第123話 新天地と入学式 3
「うーん」
「うううーーーん」
スサーナは唸っていた。
貴族寮から無事に退出した後、スサーナは平民寄宿舎を探すことにした。
どちらの生徒の生活場所も学院の敷地内にある、ということだけは判っている。
ヴァリウサの公学院は広大な敷地を擁し、行政区としてはそれ一つで小さな
流石に本当に都市というレベルの広さはなく、背後に湖と山脈を戴いた学院の外壁の中には主校舎7つと教授棟、美術館や図書館などの付随施設、練馬場に運動場をはじめとする地盤整備がなされた場所、教職員住居に男女それぞれ別の貴族寮、そしてスサーナが今探している寄宿舎、それから整備された森林と山野、が存在している……と、事前資料には書いてあった。
門前には起源が自然発生だという都市が発達しており、上空から学院の周りを見れば三日月状に学院の周りを都市が囲んだ学園都市の形状がよく分かることだろう。エルビラという名も元々は学院を都市として示す際の名前だったが、現在では周りに広がった都市の名称となっている。
……というところまで取り出した事前資料を読んで、スサーナは困っている。
何処にも寄宿舎の場所について書いていないのだ。
流石にわかりやすいところに地図や案内板はない。
とりあえず開けていると思われる方……ちゃんと石畳が整備されており、森だの湖だの方面ではなさそうな方にてちてち歩き、周辺をきょろきょろ見渡してみる、という手段で探すことを試みる。
多分なんとなく主要校舎がある只中には無い気がするので、それらしい方には寄らず、外周よりをうろつき続けてみることとするスサーナである。
てちてち歩く。
きょろきょろする。
早朝の光がだんだんと高みからの柔らかい光に変わりだした。
てちてち歩く。
きょろきょろする。
教職員はどうやら開校前でも出勤している様子で、そこらへんを忙しなく移動する人の数がぐっと増えだす。
てちてち歩く。
きょろきょろする。
「つっ……疲れた……!!」
スサーナは適当なところにあった石段に座り込んで息を切らせた。
判っていたことだが広いのだ。
どうも徒歩で移動し切る前提ではないらしく、何台も走る馬車を目にしたりした。
「……もしかしなくてもこれ、闇雲に探してもダメなやつですよね……広すぎる!」
スサーナはなぜ案内板の一枚もないのかと歯噛みする。
うっすら予想はつく。多分本来はまずそこに案内されるので、迷う余地が無いのだ。
――特に考えなしに出てきちゃいましたけど、寮の窓口の人が出てくるぐらいまで待てばよかったですね!
スサーナはよく考えればわかったことですよね!と忸怩たる思いで内心反省した。
――一旦貴族寮まで戻って守衛さんに説明したら窓口の人に取り次いでもらえないかなあ。
そのあたりを頼るのが穏当で解決まで早く、さらにあまり恥ずかしくない解決法のような気がする。流石に事情もわかっているはずの相手なので、完全に拒絶はされないのではないか、と思う。……もしされたら通りすがる人に道案内を頼むという手段が残されているが、それは流石にちょっと恥ずかしい気がした。
てちてち歩く。
貴族寮の入口まで戻り――
まず取り次いでもらえなかった。
「危機管理がしっかりしている……!!!」
スサーナはぐぬぬ口調で呻いた。
寮の守衛は貴族たちの身柄を守るということに心血を注いでいるらしい。
身元のよくわからない小娘がどうでもいい理由で貴族寮の窓口に取り次いでくれと言ってもすっと黙殺されておしまいだった。こう言ってみれば当然である気もする。
さてどうしよう。
スサーナは門に続くスロープの端の段差に座って思案する。
こうなったら恥を忍んで無作為に人を捕まえ、道案内を頼むしかなかろうか。
しかし、貴族寮の前に通りすがるならそれは貴族だろう。果たして貴族が平民に道案内を頼まれて快く応じてくれるというようなことがあるのだろうか。
無理じゃないかな!!
難しい顔で思案していたスサーナは目の前に人影が立ったのを見て目を上げる。
「おはようございます。きみ、さっきからここに座ってるみたいだけどどうかしたのかな」
話しかけてきたのは、年の頃15,6に見える大人しげな青年だった。
長めに切ったミルクティ色の髪が印象に残る優しげな顔立ちで、まだ開校前の期間だというのにきっちりと
「あっええと、おはようございます。お目障りでしたらすみません、道に迷ってしまいまして……」
スサーナは慌ててぴょこんと立ち上がった。
「目障りなんてことはないけど……。どこに行くの?」
「ええと、実は寄宿舎を探していまして……」
「ああ。場所わかるから、良かったら案内しようか」
無理じゃなかった!!!!
「申し訳ありませんが是非是非お願いさせて頂けますでしょうか!!」
スサーナは勢いよく頭を下げた。
歩いていける距離だし歩いていこうか、と言った青年と並んでてくてく歩く。
途中、石畳から離れて土の踏み固め道に入り、さらに雑木林の中に踏み入ってしばらくの距離を歩いたところで青年がふと思いついた、というふうに言った。
「寄宿舎なんかになんの用なの? ええとうちの学生? だよね? 教授に何か届け物を頼まれたかな」
「ええと」
――寄宿舎「なんか」って言いましたねえ。じゃあ喋ったら機嫌を悪くされるでしょうか。流石に案内打ち切りってことはないかな……?
スサーナはちょっとだけ思案して、それから素直に話すことにする。この場で隠して後々何かの折に顔を合わせた時に気まずいよりいいかな、という判断だ。
「新入生でして、これから寄宿舎に入る手続きに向かうところだったんです」
答えたスサーナに青年はえっと声を上げた。
「君みたいな子が寄宿舎に?」
顎をさする。
へにゃんと眉を寄せて青年はうーん、と言った。
「……やめておいたほうがいいんじゃないかなあ……」
「はい?」
スサーナは首をかしげる。
「学生は絶対寮か寄宿舎に入らなくちゃいけないわけじゃないから、町中に下宿して通ってる学生も沢山いるし、そうした方が……ああでも平民の人なんだね、お金とか色々問題が……うーん、でもな……」
なにやら思案している青年にあのう、とスサーナが声を掛けると慌てた困り笑いが返された。
「ああ、ごめん。決めるのは自分の判断だものね。」
ただ僕としてはあんまりお勧めできないかな、と呟かれる。
「平民でも女性はもっとこう、ちゃんとしたところのほうが……」
「ちゃんと……してないんです?」
「うーん、ごめん、僕には判断がつかないんだけど、あまり褒められたものじゃないとは思う。使用人の一人も付けられない所だから」
「……ええと、平民はまあ、そんなものかなあという感じは……」
「うーん、そうかな。差し出がましいことを言ってごめんよ。でも、なあ。」
首をかしげるスサーナの前をさっさっと青年が歩いていく。すこし行ったところで彼は、
「そろそろ見えるかな。ああ、あれあれ」
奥まった一角を指差した。そこには確かに建物があるようで、スサーナは青年に向かって深く頭を下げた。
「わかりました。これで大丈夫です! ええと、僭越ですがええと、なにかお礼を……」
と言ったものの、貴族に受け取ってもらえるようなお礼で礼を逸しないものというとなんだろう、とスサーナは悩んだ。淑女としては後日家からお礼状、といったところなのだろうが家を離れた学生生活かつ庶民のスサーナとしては悩ましい。
ここはやはりお茶にお誘いする、というのがセオリーだろうか、と口を開きかけた彼女に青年はパタパタと手を振った。
「あはは、気にしないでいいよ。学生は下の同輩を助けなくちゃいけないって教授も常々言っておられるから。」
「そ、そうでしたか、ええと、それじゃお名前だけでも……」
「僕はナタン。級位は3だよ。君は、名前は?」
級位というのはいわゆる学年のようなものらしい。学年、という扱われ方ではないのはつまり年度での持ち上がり制ではなく、試験進級制度だからだ。学院では人文四科目を修め終わった後に専門科目に進む、という決まりだ。進級試験は基本的には年一度のシーズンに行われる。
スサーナは資料にあった説明を思い返す。
三級は試験を2度クリアした、ということで、つまり彼は少なくとも2年は在籍している先輩で、――実は学院の入学は下限年齢があるだけで、上限はないので級位で年齢は測りづらいが――15か16なのだろうとスサーナは判断した。
「スサーナです。ええと、案内ありがとうございましたナタン先輩!」
スサーナは感謝を込めてしっかりと頭を下げ直した。
「あはは、ちょっとこそばゆいかな。じゃあスサーナ、学内で会ったらよろしくね。下の級位の子の監督に回ることもあるらしいから」
彼は笑うと小さく手を振って来た道を戻っていった。
スサーナはしばらく礼儀正しく見送り、それから向き直ってさっき指さされた建物の方に進む。
てくてく歩く。
てくてく歩いて、寄宿舎が近づいてくる。スサーナは足を止めた。
「こ、これは……」
細部まではっきりと見えるようになった建物をスサーナは見上げた。
今ならさっきナタン先輩がやめたほうがと口走った理由がわかる。
林の中にあるやや開けた場所。しっかりとした作りだった貴族寮の塀とは対象的な柵の中に建てられているのは木組み丸出しの木造の2階建て。
島では大抵は建材の上に厚く仕上げ塗りがしてあって、壁材全部が木材丸出しというのはあまり見かけたことはない。
建て幅は結構なもので、それなりに広そうだ。
しかし、古い。
全体的にボロっちい、という印象がどうにも拭えない建物だ。日本で木造建築を見慣れた目のスサーナですらそうである。あまりよくメンテナンスがされている、というふうではない。木組みに色むらが出てなんだかおどろおどろしい雰囲気さえ漂わせているようだった。
あんまり注視したくはないが、なんだか端の方の壁は木材が脱落し、上から雑に板が打たれているようにも見える。
スサーナは、いや、紗綾も、この手の建物に居住した経験は、ない。
「う、う、ううーーーーん」
スサーナは唸った。
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