契約式のこと。

第33話 契約式の準備をしよう 1

「おばあちゃん、こんな感じでいいですか?」


 スサーナはおばあちゃんに縫った布を検分してもらっていた。

 今縫っているのは自分の髪に巻く布だ。

 スサーナは、これを着けて契約の儀式に行くのだ。


 契約式は春の半ば……スサーナの感覚では4月の中日にある。


 ちなみに、この世界でも一年は12ヶ月だし、一月は30日前後だ。

 これは、かつて来た他の転生者の……?などと最初は思っていたが、太陽の位置の推移と月の満ち欠けが前世と変わらないのを知ったのでああなるほど自然太陽暦と太陰暦が発達する余地があったのか……と納得したスサーナである。


 このあたりでは4月は第二の花の月。ちなみに5月が第一の青葉の月で、7月が第一の日差しの月だ。このあと二ヶ月ごとに実りの月、枯れ葉の月、寒さの月となる。


 ちなみに街の人はこの暦で会話するし儀式なんかもこの暦に従うが、スサーナの家のお得意様の海で働く人たちは月の満ち欠けを使う暦を使うので、スサーナはたまに混乱する。



「ああいいね、これは悪くないよ、ちょっと着けてごらんスサーナ。覚えておおきスサーナ。つけた時を見なきゃあね、服ってもんはわからないよ」

「はあいおばあちゃん」


 スサーナはニコニコしたおばあちゃんに満足して、髪覆いを髪に巻いた。

 頭の前側にあたる部分は薄い明るい緑、側面は濃い緑と白の縞の染めにして、金色と銀色の糸で図案化した蔓草模様を刺繍している。

 本番ではこの下に下押さえの紫のちりめん風の布を重ねて付ける予定だ。


 この髪覆いはスサーナが発案したものだ。


 基本的に、普段つけるボンネットは白の木綿だ。元々の用途が、小間使いなんかをする人が髪が落ちないように頭を覆うものなので、衛生を重視するそこは当然というもの。


 普段はそれに特に文句などないのだが――白の木綿でも顔の周りにひだが取ってあってちょっと可愛くしてあるし――、契約式にどんなふうに髪を結っていくか、という話で講の女の子たちが持ちきりだ、という話をうっかり家でしたところ、叔父さんがなんとかスサーナの髪を豪華にできないかと頑張りだしてしまった、というのが今回のことの発端であった。


 最初叔父さんは、別に黒いまま結ったっていいじゃないかこんなに綺麗なんだから、と熱く主張し、どこからか綺麗なリボンと真珠やらトルコ石みたいな石やらのついた髪飾りを沢山買い求めて来て。

 それで注目されるのはスサーナなんだよ、とおばあちゃんにはたかれ、

 更にはスサーナ本人にちょっと長さが足りないのでと断られてしょんぼりしていた。


 あまり注目されたい性質ではないスサーナだったが、自分のためにやってくれているとわかっているものだからそう悪い気はしないし、しょぼくれている叔父さんをなんとか元気づけたくもあったのだ。髪飾り、もったいないし。


 実際、あれだけ偶然黒い偶然黒いと言い続けてきたのだからそのまま結うという選択肢も無いではなかったが、スサーナは昔から髪を伸ばしていない。


 おばあちゃんの方針で質実剛健、商家の子供なのだから貴族みたいに着飾る必要はない――普段は服もそうなのだが、講へは最初の数回はぐっと手のかかった衣装だった―― ということで、スサーナの髪は洗いやすいように短く切ってあるのだ。


 いわゆる切り下げ髪、前下りボブカットというやつでスサーナは結構気に入っているのだが、結うということになるとよその女の子たちの長い髪に一歩も二歩も負ける。


 そこで思いついたのが、髪を覆った布を豪華にする、ということだった。

 思いついた、というよりも、ふと、『あれ?そういえば中世ヨーロッパだと豪華な頭巾をかぶってたんですよね。やっぱりちょっと文化は違うんだなあ』と思ったのが発端なのだが。


 髪を結う代わりに、髪を覆う布を豪華にしたい、とおばあちゃんに相談したところ、なるほどいいことを思いついたね、と褒められた。聞けば、この国ではしないけれど、ちょっと離れた他所の国では柄のついた布で髪を覆うことはするらしい。

 詳しく聞いてみると、暑い国であるようで、ちょっとターバンとかヒジャブとか、そういう雰囲気の衣装であるようだった。

 新ムーブメントを巻き起こせるのでは、とどきどきしていたスサーナは、なあんだ。とちょっと残念だった。やっぱりどこでもそういうことは思いつかれているものなのだ。

 まあ、逆に考えて、近隣の国である習俗なら全く新しいものよりも目立たないだろう。といいほうに考えることにする。


 それとなく聞いた感じ宗教上の風習、というわけではなさそうだし、どうも神様が実在するらしいこの世界、戒律の解釈の違う一神教というやつはなさそうなので不謹慎だと責められることはなさそう。そう判断したスサーナは晴れ晴れとどうデザインしたら可愛いかを考え出した。


 そうしてデザインした布を染めてもらって、縫いだしたのが一月前。

 ややこしい刺繍も多かったが、自分でデザインして自分が晴れの日につけるものなのでさほど面倒ではなく、楽しく縫い上がって、完成したのが今日だった。

 まだ本番までには半月ほどある。ここまで刺繍が出来るようになるとは、とスサーナは面映い思いだった。しかもまだ10歳なのだ。これは刺繍の大家になれてしまうかもしれない。


 下抑えの布でしっかり髪を巻き込んで留める。その上からふわっと刺繍した布を巻いて、紐とピンでシルエットがかっこよくなるように数カ所を留め、端はふわっと肩の周りに垂らす。


「あらあら、華やかじゃないか。」


 おばあちゃんが目を細めた。


 本番はこの上にさらに叔父さんの買ってくれた髪飾りを留めるのだ。スサーナは自分でも鏡の前でくるくる回りながら検分して、ドレープの優雅さと刺繍の光沢の出方に満足した。

 ――うん、キラキラしすぎず、地味すぎず、いい感じ。

 なんとはなしに衆目は集めたくないスサーナは、あんまり派手すぎるのは嫌だった。かといって叔父さんがしょんぼりするぐらい地味なのも駄目だ。これはしっかり上品で、綺麗で、かつ目立ちすぎずちょうどよく思えた。


 ――ただ、実は上布の下にもう一枚レースを重ねたいんですよねえ。


 ここでは実はレースというものをほとんど見たことがなかった。布にする精緻な刺繍もレースも似たようなものだと思うので不思議だったスサーナだったが、

『そういえばおばあちゃん、ほそーい糸で作る編み物……模様とか織り込んで、糸と糸の合間に隙間をつくるのって、ないんですか?』

 そう聞いてみたところ。形ある刺繍のように特に禁忌というわけでもなく、手がかかるし引っ掛けたりほつれたりですぐにダメになる、さらには似たような視覚効果なら、上流階級には布をたっぷり使って重々しいほうが人気で、布の上に精緻な刺繍を刺すほうが好まれる……ということで廃れた……というより、今のスタンダードなファッションでは使わない、ということがわかったのだった。

 昔作られていたのは多くは網状のもので、房飾りの延長として使われていたらしい。

 冬の毛糸で作るものなら円形を多用した似たような模様のものがある、ということがわかったスサーナは

 ――今は間に合わないけど、細い絹糸で編めば多分レースになる……!

 完成するのは来年か再来年か、とりあえず外出用のレース編みを作ろう、と決めた。

 時代遅れでも自分が可愛いと思うデザインにしたいし、重ねた部分にレースが覗くか否かなど、どうかんがえてもそんなに注視もされやしないのだから、自分の気分がアガるようにするのが重要である。


 紗綾だった頃……中学生の頃に、ご多分に漏れずかぎ編みとマフラーに手を出したことがあった。誰にあげるわけでもなく、情熱が続かず、体調も崩しがちだったことで途中で放棄してしまったけれど、いまならあの経験が活かせる気がする。こっちにある既存の編み方を学べば、うまく応用してレース編みみたいなものを作れるのでは。そうそっと拳を握りしめる。

 前世に比べればだいぶ布や糸に親しみを持ったスサーナだった。


 なんといっても髪覆いがだいぶ優雅に出来たのだ。後必要なのは可愛らしさだ。そう思う。この刺繍とドレーブの下からレースの繊細なひらひらを覗かせたかった。

 ――でも、今からレース編みをはじめたら、どう考えても数年はかかっちゃいますよねえ。

 スサーナにはそれが少し残念だった。数年後だと、今作っている同じ髪覆いを使っているかどうかわからない。

 ――ううん、いっそ間に一番薄いシルクを挟もうかなあ。端をなみなみにして……ん?


 はた、とスサーナは気づく。


 ――カットワークなら行けるのでは!?!?!?!?


 そのなみなみにした布のフチをかがって、内側に刺繍をしたあとで刺繍ぶぶんをさらにかがり補強して。布を抜いたらカットワークレースみたいになるのではないだろうか。難しいのじゃなくてフチのかがり縫いと内側に涙滴型に穴を3つずつ、あと簡単な模様なら、いまからでも間に合う……かもしれない!

 糸だけで作るレースよりも多少重々しくなってしまうのは残念だが、布を抜いて空間を見せる可愛さはふつうの布を重ねるよりある。


 布は……ある!ヴァジェ村で毎年買い貯めている薄い特産品のシルクが!


 スサーナは、髪覆いを外してちゃんと仕舞ったあと、心ここにあらずで後始末をして、それから、おばあちゃんにおやつに誘われたのも断って、大急ぎで自室に走っていった。


 ――カットワークレース!これしかない!!

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