第339話 偽物侍女、鳥の民と密談する。

「その、僕が居ると気づいてらっしゃったんですか?」


 左右をせわしなく確認し、周囲に会話が見咎められないことを大急ぎで確認したと思われる侍従の少年にぱぱっと中庭の奥に連れ込まれ、スサーナはにこにこする。焦ったりチベスナになったりするレミヒオくんはここのところあまり見ていないので、こんな状況とはいえちょっと和むのだ。


「いいえ、レミヒオくんにご用事を思いついたところだったんですよ。これいじょうないという良いタイミングでしたね」

「ああ、そうだったんですね。とうとうスサーナさんに気配を読まれるようになったかと、驚きました。」


 眉を下げて笑ってみせたレミヒオにこのままカリカ先生の特訓を受けていればいつかは、とちょっとした虚勢を張って見せつつ、スサーナはひそひそ話の態勢に入った。

 ビセンタ婦人がなんとなくきな臭く、そちらを警戒するようにとセルカ伯経由でお父様に注意喚起をしてほしい、と言われたレミヒオはふむと顎に触れつつ一思案したようだった。


「確かに女官たちに関わるほうへの注意はあまり払っていなかったですね。しかし、そう思われた理由をお聞きしても?」

「ええと、全部はお話できない……んですが、彼女はアブラーン卿と親しげにしていました。あと、ザハルーラ妃に普段からそういうことをしていて、いつもの嫌がらせだと皆看過するような方のようですけど、今わかりやすくいつもの嫌がらせをザハルーラ妃にしていて、いつものものだと皆思っているようですが、そのやり方がほんの少し過激で謀反を企む方々に有用でも気にされないというのは、もしかしたら危ういのかなと。」


 ラウルもレオくん本人もそう気にはしていなかったけれど、今日漏れ聞いた話では、乙女探しのビセンタ婦人のやり口はすこしこれまでに比べても過激であるようだ。

 ――最初に嫌がらせの話を聞いたときにも思いましたけど、夏の事件の後に過激にそんな事する得なんか、あるんでしょうか。レオくんは夏の事件のイメージが軽く見られていると言うことで納得していましたけど。

 我が強く、気性が激しく、嫌がらせを好んで行っていることはとても間違いないのだけれど、同時に損得をはかる聡さはある女性に思える彼女がむしろ大人しくしていたほうが得をしそうな情勢でやり口の苛烈さを増す理由は、堪え性がなかったと考えるよりも、関与があっての上での必然と考えるほうが通りがいい気がするのだ。

 そうレミヒオに説明し、それなりに納得した様子を確認しながらスサーナは少し言葉を切る。

 ――偽文書らしきものが棚の中にあって、勘だけどそれに婦人が関わっている気がする、というのは……今伝えずともいいでしょうか。

 このあたりはスサーナの中では確信に近い感覚を覚えた部分ではあるものの、王宮内で使える紙に関われるというところからそんな気がするというばかりの話でもあるし、洗いざらい説明すれば、サラの方に注目する話になる。

 ――レミヒオくんには話してもいい気もしますけど……。セルカ伯だってお父様の部下であるわけなんですよね。

 どちらにせよ、警戒の穴の可能性があるのはビセンタ婦人で、サラはもう警戒されているうちに入っているのだし、個別の例を挙げるかどうかでプロの警戒にそんなに差異が出たりはしないだろう。

 そっとスサーナは悩み、もう少しだけ、を完遂することにした。



「それでは、私はもうすこし雑用をしつつお話を聞いて、それから屋敷に戻りますね。……あ、そういえば、もう三日鍛錬がないですけど、カリカ先生は怒ってやしませんか?」


 後のことを頼んでの別れ際、今夜は鍛錬があるだろう、と思って、また後で、の挨拶を口にしたスサーナはなんの気なしにレミヒオに問いかけた。年が明けるまでは多分今夜あたりが顔を合わせる最後の機会で、となるとカリカ先生は――不可抗力であるのだが――鍛錬を年明けまでほぼしないことについてご立腹かも知れぬ。もしかしたらスサーナの知らないところで大量の宿題計画などが進行しているかもしれない。そう思ったのと、ここのところ考えていた魔法についてアドバイスが欲しかったのだが。


「いえ、僕もこの数日はカリカ師とは顔を合わせておらず。」

「えっ、そうだったんですか? なにかご用事で出かけられてでもいるんでしょうか」


 目を丸くしたスサーナにレミヒオは曖昧にうなずく。


「多分そうなのではないかと。……あの方は自由ですからね。僕の方は鍛錬に伺っていい時にその旨の合図がされるだけなので……」

「そんな仕組みだったんですか……? 正直、鍛錬計画なんかはレミヒオくんやネルさんと共有されていたりするものかと思っていました……」

「伺ってもいいとき、手伝うことがある時には知らされるだけです。予定を共通することもありますけど、スサーナさんの鍛錬についてはカリカ師とスサーナさんの契約なので、カリカ師の領分ですからね」


 そういうものなのか、とスサーナは一つ瞬いた。実のところ、この鍛錬は氏族とやらの制御下に多少はあるものではないのかと思っていたのだが、予想以上に管理されていなかったらしい。

 ちなみにスサーナからカリカ先生への連絡は、基本的には庭先に出しておく符丁で行われるため、どこに居るかわからない時、急に面会してほしいというような用事であると無力である。スサーナがネルと共有している連絡紐飾りは、どうも慣れない者があまりたくさん一度に運用するとよくないとかで、カリカ先生の分は渡してもらえなかったのだ。

 なにかの折に、魔術師にはとても簡単で便利な連絡手段があるのだ、とカリカ先生に懇懇と語っておくべきだったのかもしれない。


「正直、ネルさんの鍛錬のお話を聞くだに、氏族……とか、氏長、とか? そういう方々が予定なり進捗なり、把握されているものかと」

「そういう学び方をするものもいますけどね。スサーナさんは少し特殊な立ち位置ですし……そうでなくても、カリカ師は……自由な方なので……」


 内弟子として抱え込んだ相手の予定を氏族に流してくれるようなことはないのだと言われ、おやでは自分は内弟子という扱いということになるのだろうか、と少しいい気分になったのもつかの間、スサーナはふうむと思案する。


「となると、カリカ先生がいらっしゃる予定はわからない……ということなんですね……。今日を逃すと年明けまでお会いする機会は無さそうですよねえ。」

「なにかご用事でも?」

「はい。すこし相談があって。魔法の使い方なんですけど……ネルさんでもいいかとは思うんですけど、今戻ってきていただくのもよくないと思いますし」


 そう言うと、なぜだかレミヒオはたじろいだようだったが、一体どのような葛藤があったものか、ふるふると首を振ると決然とした表情をする。


「あまり複雑なものは無理ですが、僕でも多少の助言ぐらいでしたら。」

「む、でも、セルカ伯のお宅も忙しいんじゃありませんか?」

「ええ。ですので、伺えるのはいつも鍛錬が終わるぐらいの時間になると思います。……ですので、洗浄の刺繍の新しい工夫でしたら、効果減衰の時間を考えると後日のほうがいいかも知れませんが……」


 ――ああ……やっぱりまだ苦手意識がついておられる……。

 ハッカ臭をはじめ、思いつきで洗浄用の刺繍に加えられそうなアレンジを時々試させてもらっていたところ、レミヒオくんにはひきつづきすっかり警戒されてしまっている。洗浄魔法のテストの気配を感じ取るとものすごい顔をされてしまうので、スサーナはレミヒオくんが何を警戒しているのか、その分野では察せるようになった気がする。


 ――この間の炭酸風呂イメージのアレンジは……カリカ先生は疲れも取れて悪くなかったと言ってらっしゃいましたけど、魔法であるせいかお湯なのに完全に強炭酸でレミヒオくんは叫んでましたものね。それとも、その前の逆に染色できないかと試したのが失敗したのがよほど悪かったんでしょうか。


 その時は、カリカ先生がするような技術よりの変装を魔法の助力で出来ないかと試したものの、ちょっと風呂桶いっぱいの染料のイメージが悪く、ペンキをかぶったような状態が維持されたのだった。洗えばちゃんと洗い流せたのが不幸中の幸いだったが、色づきが明確にわかるようにとカリカ先生にアドバイスを受けて設定したショッキングピンクカラーは失敗を警戒するのならばすべきではなかった気もする。結果、二度目のチャレンジにいたるまでの心理的障壁が高く、超自然の働きがあとに残らずに均一に肌を染めたり一時的に髪を染めたりする魔法――つまり、染料を作成して塗る手間だけ代行されればいいと思うのだが――は未だ不成立である。

 スサーナの名誉のために言うと、鍛錬中に理論だけを説明したところレミヒオくんを実験台に指定したのはカリカ先生であるので、後日、余裕ができた暁にはレミヒオくんのトラウマ払拭にはぜひ協力してもらいたいと思う。


 レミヒオくんがあまりにも悲壮な顔をしているので、だいぶ慣れたのでもう滅多なことはないし、そもそも今日相談したいことはそれではないのだとスサーナは力強く表明しなければならなかったことである。


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