第253話 偽物令嬢、裏で糸を引く 1
ヴァリウサは商人が栄えている国だ。
勿論、貴族の権利を侵すことは出来ないが、荒野を人の領域に組み込むことが出来ずとも、王の恵みを土地に分けることが出来ずとも、人が生きて生活するには銭が要る。大国ならなおさらに。
王と貴族が商業を保護しているという理由もある。蓄財は自由だし、金で買うことが許されるものならばたいていなんでも買える。それがヴァリウサだ。
一部有力な商人は豊かさだけで言うなら大貴族にも迫るものがあるし、発言力や影響力でも貴族にまさると自負する者たちも存在する。
よって、多くの商人たちはいつかの権勢を夢見、鎬を削るのだ。
そうして栄える王都の商業区の一角。繁栄があればその陰に淀むものもある。
商家によって営まれる、未認可の賭場の一つ。
その片隅に設けられた小さな
――ああ、あの若いの、また来てるねえ。
彼がふと目を止めたのはここしばらく見かける小綺麗な格好の若者だ。何処かの屋敷の使用人と見えて、地味ながら仕立ての良い装束を身に着けている。
人に連れられて来て悪い遊びを覚えたばかり、という感じで、最初の何日かは小さく勝ったり負けたりして、トータルで小遣い程度の小銭を勝って帰っていったはずだ。
だが、今はその若者は賭場に根を張る金貸しの前に立ち、これで返済分にはならないか、といくらかの装身具を渡している。
――ああ、こりゃいけませんな。
金貸しが灯りに透かしたそれは、少し離れた給仕から見ても良い細工と材質のようで、嵌っている宝石も本物に見えた。
返済分には十分な品だったらしい。勿体ぶった金貸しがそう良いものじゃないが特別だ、と嘯いてしまい込むその頬が緩んでいる。
それはいい、だが――
「なあ兄さん」
酒卓に座り込み、酒を注文した青年に給仕は声を掛ける。
「あの飾りもん、どっから持ってきたんだい。」
青年が声に目を上げ、胡散臭げに給仕を見上げた。
青年が金貸しに渡していたのは女物の装身具だった。それはまあ、珍しくもない。ただ、給仕が見咎めたのはそれがこういう場所に出入りする男と付き合うような女が持つ物ではなく、あからさまに身分の高い――その上、
「手を付けるとまずいもんに手ェ出してるんじゃねえのかい。ほどほどにしときなよ――」
「あ、あんたには関係ないだろ」
青年がうっすらと上ずった声で言う。
「やましいもんじゃない。俺はとある貴族のお嬢様にお仕えしてるんだ。お嬢様は俺のことを見込んでくださっていて、困っていることがあるなら安いものだとお渡し下さったんだ。前回はカンが悪くて……それにすぐ流れるわけじゃないって聞いたぞ。勝って取り戻せばいいんだろ。」
「声が大きいよ。落ち着きなよ。種銭はまた借りたのかい、なあ」
「うるさいな。勝てばいいだろ」
青年はふいと目をそらし、酒をぐっと煽って賭けのテーブルに戻っていく。
――これは、マズいことになるまでそう掛からないねえ。
給仕は青年の飲んだカップを下げながら思う。他に酒卓に座っていた者たちも同じような感想を抱いたようだった。
「ネールさーん」
深夜過ぎ。気配を殺してミランド公の巨大な屋敷の裏手から入り込んだネルは、静かな一角にある小さな庭にたどり着いていた。
庭には椅子が2つ出され、小さな敷布が地べたに敷かれている。その上には女性が二人座っており、今が真夜中でなければピクニックの最中、という風情だ。
実情は布の上で行われているのは茶会ではなく、飽くなき鍛錬というやつなのだが。
いち早くネルに気づいて手を振った娘は、気をそらさない、と後ろから背を押されて前にぺったり倒れながらぎゃあ、と情けない悲鳴を上げる。
一連の稽古が終わるのを待つ間、ネルは頬の奥に入れた綿を吐き出した。
変装だ。その他にも髪の色や鼻の形など、大きく動かず、触れなければわからない部分には幻影がかぶせてあるため、容姿の印象は大きく違う。それも解除して、ネルはなんとなく開放された気分で顔をこすった。
使用者に追随する幻影をかぶせるのはそれなりに難度の高い糸の魔法で、普段から使えるものではないはずなのだが、作成可能な使い手であるカリカ師が相当数融通してくれたおかげで氏族の任務とやらではない行為でも使うことが出来るようになった――カリカ師がまだ来ていないと思ったらしい
一通り動き終わったあとで、ひょろひょろとスサーナがネルのもとにやってくる。
「ネルさん、どうでしたか?」
「ああ、お嬢さん。とりあえず目ぼしいのはやっぱり三箇所ぐらいか。ぼちぼち食いついてくる奴らが出だしたな」
「予想が当たっていれば良いんですけど。ご苦労をおかけしますね」
「いや、俺はいいさ。お嬢さんこそいいのか? 指示通り返済分に渡しちゃ来たが……、大事なもんは混ざってないだろうな」
「人のお金に手を付けるのはちょっと確かにものすごく勇気が要りますけど、まだ自費で済んでいるので……」
スサーナは視線を中空に浮かし、情けない顔をしながらもうなずいた。
ネルは今、ギャンブルに慣れず溺れかけている若い召使い、そういう触れ込みで下町の賭場にいくつも顔を出している。
その際に賭け金のカタとして少女めいたイメージを喚起させる宝飾品をいくつも用意しているのはスサーナだ。
ドレスに合うようなものが欲しいのだ、と
事の次第はつまり、こういうことだ。
ラフェンネは商業の神であり、転じて金運の神でもある。
かの神を祀るのは商家だが、信仰の形態はそれだけではない。ラフェンネはまたギャンブルの守護神とも扱われる。
どうやら「邪教」はその手の集まりを温床とした団体だ、というのがミッシィが知っており、ネルが裏を取った情報だ。騎士たちが政治案件と同時進行で調べているとすれば、その方面から当たっているだろう。
そして、多分、もし調べていたとしてもはかばかしくは効果が出ていない。これは現在進行系の彼らの進捗を部分的でも追えるレミヒオの意見だった。
生き残りの騎士たちは調査に口を割らないが、共通するのは不名誉があってからの閑職への配置換え、そして困窮だ。
個別の接触を受けていた、という感じではなく、周辺の人間への聞き取りから何か集会めいたものへ参加していたらしい、ということは解っている。そこから「邪教」がまだ団体として存在するだろう、とは予想されているらしいのだが。
まず、アンダーグラウンドに近い部分で行われていることなので表に出てきづらく、警戒もされやすい立場なので調査がしづらい……らしい。
「政治」の方での協力がなかったり、なにか揉めていたりするのもまた原因だったりするそうなのだが。
大体刑事ドラマで水谷豊が直面するようなアレが色々ソレしているらしい。ともあれ。
まあ、ともかく、うまく辿れない、はかばかしく調査が進まない、という状況であることは覗き見出来る資料からも察せられたし、日常接する調査側のそれなりに権限のある人間たちの漏らす言葉や疲弊した態度からしても確からしかった。
ついでに言えば、鳥の民の方面から掘ってもらうには「結構
……ネルやレミヒオに手伝ってもらうのはまだしも、なんらかの裏社会としての氏族というやつに接触するのはスサーナとしてはちょっとまだ踏ん切りがつかない事象だったし、レミヒオがいい顔をしなかったので、どうしようもなかった場合の最後の手段にしておこうと決めている。
さておき。運良くスサーナには今取れる裏と見られる視点が多い。……困ったことに、特殊性でいうと国家機関を超える可能性がやや……ちょっとだけ……もしかしたら……多分無いとは思うんだけど……あるぐらいに何故だか取れる手がある。
なんでだろう。本当に。
……それを前提にして立てた仮説がある。
多分、「邪教」とやらが現存していて、かつての構成員だけで運営している、というわけではなく信者を増やしているなら――それは単純なギャンブルの場でやっているのではないのではなかろうか。
警吏やら騎士の目から見れば、博徒の集まりでラフェンネ、もしくはその従属神が信仰されている、というなら、単純に犯罪集団というような見え方をするだろう。だが、もう少し複雑でややこしい起源のものが商家から見れば存在するのだ。
商家で祀られるラフェンネと、ギャンブラー達が信仰するそれは全く違うものだ、という風に一見見える。しかし、ラフェンネがそういう信仰を持たれるようになった理由は、慣習的に商家が行う富くじの興行にある。
そして、富くじはある種の商家の相互扶助を目的とした寄り合いで行われるのが昔から一般的だった。
ごく普通の慣習として、「クリーンな」富くじを行う寄り合いは世間に数ある。
富くじは一般的な認識ではギャンブルではない。しかし、非合法な賭場を抱える商家が現れたきっかけは富くじ興行だといい、そういう場所に関わる寄り合いはいつしかあまり褒められたものではない性質を帯びた……という。
いわゆる的屋、香具師の類。
白か黒、と言うよりもグレーのグラデーションで商家の寄り合いから繋がるものなのだ。
そして、「寄り合い」というやつは「邪教」まで行かずとも、新興宗教的な側面を帯びやすいものがある。
簡単な宿泊所があり、食事を提供するような寄り合いはごくクリーンなものであっても多い。元々末端の弱小商人の相互扶助、という発祥からして当然だ。
そこに信仰熱心な名物小母さんがいて、独自の解釈の信仰だの、健康法だのを広めている、というようなアレはスサーナが島に居た頃ですら苦笑とともにたまに聞いたものだ。
おうちでは従業員たちへはその手のものへ関わらぬよう、と言い聞かせていたし――善男善女なのだろうが、多分に厚かましかったり寄付の依頼(神殿と関わりがないのにだ)が面倒だったりするのがその手の集まりには多い――、そういうものに関わらなくてはならないような羽目に陥るものは居なかったが。
よりグレーに近い寄り合いであっても、元々あった構造は多く保持されている。
きちんとした組織というよりも、より流動的で、同族互助団体に近いゆえに外から触れづらい。騎士が外から捜査するには面倒くさい存在だし、ちゃんとした「裏社会」とはレイヤーが違う。そのうえ貴族層はあまり認識もしていない仕組みなのではないだろうか。そして、いわゆる「邪教」めいた教団がより深層に潜んでいたとしても遮蔽されやすそうだとスサーナは思う。
寄り合いが直接の母体だ、とはスサーナは考えてはいない。ただ、触手を伸ばすならばそういう場所から行うだろう、と予想する。
――なんといいますか、信仰すれば勝てます方面じゃなくて、ギャンブルで身を持ち崩して家に居られなくなった人、とか、取り込もうとするならそっちじゃないかと思うんですよね。
ある種明朗な金銭欲的なものがメインな集団より、身を持ち崩してドロップアウトして、世の中を恨んでいるような人のほうが――王家の人間を害そう、などという常民なら普通考えない、大それた企みに共鳴しそうな気がする。
開き直れる裏社会の人間より、恩を売れば雁字搦めになる弱い立場の人間のほうが取り込みやすそうだし、寄り合い自体が宗教的な雰囲気を帯びているのだから、そういうものだと気にしないうちに茹でガエルのように深みにハマり、本物に取り込まれることも想定しやすい。
それに、鳥の民が情報を引っ掛けていないらしい、という点から見ても純粋な裏社会というよりももっと泥臭いものの気配がする。
そんなわけで、スサーナはネルに頼み、徐々に身を持ち崩す様を演出してもらっているところだ。
最終的には「主家の金に手を付けたせいで放逐されて眠る場所もない」みたいな方向性でしょぼくれてもらう。少しペースが早いのは改善の余地があるが、スサーナとしてはできるだけ早く何とかなりたいところであるし、ギャンブルで身を持ち崩すのは半月あれば早いやつはいく、とネルが言ったのでそのあたりは希望的観測で事をすすめる予定だ。
寄り合いが面倒を見てくれる、という風に持っていくやり方は、島ではどうかというパターンだったらスサーナにもわかる。多分王都だろうとそこまで大きな差はないはずだ。
一応「セーフティーネットにまずは取り込まれて噂を聞く」「その手の手先に接触される」どちらのパターンでもいけるように、貴族の娘のお気に入りだ、という
「邪教」がどんなものなのか、という特徴は、ミッシィは知らなかったが、レミヒオがなんとか特徴的な祈祷文や聖印の特徴をかっぱいで来たので答え合わせは可能だ。
とりあえず「寄り合いに面倒を見てもらう人間」として中で噂を聞く、それが出来るだけでもそれなりに違うはずだ。外まで漏れない類の噂でも、集団内なら噂になっている可能性は高い。当たりかハズレか確かめられるのは大きい。なにより良いのは向こうから声を掛けてきてくれることだが。
うまく
もちろん予想が外れている可能性もあるし、こちらでなんとかする前に騎士がうまく摘発してくれるかもしれない。それならそれでもいい。所詮は素人の思いつきだ。
とりあえず邪教とやらがさっさと摘発されてくれれば何でもいい。
おうちが平穏で、お友達が安全で、ついでに暗殺の危機とやらが無くなれば功労者が誰でも文句ない。
スサーナは本来は平和に安楽に生きていきたいのだ。おうちに迷惑がかからないようにいい感じに恩返しをしよう、が第一方針になった今でも、それはサブ判断基準として全く変わらないのである。
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