第340話 偽物令嬢、王子様をいたわる。

 ギリギリ妃宮からだと言ってもおかしくない時間にスサーナが帰ってくると、使用人たちがやや活気づいていた。

 ああ、とスサーナは思う。最近使用人たちがこういう感じに気合を増すのはレオくんが「帰ってきている」時だ。

 きっと、乙女探しに付随するいろいろをごまかすために王宮から離れて避難してきたのだろう。

 即時通信がないこちらでは、その場にいない、ということで有耶無耶に出来ることはたくさんあるのだ。

 ――多分今日はいらっしゃると思っていましたけど、少し早めの時間ではありますし、ご飯は一緒に食べられるのかな。

 とりあえず挨拶をと、レオくんがいると聞いた小居間に向かう。


 そろりとドアを開けて中を伺うと、部屋は静かなようだった。

 ――おや? 別の部屋でしょうか。それともまた寝てるのかな。

 乙女探しでガリガリに精神が削れた状態で一日忙しなくしていたのだろうから、また寝落ちしていてもおかしくない。

 とすると、起こすかなにかせねば風邪を引いてしまうかもしれない。スサーナはそう考え、ドアの隙間からするりと部屋に滑り込んだ。


 小居間と呼ばれる部屋はいくつかあるが、そのうちでもそこは冬の最中に暖まるための部屋の一つで、貴族の居室のうちでは格段に狭い部屋に、厚く絨毯を敷いた床に飾り棚、それと作り付けの暖炉に向けた低いテーブルと長椅子。

 熾火が静かにパチパチと鳴る暖炉のぼんやりとした炎の色を逆光に、大柄な影が長椅子を覗き込んでいる。

 ――おや。

 スサーナが目をぱちぱちさせて視界をはっきりさせると、それは出仕の格好のままのお父様で、毛織の大判のひざ掛けをばさりと広げて、キャラメル色の髪を長椅子の肘掛けに押し付けた格好でくしゃくしゃにしながらすうすう寝息を立てている誰かにそれをそっと掛けるところであるようだった。


「旦那様」

「ああ、お起こしする必要はない。ずいぶんご無理をさせたからな。食事まで寝かせて差し上げるように」


 部屋にやってきて主人がそうしている事にちょうど気づいた、という雰囲気の家令が側に歩み寄るのに低く声をかけ、起こさないように用心しているらしい動きで肘掛けと背もたれの合間に引っかかっているレオくんの髪を整えてやる様子のお父様を眺め、スサーナはそうっと後退りして、配慮に欠ける音など立てないように気をつけながら廊下に戻る。


 ――そういえば、島に一緒に連れてきたぐらいなんですから、政治的な要件で養子縁組が必要だというだけじゃなくて、レオくんのことは家族としてとても大事なのは当然なのだった。

 頷いて、とりあえず先に着替えに部屋に戻ることにする。


 着替えさせてもらい、こっそり洗浄の刺繍を使いぼろぼろになりそうだった肌をなんとかリカバリしてから、レオくんの方に使用人たちの意識が向いているのをいいことにちょこちょこと雑事を済ませる。

 ぐっすり寝入ったレオくんに料理人が配慮したのだろうか、晩餐の時間ですと声がかかるまで、いつもより一時間ばかり遅かったようだった。


 夕食の席につくと、今日は流石に家でする仕事もあるからとお父様も一緒の食事の席についており、スサーナにしてみれば眼を見張るような健啖っぷりを発揮した。


「殿下。もう少しおかわりを持ってこさせましょう」

「ギリェルモ。そう言って、自分が足りないのじゃ?」

「ははは、バレていましたか。爺に給仕たちは厳しくて、殿下を口実にでもしないと食べ過ぎだとおかわりを減らされるのですよ」


 ――領地の仕事とかがあると仰ってましたけど、この間は向こうに持っていかせていましたし、口実で、レオくんが心配なんでしょうねえ。


 給仕が持ってきたおかわりに、なんだかんだいいながらレオくんが手を付け、美味しそうに頬を綻ばせるとお父様はなんだかすごくホッとしたような目をするのだ、ということにスサーナは気づく。


 ――うん。レオくんはとてもお疲れ様だし……、お父様もレオくんのことがとても大事そうなのに囮にしなくちゃいけないんですものね。大変。大変だ。

 大人たちの思惑がうまくハマって、レオくんのこの苦労が報われてはやいところ安全になればいいと思う。

 そう考えつつ、ちょっとスサーナは良心の呵責に遠い目になった。

 ――だからこう、わかったことは早く洗いざらい話しておくべきなのですけど。ビセンタ婦人のことはレミヒオくんから伝わりますし、ネルさんの話はフィリベルト様から回るでしょう。サラさんのことは明後日には全部話しますし……、それでまだ間に合いますよね?

 どこかで線を引かねばならず、それは早い方がいいとはわかってはいる。それでもきっと、スシーとしての関わりからの接触が出来るのには得もあるのかもしれないから、まだ最後のラインではないということにさせて、どうか後少しだけ許されないだろうか。


 ――いえ、まあ、というか、そもそも私は計画の説明などもされていませんし、していけないこともしなくてはいけないことも指示もありませんので、本来、何もしないでも物事は回っているはずですから。

 きっと大人たちはサラが被害者だろうが加害者だろうが問題ないように包括的に事態を用意しているはずなので、常識的に考えれば、スサーナが多少注意喚起をするかしないかでそこまで事情は変わらないはずなのだった。

 ここ何日かで幾度唱えたかわからない大義名分をもう一度胸の中で繰り返し。それでも、一応、明後日チャレンジしてみて駄目そうならちゃんと諦めよう、スサーナはそう胸の中で呟いた。


 食事の後にさりげなくレオくんに声をかける。


「レオくん、この後ご予定はありますか?」

「スサーナさん。いえ。今日はもう寝てしまってもいいので、暇なんです。どうかしましたか?」

「いえ、ええと、でしたら少しだけお時間を頂いてもいいでしょうか? 大したことではないんですけど……」

「改まって聞いてくださらなくても、スサーナさんがご用事があるのでしたら喜んでお付き合いします」


 とても疲れているのだろうに、感じよくそう言ってくれたレオくんにスサーナは心からの感謝の意を捧げつつ、部屋に下がる前に少し小居間で待ってもらう、ということになる。

 では、ということでぴゃっと自室に走ったスサーナは荷物をひっつかんで戻った。


「おまたせしました! いえあの、本当に大したことではないのですけど、これをお渡ししようかと思いまして……!」


 これは、と不思議そうな声を上げたレオくんの手の上にぽてんと置かれたのは小さな包みだ。それを開くと中に入っていたのはこれまた小さなボール状の布の塊だった。


「これは……ボール、ですか?」

「あっ、いえ! あの、ポマンダーなんですよ。ええと……」


 スサーナが渡したのはオレンジを象ったぬいぐるみの中に干したオレンジの皮とクローブが詰め込んであるもので、この時期作られるフルーツポマンダーを模した布飾りだ。布と糸を使って何かの形を模したものではあるが、別にぬいぐるみは何らかの禁忌にはあたらない。

 冬至の時期には布飾りを飾るし、魔除けとしてフルーツポマンダーを贈り合うことも一般的だ。作成するのにだいたい一月掛かるフルーツポマンダーに対し、布で形を模したものに干した皮と香辛料を詰め込んだ飾り物は、やや本気度が劣るというべきか、冬至に向けての気合が足りないというか、ぐっとカジュアルなもの、という位置づけだ。

 これなら汁も出ないし、晴れて乾いた日を狙いながらひと月かかることもないので、気軽に思い立ったら作れるため、乙女探しに挑むレオくんにお守りにいいと思ったのだ、などと説明しつつ、実のところ、スサーナの狙いは別のところにある。


 常民の皆様はご存知ないことだが、常民一般の理解である「漂泊民の魔法は見えるところに刺繍があって使われる」というのに反し、鳥の民の糸の魔法というやつは表にモノが出ていなくても機能する。もちろん、術者の集中が必要なものは集中の取っ掛かりとしてその刺繍が目の前にあることが大きな助けになるのだが、いわゆる守り刺繍というものはまた別なのだそうだ。

 ――守り刺繍を縫うようなひとはとても強いし、誰かが誰かに授けるものなので、縫ったという事実とお守りを渡す人が認識するということだけで十分だとか……。

 十全に理解したとはいえないふんわりした認識だが、ともあれ働くとわかっていればこちらのものだ。

 ――カリカ先生に貰った魔獣避けの刺繍、レオくんに渡ったら安心度が高いと思っていたんですよねえ。

 これまで、どう持たせたら怪しまれないか、と考えていたものの思いつかずいたのだが、乙女探しの会場に飾られた布飾りを見てこれはいけるのではないかと思った、という次第だ。


 乙女探しでなにかあるとして、スサーナが警戒する思想汚染と、多分護符で防げる直接加害以外を考えるなら、ありそうなのは魔獣再び、というものだろう。王宮の守りが低下している、というのならその狙いが一番高い可能性のはずだ。

 良くは分からないが、大人たちの策にはいくらなんでも魔獣に加害されるというのは含まれてはいないだろうから、ここで魔獣がちょっと忌避する効果の刺繍をレオくんが持っていても計画に支障はないはずである、とスサーナは思う。

 ――ええと、守りを強めた時に鳥の民の魔法が弱まるかもしれないと言われた、のだから、守りが弱まったときはむしろ鳥の民の魔法は働くかもしれない、んですよね。

 それに、糸の魔法なら、洗浄の刺繍を王宮内で幾度も使っていて、効果が阻害されないのは確認済みなのだ。

 鳥の民の――多分、糸の魔法の分類を考えればカリカ先生はとても強大な――女性の作る、特別な刺繍。全ての力を果たしたとは言いかねる現状の対処への埋め合わせとしても悪くない物品と、背負うリスクであるはずだ。それを言語化出来てしまっていると、言い訳は十分効く手段にすぎないし対価を背負ったからなんだという思考までしっかりたどり着けるので、ちょっと罪悪感はあまり軽減されないわけだが。



 王都に戻る際にスサーナがしょべしょべになっていたところ、ネルさんがそれを人間魔獣吐きポンプのトラウマだと解釈してカリカ先生を説得して作ってもらったのが魔獣避けの刺繍だ。全く関係のない理由だったので心苦しかったが、用途外ではあるのだろうが大活用できそうなのでいいことにしてほしいと思う。カリカ先生としては氏族外で役立つのも癪かもしれないが、まあそこは目をそらしておく。

 香炉が縫いとられたその小さな布を、万が一にも見つからないようにポマンダーの芯――丸めた布を重ねて糊で固めている――に思いついて仕込んだのが今日帰ってからのこと。変装用に使う糊で端切れを浸し丸めて、火鉢で水分を飛ばすことでがちがちに固めたものをさらに糸で巻いてボール状にしたもので、さらに飾りの様式上、その上に羊毛を巻き、クローブと皮をそこに刺したり固定したりしたものを更に外装に入れるというもので、よほどそのつもりで検めなければバレるものではないはずだ。

 あまり人には見せられないセットということで、そっと万難排除などと縫った布テープのかけらも混入してみたが、これは別に血を染みさせた糸でもなんでも無いので、ただの気分である。



 手の上に載せたオレンジ風の布玉をためつすがめつし、レオくんはなんだか目をキラキラとする。


「あのっ、もしかして、これはスサーナさんが作ってくださったのですか?」

「ええ、はい。こちらでは冬至には家族が健やかに過ごせるように、作って贈るものだと聞きまして。幸運のお守りでもあるそうなんですよ。でしたら、レオくんを励ますのにいいかなと。貴婦人の方々は枯れ葉の月に入る前に作り出すそうですけれど、知らなかったので、本式のものでなくてお恥ずかしいんですけど……」


 よろしかったら乙女探しのときにでもお守りにしてくださいね、と言えば、レオくんはぎゅっとそれを握り込んだようだった。


「ありがとうございます。ええ、とても大切にします……!」

「いえあの、そう大事にしていただけるようなものでもないんですが、ええ、縁起物ですしね……!」


 今日の体験はさぞ過酷だったのだろう、とスサーナはその喜びようを見て少しホロリとする。これは些細なお守りだとか、ちょっとした声かけだとかが沁みてしまうレベルの精神ダメージを受けた人の反応だ。なんならちょっと目が潤んでいる気がする。

 モノとしてはそう大事にしてもらうようなものではないのだが、中身は貴重も貴重な秘術的なものであるので、こうして喜んでもらえるものであったというのはよい傾向だ。これならどこかに放り込んで忘れるということはされず、まあ必要な局面においてお守りとして所持されているという期待が持てる。

 うむ、とうなずき、スサーナは流れもいいことだし、と次の用件を口に出す。


「その、今日は……本当にお疲れ様でした。明後日と、あともう一度ある集まりではああいうことにならないようにと些細ながらお祈りを込めたりしましたので……。あ、後ですね、ええと、お風呂を良い香りにして浸かると心の疲れが取れるんですよ! 使用人の皆さんが許可してくださったら、明日とか、出来たら今日とかでも、お風呂にゆっくり浸かられるといいと思うんです」


 この屋敷には一応浴室があり、浴槽がある。

 簡単な時は部屋に水差しと洗面器を持ち込んで体を拭く、一段階本気の時は背もたれ付きバケツめいた持ち運びサイズのバスタブを部屋に持ち込み、腰湯程度にお湯を使う、という入浴方式をとりがちなこの本土ではあるが、少なくともこの屋敷では設備が皆無というわけではない。

 そして、スサーナとしては疲労した人間はたっぷりのお湯を使って入浴すべきだと思うのだ。

 女の子に囲まれて死にそうな顔をしていたレオくんを見ながらお風呂を勧めようと思った初志貫徹とも言う。


 ――使用人の皆さんにはご負担をおかけしてしまいますけど、まあ、そろそろ使う時期だって言いますし……

 貴族の館で浴槽に湯をたっぷり張るのは一般に年末の行事で、どうも聞いてみればそれは神殿で行う沐浴を簡易化した、というような感じであまりリラックスのためのものではなさそうなのだが、その前後には一度はしっかり浴槽に湯を張り使用に耐えるかどうかを事前に試す、というのも一般的だというので、それのスケジュールがちょっと狂ったぐらいの理解をしてくれたら有り難い。

 そのために普段使わない浴槽を掃除しておいたのだ、と告げたところ、レオくんは目をうるうるにしたまめしばになってしまった。


 きゅーんきゅーんとふるふるするまめしばにえへんと胸を張り、さて本日のレオくん関連の工作はこんなものだろうかとスサーナは考える。

 市販のレオくんが好きそうなカリカリしたお菓子も待機してくれるミッシィに頼んで買ってあったのだが、お父様にたっぷり夕ご飯を勧められたレオくんには甘いものは適していない可能性がある。適宜臨機応変に行動することは人をいたわる上ではとても重要なことなのだ。



「スサーナさん……。まさか、浴室を掃除してくださったんですか? 浴槽まで? あれはとても大変でしたでしょう。」

「いえいえ、家族のことですからね! ……ええと、前にいた所では家族で大変なお仕事をした人がいたらお風呂を綺麗にして浴槽にお湯をはるのが習慣なんですよ。お湯の中でリラックスして体と心の疲れを洗い流すんです。さっぱりすると気分も切り替えられますし!」


 とはいえ、いくら掃除なれしたスサーナでも、普段あまり使わない浴室を短時間で使用人たちにバレずに掃除し切ることは至難の業なので、これは洗浄の刺繍を応用的に使用したものである。肉体的労力は皆無、実時間はせいぜい10秒といったところだ。

 スサーナだけですべて完結させることができるならレオくんを口実に勝手に入浴が可能かまでを試しても良かったのだが、貰った水筒……魔術の水差しは水しか出せないと思われ、当然浴室の設備自体もお湯の水栓があるわけでも、沸かす機能があるわけでもない。浴槽はただの陶器の大きな器で、そこに他所で温めた湯を運んで入浴するシステムなのだった。


 なにやらこの会話には壁際に控えていた使用人たちも感じたものがあったらしく、ばっと部屋から出ていった侍従が浴槽の準備をと言いつけているのが聞こえたので、レオくんは今日中にお風呂に入れそうな次第である。


 使用人たちがそこからどう頑張ってしまったのか、一時間もしないうちに入浴の支度ができましたと張り切った使用人たちにレオくんは呼ばれていったので、多分今夜はレオくんはほこほこになってすぐ眠ってしまうだろう、とスサーナはうむと頷いたことである。

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