第125話 新天地と入学式 5
最低限の荷解きをして、それからお財布を持ち、一応
結局貴族寮の前庭には入れてもらえなかったので、門の前で暫く待つ。
正午の鐘がなってややした程度で今度はちゃんとドレスを身に着けたフェリスが姿を現した。
「ヤッホー麗しの君!待ったー?」
濃い緑にグレーと金の刺繍が入った、カジュアルなデザインながら豪奢なドレスの裾を蹴立ててフェリスが駆け寄ってくる。
「いいえさほどは。ドレスに着替えられたんですね」
「流石にねー。爺達が卒倒しちゃうから! でもボクドレスも似合うからいいでしょー。」
確かに、華やかな顔立ちなので結構色の濃いドレスが良く似合っている。
「とっても良くお似合いだと思います」
「うっふっふ、ホント? 褒め上手だなぁ、本気にしちゃう~」
むふふと笑うとフェリスはスサーナの背をパシパシと叩き、明らかに適当にあらぬ方を指さした。
「側付きのメイドは撒いてきちゃったけど二人でいいよね? あいつら色々うるさいんだ! それじゃー行こっか!」
とりあえず初級編というフェリスに続いて、まずは学院内の広場を目指す。
着いてみれば設置型の屋台がいくつかあり、休みながら簡単な食事ができる形式になっているのがわかった。
「ここがー、サンドイッチとか売ってるとこー。授業始まってからは使えそうだなーって思ってる。ただこいつら気軽なフリしてるけど、出てくるものって結局遠征の時のお昼みたいなやつみたいだからあんまり楽しくないんだよねー。」
スサーナはフェリスの言葉に一瞬首を傾げ、それから食べている人の手元を見て納得した。
いちいち携帯しやすくはしてあるものの、手間がかかっているもののように見えるのだ。
紙のように薄くそいだ生ハムをたっぷり挟んだ一口サイズのサンドイッチ。
その横に付け合わせてあるのは薄く輪切りにされた芋の間になんらかのムースが挟まっているもの。
島でも街では鶏卵はやや高級なもの扱いで、出てくる時は基本的にちょっと気合を入れた料理という位置づけだ。基本的に屋台で出てくる料理ではない。
「……もしかして、貴族のお宅にお勤めの料理人さんが出店しておられる?」
「そーそー。やっぱわかるー? 庶民の食べ方ーってメイド達はいい顔しないけど、だからと言ってワクワクしないっていうか、なんか違うじゃない? ここで食べたいならここにするけどー、ボクのオススメとしては学院の外かな!」
どうする? と言ったフェリスにスサーナは頷いた。
「行ってみましょうかー。」
「やったあ、やっぱりスサーナ、話がわかるぅ!」
おととい見つけたいい店があってねー、と言うフェリスに連れられてやって来たのは学院の門前の通りだった。
それなりに瀟洒でそれなりにざっかけない、というバランスの小さな店がたくさん並んでいる。店の前には樽を利用したテーブルが並んでいるところもあり、酒も飲ませるとみえる。
――ああこれはなんとも学生街。
それもそれなりに上品な客層の学生街だ、と、スサーナは思う。
きっと相手にする主な客層は学院にやってきた貴族の子弟なのだろう、船員を相手にする島の港や市場の店ほどの雑さはなく、それなりにしっかりした家具と什器できれいに取り繕った店構えと、学生を相手にする店特有の猥雑さが同居しており、スサーナにはなんとなく面白かった。
フェリスに案内された店で白いんげん豆と塩漬けの羊肉の煮込みをメインにしたセットを頼み、二人で食べる。スサーナはともあれフェリスのドレスは店には違和感があったものの、店員に何も言われなかったということはそういう羽目を外す女子学生も案外いるのかもしれない。
ここでスサーナは島と本土の違いをなんとなく感じ取った。料理に水差しが付いてこないのだ。
壁の木板を見ても飲み物メニューはワインとエールで、ノンアルコールが見当たらない。
――これは……メインの客層が男の人だから……ってのは関係なさそうですよねえ、なんだか。
フェリスを見れば迷わずワインを口にしている。
「フェリスさん、そういえばここはお水はないんですね」
「ん? あ、酒精が苦手? このワインは若いから大丈夫だけど、割ってもらう?」
「いえ、お水が好きで。」
「変わってるね? 割り水はそこの広場の井戸水だと思うから頼めば水だけもらえるんじゃないかな、それでも水だけであんまり飲むとお腹壊すよー?」
「……井戸で、お腹を壊すんです?」
「うん」
――ええと。ええと、こういう時はアレですよね、ええと、煎じ茶!
しかし聞いてみても店にお茶はない様子だった。笑うフェリスによると、お茶は貴族の習慣で、しかもあまり外で飲むものではないらしい。ハーブティーも薬効意識が先に立っているらしく、正式な食事につくものではないとのこと。
スサーナは餞別で届いた水筒の意味をうすうす悟り始めた。
それでも美味しく食事を終え、貴族寮の前で丁重にフェリスにお礼を言って別れる。
寄宿舎に戻ってみると洗濯がたけなわで、朝は見かけなかった男子学生らしい男性たちが布を抱えて降りてきたり、裏庭でなにやら干していたり、たらいの水をひっくり返して喧嘩をしているようだったり、全体的に賑やかだった。
「その洗濯紐は俺が張ったやつ!」
「はっはっは甘いな早いものがちだとも!」
「石鹸ちょっと分けてくれ」
「あってめ石鹸ぐらい自分で買いやがれ!ああーお前ごっそり取りやがって」
「おや、見ない女子が来てるぞ、ミアー、お客じゃないかー」
「あっスサーナ! おかえりなさーい!」
賑やかな中を抜けて、午前中に知った顔のミアのもとにぱたぱた駆け寄る。
仕事が関係ない見知らぬ男性がたくさん好き勝手に動いているという状況はあまり慣れたことはなく、少し気後れしたスサーナである。
「何処に行ってたの?」
「ええと、朝に知り合った方にお昼に誘っていただきまして。」
「そっか! 良かったね。あ、そうだ。スサーナは洗濯物ある? 今なら洗うの手伝うよ」
ミアの前には大量の洗濯物が積まれている。
昨日まではお嬢様たちのところのみんなに一緒に洗ってもらっていたスサーナは汚れ物らしい服というのは今はない。スサーナは首を振り、ついでに恐る恐る申し出た。
「いえ、私はまだ洗うものはないです。ええと、良かったらそれ、半分ぐらいやりましょうか……?」
この量の洗濯物はちょっと多いし、女の子の衣服には見えないし、ちょっと汚れすぎのようにも思う。
これが彼シャツとかだととても良くないが、どうもサイズもバラバラ種類もぐちゃぐちゃなところからしてどうやら他の学生の洗濯を手伝っているらしい、とスサーナは判断し、じゃあ自分がやってもいいだろうと言い出したのだ。
たった一人の女の子の同居人だし、早く打ち解けておくに越したことはない。というわけで共同作業は悪くない試みだ、とスサーナは思う。
お針子たちも洗濯のたびによもやま話に花を咲かせ、親睦を深めていたものだ。
「いいの!? 凄く助かる!」
ミアがぱっと表情を輝かせる。
「はい、私で良ければ。」
スサーナは頷くと壁際に斜めに置かれたたらいを一つ見繕い、水桶に用意された水を注ぎ込んだ。
とは言うものの、洗濯は結構難航した。ミアと女子会話に花を咲かせる余裕は残念ながら無い。
洗濯物が泡立たないのだ。汚れすぎているのもそうだし、洗剤の種類が違うのもありそうだ。実際ミアはスサーナと同じぐらいの泡立ち度合いの服を水の中でぐいぐい強く擦り合わせるようにして洗っている。
しかしスサーナとしては洗剤は強く泡立てて、生地を傷めないように洗うのに慣れているのでなんとなく気持ちが悪い。
とはいえ、汚れが落ちないほうが問題なので特に汚れている部分を揉み洗いし、全体的にはやや弱めにこすり洗いするということで妥協する。
――というか、水、元々ちょっと濁ってません? その所為かなあ?
洗うのは川の水だと言っていたっけ。
スサーナは濯ぎのための水をまたひと桶取り、たらいに注ぐ。
そして何気なく空になった水桶の中を覗き込み、はたと気づいた。
――あっ、泡立たないのそれだけじゃない! これは――
水桶の底のぐるりや縁がうっすら白くなっている。外側のタガの周りもだ。触れてみればそれはカリカリポロポロとした硬い薄膜のようだった。
――硬水だーー!!!!
スサーナは戦慄した。
島の街の井戸は皆基本的に魔術師の手がかかった魔術井戸で、湧いているのは明らかに軟水だ。というかミネラル配合をわざわざするとも思えないし多分純水に近い。
街ではそれを飲用にも行水にも洗濯にも種々の雑用にも使う。スサーナの家など洗濯のためにわざわざ中庭に井戸がしつらえてあるぐらいだ。
その水での洗濯になれているスサーナは無意識に基準をそこに置いていたが、硬水で、さらに流れてきた川の水――さらに言えば本土は大陸だ――、しかも汲み置きとなれば洗う具合も違うというものだ。つまり何もかも違う。
――さ。さすが本土、何から何まで島とは違う……!!
本土の洗礼を受けたような気分になったスサーナは、思わずその場に棒立ちになり、水桶を見つめて立ち尽くした。
かっちんと固まったスサーナがすぐ再起動したのは、そのタイミングで庭の奥の方で巻き起こった喧嘩の声ゆえだった。
「お前っ、これ水に漬けたのか!」
「なんだよ! 汚れてるから洗ってやろうと思ったんじゃないかよ!」
「なんてことしてくれたんだ! 入学式に着る服だったのに!」
ぎゃあぎゃあ叫び合っているのは男子が二人だ。一人はいくらか年上のようで、もうひとりはスサーナと同年代ぐらいに見える。
「なに、また喧嘩?」
むむっという顔をしたミアが首を伸ばし、腰に手を当てる。
「あーっ、くそ、糊が全部溶けてる……」
同年代ぐらいの少年が水から持ち上げた衣服はどうもパーツごとに分解し、ばらばらになりかかっているように見えた。
「ええと、ミアさん、あの子は……」
「ジョアンだね、月初めから来てるって。わたしより三日早いんだけど、よくケンカしてるみたい。 ……ねぇジョアン! どうしたの? その服」
ミアが言い合いを再開した男の子たちの間に首を突っ込んでいく。
スサーナもそっとその後に続いた。普段のスサーナならあまりそういうことはしないのだが、今回は別だ。なぜなら、少年の喋っている言葉がスサーナには聞き慣れた島言葉に聞こえたからだった。
ジョアンと呼ばれた男の子はうねりの強い枯れ葉みたいな茶色の髪をして、男子にしてはやや小柄なぐらい。やせっぽちで少し陰気そうな雰囲気の少年だ。切りっぱなしで長めになった髪からのぞく目元ににらみグセがついているのが陰気っぽさに拍車をかけているようだ。
「おまえには関係ない。」
「関係なくても気になるよ。入学式に着る服なんでしょ?」
「なんでそんな服が糊止めなんだよ、おかしいだろ……」
彼に掴みかかられていた二つ三つ上に見える少年がぼやく。ジョアンがきっとその少年を睨みつけた。
「何がおかしいっていうんだ」
「い、いやだってさあ、洗えないじゃん……変だよ、ぐえっ」
ジョアンが再度少年に掴みかかり、取っ組み合いになりかけた間にミアが割り込み止めた。険悪な目でジョアンが二人を睨む。
一触即発の雰囲気に庭中が緊張……ヘラヘラと楽しげに寄ってくる上の学年らしい男性たちはいるし、どちらが勝つか賭けようという会話が漏れ聞こえるものの、まあ緊張という雰囲気になる。
今にも殴り掛かりそう、という雰囲気のジョアンを止めたのは、斜め後ろからの呑気な島言葉だった。
「ええとー……20年ぐらい前の流行りですね。糊止めだと袖のラインが真っ直ぐになるのでぴしっとして見えるんです。伊達な雰囲気になるんですよね。もしかしてお父様の服とかですか?」
振り向いたジョアンはたらいの中に手を突っ込み、ばらけかけた服を見聞しているらしい少女を見た。
「わかるのか」
「はい、それはもう。……ちょっと新しい糊止めの部分が多いのが不思議ですけど」
「大きさが合わなかったから自分で留めた」
ぶっきらぼうに言うと彼はスサーナの手からビショビショの服を取り上げた。たらいに投げ込む。
「もういいだろ、離せよ。くそ、これでこの格好で入学式に出なきゃいけなくなった」
彼は忸怩たる表情で自分の着た粗末なチュニックを見下ろした。
スサーナは内心うーん、となる。彼の「よそ行き」は、上級生の少年がひどく汚れていた、と言うのも判る状態だった。というのも、糊止めの服はすぐに着る分にはいいが、時間が経つと糊の周りに茶色の染みが出るのだ。
元々の袖ラインやタック周りにはだいぶ染みが出ていた。それがスサーナが新しい糊止めがあると判断した理由だ。
「だ、誰かに礼服借りよう?」
慌てた声でミアが言う。
「誰が貸してくれるんだよ。俺にはこっちに知り合いなんて居ない」
「う、うーん、私聞いてみるよ! バイト始めたから、街の人に知り合いもできたし」
「いいよ別に。構うなって言ってるだろ。お前も俺の身内でもないくせに」
「同じうちに住んでるんだもん、みんな身内だよ……」
スサーナは新しい糊止めの部分を軽くこすってみる。きれいに落ちて染みはなさそうだ。
「ええと」
ちょっと空気を読むべきかな、という気がしなくもなかったが、スサーナは悲しげなミアを睨みつけたジョアンに声をかけた。
「これ、縫い直せますけど、縫い直します? もちろん、大事な服で形を変えたくないしって言うなら針とかハサミも結構入りますからオススメしませんけど……」
予想外の単語が聞こえた、という顔でジョアンが振り向く。ミアがぱっと表情を輝かせた。
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