をふるマリアネラの方に首を向けられて、スサーナは何食わぬ久方ぶりの対面顔で小さく一礼してからレティシアに向き直り、力強く後で彼女たちの部屋に行く約束を取り付けられる。


 それからぽてぽてと戻ったエレオノーラの居室でスサーナは一日のお休みのお礼を申し上げ、それから少しマレサを手伝った後に夜の自由時間に入った。

 森での騒ぎは貴族寮には……少なくともエレオノーラの使用人たちには伝わっておらず、三叱られ目を達成するということはなさそうなのが幸いである。


 当然そのままレティシアとマリアネラの部屋へ向かう。


 すると部屋ではレティシアがセルカ伯からの手紙を読み上げていたところだった。


 そっと入って黙礼するレミヒオの横の壁際に並んで読み上げる内容を聞く。


 セルカ伯の手紙は娘たちの健康を心配し、自分と妻の近況を述べ、更に本土の領地にいる家族達の事に触れ、それからそろそろ本土に戻ることになったこと、島の家は管理人を住ませる形で維持することに決まったから夏の休暇に使えるよ、マリアネラも自由に使うように、というようなことを述べ、久々の所領のことについてや所領を管理していた長男のことなどに触れ、それに絡めて勉強を頑張るようにだとか人脈を作る格好の機会だからね、とか――そのパートは普段の手紙でも毎回あるのだとレティシアがぼやいた――ちょっとした父親らしい戒めを書き連ねてあり、いかにもお父さんからくる手紙らしいなあ、とスサーナをほのぼのさせた。


「島に夏の別荘があるのはいいですわね」

「ええ、学友たちは羨ましがらないかもしれませんけど……あそこには氷がありますわ!」

「それに、スサーナが休暇にご実家に戻る時に私達が遊びに行くことも可能なのですわね」


 スサーナは曖昧に微笑んだ。長期休みにもレポートだとかフィールドワークだとか理由をつけてあまり帰らずに居るつもりでいるのだ。

 ……フローリカちゃんは怒りそうなので、多分、長い休みの二回に一回はしばらくは帰ることになるだろうけれど、だんだん間隔を開けていくつもりだ。


 その後は届いた夏のドレスやらちょっとした仕送りものやらの荷物を開けて吟味する作業にお嬢様たちは夢中になっていた。

 スサーナも荷物を開けるのを手伝う。

 薄い布を上品に使いつつも袖の形や胴の絞り方、襟元の具合で風が通るように仕立てたサマードレスはあきらかにおばあちゃん、もしくはその薫陶を受けたお針子さんの手で、ああ奥様うちで注文して仕立てたのだなあ、と、なんとなく感慨深くなったりもした。


 他にはそろそろ残り少なくなっていたベニト茶の補充や、奥様が指揮を取って作らせたクチナシの香水が入っていて、スサーナの分と表記されたものもあり、スサーナはありがたく分けてもらう。


「ふふふ、これを付けているの、まだわたくし達とスサーナさんだけですのね。スサーナさんのご主人は今はエレオノーラ様ですけど、なんだか特別! という感じがいたしません?」


 お嬢様たちの乙女心に世界で三人だけという文字列がいい具合に刺さったらしく、おのおの付けた上で授業に出ようという少女らしいひみつ計画が立案されたりもするものである。

スサーナとしては小間使いが香水を使うのは許してもらえるかどうか分からないので少し困りつつ、その時はハンカチか何かに少し付けて持つ、ということでお嬢様たちに納得してもらう。



 しばらく服を出して整えたり、出した荷物を分類分けしたりしてしばし。いろいろ運んだり仕舞ったりを手伝ううちに、ふと何気なく寄ってきたレミヒオが


「さっきの話。込み入ったお話だということで宿で。ネレーオさんに案内させますので聞きたいことがあればその時に。」


 とそう言った。

 多分どこかのタイミングでそういう伝言があるだろうなあ、と思って居残って手伝っていたのでスサーナとしては特に驚きはない。



 そんなわけで夜、指定の時間付近になって、寄宿舎にサンドイッチを届けた後にスサーナはそっとそのまま学院を抜け出した。

 門の側でネルが待っていて、一緒に街へ出る。

 たどり着いたのはそれなりに気を使った宿で、セルカ伯の荷物を運んできたという使用人が泊まるにはそう悪くないという具合だった。


 来ているのはレミヒオだけではなく、スサーナも何度も顔を見たことのある中年の使用人も一緒のようだったが、彼はどうやら食事を取りに出ているらしく、部屋に居たのはレミヒオだけだった。


 彼は小さく頭を下げ、少年らしい仕草ではにかむ。


「ええと、部屋に招くのは無作法かと思いましたが、人の居るところで話せる話かはわからなかったので。とりあえず、座ってください。」


 ネルはどうやら部屋の外に居て、同行の使用人が戻ってきたら教えてくれる心づもりらしい。

 スサーナはお礼を言って椅子にかける。


「では、込み入った聞きたいお話とはいったいなんでしょう?」


 少し離れて向かいに立ったレミヒオの声がこころなしかぴんと張った。


 スサーナはううーんと考える。

 元々説明は得意な方ではなく、ついでにしたい話というのもレミヒオが思っているほど重要そうな何かとかそういうことはないのかもしれないのである。


「ええと、わざわざちゃんと用意してもらったのに拍子抜けされてしまうかもしれないんですけど……ええと。」

「はい。」


 スサーナは椅子に少し座り直す。


「ええとですね。多分レミヒオくんはさっきの魔法の話かと思っていると思うんですけど、関係あると言うか、無いというか。ええと……あのですね、鳥の民のはなしではあるんですけど。ええと、こう、ええと。私が……その、混血じゃないって……ええとですね、分かっておられたんですよね。」


 レミヒオの目線が後ろめたげに揺れ、軽く伏せられた。そうして頷く。


「……はい。……確証があったわけではないんです。ですが――」

「いえあの、責めてるとかそういうことではなくてですね。ええと、お会いしたら謝らなきゃなあと思っていたと言うか……」

「はい? 謝る?」


 その雰囲気にあわててぶんぶんと手を振ったスサーナにレミヒオがキョトンとした目をした。スサーナは別にレミヒオに申し訳なく思ってもらいたいわけではないのだ。スサーナは挟み込むようにこくこく頷く。


「ええとですね、ネルさんが、レミヒオくんが、ええと冬からこっちよそよそしくなったって心配してたよって教えてくださってですね。あの、ええと、すみません! 実はネルさんと宿で話してるのを立ち聞きしてました!」


 スサーナは座ったままばっと頭を下げた。座ったままなので微妙に前屈みたいな姿勢になり、慌てて立ってお辞儀をし直す。ぽかんとしたレミヒオがいえあの、頭を上げてください、座って、と何やらわたわたと座るように促してきた。


「ええとそのそれで、私が混血じゃないよって話をしてるのを聞いちゃってですね。すぐに立ち聞きを謝って詳しい話を聞こうとは思っていたんですけど、その、なんというかなんとなくずるずると機会を逃していたと言いますか。なんとなく話しづらかったと言いますか。ええと、お会いした時に謝らなきゃなあ、と思っていたんですけど……」

「いえ、あの」


 まだぽかんとした表情が残っているレミヒオがなんだか目を白黒とさせたようだった。


「謝らないでください。それなら僕のほうがずっと謝らなくては。……そうだったんですね。それで……。それはお心を傷められたでしょう。……すみませんでした。」

「ああっ、いえ、ええと、レミヒオくんが謝るような話じゃ全然ないと思うんです。ええ。お母さんが浮気をしたのかもしれないなんて話、本人に向かってうかつに話せませんよね、わかります!」


 慌てて言ったスサーナにレミヒオはいまいち不可解な表情で浮気……と繰り返す。


「スサーナさんはネレーオさんに、そのことについて何か詳しい話は受けましたか?」

「……? いえ。多分、私が混血じゃないってわかった、ってことが分かったので言う必要がなかったのかなと。」

「そうですか。……そうですね。」


 レミヒオは真面目な表情で顔を上げ、スサーナを見た。


「僕はスサーナさんは混血ではないと思っていました。……思います。なぜか、と言われますと、単純な話、混血の者は魔法を使えないんです。」

「はい。」

「その、ですから……実を言うと僕も違います。最初にあった時には言えませんでしたが……買われやすいように、方便でした。……言えず、すみません。 ……もちろん、スサーナさんがそうだというのは状況証拠で……他に確信があるような材料、僕がスサーナさんのお母様を知っているとか、両親が誰か心当たりがある、と言うようなことではありません。」

「は、はい。あ、そうか……同族の方ですから、知り合いだったって可能性もあったんですね……全然思いついていませんでした」

「多分、お母様のお名前を聞いても心当たりがないぐらい全然知らない人ですけどね。氏族は世界中に散らばっていて、ネレーオさんのように他の氏族と繋がりのない人も居ますし、皆が知り合いということはないんです」


 そう説明しながらレミヒオヨティスは思う。彼女が母と呼んでいる氏族の女もきっと実の母親ではなかろう。その女のことを彼女に聞いて氏族や出自を辿れれば少しは意味があるのかもしれないが、それも望み薄だ。スサーナは確か両親の顔を知らず育ったのだと言っていた。母親については名前しか知らないとセルカ伯の奥方と話していたのを聞いたことがある。


 確かセルカ伯が雇う際に調べた内容ではその女のことすら――当然といえば当然だが――隠蔽されていて、彼女の母親は疫病で死んだ近隣の常民生まれの女となっていた。当時本土で流行った、赤土風邪と戦争に引っ掛けて呼ばれる疫病は多く死者を出し、諸島でもちらほら死人が出始めていた頃だったそうで、しかもその流行は数年続いた。諸島には本土ほどの被害は出なかったというが混乱はあったのだそうだから、隠蔽は実に容易だっただろう。


 どちらにせよ、彼の調べ物の役に立つものではない。だから、今話したところで彼女を混乱させるだけのものだ。

 だから彼はそこで説明を止めた。


「僕がスサーナさんについて知っているのは大体このぐらいです。ちゃんとお話しておらず、すみませんでした。」

「あっ、はい! こちらこそ、すぐにお聞きしたらよかったです。」


 頭を下げ直したレミヒオにスサーナも頭を下げ、それからええとそれでなんですけどと声を上げる。


「ええと、つまりその。私、氏族……って仰るんでしょうか、そういうもの、なんですよね? なにか、掟みたいなのとか……守ったほうがいいこととか、あるんでしょうか。」


 なんとなく構えた様子のスサーナにレミヒオヨティスは薄く笑みを浮かべた。その姿は毛を逆立てて目をまん丸くした黒猫かなにかを連想させたからだ。


「いいえ、今は特には。そうですね、うかつに形ある刺繍をしない、というのと、出自を人にたやすく話さないというのもスサーナさんには必要でしょうか。それは今までと代わりはないでしょう? ……ああ、うかつに形ある刺繍をしない、と言いましたが、鳥の民の使える魔法は、多くは特別に仕上げた糸を使うものです。特別な糸で作ったかたちを、深く信じることで魔法にする。ですから普段どおり過ごすなら魔法の心配はいりませんし……もちろん、糸の魔法を自在に使いたい、と言うならこちらで教師役を用意しますけどね。」


 そう言うとあからさまに対面の少女がホッとしたのがレミヒオにはわかる。


「そ、そうでしたか。ええと、普通にしてていい……ってことです、よね。……あ、ええと、あの、なんでもする……ってさっき言ったのはその、氏族関係のことを言われたりします?」


 ふわふわと目線の揺れる上目遣い。そんな事を気にしていたのか、という顔で、彼はそれに小さく吹き出してみせた。


「いえ、あれは。……あの魔法は事によっては命に関わることでしたから。だから「なんでもできるか」なんですよ。向かない人があの魔法を使うと大きな障害が残ったりすることもあるんです。……でも、そうですね。なにかしてくださるならそのうち、お願いに上がることもあるかもしれません。……当然、今は普通に過ごしてくださって構いませんよ。そのうち、まとめて色々お教えすることがあるかもしれませんが、今ではありませんから。」

「そうでしたか……! すこし大袈裟に考えていたかもしれないです……すみません。あの、鳥の民がどんなふうなのか、みたいなことを全然知らないので……」


 ホッと脱力したらしいスサーナに向けてレミヒオは笑う。


「それもまた、そのうちに。僕よりもずっと教えるのに向いた者からお教えすることになるでしょうから。もちろん、僕も少しずつお話しますけど。」

「少しずつ……?」

「はい。これからセルカ伯も本土ですからね。……島よりはずっと来やすい位置なんです。こまめに顔を合わせることに、なると思いますよ。」

「あっ、それは心強いです……!」


 そうスサーナが言ったところで小さくドアがノックされる。

 ほそく開いたドアの隙間からネルが覗き、連れが戻ってきたぞ、と言ったのでそれで質問はおしまいになった。


 ――や、予期せぬ事態とセットでしたけど……これで、色々持ち越した気になること、大体なくなったんでしょうか。

 スサーナは冬からなんだかちょっと残してあった課題がこれでクリアされた、というような気持ちでほっと息を吐く。

 なんだかんだと、色々と秘密的なものを共有していたレミヒオと距離を開いたままで本土に来てしまったのはそれなりに気になる事項だったからだ。


 女性が男性と夜に部屋にいるのはあまり褒められたことではないし、説明もしづらいので、スサーナは連れの使用人さんが階上に来る前に二人に挨拶して帰ることにした。


 ――なんというか、今日は本当に色々あったな……

 草摘みだけで終わると思っていたのに、あんまりに盛りだくさんでちょっと日記の付けようがない。

 正直今日は薬なしで寝られる気がする、そう思いながらスサーナはふらふらと帰路についた。

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