13歳からのモラトリアムのすすめ。
庶民のための公学院入学案内
第121話 新天地と入学式 1
温暖な諸島の冬は駆け足で終わってゆく。
雪はその後二度降り、ろくに積もりもせずに春に向かう気温に立場を明け渡した。
スサーナの本土の学院入学の手続きはトントン拍子に進んだ。
奥方によると、二人で申請する予定だったものをぜんぶ三人にするだけだったので楽でしたよ、ということだったが、きっといろいろ苦労もあったことだろうとスサーナは感謝する。
家族達の反対もスサーナは覚悟していたが、さほどのものではなかった。
もちろん、考え直すように言われたし、本土がどれほど危ないところなのかみんな入れ代わり立ち代わり一度は言いに来たけれど、スサーナが学院で学問をやってみたいのだ、と言うとみなあまり強く言えずに黙ってしまうのだ。
どうやら、皆から少しずつ聞き出したことを総合すると、亡くなったおじいちゃんは若い頃に同じように言って学院へ行き、学者にはなれなかったものの、珍しい布の買い付けルートと高品質の織り機やらのよい道具、それから島ではそれまでなかったデザインを引っさげて戻ってきて、零細仕立て屋だったお店を空前絶後の大繁盛させ、今のお店の基礎を作ったのだそうだ。
これでおばあちゃんはまず強く反対できないようだった。
そして、明らかになった新事実として、スサーナの「お父さん」はそのおじいちゃんの夢を背負って学院へ進学したのだ、という。
しかしすぐにおじいちゃんが亡くなり、一年でお父さんは学院を辞め、おばあちゃんが店をなんとか立て直す傍らお父さんは島へは戻らず傭兵になって多額の仕送りを送りつづけ、幼い弟妹を養ったらしい。
というわけで、――スサーナにはこっそりけっこう胸が痛いながら――これまではそんな様子はわずかにも見せなかったのは知らんふりで、紗綾の頃培った学問への思い――例えば知らない物事への興味や、蓄積された文化へのあこがれをそれらしく語ってみせると、お父さんの夢を継ぐ、とか、おじいちゃんとお父さんの血なのかな、とか、叔母さんたちと叔父さんは感慨深い方に行ってしまうため、そこからの説得は非常に簡単だった。
――嘘ではないですけど。でも、本当にそう思っていたのは今じゃないんですけどね、ごめんなさい、みんな。
厚い層のように積もった文化や人類の痕跡、知らない人々の生きた
だからこれは嘘で、皆が見出しているお父さんの痕跡は幻想だ。スサーナはそっと懺悔する。
むしろ最高に難航したのはフローリカの説得だった。
「スサーナちゃんが学院に行くなら私も行くーーー!!!」
本土の学院に行くつもりだ、と話したスサーナにショックを受けたフローリカはまず泣き、次にスサーナの意志が固いと見て取ると即座にご両親のもとに駆け込んで一世一代フルパワーの駄々をこねた。
一度は宥められたものの、部屋にこもってまる2日に及ぶハンストを決行、スサーナとフローリカのお家の人たちの顔色を真っ青にさせたのだ。
困ったのはニコラスさんとイルーネさんだ。
フローリカはスサーナと違ってお店を継ぐ予定の跡取り娘で、商業部門があるわけでもない本土の学院に出すような予定はまずなかった。
それでも――驚くべきことに!――フローリカが学を修めたいと言うのならば役立つこともあるだろう、と学院の入学資格を調べだしてくれたらしいのだが、スサーナがフローリカにそのことを伝えたのは
いわゆる願書の提出時期はとっくに超過している日程だった。
貴族ならそこからねじ込むことも可能だったのかも知れないが、コネがあるわけでもないフローリカのおうちには無理な話だったらしい。
それに、いくら大店の娘と言っても庶民のフローリカは、貴族のお供でさらに言えばどうやらなんらかの功績を鑑みて推薦付きで入学するスサーナとは違い、入学許可を得るためには試験が発生する立場である。
どれほど頑張っても入学許可を得るのは来年度の入学からになる、ということを知ったフローリカは力いっぱい拗ね、スサーナに週に一回絶対に手紙をかくことを約束させ、休みには必ず帰ってきてフローリカと遊び、一年遅れで絶対何が何でも学院に行くんだから待っているようにと誓わせて、それでようやくお怒りが解けたようであった。
講の友人たちはそれに比べれば平和なものだ。
みな、年明けに講を終了し、それぞれの進路に進むということが決まっているせいか終業式の日にスサーナが進学するつもりなのだと告げてもあまり驚きはしなかった。
アンジェが少し、じゃあこまめに会えなくなっちゃうじゃない、と膨れはしたものの平穏に祝福され、激励される。
「まあスイはここの講だとダントツで一番成績が良かったし、先生から学院行きを勧められてると思ってたからさ。一番成績の悪いドンとか丁度中ぐらいの僕だとそんなことないけど。」
肩をすくめたリューが、何かお祝い見繕っとくね、と言い、ドンがなにやら頭でも殴られたような顔をしながらも休みには絶対戻ってこいよなみんなで遊ぼうと何回も念を押した。
噂はすぐに講じゅうに広がったらしい。
目の色を変えた女の子たちが殺到してきて、スサーナはもみくちゃにされ、休みには本土から恋愛物語を仕入れてきてくれるようにと知った顔の相手から全然知らない女の子までやって来ては懇願されつづける。
あんまりにもその反応は予想通りだったので少し面白くなってしまったスサーナであった。
講の教師が言うことには、この年に本土に渡るのはスサーナを含めて3人。
学院へ行くのはスサーナと、別の場所の講に通っていた男の子が一人だそうで、せいぜい数年に一人の割合しか居ない普段に比べると、格段に多いのだということだ。
少ない少ないと言ってももう少し多いものだと思っていたスサーナは、なるほど諸島から出るのが珍しいと言われるわけだ、と納得した。
そして、
セルカ伯邸では各種書類の他にはレティシアとマリアネラ、そしてスサーナのぶんの羽根ペンや石版と石筆、そして学生身分を証明するための記章のついた
他にも普段着など用意するものはいろいろあったものの、それはおばあちゃんが張り切り、日常使いの衣類はお嬢様がたのものまでスサーナのお家から一通り納入されていた。
手のこんだ作りに奥様が狂喜乱舞し、お願いするならやっぱり絶対
学院は第二の花の月の初日から学期が始まる。その半月ほど前から、お嬢様たちとスサーナは一足先に寮に入るために本土に渡ることになっていた。
ヴァリウサで教師になることを受諾したらしいクロエは騎士達と一緒に寒さの月の終わりに本土へ行っている。
セルカ伯が本土に帰還するのはもう少し先になるが、レミヒオを連絡係に小まめによこすようにする、と約束してくれたので、気のつく小間使いとしても同年代の友人としてもそれなりに彼を重宝しているお嬢様たち二人は喜んだ。
スサーナはあれから少し、自分の知らない自分のことを知っているような気がするレミヒオになんとなく接しづらいような気がしていたけれど、それでも一日置きぐらいには顔を合わせて気安い付き合いをしていた相手だけあり、いないとなるとそれはそれで落ち着かない気もしたし、多分数少ない鳥の民の話題の共有相手なので、伯の言葉はホッとするものだった。
――あの時実は立ち聞きしていたんです、とお伝えしてしまえばいいんでしょうけど、なんとなく言いづらいんですよね。
あの日からすこし距離が開いた感じがするスサーナに対し、レミヒオはなにかもの問いたげな目をする事もあったが、特に何か言ってくるということはなかった。
――そういえば黒犬さんは島を出たのかな。あれからちゃんと話そうと思っていたのに、なんだかずるずる話さず終わってしまいましたけど。
その事も含め、レミヒオにはちゃんと話さないといけないな、とは思っているのだがなんとはなしの勇気が出ない。そんな状態のスサーナであるので、一旦本土に行くことで気持ち的に仕切り直しが出来るのはとてもありがたいことだ。
何事にもえいや、という切っ掛けは大事なのだ、とスサーナは思っている。
出発前の晩、一通り自分でする準備を整えたスサーナはしばらく悩んでから荷物に貰った服と一番上の一枚を取ってから便箋を入れ、実は進学することになりました。明日本土の学院に向かいます、お米のことはお家の人に言ってもわからないと思うので休みに戻ったらご連絡させていただきます、と書いて便箋を飛ばすことにした。
次の日の明け方、出発前のスサーナが窓を開けると、外には超自然のなにか、使役体とクーロが呼んでいたものに少し似た小動物めいたものが止まっている。
携えていたのは普通の紙の切れ端に了解したとの文字と、持っていくように、と走り書きされた包み。
中には胃腸薬らしい錠剤の瓶と抗生物質に類似した効果らしい錠剤の瓶とその説明書き、ついでに井戸と同じ仕組みらしい小さな水筒が入っていたのでスサーナはあまりのそっけない餞別に喜んでいいのか突っ込んでいいのかよくわからなくなった。
そんなふうにして色々な準備の日々を過ごし、お嬢様たちとスサーナは第一の花の月の中日、夕方の最後の本土へ向かう船に乗った。
2日を船の中で過ごし、船酔いでくたくたになって辿り着いたのは本土の南岸、プラヤリカと呼ばれる大きな街で、そこからまた2日馬車に乗る。
四日目の深夜に辿り着いたのがエルビラと呼ばれる都市だ。真理の都という別名が指し示すように、そここそがヴァリウサの公の学院が置かれた、いわゆる学園都市なのだった。
街門を開いてもらって都市に入る。
真夜中だと言うのに人のざわめきが絶えない様子に、くたくたに疲れてはいたものの馬車の窓越しにスサーナはすこし興奮した。
島では夜中に明るい場所はそれなりに術式付与品の灯りを使っている場所だったりしたものだが、ここでは小径だろうが広場だろうが人がおり、灯りも吊るしろうそくだったりランプだったり、場所によっては松明だったりするようで、様々だ。
「こんなに夜中まで明るくしておきたいなんて、何をしているのかしら」
レティシアが不思議そうに言う。
出歩いているものの多くは成人間際か成人が済んだような男性で、一応学生の印のハーフローブを身に着けているもの、チュニックなどの軽装でいるもの、様々だ。
学生街みたいだな、とスサーナは連想した。何処の世界でも学生は似たようなムーブになるらしい。
「クラウディオ様のお手紙に書いてありましたわ、夜中まで討論をしたりしているのだとか……学生の方々は熱心なのですわね」
マリアネラが声を弾ませる。
スサーナはいやあ、お酒飲んだりしている気配もありますし、リア充ーーー、いえ、古い単語ですけど、全体的な印象として言うならば ”バンカラ学生”~~~!みたいな雰囲気も感じなくもないんですけれど。と思ったが、そっと黙っておくことにした。
マリアネラはずっと想っていたレティシアの従兄と同じ学院に行くということで、どうやらじわじわと実感が出てきたらしい出発の日からふわふわ浮かれっぱなしなのだ。
今や何か喋るたびにクラウディオ様が、とか、お手紙では、と一文ごとに引用通知が入る次第である。
「クラウディオ様もああしておられるのかしら……」
窓の掛け布の隙間から外を眺めるマリアネラは完全に夢見る乙女の目で、スサーナはニヨニヨと見守ることにした。斜め前を見れば、マリアネラの横に並んで座ったレティシアもどうやらスサーナと似たようなウフフ系の目をしている。
「そんなはしたないことをされなくても、同じ学院にいらっしゃるんですから会えますよお嬢様! さあその布を引っ張るのをやめて、きちんとお座りくださいな!」
同乗したチータがマリアネラを諌め――貴族の子女が掛け布から外を覗くのは結構にはしたない行為だ――馬車は彼女たちがこれから暮らすことになる寮に向かって深夜の道を走っていく。
スサーナはレティシアと目を見合わせてにんまり笑った。
あまり前向きな動機で来た場所ではなかったけれど、友人の恋模様を見るのは目先の楽しみだったし、それでも新しい環境と学院という響きは、それなりに心躍るものだった。
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