第42話 スサーナうみへいく 2
藤蔓を編んで出来たボールを交互にトスしてどこまで落とさずいられるかを競うビーチバレーみたいな遊び。
砂浜の、サンゴ質の砂を山にして水をかけて固め、城砦を模した砂山を作る遊び。
海辺のリゾートらしい遊びに子供達はひとしきり興じていた。
――普通に遊んでいる……
スサーナにはわるいもくろみがあったのだ。
絶対どこかのタイミングでドンあたりが『大人の目を盗んで泳ごう』とか言い出すのではないかと内心期待していた。
口先で止めつつ、いつも止め役に回っているのだし止めきれなかったふりをして盛大に!盛大に泳いでやろう!
そう思っていたのに。
――どうして今日に限って!!!
今は、ドンは泳ごうとも言い出さず、おとなしく砂山に穴をほったり桶に汲んできた水を流し込んで濠を完成させたりしている。
「ドナート」
優しげな声が響く。
「香油をお塗りなさい。日に焼けてしまうわ」
見れば、香油の陶器瓶を手にドンのお母さんがやってきていた。
「かーちゃん、いやっ、まだいいよ。」
「駄目です。ほら、こっちを向いて」
「かーちゃん! 恥ずかしいってば!やめろようかーちゃん!」
――あ。 ……あー。
スサーナは遠い目になった。
そうか、今日はドンは母親が一緒だったのだ。
ぱたぱたと押しのけるものの、たおやかな細腕でちょっと抑えられただけでぶすくれながら大人しく……ちょっと顔を背けたり背を反らしたりすることで抵抗のポーズを取りつつ、香油を塗られている。
――なるほどこれは駄目だわ。きょうはドンくんは一日いい子でしょうね……
諦めたスサーナはため息一つ、おしろの壁に模様をつけようとしているフローリカを手伝うことにした。
ひとしきりたっぷり遊んで、屋根の下で昼食を取る。
種無しパンで具をくるくる巻いておしゃれなサンドイッチみたいにしたもの。
氷菓子と一緒の容器に入れて運んできた、ほどよく冷えたシロップ漬けのもも。
常温の小さな酸っぱいりんごを好きなだけ。
砂浜を掘って簡単に作ったかまどに網を渡して焼いたハムとベーコン。それから浅く燻製にした白身魚も二度焼きにした。付け合せはワインで煮たプルーンと、これまたかまどで焼いた肉厚のパプリカと玉ねぎ、トマト。
塩を振り入れた若いオリーブオイル。
輪切りにした檸檬をたっぷり入れた水。これも氷菓子と一緒に冷えた箱に入っている。
ドンのお母さんが焼いてきてくれた、はちみつをたっぷり使ったねっとりした焼き菓子もあった。
恥ずかしいよ商家なのにさあ、自分で焼いたお菓子なんてさあ、とドンはブツブツ言っていたけれど、蓋を開けてみると一番良く食べた。
食後になると、遠泳から戻ってきた男の人達がトドみたいに敷物の上に寝転がって寝始める。
球技にひとしきり興じた後で満腹になった男の子たちも、その姿を見たら眠くなったのだろう。力尽きたみたいに寝落ちだしてスサーナには少し面白かった。
なんとなく食後の昼寝、と言う雰囲気になり、敷物やらビーチチェアやらをみんな出して大人たちがまどろみだす。
――ああ、これが『大人はだいたい寝る』ですね! なんだか面白いなあ。
大人になると子供のフルスロットルにはついていけないし、気温の高い屋外で、波の音がしていて、気を抜いてぐったりすると眠いのだ、ということをスサーナはよおく知っている。知ってはいるのだが「海に遊びに行くとだいたいオカンが寝てまってな」みたいな夏休みあるあるはただ聞き知っていただけなので、こんなふうに体験するとわああるあるだ!と面白い。
――どこの世界でもそういうのっておんなじなんですねえ。
ほとんどの人間がうとうとと眠りだした日よけの下はけだるい雰囲気だ。
ひんやり冷たいクーラーボックスの影で安らかな寝息を立てだしたフローリカと、ドンの横にくっついて満足気に目を閉じている――熱いらしくてドンはうなされかかっている――アンジェを見つけてスサーナはふふっと微笑んだ。
その横では息子たちに扇で風を送りながらドンの母親がゆったりとスモモの皮を剥いている。
「おばあちゃん、私、ちょっと散歩してきますね」
「おや、そうかい? 崖の側なんかに近づいちゃいけないよ。水にも入らないこと。草むらも蛇がいるかも知れないからねえ。ああ、あと岩場は足場が悪いから行かないこと。すぐ戻っておいで」
「うっ、はあーい。」
バカンスだって言うのにビーチチェアによりかかりながらも仕事の関係の書付を
砂浜から少し上がるとちょっとした丘になっているのを来た時にスサーナは見て知っていた。とりあえずそこを目指してみることにする。
獣道か、それともたまには人が通るのか。踏み分け道になっているところをスサーナはぶらぶらと歩く。
海沿い特有の短い芝草と、潮風で腐食したぼこぼこした岩の間に咲くピンクや黄色の花。ところどころには風の吹くかたちに斜めに育った背の低い灌木が茂みを作っている。
空気自体は乾いた感じがして、海から吹いてくる涼しい風だけに湿り気を感じた。
――うちのあたりもだいぶ海に近いはずなんですけど、やっぱりだいぶ雰囲気が違うなぁ。
街も、港に接続する港街ではあるからだいぶ広いとは言っても海のそばと言っていいはずなのだけれど、空気の感じ一つとってもぜんぜん違うようだった。
のんびり周囲を見渡しながら最後の坂道を登りきると、そこは丘の上。本島特有の白い岩がぽこぽこせり出した草原が切れて、その先から見えるのは一面の海だ。
夏の日ざしに水平線がまぶしく白く光り、海の彼方には白い塔のような雲がいくつももこもこと立ち上がっている。
ひときわ強い風がごうっと海から登ってきて、スサーナのサマードレスを散々に揺らした。
「うひゃあ」
スサーナはわけもなく楽しくなって、笑いながらひとつ大きく深呼吸をした。
――夏だー!
海風を全身で楽しみ、大きく伸びをする。
髪がぶわぶわに吹き散らされたらどれほど気持ちいいだろう、という気がする。
浜辺では、フローリカの家の使用人や、ドンのお母さんが自分の髪を見たらびっくりするだろう、と思ったからボンネットを外せなかったのだ。
「ふふふ、誰もいませんね」
ボンネットの紐を解き、下の髪抑えをすぽんっと脱いて髪を開放する。
「ひゃーっ」
ぱさぱさと頭を振ると、丁度吹いた風が根本から髪を持ち上げて地肌の上を吹き過ぎていく。
「涼しいー! 気持ちいいー!」
ひゃっほうと喜んで、いやあなんだかへんにテンションが上っているなあ。と思う。
仕方ない。今日はいい日で楽しいのだから、ちょっとぐらいテンションが上っても仕方ないのだ。スサーナはそう唱えて自己弁護して、頭を振って髪を乱して風を受けた。
ひとしきり髪を風になぶらせて、それから雑に手ぐしで整える。
だいぶ人里離れた場所なので、他に馬車の一つもなかったし、ほかに誰かがいるということもなさそうだ。
浜辺に戻る時にきちんとかぶり直そう。スサーナはそう思った。
さて。ここで一休みしてもいいけれど、もう少し散策したい。
スサーナは周囲を見回し、脇の方にすこし
傾斜も緩やかだし、先に急な地形があるようにも見えない。
ここを少し下ってみよう。そう決めててちてちとその先に踏み込んだ。
細いながらも草地と砂できれいに別れた獣道は、歩いていくうちに簡易的ながら小石を敷いた人工的な道になる。
おや、と思いながらも進んでいくと、急にぽかんと視界が開き、小さな広場が現れた。
せいぜい数十平方メートルだろう、前世でいう小さな都市公園ぐらいの広さ。
スサーナの最初の印象は、あ、神社みたい。というものだった。
日本の神社の湿った感じはないけれど、木々にしっかり囲まれた小さな空間という点でなんだか少し似ている。
地面は砂地で、半ばから厚い苔に覆われて見事な緑の絨毯になっている。
周囲は灌木に囲まれているが、山肌を少し削って整地された場所らしく、奥まった一角には丘を穿った坑道か、入り口を木で補強した洞窟がちょこんと開いているようで、そのやや前に小さなお堂――とはいえ、神社とは似ても似つかず、石と漆喰で作ったものだが――が建っている。
そして、多分植樹されたものだろう、砂地の中にぽつんぽつんと数本の立木。
花のシーズンなのだろう。どの木もウツギに似た淡桃の小さな花をいっぱいにつけている。
戻ろうか、とも思ったけれど、風景の可愛らしいファンタジーといった風情に興味を惹かれて、少しだけのつもりで足を踏み入れる。
誰もいないだろう、とは思いながらもなんとなくそーっと足音を殺して――
人がいた。
お堂の死角になるあたり。夏の日がそこだけ鮮やかに差し込む場所に人がひとり立っている。
目前にはバラ科だろうか。ぽんぽんとかたまり状に花序をもつ白い花が咲いていて、どうやらそれに何かをしているらしい。
スサーナが一番近いと思う花の名前は桜だが、夏に咲くものではないのできっと違うだろう。
反射的にぴゃっと立木の影に隠れたスサーナは、まじまじとその人影を見る。
――あれ? もしかして、魔術師さん?
背の高い暗い赤のローブ。やたらと圧の強い顔の見えないフードはいまは下ろされていて、オパールに似た光沢の長い髪が肩に流れ、わずかな動きにつれて日光にきらめいている。
外見特徴は比較的似ているように思うのだが。
数回顔を合わせたことのある相手だが、いまいち個体識別が面倒な格好をした人なので、断言はできない。
――何してるんだろ。
スサーナが眺めていると、その魔術師さんらしき人が花に手をのばすのが見える。
髪が流れて少し横顔が見えた。
肌は白く、顎が細い。まだ結構若い人のような印象。
というか もうすこしいけば 顔が見える ような
抜き足差し足で立木の周りを回り込んで、もうすこし見やすい位置に移動しようとしていると、その人が花塊に指を差し入れ。
枝から離れた小さな花束めいた塊を迷わず口に運んだのが見えた。
指先で口に押しこまれた白い花びらの塊が、まるでそういう菓子であるかのように唇を滑り、舌の上に載せられて、口が閉じる。
――わっ、食べた!?
――食べれるものなんですかそれ!? 食べていいもの!? 花ですよ!? 花!! 最悪ちっちゃな虫とか混じってません!?
ごくり、と動いた喉の動きにわあ飲みこんだ!と身を乗り出したスサーナは足元の砂地に目をやらずに足を運んだせいでバランスを崩し、ずるり、と滑って――
べしゃん。
音にはっと身を翻し、こちらに身体を向けた多分魔術師さんらしき人と視線が合う。
万色の色彩の目。
「こ、こんにちは……」
ぺしゃんと潰れたままの姿勢で情けなく挨拶するスサーナとばっちり目があって、彼……多分彼、だろうと思う――は口元を抑えて。
もうものすごく盛大に、背を折り曲げて肩を揺らして……
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