第32話 後日談、ヨティス。(ややこしい事情など)

「この度は良いお取引が出来ましたこと、心から感謝いたします」

 ミロンが売買成立の決まり文句を言う。

 ヨティスは目を伏せたまま立ち上がった。巻いた契約紙が相手に渡される。

 奴隷の売買契約の成立だった。




 次にミロンが連れてきた初老の男はなかなかの好条件だった。


 珍しい見た目の従僕を探している好事家の貴族。地位の高さも悪くなかった。参政権を持っているだけではなく小荘園さえ支配していたし、領主に謁見する資格もあった。


 ヨティスは穏便に、簡単な計算ができること、5国の言葉を話せること、商用文の読み書きならば三国が可能だということを示し、ついでヴァリウサの隣国アウルミアの詩を吟じてみせた。

 貴族は目を輝かせると、いくつか健康上や礼儀作法などの質問をし、如才なく答えるヨティスをますます気に入ったようだった。そうして早々に購入が決まったのだ。


 普通はこういうものだよな、ヨティスはそう思い、裏手で二人きりになった際に引き渡し前の契約紙を用意しているミロンに問いかけた。


「滞りなく進みそうでよかった。しかし……さっきの奴はなんであんな……」


 わずかに恨み言の色を載せた言葉に、ミロンは苦笑する。


「条件だけは最高に近かったんだぜ。本土貴族の五男。まあ数代前から没落してて、先代できったねえ商売でようやく盛り返したって家柄だけどな。母親の実家は聖職諸侯とも繋がりがある。なにより領主ご次男のお気に入りで、一緒に島入りしたんだと」

「なるほど、手っ取り早かったか……でも、あれはごめんだ」

「まあなあ。アレじゃ早晩なんぞトチって飛ばされるか首が飛ぶかが関の山だと思うけどな、でもなあアレがお気に入りってんだから、まあ……」

「公益性のありそうな仕事でなにより。」


 ヨティスは肩をすくめた。



 ヴァリウサの東岸、塔の諸島を含むエステラゴ領は今、二人の後継者候補が家督を争っていた。10年前の出征で体を壊した当主は数年前から公の場に姿を見せなくなっており、そろそろではないか、と噂されていた。


 兄のアドリアンは隣国パレダの有力貴族から輿入れした第二夫人の息子であり、弟のクリスティアンは国内他領の貴族の血を引く正妻の息子だった。


 どちらにも後継に足る要素があり、どちらも後継に押す親族が存在する。

 その矢先だった。クリスティアンが父の名代と名乗り、塔の諸島にある別宅に滞在すると公表したのは。


 一見都市伯として争いから退いたとも見えようが、島しょ部を除けば中領地であるエステラゴ領が大きな発言力を誇るのは、巨大な海運港でも、豊富な水資源のためでもなく、うるわしの内海の真珠と呼ばれる塔の諸島をその内に持つためだというのは貴族たちの間では暗黙の了解だった。代々の領主が「君臨すれども統治せず」いや、敬して触れずの態度を取り続けていたとしても。


 体面上は無領地という扱いながら各人が大貴族と同じ発言権を許される魔術師たちとその生成物を抱き込むことで事実上の領主代理と振る舞うつもりなのだろう、と多くのものは考え、実際そのつもりなのだろうと思われた。

 塔の諸島以外の国内に魔術師は少なく、その恐ろしさを知るものもまた少ない。


 立法上はなんら問題なく、現状変わるものも貴族たちの目だけではあったが、アドリアンとその後援者たちはそれを重視した。後継争いでは誰が誰につく、というような風評がなによりものを言った。


 ゆえに、アドリアンが領主になり外交の太いパイプを持つことを望むパレダの親族が暗殺士を雇うのは必然と言ってもいいことだった。



 そうして雇われた一人がヨティスだった。

 他にも顔も知らぬ同業が幾人も入っているはずだ、とヨティスは知っている。

 期限はどうやら大体五年。領主が逝去するまでそのぐらいだろう、と依頼人の貴族が言ったということだった。


 ヨティスの氏族は暗殺を生業としている鳥の民だ。

 通常、貴人の殺害は大三項に反するために間接的なものになる。そこを直接に殺すことが出来るのが契約を行わぬ鳥の民の強みだ。

 数年もの間潜伏し、少しずつターゲットに近づいて、察されぬよう殺す。そういう仕込みの必要な暗殺をヨティスたちの氏長は計画し、指示し、それによって闇の社会に深く根を張っていた。



「可愛げがないよなあお前ほんと。」


 ミロンはため息を付き、ヨティスの喉周りにかけた幻影の術を掛け直した。


 青帯が一瞬揺らぎ、なんの痕もない白い喉があらわになる。

 そして、薄い光が喉を取り巻くと、奴隷の印の青帯がしっかりと喉に刻印されたように見えた。


「よし、完成。これで数年は固定される。じゃあ頼むぜ、鍛錬に夢中になって仕損じるなよ。期待してるぜ氏長の秘蔵っ子よう」

「当然。」


 青帯を行った安全な混血の従僕として貴族に使われ、ターゲットの傍近くまで近づける立場を得て暗殺を行う。息の長い依頼だが、そういう仕事もあると教えられてきたのでヨティスには驚きはない。ただ、五年もの間雌伏する必要があるかも知れないというのは不満だった。その分技を磨く時間が減るからだ。

 急いてチャンスを逃すことはするつもりはなかったが、済ませられるならできるだけ速く済ませたい。

 生きるための生業に技を振るうのは仕方のないことではあるが、呪司王の侍衛であったという氏族の本来の役目は忘れないし、技を磨くほうが暗殺士としての職務よりずっと重要だ。そうも思っている。

 それが11の少年であるヨティスのわずかばかりの子供らしさと言っても良かった。



「あ、あと女の子にもさ、うつつ抜かすんじゃねえぜー、へへ。今日の子はちっと綺麗だったけどよ、お前があんだけ怒るとは思わなかったぜ」

「アレはそういうのじゃない。」

「じゃあなんだよう」

「……知るか。」


 ぷいと顔をそらしたヨティスは、オイオイオイーと騒ぐ年かさの氏族ミロンの、幻影で色を変えた髪を強く引っ張る。ミロンはヨティスにとっては兄のようなものだ。

 しばらく騒いでからミロンはヨティスの頭を撫でた。


「そんじゃ気をつけろよ。7日に一度伝令に来る。」

「ミロンも気をつけて。」


 初仕事がミロンとの組み合わせでよかった。ヨティスはそう思う。

 互いの今後の経歴に傷をつけぬよう、ここからは仕損じはせぬようにしよう。静かにそう決意して、従順な従僕の表情を貼り付けて、ヨティスは奴隷商の顔をしたミロンと引き渡しの場に歩いていった。



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