第268話 番犬、能天騎士と邂逅する 2

 転がされた特務騎士を前に伝道師の一人が進み出る。


「この者が集会に紛れ込み、その後神殿の中を嗅ぎ回っているのを警備の者が見つけました」

「なるほど、一体何の目的で神聖な集会に入り込んだのです? 残念ですが、この神殿は清貧なる良き人々の集まり。こそ泥が喜ぶようなものはございませんよ」


 司祭の言葉に反応し、特務騎士殿は芋虫のように縛られたままで器用に長身の肩をすくめてみせた。


「こそ泥扱いとは心外だな。怪しいと言われればアンタ達のほうが数段怪しいぜ。……雑貨屋の婆さんから相談を受けてね。息子さんが怪しい奴らと親しくして家に帰ってこないっていうんで探しに来たんだがね」

「まだ言うか、いけしゃあしゃあと白々しいことを!」


 目を吊り上げた伝道師がその肩を蹴った。


「まあまあ、それが本当だとしても、その息子さんはご自身の意志でこちらにいらしたのです。ご家族に心配されるようなことはありませんよ」


 にこやかに言った司祭に別の伝道師が不服げに声を上げる。


「こんな怪しいやつの言葉を聞き入れることはありません」

「けしからぬ目的があるに決まっています」


 先の伝道師が壁際にあった棒を取り上げ、特務騎士の背を打った。鈍い音がして騎士が短く呻く。

 司祭は止めるわけでもなくにこやかにそれを見やり、何事もなかったように、控えた伝道師達を呼び寄せた。


「あとは任せます。私はすることがあるので、これで」


 司祭は部屋を出ると、歩みだしつつ伝道師たちにいくつか指示を出した。主に先程アブラーン卿との話題に出た、辺境の神殿についての話であるようだった。


「――この件は急ぎそのように。辺境で伝道を希望する者を募ってください。」

「はっ」

「あの、司祭様。あの者はいかがいたしましょう?」


 を尋問していたらしい伝道師達のなかでも地位が高いらしい一人が問いかけ、司祭は一歩分思案し、そして口を開く。


「そうですね。明日までは様子を見てください。誰か申し出るもの、心当たるものがいれば、注意をし、相談を受けるように。皆には友愛と連帯をよく説いて聞かせてください。申し出るものが居なければあれは始末するように。」

「わかりました。そのように。」

「分署の補給は十分ですか? そちらに回すかは担当の者の指示を仰いでください。」


 言ってどうやら司祭はそのまま雑務の指示を続けながら司祭室に向かうようだった。



 元の室内では、しばらく伝道師達は彼を恫喝し、責め立てるようだったが、特務騎士もさるもの、主張を変えることはなく、尋問役の伝道師の腕が疲れるのが先だったらしい。

 彼を転がしたまま、忌々しげに伝道師達は部屋を出、鍵を締める。


 ――さて、これはどうするか。

 隣室に潜んだネルは一部始終を目にしてそっと腕を組んだ。

 正直ネルとしては今そこに転がっている相手は死んだとしてもまったく惜しくなく、推移を伺えばより深く事情がわかるかもしれない、という利点もある。とりあえず始末の文脈でこれまで誰も口に出すことのなかった分署とやらがあることも分かったのだ。むしろ色々思い返すと溜飲が下がる気もする。

 ――怪しいのはよおく分かったが、もう少し掘りたいしな、ここで危ない橋は渡りたかないんだが。

 この中に溶け込み、司祭が伝道師たちに与える指示を聞きつづけるだけでも随分意味があるのだ。ある程度当たりをつけてからなら主が求める「彼らの危険性」も、なんなら詳しい今後の計画やら目的やらも調べやすくなる。

 だが、この厄介な特務騎士というやつは、どうやら彼の主の義理親父親の配下らしい。つまり、主を守るのには生きていたほうが役立つ。

 それに、なにより。彼のは彼が特務騎士を見捨てて死なせた、と分かればきっと――絶対に責めはされない、それは分かっている――悲しむだろう。


「面倒くせぇ……」


 ネルはため息一つ。小部屋のドアの前に伝道師の一人が残っているのを確認する。そして、広域の人の気配をそっと覗いだした。



 ◆  ◆  ◆



 フィリベルトは頬を石床に付けて転がる姿勢のままそっと四肢を確かめる。どうやら折れては居ない。彼を痛めつけた伝道師とやらは暴力を振るうことに躊躇はなかったが、効果的なやり方について学んだことはないようだった。


 ここ、と目星をつけた怪しげな集まり。

 彼は前回のことには関わっていないが、騎士団を騒がせ、そして先の襲撃に関与したと思われる邪教。その残党が組織したと思われる団体の集会に潜り込んだものの、少々詰めが甘かった。

 中に入り込めたまでは良かったものの、信者ではないとさっくりバレ、捕らえられてしまったのだ。


 ――いや、入れたからいいと言えば良いんだが。さて、威力調査でどこまで証拠が手に入るか、ってのが問題だな。

 彼が必要としているのは立ち入り調査に至る証拠だ。

 前の事件の再調査もいろいろな所が渋ってはかばかしく進まぬため、この度の調査のために彼や彼の同僚たちはそれなりの越権行為というやつを働いている。そのため、立ち入りに至るためにはそれなりのはっきりとした証拠が必要なのだ。

 ――しかし、いやーあ、まさか集会とやらに貴族が参加しているとはね。なかなかズブズブだ。

 しかもエステラゴに関わっていた若手貴族の一人だ。これはこれでちょっとした成果だが、同時にこちらの捜査をと上申しても、それなりに揉めるかもしれぬ要素でもある。

 仮にも王家が攻撃を受けたのにな、とフィリベルトは内心肩をすくめた。

 貴族たちの平和ボケもなかなかのものだ。

 運良く前の襲撃の際に王家の誰も被害がなく、貴族たちも死傷したものもない為に、喉元過ぎた貴族たちの多くはパワーゲームへの影響ばかりを恐れ、自分たちの失点や落ち度を対抗者に掘り返されることやら、上役やら上位の貴族やらのご機嫌を取ることばかり考え、決断的な行動を避けようとばかりしている。


 ぐっと筋肉に力を入れ、手首に巻かれた縄を意識する。

 ――やあ、ちょっと骨だな。

 フィリベルトは苦笑する。縄の縛り方はそれなりに得意な人間は居たらしい。

 彼は手を握っては開き、極力縄目に緩みをつくろうとする動作にまず専念した。

 しばし。筋肉の収縮を利用した作業の結果、わずかに縄が緩む。息を深く吐き出し、手首の縄を外す。

 目元に落ちてくる額の血を拭い、しびれを少しやり過ごしてから身体の縄を外していると、ドアノブがゆっくりと回るのが見えた。


 数瞬ののち、入ってきたのはまだ若い男だった。

 ドアの死角に潜み、彼の首を狙ったフィリベルトの腕は空を切る。

 使用人崩れめいた格好の青年が、予想外に機敏な動きで彼の腕を避けたのだ。

 ――まずい! 手練だったか!

 身を反らしてフィリベルトの一撃を避けた青年はしかし、叫び声を上げるわけでも反撃してくるわけでもなく、飛び退く動きとともにドアを閉め、彼の二撃を受け、いなしながら口の前で指を閉じ、「静かに」のゼスチュアをしてみせた。


 フィリベルトは彼の喉仏に突きこみかけた拳をぴたりと止める。

 青年はほっと息を吐くと、受けの姿勢をとった身体を少し脱力させた。


「やっぱりクソ面倒くせぇ……。」



 フィリベルトは呻いた青年を上から下まで見回した。

 やや背が高い程度、痩せ型で、穂草のような黄みの強い髪をしている。

 一瞬、彼と同じ特務騎士か、それに連なるものかとも考えたが、容姿に見覚えはない。


「ふむ。君は?」

「アンタをここから出しに来た。俺も訳アリでね。アンタにここで死なれても困るし、アンタに今ここをぶっ壊されるのもちと困るんだ」

「ふうむう」


 フィリベルトは顎を撫で、少し考える。


「とは言っても、こちらもなんの成果もなくただ脱出するだけ、ってのもな。詳しい話を聞かせてくれるかな!」


 にっこり笑ったフィリベルトに青年はちっと一つ舌打ちをし、ドアを示す。


「こっから出てからだ。見張りには寝てもらったが、そう長く保つ薬じゃねえ。……出る時は息を詰めろよ。アンタにまで眠られたら面倒だ。」


 息を詰めた彼がドアの向こうを確認すれば、確かにドア脇にずるずると座り込んだ伝道師は不規則な寝息を立てている。側の壁に作った突出し燭台の炎が妙な色をして揺れていたので、どうやら薬とやらはそれに投げられたものらしかった。


「なるほど、便利な物を持ってるな。」


 フィリベルトは周囲を伺ったらしい青年の後に続き、そっと部屋から抜け出す。思うことは無いわけではなかったが、ここでゴネても事態が好転するわけではない。むしろこれは思いがけない幸運だ。

 ちょっとした天の助けだな、と彼はひとりごち、そっと不敵に笑った。

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