第193話 後始末の顛末 1
荷物を木からおろし、レミヒオが自分の上着をスサーナに貸して一応の格好をつけて、さて帰路につこう、と言う雰囲気になったところでスサーナがそういえば、と声を上げる。
「あの、そういえばですね、えーとレミヒオくん……のほうがいいのかな。お聞きしたいことなどがいくつかあるんですが。」
「はい。僕に答えられることでよければ」
答えるレミヒオはなにやら緊張した面持ちだった。どうも、自分とスサーナがなんとなく距離が空いていた、ということを今更思い出したらしい。
「ええと、とりあえず……ジョアンさんの大怪我でちょっと意識の外だったんですけど、あんな目に遭ったんですし、オビさん、怪我とかしています、よね? お恥ずかしいですけど私、そちらを確認するのすっかり忘れていて……」
続けてそう問いかけたスサーナにレミヒオの肩がかくんと落ちる。
「そんなこと……いや。ええとですね、足の骨が数カ所折れています。あと結構強く打撲しているのでしばらく痛むかもしれませんが、命に関わるほどでは無いです」
気を失っているのはしばらくすれば目覚めるでしょう、とレミヒオにまとめられてスサーナはふむ、と考えた。
足の骨折は腹に風穴が空いているのに比べれば些細な怪我のようだが、よく考えればちょっとした大怪我だ。何本も折れているとなれば予後が悪ければ歩くのに苦労するようになるかもしれない。
「ええと……さっき教わったのを、オビさんで試す……みたいなのって、オビさんに悪影響とか、ありそうでしょうか」
「試す……お一人で出来そうなんですか?」
はっと真剣な顔になったレミヒオに問いかけ返されてスサーナは曖昧に首を揺らす。
人には全く説明できるとは思わないが、どうすればどうなる、という部分についてはぼんやりと確信に似た感覚があった。
「たぶ……ん? なんとなくどういうことなのかは分かったと言うか……合っていればオビさんの傷が治るだろうから、答え合わせ出来るかなと……」
体が感覚を覚えているうちに、本当にそれで傷を治せるのか錯覚なのかは試しておきたかったし、スサーナは出来ることならここで起こった悪影響を出来るだけ無かったことにして寄宿舎に戻りたかった。
答え合わせ、というのも言い方が悪いが、それで起こることがいいことだけならまだ許される、と思う。なによりそう言えばここでもう一度オビを治療することを許してもらえそうな気がした。
「なるほど。」
レミヒオはうなずいた。
「やって損はないでしょう。少なくとも、悪影響が出る、というのは僕は聞いたことがありません。……その、ええと、粘……傷口に触れる悪影響とかその……ええ……そういう意味では別ですけど。」
「あ、はい。衛生面。そうですね。ジョアンさんもあとで口を濯いでもらわなきゃ……。ええと、そうでなく出来たら余計いいってことで……試してみようかな、と……無理で元々ですもんね。」
「わかりました。」
レミヒオはうなずき、話を黙って聞いていたネルがオビを平らに寝かせる。
「試してみましょう。ただ、体調がおかしいとか、何かまずそうだ、という感覚があったらすぐに中断してくださいね。教師が出来るエレニはさっさと帰ってしまいましたし」
スサーナはオビのもとにかがみ込む。
――ええと。
エレニに施された暗示も甘い香りの薬も、多分必須のものではない。つまり他人の助けがなくともアレは使えるはずだ。
ところで、水のイメージと、もはや思い出せないがなんだかすごいものを見た気がするが、あれも冷静になって考えるとあの嗅がされた薬由来のせん妄性幻覚ではなかろうか。
……毎回起こるものではない。と信じたい。多分。
希望的観測含みで文明人の立場でシャーマニズムにツッコミを入れる人みたいな思考になりつつ――いや、超自然はしっかり信じているのだが――、それでもどこからやってきたものか、確信だけははっきりと消えず残っている。
手を握ろうとすれば握りこぶしが出来る、ということに似た、理由も筋道もない「出来る」という感覚。
――こうすれば、治るはず。
体に触れる。そこから続く血流を、傷を意識する。
多分、それが最小要件だ。
幻視も何も伴わず、あっけなくオビの骨折は癒えた。
確認したネルが何か信じられないような表情で二度三度と確認し、レミヒオも診て何故か自慢げな表情で太鼓判を押したので間違いないだろう。
頬の擦り傷と足の切り傷は多少浅くなったところで骨が治った感じがあり、治癒を止めてしまったので――どうやら大きな怪我、意識したものから治るような気がした――残ったが、冷静に考えてみるとそれはむしろいいことだった。
「オビさんは怪我をする前に気絶していましたし誤魔化せると思うんですよね。問題はジョアンさん……。刺されたんじゃなくて強く当たって気絶したんだ、って思ってもらおうかとちょっと思ったんですけど、あれだけ血まみれだとそうもいかないですよね。……あ、ええと、私が傷を治したって教えないでいたいんです。言っても信じてもらえない気はしますけど……。」
「スサーナさんが傷を治したと知らせないのは賛成です。」
「ああ。俺もだ。余計な面倒を招くのは間違いねえからな。」
スサーナが傷を治したことを秘密にしたい、と申し出ると二人共が頷く。
「俺達としても、あの魔獣を倒したのが俺達だとは知られたくねえ。食われてた荒事屋が相打ちになったんだと警吏にゃ思わせるつもりだった。」
「……死体はまだごく新しいものでしたから、彼らの血だと思ってもらえばいいでしょう。上着を脱がせておきましょう。打撲の具合を見るためと言えばおかしくもないはずです」
レミヒオがさっとジョアンの上着を脱がせる。そして、スサーナには見せてくれなかったが、隠蔽工作慣れしているらしいネルが待っている間に状況をそれらしく整えたようで、それと鑑みて服が血まみれでも違和感はないはずだ、とネルに頷かれる。
状況は実に想像したくなく、犠牲者の荒事屋の方にはとても申し訳ないが、それで話が済みそうなことにスサーナはホッと安心した。
「よかった。じゃあええと、聞きたいこと2つ目なんですけど。お二人は何故ここに?」
ネルが応えたことには、特に鳥の民の何か、ということでもなく、こちらにやってきたレミヒオと合流したネルがスサーナの残した伝言を見つけて後を追ってきた、というだけのことであったそうだ。
「寄宿舎の奴らが……人の顔を見た途端にお嬢さんを見なかったかだの、魔獣がどうだだの騒ぎやがってな。外を見りゃ布が縛ってあるんで、そのまま来ただけだ」
「彼は顔が広いんですね。調べてみれば本当に魔獣の気配がある様子だったので、慌てました。」
「そうだったんですか……すみません、ありがとうございます。じゃあ、ええと……さっきの方、エレニさんは?」
「その時一緒にいましてね。そのまま着いてきてもらったんです。人が多いほうがいいと思ったので。」
「なるほど……。ええと、じゃあ、レミヒオくんはどうしてエルビラに……?」
「出発前にセルカ伯にお聞きになりませんでしたか。連絡役です。」
「あっ、そういえばそんなことも仰ってましたね……!」
スサーナは手をぽんと叩いた。そう言えばそんなことも聞いていたが、なんだか目まぐるしく忙しかったせいですっかり忘れていたのだ。
「聞きたいことはそれで全部ですか? 戻りましょう」
「ええと、はい。いえ、他にもあるんですけど、別にここでお聞きしなくてもいいものでした。他の皆も心配しているでしょうし、戻りましょう」
「他にも、と言いますと」
「ええと込み入った……込み入るかも知れない話で……」
「……わかりました、後で時間を取ります。」
レミヒオがジョアンを背負い、ネルがオビを背負って森から出る。
街の門のところまで来るとそこはもう大騒ぎだった。
どうやら先に戻ったミア達が魔獣が出たと警吏に知らせたらしい。
何でも彼女たちは立入禁止を知らずにベリー取りに入った学院に通う貴族の使用人に発見され、街まで送ってもらったのだそうな。
オビを背負ったネルが「寄宿舎の生徒達に迎えを頼まれた園丁」というていでのっそり警吏たちに近づき、森の中で魔獣と荒事屋が相打ちになっているのを見つけた、とそれはそれは迫真の演技で申し立てた。
ネルの見た目から――とはいえ髪はほとんど帽子の下だ――その話を疑うものが出やしないかとスサーナは少し心配だったが、先輩たちが確かにその人は学院の園丁で、探すのを頼んだと言ったこと、ガスパールとランドが先に魔獣の話をしていたそれとネルの描写が一致していた為に疑われることもなかったようだった。
レミヒオはその場に居た先輩の一人にさっさとジョアンを受け渡して、注目されないうちに姿を消す。
スサーナは興奮する警吏たちに、二人の荒事屋がかばって逃してくれたのだと嘘八百を述べ立てた。
オビとジョアンは番屋に運ばれ、薬師が呼ばれる一方、警吏達はおっとり刀で森に向かい、証言どおりの光景を目にしたらしい。
警吏たちは蜂の巣をつついたような大騒ぎになり、どうやら近隣の町などにも要請が周り、近々山狩りをすることが決まったようだった。
しばらくして目を覚ましたジョアンとオビはきょとんとしていたものの、警吏のおじさんたちや先輩方、ランドやガスパールやミアがかわるがわる荒事屋が庇ってくれたらしいという話を繰り返したので、とりあえずそれを信じたようだ。
「ぜったい死んだと思ったんだけどな……」
「ジョアンさん、触手でお腹を殴られて気絶したんですよ。薬師様によると大きな傷はないみたいで、良かった」
「ああ。うーん……まあ、そうなんだろうな……? でも、絶対腹をぶち抜かれたと……気がしただけか……? まあ、そうなんだろうな……うーん?」
「俺、あの化け物の中に人が取り込まれてるの見たんだけど……そっか、猟師の爺さんだったんだな」
「うん。爺さんの依頼で荒事屋が森に行ったらしい。3日帰ってきてないと聞いてたけど、爺さんの仇討ちに魔物を追ってたのかもしれないな。」
「相打ちか……感謝しなきゃいけねえな……」
その後、ランドとガスパールとオビは警吏のおじさんたちにこってり説教をされたようだったが、スサーナとミア、ジョアンは先に警吏に申し出てスルーされていたのが効いたのだろう。そこまで叱られもせずに寄宿舎に帰される。
とはいうものの、待ち構えていた寮母さんに一列に食堂のベンチに並べられ、結局三人も説教をされた。
「結局勝手に草刈りに行ったあいつらが悪いんであって、俺達は被害者……」
ぼやいたジョアンは夕食抜きの刑にされ、寄宿舎の食事に依存していないスサーナはなんとなく申し訳ないような気持ちになる。
「後で何か持ってきましょうか……」
「くれるなら貰う」
「あっ、ジョアンずるい!」
「ずるくないよ! ミアお前飯抜きじゃないじゃん!理不尽に飯抜きなのは俺! 俺だからな!!!」
寮母さんが行った後でぎゃいぎゃい騒ぎ出した二人を眺めてスサーナは思う。
――良かった。
もう二度とこういうやり取りも聞けなくなる瀬戸際だったと思うと今更ながら喉の奥が冷えるような思いだ。
――鳥の民らしいこと、なんて多分出来ないほうが良かったんですけど。これなら、まあ、仕方ないか。
「ね、ね、スサーナ、私も何か食べたい! スサーナの作るもの、美味しいんだもん!」
「俺の取り分減らそうとするなよ!」
仕方ないですねー、サンドイッチでいいですか、と言いながらスサーナは笑った。
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