第252話 偽物令嬢、休日にダラダラする。
久々にとてもさっぱりした気持ちで、手をつける予定だった編み物を少し進める。
細いかぎ針を使うタイプのレース編みだ。何故こちらではあまりレース編みが一般的ではないのだろう、とスサーナは思う。服の構造的に前世ならレースばっさばさを組み合わせるぐらいのファッションの発展と一致しているぐらいだと思うのだが。
もっとレースが一般的なファッションに取り入れられていれば、ブリダにレースのヴェールを被って欲しい、みたいな乙女欲がここまでの苦労を呼ぶことはなかったのに。
ネット構造を編む編み図は存在するし、かぎ針編みは豊富だし、普通の布にレースめいた印象の刺繍を施すことはよくあるので、ちょっとなにかのきっかけが足りない、もしくは他所の土地ではやっている、というようなことかもしれぬのがだいぶもどかしい。国内で流行ってくれなければ、ブリダの婚礼衣装にヴェールが足されることはスサーナが完成させて届けないことにはありえないのである。
ともあれ、ひらひらの繊細なレースのヘッドドレスかヴェールを結婚式に使う風習がなんとか流行らないだろうか。いっそ公の娘であることを悪用して何らかのムーブメントをアレするのも一つの手かもしれぬ。スサーナはちょっとわるい顔で思案したりもする。
貴族の子女が優雅な刺繍をするのがステータスなら、なんかそういうアレでババーンとやれば一気にレース編みが貴族のお嬢さん方の嗜みになったりしなかろうか。
まあ、その手段はどう考えても10ヶ年計画とかそういう感じだし、都合よく婚礼に流行る下敷きがない――なぜだか足は隠したがるくせに、前世の一神教のように乙女はヴェールで顔を隠せという文化はない――ので、やや望み薄なのだが。
その後しばらく読書をしていると、昨日調べ物を頼んだネルが帰ってきた。
「ネルさん、お帰りなさい」
「ん。……珍しいな、こんな時間に着替えもしねえのは。体を洗って風邪でも引いたか?」
「今日の予定がなくなったので、そういう建前で楽な格好をしているんです。それより、どうでした? 頼んだことは……」
「ああ。大体このあたりでもお嬢さんの言ってたとおりのようだぜ」
予想があたった事にスサーナはニンマリする。
ここまでは当たりだ。この先もまあ大体当てずっぽうのようなものだが、思惑通りに進めばいいのだが。
まあ、ネルもミッシィもそのあたりのノウハウを持っている人間だ。うまく当たればきっとうまくやるだろう。
「じゃあ、ミッシィさんを呼んで作戦会議をしましょうか。」
隣の控えの間を覗くと長椅子でミッシィが安らかに眠っていたので、スサーナは少し笑って揺り起こす。
「ミッシィさん、すみません。悪巧みしましょう」
しばらく相談をして、必要要項を纏めた後で昼食をミッシィに運んできてもらうことになった。
ネルとミッシィにも一緒に食べてもらうことにして、三人分頼む。
この日の献立は
王都では結構粥を食べるようなのだが、スサーナのイメージするところとは違い、ポタージュスープの一種扱いなのだろうか。何故か大体パンが付く。見ているとネルもミッシィも特に違和感がない様子で薄く削いだパンにお粥を載せて食べるので、なるほど食文化……と思ったりもするスサーナだ。
米でも麦でもしっかり砕くか挽き割りにしたものを使うので、スサーナの米飯欲はいささかにも解消されないが、一つの料理としてちゃんと味は良い。
ミッシィが、ああこういうご飯って久しぶり、とうっとり息を吐いていたのでたっぷり食べてもらう。人と食事をするのは久しぶりで、人に食事を分けるのもそう言えば久しぶりだ。スサーナはなんとなくミアはお腹を減らしていなかろうか、と思いを馳せる。
昼過ぎと夕方に一度ずつ、部屋でゆっくりしていたらしい侍女頭がお見舞いに来たので大人しく読書をして刺繍をしていた旨伝え、その後夕食前ぐらいに三々五々戻ってきた侍女たちの挨拶を受け、スサーナの降って湧いた休日は大体終わった。
この日、あと特筆すべきことはそう多くはない。
夕食後に侍女頭がハーブの束を持って現れて部屋に吊るしたせいで、朝妙な効果の出た魔法についてスサーナがなんとなく改善案を思いついたりしたことぐらいなものなのであった。
運良くと言うべきか、運悪くと言うべきか。深夜にミランド公が戻る予定だということで家中が深夜まで動いているためにカリカの訪れはない。
代わりに、スサーナの悪巧みの関係でレミヒオがやって来たので、スサーナはしめしめと実験台になってもらうことにする。
「レミヒオくん、レミヒオくん。お帰りになる前に一つお願いが。」
「なんでしょう?」
「ちょっと実験台になっていただけませんか」
「実験台……」
不穏な単語にレミヒオは鼻の頭にシワを寄せた。
彼女の思いつきはどうにも彼の予想を軽々と超えていく部分がある。今回は一体何を食べさせられるのか、飲まされるのか。
「まあ、いいですが。……今度は一体何を作ったんです?」
少し身構えて聞いた彼にスサーナはぷるぷると頭を振る。
「いえ、食べ物の感想をお聞きしたいんじゃなくて、実は魔法なんです。」
「魔法――ですか。カリカ師になにか教わったんですか?」
「いえ、そうじゃないんですけど……あの、実はちょっと思いつきで。体を洗うだけの魔法なので、危ないことは無いとは思うんですけど、自分には一度使ったんですが、人に使えるかを試したいのと……あと、ちょっと色々と。」
説明されて、
糸の魔法は信じる力が物を言う。刺した刺繍が何を示しているか、それで何を望んでいるかが重要な魔法だ。だが、単純に縫った存在のかたちを現すのではない魔法は言うほど容易いものではない、ということを彼は知っている。
スサーナが説明した「体を洗う魔法」も、習いたての使い手が出来るとすれば、湯を呼び出して、その先はごく普通に湯の中で体をこするぐらいなものだ。応用がよほど上手くて、呼び出した湯を動かして汚れを落とすぐらいなものか。
――なんだか勝手に綺麗になる、と言ったな……?
糸の魔法の教授はカリカにしか出来ないため、彼女が出来るようになった事象についてはカリカにも教えねばならないが、まず自分で体験しておくべきだろう、彼はそう判断する。
「どうすればいいんですか?」
そう聞いたレミヒオにスサーナはうーむうーむと唸り、とりあえず、と立ち上がった。
「ええと、とりあえずこちらへ……」
わさわさと天蓋のカーテンをおろし、手招きする。
「あの」
「中でならミッシィさんに見咎められることもないですし。あ、ええとどうしよう。もし濡れたらマズいですし、上着ぐらいは脱いでもらったほうが――」
「あの。」
レミヒオは額を抑えてぷるぷると首を振った。
「スサーナさん」
「はい?」
「まず、認識欺瞞の付与具を使っていますので、見咎められません。」
おお、などと言って手を打ち合わせるスサーナに彼は溜息を吐く。
「次に、寝台は人を上げる場所じゃありません。人に見られたらなんと思われてもしょうがないような場所ですよ!」
「付与具を使っておられるなら見られないのでは……?」
「そう……ですけど。そういう、ことでは、なく。」
はあ、などといまいち解ってないような顔をしたスサーナにレミヒオは遠い目になった。
「それに服ぐらい濡れてもなんということも無いです。最悪濡れて帰っても見咎められないように戻れます」
「いえでも、せめて」
「いいですか、このままで。いいですね!!」
去年の夏の騒動から一年以上。多少はその手の知識は増えたのではないかと思っていたが。
――これは泥人形を練ったら子供が出来るとまだ思ってるんじゃないか?
多分ミランド公はその手の駒としてもある程度期待して彼女を身の内に引き込んだのだろうとは思う。ならば何も知らないままとはいかないんじゃないのだろうか。
この国の貴族としての教育など不純物にしかならないと普段思っている彼であるが、
――そういう教育をするなら早くしておいて欲しい。本当に。
この瞬間、八つ当たり気味に心底そう思っていた。
ううむ、とスサーナは首を傾げる。こんこんと、理由は話さないが寝台には他人を上げてはいけない、とレミヒオに念を押されている。
――いえ、言わんとしていることは解るんですけど。
特にやましいことが何もなければ別に気にすることでもないのではなかろうか。箱型に近いデザインの天蓋ベッドは四方を布に覆われた四畳半ぐらいあるのだ。スサーナのイメージする文学ナイズされた貧乏大学生なら中に家具一式揃えて住めてしまいかねない。
――別に肌が触れ合わざるを得ない広さでも無し。中でも十分距離は取れると思うんですけどねえ。
別に一緒に横になろうというのでもないのだからそう意識することもあるまいに。ついでに上着一枚脱いだ所で何が変わろうか。まさか下まで全部脱げと言っているわけでもないものを。というか上着どころか上半身裸ぐらい何度も見ているのだけれど。
この世界の倫理観と規範意識は13年暮した今でも、実のところたまによくわからない。普段は比較的ゆるゆるに見えるのだが、たまにこういう風に妙に強固な反応が帰ってくる。
そう思いつつもこのままでは話が進みそうにないので、スサーナは、わかりましたと殊勝に頷いておくことにした。
妙に達観したような目をしたレミヒオにとりあえず刺繍を見せる。
「これは……なんです? 青の丸にところどころ赤が入ってる? ……それから、この模様……薄荷ですか?」
「お湯を表してみたんです。あ、薄荷って見て分かります? 見ながら縫ったので。」
スサーナがレミヒオに見せた刺繍は、水を表す青の縫い取りに赤でなんとなく
仕上げにくしゃくしゃと薄荷の葉を指で潰し、香りを吸い込みつつ深呼吸した。
「これを……そちらに使う感じで。」
「見ただけでは効果はよくわかりませんが、確かに……危険そうではないですね。どうぞ。」
頷いたレミヒオを確認し、スサーナはすっと集中する。
朝起こったことをよくよく思い返す。同じことが出来るに違いない、と信じる。
ひゅっとレミヒオが息を吸った音に目を上げると、手の上に朝と変わらず湯の塊が浮いている。
「すごいな……。なるほど、カリカ師がスサーナさんべったりなわけです。ほんの数呼吸で……」
「ええと、じゃあ、よろしくおねがいします」
スサーナはやや緊張しつつ、レミヒオに湯の水滴をそっと差し出した。
結論から言えば、半分成功で半分失敗だった。
レミヒオの髪はサラッサラになったし、お肌はぷるツヤで、それは成功と言えるだろう。レティシアが見たら喜んでしまいそうな出来だ。
服だって別に濡れなかった。それはいい。
スサーナの前でレミヒオが鼻を押さえている。
ふががが、と言いそうな表情からスサーナはすうっと目を逸らした。
「……ええと。薄荷のにおいを嗅ぎながらが多分良くなかったんじゃないかと思います」
「意図したものは……わかりました……。」
力強く薄荷の香りを発散させつつレミヒオが呻く。ハッカオイルを頭から被ったらこういうにおいになるかもしれない。
多分、こういう匂いがする、というイメージが強すぎたのだ、とレミヒオは言った。
……朝はっきり香っていた香りは夕刻には薄れていたので、これがちゃんと香りが減衰する魔法だ、と推察できるのがやや救いだった。
ふぐふぐとくしゃみしつつ帰っていくレミヒオを見送り、スサーナは次はもっとうまくやろう、と決意する。
ネルは非常に爽やかなレモンの香りを漂わせるはめになった。
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