第122話 新天地と入学式 2

 深夜の到着ということで朝までは寮の客室で過ごすことが許された。

 スサーナはお嬢様たちと一緒の部屋に入り、使用人の待機室の方に二人のおつきで付いて来たメイドたちと一緒に入ってソファを借りて丸くなる。お嬢様たちの一緒に寝ましょうよ、というお誘いはありがたくも丁重に辞退した。


 寝なければいけないなあ、と思ったものの、ぼんやりこれからのことや自分の出自のことなどを考えているうちになにやら外で鳥の声などがしだして朝がやってきたのを知る。


 ――すごく疲れてるからすっと寝られるかと思ったんですけど。変に興奮してるんですねこれ……。

 ややほやーっとした頭で考える。

 ――そういえば、これから共同生活なんですよね。

 元々寝るのが好きではないスサーナは――あまり良くない夢を見ることもなんだか最近多いし――疲労の極に達してから一気に寝る、とか、何か飲んでからマインドセット後入眠とかそんな寝方を好んでいたものだが、今後はそれが通用しない可能性が高いのだ、というこれまで思いつきもしなかった問題にようやく辿り着いた。

 ――絶対同室の子とかいるやつですよね……? 寝られるのかな、私。変な寝言で起こしちゃったりしてもいけないし。

 ちょっと地味だが由々しい問題だ。スサーナはとりあえず何か安眠しやすくなるような飲み物を今後は常備しようと決めた。


 旅装を緩めただけで横になっていたので支度は早い。

 スサーナは待機室に置いてあった水差しに水を入れ、顔を洗って手足を拭く。他の二人の使用人も起き出してきたので、水差しの残りを明け渡した。


「スシーちゃん、あんた頑張るのよ。アタシらはこれからちょっと顔を合わせづらくなるけど、なんかあったら言っておいでねえ」

「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。お嬢様たちとも昼間は会えますし!」


 心配顔のチータが声を掛けてきてくれたのでありがたくお礼を申し上げる。



 ヴァリウサの学院は庶民でも入学できる学校だが、流石に貴族と庶民では待遇が違う。暮らす場所が違うのだ。


 貴族の子女は『貴族寮』庶民は『平民寄宿舎』で生活が許される。

 違いはと言うと、最大分類はまあ単純な話、貴族寮は国家運営で、寄宿舎はそうではないということだ。


 貴族寮は国と各貴族から出資された石造りの壮麗な建物にしっかりとした衛兵、寮監の他に年齢集団ごとに世話係がつく。親の位と成績を勘案して広さと設備にやや差異がある個室が与えられ、下級の貴族はそれぞれ一人、中級は二人、上級貴族は5人までという使用人を伴うことが許されるため、使用人室と簡単なキッチン、衣装室、倉庫がそれぞれの個室ごとに用意される。その他に寮全体での使用人というものもおり、適宜身の回りのケアが行われる、という至れり尽くせりさ、らしい。


 もちろん寮則はあり、規律に従って生活する必要はあるが、雑かつ大雑把に言ってしまえばアパートメント式のタウンハウスに近いものを想像するとニュアンスはそこそこ比較的似たようなものになる。


 では、寄宿舎はどうなのか、といえば、実のところスサーナにはよくわからない。

 何故かと言うと、寄宿舎の詳しい説明が事前資料に書かれていないのだ。

 とりあえず、ある、ということと、自治団体学校ギルドと篤志家の出資による運営だ、と書いてあるばかり。


 実のところ、着くまではスサーナも貴族寮の方に入るらしいような手はずではあったのだ。少なくともセルカ伯はそう手続きしていたらしい。


 しかし、着いてみたところで寮の窓口の担当者に、学院当局の通達として「貴族寮に平民を入れるわけにはいかないため、寄宿舎の手続きをするように」と通知されたスサーナである。

 お嬢様たちはどよめき、苦情を申し立てたがスサーナとしては特に文句はない。

 むしろ

 ――おお、圧力に屈しない大学当局自治ってやつだ!

 と、ユニバーシティ性を感じ取ってうっかり目を輝かせたぐらいであった。


 と、いうわけで、スサーナはこれから自分の荷物だけを持ってお引越しである。

 手荷物はさほど多くはないが、最低限の着替えはあるし、当座のお金も持ってきてある。

 先に届いていた衣類なんかの荷物はお嬢様たちが責任を持って預かり、後で取りにくればいい――平民は寮に入れないとか言われたらチータを届けにやらせると憤慨しつつ約束してくれた――ということで、むしろ身軽でいいぐらいだ。


 開校までには流石に生活基盤をなんとかして置かなければ、と思うものの、後二週間ほどあることだし、それまでは宿に泊まったりしても問題はなさそうな気はするし、窓口の人も流石にスサーナを哀れんだらしく、寄宿舎には空き部屋はあるはずなので手続きをすれば即日入れるはずだから、とアドバイスを貰ったのであまり緊急性は感じていない。


 まだ眠そうな、というか、八割寝ている、というのが正確なお嬢様たち二人に挨拶をし、客間を出る。


 二階に作られた客間は外壁沿いで窓がある真っ直ぐな廊下に面していて、廊下一つとっても朝の光の中で見ると島の様式とはなんだか違う。それは同国内ながら知らない土地に来たという実感をスサーナに呼び起こさせた。


 深夜案内されたルートを逆に辿り、正面玄関から出ることに決める。

 少し物見遊山気分で建物の様式が気になったものの、下手な冒険をして道に迷うのは良くなさそうな気がしたので我慢する。ただでさえ慣れない場所の上、貴族寮に入り込んだ平民という立場である。


 外壁沿いの廊下を少し歩くと、部屋の側面に作ったものではないアーチ天井の大廊下に接続している。灰石造りで要所要所に装飾があり、スサーナの感覚だとルネサンス建築を思わせるスタッコ細工やら天井画やらが飾られていて美しい。


 天井が高く幅10mほどありそうな廊下を一人でてくてく進む。

 早朝である所為か人気はないようで、それをいいことにスサーナはのんびり装飾を見物しながら歩いた。

 使用人たちも出ている様子はないが、これは神殿がそうであったように雑用のための狭い廊下が別に設えられているのかもしれない。


 いくつめかの壁際の彫刻をちょっと良く見てみようと歩み寄ったタイミングでスサーナは近くに開いた細めの廊下からバタンガタンという静謐とはあまり言い難い音が響くのを耳にした。

 ――今のは……

 ちょっとだけそちらを覗き込む。とりあえず近づいてみる、という行動よりも一段警戒心を持った行動を選択したのは誘拐事件のおかげで多少警戒心が増加しているためである。


 外向きの観音開きのガラス窓が一つ開け放たれ、そこから誰かが窓枠を乗り越えて入り込んでくる所だった。


 ――えええ、侵入者!?

 一瞬スサーナは固まる。全然知らない場所で、とりあえず大声で叫んでいいものか、人を呼んでいいものか、人を呼ぶならこういう時に頼れそうな人間が何処にいるのかもよくわからない。


「よしょっと……あ。」


 入り込んでこようとしている人物は呑気な声を上げると、驚愕の表情で固まっているスサーナに気づいたようだった。

 ブラウングレイのくしゃくしゃした髪を前髪だけ残して後ろにひっつめた、同じぐらいの年齢に見える少女だ。


「ごめんなさーい! 寮監には言わないで!」


 間の抜けた悲鳴にどうやら寮の住人らしい、とスサーナは判断し、


「あ」

「ふえ」


 叫んだ拍子に窓枠から手が離れたらしい少女が後ろにぐらっと揺れるのに慌ててダッシュし、相手のバランスが崩れきる前になんとか飛びついた。



「わあぁぁ!」

「あああっちょっとしっかり! 大丈夫ですか!?」


 ほうほうのていで少女を引っ張り、窓から引きずり込む。

 スサーナの肩にしがみついた少女はなんとか体勢を立て直し、ふはあと大きく息をついた。スサーナはその腕をさらに掴み、体重を支える助けになる。


「び、びっくりしたーーー!!」

「こっちの台詞ですよう、ええと後ろに下がりますので、窓枠をしっかり掴んでくださいね」

「うん、もうダイジョブ。あっ、寮監は呼ばないで!」

「ええと、呼びませんので、ゆっくり入ってください。あのう、寮の住人の方ですか?」

「ああ、うん。……ってことは新しく入寮する新入生?」


 なんとか窓枠を乗り越え終わり、ぱっぱとズボンを払った彼女は人懐っこく微笑んだ。


「いやあ、参っちゃったな、こんな朝早くに誰かいるなんて思ってなくて。ようこそ白百合棟へ。」


 えへへと照れ笑いする少女にスサーナは曖昧に頷いてみせる。


「はあ、まあ。ええと、寮に入る者ではなくて客室に泊めていただいたものでして。今から外に出るところですので、ええと、ご安心ください?」


 とりあえず泥棒とか暗殺者とかその手のものではないと言うなら用はない。スサーナは一礼してきびすを返し、


「ねえねえ君、待ってよ。寮生になるんじゃないの?」


 てちてちと後ろをついてくる少女に足を止めた。

スサーナが足を止めると彼女はスサーナの目の前にぱーっと走り込み、そこで止まる。



「ええと……実は深夜に来たので泊めて頂けただけでして、ええと、寄宿舎の方でお世話になるものです」


 返答したスサーナに少女は榛色の大きな目をきょとんとさせる。


「えっ、じゃあ君平民? じゃあ頭良いんだね。ボクはフェリシアナ。フェリスって呼んでおくれね。」

「はあ、ご丁寧に……ええと。スサーナと申します……?」


 スサーナは何故この場で自己紹介が始まったのはいまいちわからない気持ちで首を傾げつつ一礼した。


「なるほど、いい名前だ! ねえスサーナ、キミ新入生でしょ?」

「ええ、まあ、そうです……けど。」


 うんうんと一人で頷き、なにか楽しそうにする彼女をスサーナはなんとなく扱いかねる。普通人は全然知らない寮で窓枠の向こうからやって来た少女と相互自己紹介をし合うことはあまりないと思われるのでまあ当然のことである、ような気がする。


「じつはボクもそうなんだ! 5日ぐらい前からいるんだけど他の新入生はまだ全然居ないしさ、居てもいまいち話が合わないしつまんなかったんだよねー」


 と、いうわけで、とリズミカルに声を上げたフェリスはぱっとスサーナの手を取った。


「麗しのスサーナ、ボクとおともだちになろーう!」

「ふえ」


 スサーナは目を白黒させた。


「あ、あのう。」


 腕を縦シェイクで振り回されつつ急いで声を上げる。話の飛び方に微妙についていけない。


「さ、さっきの私の話を聞いてらっしゃいました? あのですね、私、……ええと、寮に入るわけではないですし、これから寄宿舎に向かう……つまり平民でして、こう、お友達とかそういうのは恐れ多いと申しますか……」

「えっ、そう? イイね平民。ボク、他の令嬢たちよりキミのほうがいいな。助けてくれて親切だし。窓から入ってきたボク見ても驚いて卒倒したりしないし、普通に話し続けてるし。なにより」


 言いながらフェリスは自分の太腿をぱしぱしと叩いてみせた。


「ズボンを履いてるの見てきゃあっなんて恰好を!なんて言わないじゃない。平民がみんなそんな感じならボクいっそ寄宿舎のほうに行こうかな。」

「ええと……平民でも女の子のズボンは珍しいかなと……気にすると思います、普通は、多分……。」

「そっかー、残念。じゃあキミはなんで? ボク女の子に見えない?」

「いえそんな事は。ええと、島…の生まれなんですけど、そっちだとたまに穿くかな……みたいな……」


 女の子に見えないかという質問はとっさに否定したスサーナだったが、彼女は細身ですらりとした体型で、まだ女性らしいかたちになっていないため、中性的な雰囲気で、活発な表情も相まってなんとかこちらの人間が見てもズボンを咎められず済むのではないか、という風情だ。初見でスサーナが女子だと判断したのも実のところ上半分がきれいにデコルテを出しフリルで飾った衣装だったから、というのもあった。

 実の所を言うと島でも女性のズボンはほぼ見ず、特に若い女性では見ない。スサーナが見ても違和感を感じないのは前世の慣習ゆえなのだが。

 フェリスはへえそんなとこあるんだ!と笑う。


「というわけで決まり決まり! いいでしょ? 5日分のアドバンテージを生かして市内案内してあげるからさ!」

「ええ……ダメではないですけど……」


 ずいぶん急な話だ、とスサーナは目をぐるぐるにした。

 お友達とはなんだかもうちょっとじっくり双方の人となりを見極めた後になるものではなかろうか。


「ダメではないですけど今はちょっとダメです。ああええと友達はいいんですけど、案内はその、これから寄宿舎の手続きをしなくてはいけないもので……。」

「あ、そーなんだ。じゃあお昼はどう?寮の入り口脇の噴水で待ち合わせてさ。いい買い食い場所教えてあげるよ」


 グイグイくるフェリスに、ええそれなら、と言いかけてスサーナは首をかしげる。


「ええと、まだ規約をしっかり見てないんですけど、平民の生徒って貴族寮の門の中に入っていいんでしょうか……?」

「えっ、考えたことなかった。今キミ入ってるけど……」

「それは特別に許可していただいてなので……?」


 双方一思案となる。当然スサーナはどんな待ち合わせ場所があるかなど一切まだ知らないし、どうやらフェリスも他の待ち合わせ場所の心あたりがあるほどには慣れていない様子だった。


「うーん、まあ、なんとかなるでしょ!」


 先に思案を打ち切ったのはフェリスの方だった。


「ダメだったら門の前のところにいてよ、そしたら迎えに行くから! じゃあボクは朝の見回りがくる前に部屋に戻ります! じゃあ昼にね!」


 ばばっと手を振り、廊下の奥に向かって走っていく。

 慌ただしい人だなあ、と見送ったスサーナは、窓に駆け寄った時に放り投げた荷物を拾い上げ、太い廊下に戻る。するといかにも厳格そうな女教師めいた雰囲気の女性が歩いてくるのでははあと納得した。きっと見つかるととても叱られるとかそんな事があるに違いなかった。


「もしもし、あなた。何をしているのです」


 見咎められ、スサーナは丁寧に一礼し、何食わぬ顔で答える。


「昨日深夜に到着し、客室をお貸しいただいたものです。玄関まで戻ろうとしていたのですが、少しルートがわからなくなってしまって。」

「そうでしたか」


 女性はやや眉を寄せた。


「みだりに寮内をうろつかれては困ります。玄関まで案内しますのでついていらっしゃい。」


 くるっと今来た方を振り向いた見回りの女性に、スサーナは耳をすませばまだばたばたと走る足音が聞こえる自分が来た方の細い廊下を意識し、多分まああの子もこれで叱られずに済んだのではなかろうか、とヤレヤレという気分になりながらその後に続いたのだった。

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