第124話 新天地と入学式 4

 意を決して踏み込んだ寄宿舎の中は薄暗かった。

 なんだか足元がぶわぶわする気がしてスサーナは頬を引きつらせる。うっかり滅多な所を踏むと床板を踏み抜くかも知れない、と感じたのだ。

 見回すと、少し埃っぽい空気のエントランスはさほど広くはないが吹き抜けで、奥に二階に上がる階段が二本ホールの左右についている。二階を見ると吹き抜けの周囲にぐるりと廊下が回っていて、玄関を覗き込めるようなつくりになっているようだ。

 目が慣れてくると中の状態は当初予想したよりは古びておらず、それなりに掃除がされているようで、清潔そうに見える。

 玄関のすぐ右手にはカウンター状に壁面に窓が開いた部屋があるようで、多分そこに管理人めいた人がいるのだろう、とスサーナは判断した。


「すみませーん」


 そうっと声を掛ける。

 しんとしている。誰かが出てくる様子はない。

 ――いらっしゃらない? 中途半端な時間だからですかね……まさかここ、廃屋というオチは……。


「す、すみませーん!」


 怖い考えになったスサーナが声を張り上げた。


「はぁーい」


 どこかから声がする。

 ばたばたと音がして、奥の扉が開き、洗濯物の山が姿を現した。


「ごめんなさーい、今寮母さん手を離せないから! 何の御用かな!」


 洗濯物の山の後ろから声がする。どうやらスサーナとさほど年齢が違わないぐらいの少女と思われる声だった。


「あっごめんね! 今洗濯物を干し場に持っていくところで声が聞こえたから!」


 ちょっと待ってて今置いてくるから!と快活な声がして、少女がまたばたばたと洗濯物を抱えたままで移動していく。

 スサーナはお、おう、となり、後をついていこうかその場で待とうか一瞬考えたが、流石に失礼がないようにその場で待つことにした。

 ややあってぱたぱたとまた足音がして、開けっ放しのドアから今度は何も抱えない女の子が現れた。


「おまたせ! 何の御用?」


 声で予想したとおり、スサーナと同年代ぐらいの女の子のようだった。

 淡い金に薄く赤の混ざった柔らかそうなストロベリーブロンドを肩の下辺りまで伸ばし、好奇心旺盛そうな大きな瞳はあかるいすみれ色をしている。身長は小柄なスサーナよりかは幾分か高いが、それでも小柄仲間と呼べる程度だろう。

 シンプルな白いチュニックと、スタンダードな形の茶色のロングスカートを身に着け、その上にエプロンを重ねている恰好だ。どうやら先程抱えていた洗濯物を洗っていた最中と見え、水しぶきの跡が点々と飛んでいる。

 急いで戻ってきたらしく少し息を切らし、髪にたっぷりとシャボンの泡がついているのに気づいた様子もない。全体的になんとなく小うさぎを思わせるような少女だった。


 ――これは……フローリカちゃんとはジャンルが違いますけど、国民的アイドルが狙えるのでは?

 スサーナは一瞬よくわからない方面に気をそらした。


「ええと……寄宿舎に入る手続きをしに来たんですけど……」


 そう用件を切り出したスサーナに少女はぽんと手を打ち合わせる。


「えっ! あなたも新入生なの? やった、これで女の子二人だ!」

「はい? あ、新入生で二人目です?」

「そうじゃなくてこの寄宿舎で二人! ここの新入生でも二人目だけど。歓迎するね!」

「はい?」


 町中で下宿の選択肢にすとんすとんとウェイトが乗っていくのを感じつつも、スサーナは目の前の女の子があんまり嬉しそうに笑ったので回れ右をして『やっぱりやめます』と言う機会を全力で逸したのだった。


 少し待つと寮母さんが現れ――ふくよかで優しそうないかにも寮母さん!といった雰囲気の女性だった――入寮についての説明がはじまる。

 スサーナが予想していたような詳細な書類を作るとか言うこともなく、学生証を兼ねた記章を提示したら年間分の各費用の払い方を決めて、自分の名前と実家の連絡先を書くだけだった。

 年度の各費用を説明される段になり、スサーナは耳を疑った。セルカ伯に連絡して彼を介して払ってもらうのが正当なのだが、なんといっても普通に所持しているお金で足りる価格だったのだ。


「ええと……本当に全部込みで年間60デナル12万ほどでいいんです……?入寮費礼金60デナルではなく……?」

「ええ、ただしご飯の用意は夜だけ。台所は申し出たら使えるから他に食べたければ自分で準備すること。部屋の掃除は自分で。洗濯も7日に二度の洗濯日に道具を出すから自分の分は各自でやって頂戴。それで大丈夫ならね。」


 説明されてスサーナはなるほど、と思う。

 運がいいことにおうちのお仕事では洗濯は重要なので、洗濯の仕方はみっちり仕込まれたと言っていい。料理は主に任されたことはないが、再現料理のために比較的厨房には入り浸る方なのでかまどの扱い方は出来る方だし、侍女ゆえにお茶とお茶菓子の用意も馴染んだものだ。掃除だって手伝い程度ながらセルカ伯のお宅の侍女ばたらきでそこそこやっている。

 なにより紗綾の頃に一応一人暮らしは経てきているのだ。


「あ、はい、大丈夫だと思います。」

「わからなかったらわたしが教えるから安心してね」


 頷いたスサーナに、寮母さんの横に居たさっきの女の子が笑って注釈した。


 ――これは、いい物件なのでは?

 貯金は結構あるものの、うちに仕送りをしてもらう予定もなし――うちにはお嬢様たちとセットで学院に入り、生活費は出してもらうという説明をしてある――セルカ伯に頼めばさらにミランド公から予算が下りるというシステムらしいのだが、そちらにも必要最低限出してもらえれば、という気持ちでいるので、節制はしなくてはならないので丁度いい。

 スサーナはまあ寄宿舎でもいいかな、という気分になり、さっくり入居届にサインし、一年分の寮費を先払いすることに決めた。


 お金を受け取った寮母さんは腰から鍵がたくさんついた金属の輪を取り外し、一つを外してスサーナに渡す。


「はい、これがあなたの部屋の鍵。この右が食堂になっているので、さっきも言ったけどご飯の用意は夜だけ。朝は欲しかったら各自支度するんですよ。19時に始まって20時まで、時間を過ぎたら食べられないですよ。欠食児童が一杯いるからね。」

「はい」

「夜中に廊下で騒がないこと。守らない子も多いけど。」

「はい」

「あなた達女の子の部屋は奥の端にしてあって、男の子たちとは離しておくから、そちらの部屋にはみだりに近づかないこと。」

「はい」

「当番で毎朝の水汲みが回ってくるから、川に落ちないように二人で行くこと。」

「水汲み……川?」

「ええそう。飲水は井戸権を買ってあるから街のほうの広場で汲ませてもらえますけれど、その他の生活に使う水は川で汲んでくるんですよ。」

「そ、そうなんですか……」

「ええ。洗濯とか、時々行水もするし、用足しにも使うでしょう。ああ、そうそう、お便所は裏庭にありますからね。」


 つまり、井戸なし風呂なしトイレ共同。

 スサーナは、あっこれは早まったかな、と顔をひきつらせた。




 スサーナにざっと施設説明をして、それから部屋番号を教えると寮母さんは裏庭でやっている洗濯にもどっていくようだった。

 ううむ、と、――主にトイレのことで――思案しているスサーナに、横から明るい声がかかる。


「良かったら部屋まで案内するね、わたしの部屋の横の部屋だから、よろしくね」


 目を上げるとさっきから待っていた様子の女の子が微笑んでいる。どうやら案内をするために待機していてくれたらしい。

 スサーナは生理的欲求をどうにかするには学院内部か街の方で快適な場所を探しておくしかなさそうだぞ、という思案を振り切り、ありがたく案内してもらうことにした。


 女の子の後について階段を上がり、廊下を歩く。

 どうやら二階が個室になっているようで、細い廊下の左右に等間隔に同じようなドアがいくつも並んでいる。


「女の子が少ないから一部屋ずつ用意してもらえてラッキーだったね。男の人たちは二人で一部屋みたい。あ、わたしミア。あなたは?」

「あ、ええと、スサーナといいます。ミアさん、よろしくお願いします」

「ふふ、かしこまらなくてもミアでいいよ。スサーナ、仲良くしてね」


 ミアははにかんだ顔でぱたぱたと手を振った。


「平民の女の子が学院に来ることって少ないみたいだから、ここ、他に女の子が一人も来ないんじゃないかって心配してたの。スサーナが来てくれてよかったな」

「そ、そうなんですか?」

「うん。ほら、国で出世したい、って思う人は男の人が多いから。」

「ああー。」


 スサーナはなるほどと頷いた。

 庶民にとっての学院は栄達の手段という側面が強い。それはよく判っていたつもりだが、なんとなくそこの男女差みたいなものに思考が及んでいなかったスサーナである。


「そうなんですか。商家の女の子もそれなりにいるって噂を聞いていたんですけど」

「あぁうん、ちょっとはいるみたい。でも、街のお金持ちの人たちは家からみたいだし、遠くからの人は親戚のお家からとか、家を借りたりとかそんな感じなんだって。」

「そ、そうだったんですか」


 やっぱり早まったかな、と思うスサーナである。

 まあ、しかし、おうちに迷惑をかけるのはこうなってみればやりたくないし、セルカ伯にいきなり家を借りてくれと言ったところで困るだろう。そこまで世話になりたいわけでもない。


「まあ、お金持ちの子は気合が入るのはしょうがないよね。素敵な結婚相手を見つけなきゃいけないんだし……。わたしみたいな庶民には縁のない話だけど」


 言って、ミアは肩をすくめ、憧れだとか諦めだとかいろいろ混ざったため息が一つ。

 富裕商人の娘が学院にやってくるのはどうやら有力貴族に見初められるのを期待して、だというのはお嬢様たちの会話からなんとなく察していたスサーナだが、なるほどそれこそ一般的な理解なのだなあ、と納得する。貴族の間に脈々と通じる平民への偏見かとちょっと疑っていたのだ。


「ミアさんはそういえばどうして学院に?」

「ミアでいいってばー。 えへへ、実はね。学院を出た家庭教師は働き口が一杯あるって聞いて、 町長さんにそれで推薦してもらったんだ。お母さんを楽させてあげたいの。」


 いい子だ!とスサーナはちょっと感動する。


「すごい、ご立派ですねえ」

「そんなことないよ。」


 ミアは照れた顔で頬を抑えて首を振った。フローリカちゃんの天使っぷりとは別ベクトルだけどとてもかわいいなあ、とスサーナはちょっと鑑賞する。全体的にふわふわで守りたくなるような雰囲気でとても愛らしいのだ。ここに居たのが自分ではなく男子だったら恋の始まりを感じてしまっていたかも知れない。


「じゃあスサーナは?」

「あ、ええとですね、ふんわり……こう、学者になろうかな……って思って、ええと立派な動機ではないんですけど。ほら、学者さんって凄くコネになるらしいじゃないですか。」

「王宮勤めを狙ってるの?」

「あはは、そこまでではないんですけども。」

「なれるといいね、応援する!」


 真摯な顔でミアに頷かれ、スサーナはちょっと目を逸らした。実に後ろ向きな動機なので実にキラキラした未来への希望みたいなものに溢れた子にはなんとなくバラしたくない。


 話しながら歩いて着いた廊下の突き当り、ミアがここだよ、と声を上げた。

 どうやら角部屋がミアで、その隣がスサーナのものらしい。


 鍵穴に鍵を通し、部屋のドアを開ける。


 部屋は六畳間ほどの広さで、一応ちゃんとガラスの嵌ったロンデル窓が一つ。

 板敷きの床に、寝具の乗っていないベッドが一つと、机が一つ、棚が一つ。木製のハンガーラックが一つ。それが家具の全部であるようだった。


「結構いいところでしょ? 予備のシーツと毛布はリネン室にあるから、持ってくるの手伝うよ」


 ミアがふふっと笑い、スサーナはうむ、新生活っぽい!と気合を入れたのだった。

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