挿話 寒雷 5

 戻ってみれば、リビングルームらしき場所に用意されていたのはスサーナには用途がよくわからない道具だった。

 数枚の金属板が銀線で繋がれていたり、途中にガラス球に封入されたなんらかの植物……植物由来っぽい培養細胞塊みたいなものが見えたり、それがさらに金属パイプで何かよくわからないものに繋がれていたり、よくわからない可動機構らしき構造物が見えたり、というようなものが大きめのティーワゴン程度の移動キャスター台に収められている。そしてその大体には銀色のインクで何かが緻密に書き込まれているように見えた。

 スサーナが前世で培った魔術っぽさのイメージとケレン味的にはこれまで見てきた中ではなかなか上位に高い、と言えるかもしれない。


「な、なんなんです、それ」


 スサーナは開口一番目を丸くする半分警戒半分で待っていた第三塔に問いかけた。

 普段見かける術式付与具はことごとくもっとシンプルで直感的なデザインをしているか、見た目上は洗練されている。


 戻ってきたスサーナに視線を向けて顔色やらを確認していた第三塔は、毛を逆立てながら見慣れない物品の周りをぐるぐる回る猫を連想したようだった。


「魔術行使の補助用具だ」

「ほじょようぐ」

「そう。同時に複数維持をするのが面倒な術式の一部を肩代わりさせる為の物だと言えばわかるだろうか」

「ほへえ……」


 入り口から少し入ったところでワゴンを見つめている娘に魔術師は座るよう促す。


「近づいて何か害があるものではない。用事の話をするからこちらへ。聞きたいこともあるし座るといい。」

「あ、はい。」


 微妙にワゴンを避けるルート取りでソファにより、とりあえず座ったスサーナはスツールを引き寄せた第三塔が向かいに座るのを見上げる。


「ええと、聞きたいことってなんでしょうか」

「ああ」



 そうだな、と言った第三塔は、やや思案したような顔をして、どうやら言葉を探したらしい。


「夏に書いた術式があったろう」

「夏に……あっ! はい、ハンカチですよね! ……あのう。ええと、どうかしましたでしょうか。お返ししたほうがいい……とか……」


 彼の言葉に勢いよく頷きかけたスサーナは言葉の途中でみるみる失速し、すうっと目を逸らした。

 該当のハンカチは先だってのごたごたの際になんだかよくわからない経緯で王宮の魔術師だという美しい女魔術師に持ち去られてしまったのだ。貸し出したレンタルとして今更返却を求められても如何ともし難い。



「いや、そうではない」


 返った声はなんとなく歯切れが悪い。


「元々あれは君の持ち物だろう。いや……あれはどうやら夏には使われなかったようだが、その後適切に機能しなかったらしいと聞いた。」

「はい?」

「こちらで精査はしてみたが、術式記述自体に誤記は無かった。確かに冗長性と信頼性設計を欠いた式ではあったがあれだけ単純なものでまず起動しないということはなにか条件設定に重大な見落としが――」

「あの、あのう! ええとですね、夏、使いました! ちゃんと役立ちました!」


 なにやら流れるように専門用語混じりの早口になりかけた魔術師に慌てたスサーナはあわあわとした手付きで言葉を力強く遮った。


「こちらに戻ってきたものは魔力が充ちていた。あれは使い切りのつもりで拵えたものだから、一度使ってしまえば込めた魔力を消費しきるはずだが……」

「ばちってなってですね、青っぽい障壁? みたいなのが出て、当たった人が気絶したので使えてたと……思うんですけど……」


 尻すぼみに疑問形になったスサーナに頷いて彼は眉をひそめる。


「想定の動作だ。……となると、再装填か。とするとまずいが……妙だな。」

「な、なにか問題でも……?」


 スサーナは言葉に出てきたまずい、という単語に身をこわばらせた。よくわからないが自分の使い方が悪かったのだろうか。ただでさえ使い切った後で捨てずに持ち歩いていたのだ。

 何も起きていないように思ったが、例えば使い切った電池が溶けるような問題があったのかもしれない。


 思考の引っかかりが口に出た、というふうだった第三塔は怯えた表情になったスサーナに一度伏せかけた目線を戻し、ああ、と首を振ってみせた。


「……いや。 そうだな、夏に君が見た……闇取引があったね。」

「は、はい。」

「あれは地脈にをつけることで魔力の噴出点を作り、そこに術式付与具を浸すことで再装填を行っていた。」


 第三塔の教師めいた説明口調にスサーナはこくこくと頷く。


「はい、それで地脈の魔力が足りなくなった……んですよね。」

「そう。つまり、術式付与された道具は簡単に偶然再装填がされる、というものではない。それが再装填されたなら、それは一度に大量の魔力に触れた、ということだ。我々の把握していない地脈の傷が存在するのではないか、という可能性を考えた。」

「ええっ、お、大事じゃないですか!?」


 スサーナは悲鳴をあげた。夏にどんな酷い目に遭ったのか、流石に忘れてはいない。

 つまりそれは、島の結界を維持する魔力が足りなくなって魔物が入ってくる可能性がある、ということだ。

 どうやらあれは騎士が倒せたりするものらしいが、だからと言って驚異には違いない。人を喰うようなものが入ってきていいわけはないのだ。

 それに応えて第三塔が小さく横に首を揺らす。


「だが、島を巡る地脈の管理は今それなりに気を使われていてね。……魔力量も監視している。何処かで減っているなら判るはずだが、少なくともそれらしい減りは観測されていない。」


 冬の初めにあった事件の結果、貴族たちが地脈に傷をつけて作った儀式場は魔術師たちの管理下に入っていた。彼らの目を逃れた儀式場があるというならば大問題だが、地脈の傷が残っているなら観測データに出ていいはずだった。


「あ……だから、まずいけど妙なんですね」


 つまり何処かで大量の魔力が溢れているかもしれないような証拠が出てきたのに、実測だとそういう形跡がない、ということか。スサーナは納得した。


「ああ。さらに言えばその手の場は大抵地下にある。そういう場所に行った覚えは?」

「……ないです。」


 スサーナは首を振る。ハンカチを持って行った場所はそこまで多くない。基本的におうちとセルカ伯のお宅の往復、たまに講に持ち込んだぐらいだ。誘拐されたときも地下には閉じ込められたことはなかったように思う。


「なら、結界についての問題ではない。多分ね。君が気にすることではない。」

「じゃあよかったです……けど、なんででしょう?」


 安心させるように言った第三塔にスサーナは首を傾げた。思い返してみればその再装填がされていなければハンカチを持ち去られることは無かった気がする。

 スサーナはハンカチを持っていかれてしまったことをほんの少し根に持っていた。

 ……それが無ければ代わりに自分の怪我もクロエの体調も直してもらえなかったかもしれないので、痛し痒しではあるのだが。


「そうだな。こちらとしても原因は少し洗っておきたい。何か普通とは違う出来事に出会ったことがあれば教えて欲しい。」


 魔術師は腕を組む。


「再装填が起こる条件はさほど多くない。意識的に魔力を込めるのでなければ、方向性の薄い大量の魔力に曝露するというのが必要だ。……まさか、君が誰か魔術師に再装填を頼んだということはないだろう?」

「ない、ですけど……あっ!ええとあのですね、すぐ側で魔術は見ました! ……それは関係ないでしょうか?」


 スサーナはスサーナで再装填の起こった時期を想定しはじめていた。

 あれは自分が他者に攻撃された際に働くものだ、と聞いていた。つまり、埠頭で殴る蹴るされた時点では再装填がされているはずがない。式自体にミスがあるという可能性ははなから想定しない。きっとあの時それが終わっているなら発動したはずだ、とスサーナは確信していた。

 ならば海に出てから起こったことが関係していて、となると心当たりはそれぐらいしかない。

 帰った後でそれがとても凄い魔術なのだとフィリベルトに聞かされた潮を操る大魔術。何が凄いのかは聞かせてもらえなかったが、凄いというからには凄いのだろう。大量の魔力が溢れるぐらいはするかもしれない。


「いや、それは違う」


 スサーナの予想に第三塔は首を振る。


魔術師われわれが魔術を使う際は術式を介する。魔力も方向性を持ったものになるため、術式付与品に触れたとしてもそちらに吸われるということはない。」

「そうですか……」


 じゃあ心当たりはない、と言いかけて、もう一度あのときのことを思い返したスサーナの表情がふっと強張った。


「ええと。」


 ついさっき、と呼ぶには気持ちの上でだいぶ前の出来事のような気のするここへくる前、意識の範疇から詳細な内容を追いやっていたレミヒオと黒犬の会話の内容を思い返す。

 埠頭での出来事のことをレミヒオは疑わず糸の魔法だと言った。


 なんとなくあれのことを思い返すのも今口にだすのも嫌なスサーナだったが、多分用事のメインは今の話題、つまり原因究明なのだろうから、嫌だから喋らない、などという愚かなことはしたくはない。


「ええとですね、魔術師さんの魔術はそう、ということは、漂泊民のもそんな感じなんでしょうか?」


 とりあえずスサーナはまず迂遠に口に出した。


「『糸の魔法』か……。確かに環境そのものに……だが……いや……あまりに魔力量が……」


 第三塔は短く瞑目し、どうやらスサーナにはよくわからない仕組みか何かを考えたようだった。切れ切れに何かつぶやき、眉間を寄せて何か思考する。


「ということは、『糸の魔法』を見る機会があったのだね」

「はい、ええ、ええと。その、この間ちょっと国外の貴族の方に誘拐されまして、その時に……」


 魔術師は盛大に表情を引きつらせた。




 待ちなさい、詳しく、と言われた後に彼が魔術人形を呼びお茶を言いつける。どうやら動揺したらしいことがなんとなくわかった。どうやら第三塔さんは誘拐のことを知らなかったのか、とスサーナは逆に感心してしまう。

 しかし考えてみれば当然のことだった。そうそう話す前からなんでもお見通しのはずがない。他国の学者が誘拐されたということがあの事件のメインであって、おまけで誘拐された侍女の話はどうも話を聞くに表に出ていないし、魔術師さん達の間で話されるような大事件でも無い気もした。


 とりあえずまず経緯を話せとせっつかれ、ざっと勘違いで誘拐されて閉じ込められて、国外に運ばれるところだったのだと話したスサーナは第三塔が頭でも痛そうに額を抑えるのを見る。


「君は、なんにでも巻き込まれるな!」

「私のせいじゃないですもん!!!」


 スサーナは全力で抗議した。


「なるほどあの人が怒るわけだ。確かに命に関わる」


 魔術師は茶を啜りため息をつく。


「あの人」

「ハンカチは私の師匠が持ってきてね。使用者が加害される状況で発動していない、必要用件を満たさない欠陥品だと非常にお怒りだった。何かあったのだろうとは思っていたが、経緯を説明しない方で……。まさか君がヤロークの件に巻き込まれていたとは」

「ええ、まあ、実は。……あの、お師匠様ってもしかして凄くお綺麗な女の方で」

「王宮で「王の友人」をやっている魔術師だ。」

「ああー……。すみません、ハンカチ、お師匠様が持ってお行きになる時にそれっぽいことは仰られてました……。ちゃんとご説明しておけばよかったんですけど」


 ハンカチを奪われる際にあの美しい女魔術師がそれはもうものすごくボロクソに言っていたことをスサーナは思い出す。なにせマイナスにひゃくてんだ。

 びっくりが先にたった所為でろくに反論も出来なかったが、もうちょっと食い下がっておくべきだった。


「まあ、それはいい。それで、その際に漂泊民の魔法を?」


 第三塔が問いかけたために、いやあ想像もつかなかったけどこの人にも師なんてものがいるのだなあ、とか、師弟で並んだらどんなラグジュアリーなことになるんだろう、美人揃いとか魔術師さん達はどうなってるの、とか、逸れに逸れはじめていた思考をスサーナは急いで立て直した。


「はい。ええと、逃げ出したら見つかってしまってですね、ちょっと斬られかけて、その時に……ええと、剣を抑える感じで草みたいなものが現れたりしてですね、おかげで斬られないですんだんですけど、それのことを糸の魔法だと言っていた方がいまして」


 とうとう第三塔が頭を抱えた。


「なるほど経緯は理解した。激怒された理由も非常によく判った。」


 呻く。


「ええと……なんだかすみません……」


 スサーナは意味のわからない罪悪感をなんとなく感じ、目を逸らした。

 大丈夫ですよちょっと骨が数本どうかなっただけだったので、とかは賢く言わないでおくことにする。


 魔術師はひとつため息を深く深く吐き、気を取り直したらしい。


「再装填の理由は多分それだろう。……彼らの魔法で現れるのは確かに方向性を定めない魔力だ。身の内にある魔力を外に呼び出して使う魔術師われわれの魔術よりもずっと神々の権能に近い、環境に遍在する魔力を集めるものだから、一時的に地脈に近い状態になったというのは有り得る話だ。漂泊民カミナたち自身は「世界に愛される」と呼ぶものだね。」

「お詳しい……んです、ね?」

「人並みにはね。」


 そういえば魔術師も漂泊民も魔法を使うひとたちなのだから、魔術師が漂泊民の魔法に詳しくてもおかしくなかったのだ、とスサーナは気づく。

 胸がチリっと痛む。

 うさぎさんのことをもっと早く聞いていたら、もっと早く本当のことが判っていたのかもしれないのか。

 聞いてしまっていなくてよかった。スサーナは胸の中でそう呟いた。



「ええっと、お役に立てましたでしょうか!」


 スサーナは強いて声を弾ませる。


「ああ。十分だ。これで反省文よりは少し実のあるものが書けそうだ」

「反省文……」


 おもしろい絵面を想像できそうな単語に思わず食いつきたくなるが、なんとかそれは我慢できた。

 これでご用事が終わりなのだと言うならもう少し楽しい話をして、それから送ってもらうというのが一番気持ちよくいられそうに感じたが、眼の前にある明確な確認の機会を逃すというのは害悪であるような気がした。

 もしかしたら、万が一違うかも知れない。



「ええと、ご用事はこれで終わりでしょうか。あの、つかぬ事をお聞きしたいんですけど……」

「まだ一つあるにはあるが。……どうした?」


 固くなったスサーナの表情に第三塔は少し眉をひそめ、目線で先を促した。


「あの、その、見た糸の魔法なんですけど、ええとですね、えっと。」


 スサーナは言葉を探し、息を吸って吐く。


「わ、私が使ったってレミヒオくんが、あっ、えっと、使ったって言ってた人が居て。それで、あの、混血……とかでも魔法は使えるものなんでしょうか。あの、純血じゃなかったら使えない……って……」


 胸の前で手を握り合わせる。早口ではっきりと言い出したはずの言葉の後半は口の中で力なくふわついた。

 相手の目に理解の色がのぼったようなのになんとなくいたたまれなくなる。


「それで、あの、今日、聞いて……丁度聞いたところで、なんとなくびっくりしちゃって……えっと……」


 スサーナはもしょもしょと続け、曖昧な笑みを浮かべた。

 魔術師は瞑目し、目を上げてもう数瞬沈黙し、それから口を開く。


「絶対、ということは世の中に殆ど無い、ということは覚えておいて欲しい。例外は常にある。それを踏まえて、……通常、……鳥の民が使う魔法は血の強さで決まる、という。」

「血の強さ……」

「権能の残り、と言い換えてもいい。かつて彼らが祖神から奪った権能の燃え残りで、どれだけ始祖に近いかで現れいでるものだと。……同じ、古い力を振るうものでも、我々魔術師は常民の形質から生まれうる。ただ、鳥の民は。常民の血が混ざればそれはどんなに彼らに似ていても常民だと」

「じゃあ」


 彼は娘がすっと息を詰めるのを見た。


「……先祖返りが絶対にないとは言わない。証明はされていない。だが――」

「じゃあ、やっぱり私、おうちの子じゃないんですね」


 顔から表情が消えて一拍。娘はふっと脱力し、注視する彼に向けて顔を上げた。

 彼女はなにか諦めたように、むしろ凪いだ目で笑う。魔術師は思いつく例外を上げてやろうかとしたが、果たせず口籠った。


 かつて鳥のすえと呼ばれた漂泊民たちの祖は鳥の祖神が産み落とした卵から呼び起こされたものたちだと口承にいう。ソーリャが暖めた泥からフォロスが捏ね上げたという常民の祖とは別の由来のもの。それはいくらかは真実で、混ざりあうことは出来ても一度混ざれば分かたれることは出来ない、というのが常識だった。


「君の家族はそうは思っていないだろう」

「はい。みんな知らないんです」

「……そういうことじゃない。」


 いっそむすっと言った第三塔にスサーナは笑ってみせた。


「興味があったので、わかってすっきりしました。みんなには言わないでいただけますか? びっくりさせちゃうといけないから。」

「私から言うようなことではないが――」


 気遣われている気がする。いい人だなあ、と思う。それだけにあまり直接関係ないスサーナだけの事情で気をもませるのは良くないような気がした。

 彼がもどかしげな目をしたのに食い気味に言葉をかぶせる。


「ありがとうございます。ええと、そういえば、もう一個のご用事ってなんでしたでしょう?」

「君は――――」


 むしろ怒りにも似た強い感情が魔術師の目に揺れ、瞬いて消えた。



「いや。……そうだな。」


 何か叫びだしそうにすら見えたそれはすんでで抑え込まれたらしいようだった。彼は一つ息を吐く。



「師が、あれの代品を渡すようにと言っていてね。」

「あれ……ハンカチです?」

「ああ。こちらの不備で問題が起こったなら代替のものを渡すのが必要だと」

「ええと、勘違いだってわかったので、別にいいんじゃ?」


 それにどうせ貰い物なんだし、と首を傾げてみたスサーナに第三塔はわかりやすく渋い顔をした。


「無茶なことを言われる気しかしない」

「無茶な……」


 なんとなく判る気がしなくもない。スサーナはそういえばあの魔術師さん、あの時こちらの言うことを何も聞いていなかったような、と思いだした。


「君に渡せば師も納得するだろう。受け取ってもらえれば非常に助かる。」


 第三塔は立ち上がり、スサーナにはよくわからない機材が乗ったワゴンに触れる。


「あ、それにその補助具を使うんですか?」

「ああ。手を。少し指を傷つけても構わないだろうか。すぐ治す。」

「あ、はい。何にするんですか?」


 スサーナはうなずいて手を差し出した。なんとなく魔法とか魔術とかそういうものと血は切っても切れないらしいと理解しているので驚きもたじろぎもしない。


「血を使って付与具の対象を厳密に君に定義する。」

「ああ……ええと、専用にする、みたいな?」

「その通りだ。諸島では稀だがこの手の物は欲しがる者もいるからね」


 彼はスサーナの手を取り、細い針で指先を突いて血を一滴小さなトレイに落とした。

 すぐにその傷は癒やされる。

 彼女の見ている前でトレイをワゴンにセットした第三塔はいくつか指先で白い術式を空中に描いた。

 それをスイッチにしたらしくワゴンにセットされた金属板の文字が白く光る。それが次々に部位に派生していくのをスサーナは息を呑んで見た。

 同時に第三塔は早い動きで中空に文字を書き込んでいく。

 文字が輝いては消え、最後にトレイのくぼみに収められていた何かが輝いて終わったようだった。


「これでよし。」


 頷いた彼がくぼみからそれを取り上げる。

 目で追えば、それは革紐でパーツを繋げるタイプの瀟洒な造りのブレスレットのように見えた。中央に銀の台に楕円カボションのオパールらしい石を乗せたパーツがあり、左右に数粒の輝石が飾られている。


「ハンカチ……じゃないんですね?」

「ああ。一般形状の護符だ。ハンカチだと少しやりづらい。……おいで、手をこちらに」


 魔術師はスサーナの目の前にそれを示し、メインの飾りの石を裏返してみせると、そこにはびっしりと細かい銀文字が刻印されているように見えた。

 流れるような流麗な文字はハンカチにあったものに比べて段違いに多く、細かく、さらに美しい。


「直接の加害を防ぐ術式が入っている。前のものより柔軟性は高いはずだ。程度の問題はあるが、強い衝撃、重度の温度変化、ある程度の劇物も」


 スサーナが伸ばした手首に第三塔はそれを巻き、すこし調節して手を離した。


「魔力の蓄積もこの形状の最大量。…10回や20回なら問題なく働く。」


 油膜のようにきらきらと光を散乱させる中央の石を爪の先で小さく弾く。


「ええと……」


 スサーナはたじろいだ。


「これ、あの、物凄く高価なものなんじゃ……?」

「……どうせ「まともなものを作れるか試験する」と作らされた物だ。持っていきなさい。ただでさえ君は騒動に巻き込まれがちだから丁度いい。先程の話でもよくわかった。」

「そこまでではないと思うんですけど……」


 スサーナの自分でも半信半疑の反論は一顧だにされず黙殺されたようだった。


「他に使い道はない成果物だ、打ち捨てておくよりはいいし、なにより君に渡さないと納得されないだろうと思う」


 スサーナにはよくはわからないが、受け取らなければ逆に何か迷惑がかかるらしいという気配を察してしまった以上、申し訳なくとも固辞するのは逆によくなさそうに思えた。スサーナは恐縮しつつも腕を引き、受け取って頭を下げた。


「ええと、あの、じゃあ、頂いていきます。なにからなにまですみません。……お風呂とか、着替えも貸していただいて。」


 言ってスサーナはあ、ふく、と呟いた。


「ん? ああ、もと着ていたものか。そこに置いてある」


 真空パックを思い出させる形状にパッキングされて畳まれた服がソファの横に置いてあるのを示され、スサーナはちょっと首を振った。


「あ、いえ、今着てる方どうしましょう。お洗濯してお返しします……けど、どう洗ったら?」

「洗うなら汚れが落ちやすくなっているものだから雑に水に晒すだけで十分だが、返して貰う必要はない。前の住人が用意してあった未使用品でね。師が着るものでもないし、君さえ良ければ使うといい。」


 その言葉にスサーナは納得し、同時になんとなく残念に思う。


「……第三塔さんのじゃなかったんですか……」

「……女物に見えなかっただろうか。」


 ものすごく疑問げな表情をされたので、ものすごくよく似合うと思うんだけどなあ、という感想はそっと内心だけにとどめておくことにした。



 それから少し品種改良中の米を見せてもらい、また上着の下にしまわれて獣の像で街まで送ってもらう。

 獣に乗り込む前に第三塔はスサーナに向き直り、ひどく真面目な声で言った。


「君の生まれのことだが。真実はわからないが、君がどう思っていたとしてもそれはよほど信頼できる相手でなければ他人に伝えてはいけない。魔法のこともだ。これまで通り混血だと言いなさい。」


 話し出しからしてなにか慰めか励ましがやってくるのかと身構えた――表面上の”きっと”はあまり今は聞きたくなかった――スサーナだが、その言葉を聞いて目を瞬く。


「は、い? なんで……ですか?」

「危険だからだ」


 静かな声で魔術師は言う。


「非常に危険だとまでは言わないが、我々魔術師とは違って鳥の民……漂泊民は御せると考える者も存在するからね。余計な災いを招き寄せることはない。」

「は、はい! わかりました、絶対言いません!」


 鳥の民は秘密主義だ。魔術師達は彼らの在り方の外側は知っておれど、深くまでは触れることは難しい。

 あの暗殺士の少年が魔法を使うと告げたというなら、彼には何か確信があるのだろう、と第三塔は推測した。ならば同族を重視する彼らなら滅多なことにはなるまい、とまずは判断する。多少の魔法を使う鳥の民は少ないながらごくごく珍しいわけではない。深く接したことはなかったが、氏族とやらがはぐれた同族に多少の制御の仕方を教え、あとは看過するような事例はいくつか知っていた。

 故に不慮の事態を招かぬための忠告だけにとどめた。鳥の民の生態に干渉するノウハウを魔術師は持っていない。


 それでも話を聞いて護符には術式をいくつか増やしたし、少し接触の回数は増やそうと彼は決める。

 家族に絡む問題というのは――多分、あの娘には良くない。

 一つだけでもこどもには大きすぎるものを背負っているのに、この上増えるとはよほど不運なことだ。彼は少し忌々しいような気分を覚えていた。



「他人の視線が向かなくなる魔術」を掛けた上で堂々と家の前に降ろされて、扉を見ながら硬い表情で深呼吸をしたスサーナに魔術師は何気ない口調で声を掛けた。


「そうだ、これを渡しておこう」


 銀模様で縁取りされた、前世の記憶で言うなら便箋状の紙の束を取り出した第三塔にスサーナは目を瞬いた。

 すべすべつるつるで紙の種類としては羊皮紙でも植物紙でもない、魔術師達の使う珍しい紙だ。


「ええと、これは?」

「連絡手段。これに文言を書く。なにか護符の不具合や……そうでなくても聞きたいこと、用件があったら使ってくれて構わない。……まあ、注文でもいい。嘱託商人を介するものより早く……国内なら一時間掛からず届くものだ。」


 第三塔は一枚を取り、枠をなぞって『至急。諸島の塔の三まで』と唱える。すると便箋がひとりでに纏まり、輝く塊となり、次の瞬間鳥の形によく似た光のかたまりが手の上から舞い上がった。

 飛んでいくそれの軌跡を子供が首の動きで追い、目を輝かせたのをそっと確認して、その腕の中に紙の束を押し込んだ。


「わあ、大事にします」

「大事にしなくていい。消耗品だ。使いなさい。」


 一礼した少女が少し明るくなった表情で家の中に駆け込んでいくのを魔術師は見、それから少しの間戸口の前で気配を伺って、そして静かに踵を返した。





 数日後。

 セルカ伯のお宅に伺っていたスサーナは、家庭教師の出した課題に口を尖らせるレティシアの愚痴の相手をしていた。


「ああ、もう。私外国語なんか嫌いよ。これで本土に戻ったら今度は学院ですって、嫌になってしまいますわ!」


 マリアネラもそれに唱和する。


「ええ、戻ったらスサーナには課題を手伝って頂けませんものね? わたくしどうしたらいいか……いっそスサーナも学院に行きません? 春から開始の新学年に私達みんな今なら間に合いますわ」


 本土に戻ることになってからお嬢様たちが何回も繰り返した会話だ。

 スサーナは基本的にはいはいと黙殺するか聞き流すか、残念ですねーと流すばかりでこれまでは一度も取り合ったことはない。


「それもいいかもしれませんねえ」


 戻ってきた相づちにお嬢様たちは目を見合わせた。


「まあ、マリ、聞いた?」

「ええ、レティ様。明日はきっと夏日になりますわ。」


 部屋の向こうで何かを読んでいたクロエが顔を上げ、ぱっと食いついてくる。


「スシーさん、学院に行かれるんですー? いいですねえいいですねえぇ。それなら私、ヴァリウサからの拝命お受けしちゃいますよおー。学院でしばらく教師をやらないかって言われてて、迷ってたんですよおー! 結局国の上の方のパワーバランスの話でー、子取り遊び花いちもんめじゃないですかー、駒になるのも面白くないですし責任とかほんとにどうでもいいんですけどー、スシーさんが行くなら張り切っちゃうんですけどねぇー!」


 身を乗り出したクロエにスサーナは苦笑し、いやあ、と流石に手を振ってみせた。


「落ち着いてください、ええと、行ってもいいかなーとは思いましたけど、お金とかいろいろ問題はありますし。」


 その言葉にレティシアが続けて身を乗り出す。


「あらスサーナさん、本当に行ってもいいなら、スサーナさんが行くならお父様が全部用意してくれるって言っておりましてよ?」

「いやあ、流石にそれはご冗談なんじゃ……」


 その場はそれで済んだ話だったが、次に呼ばれた日にスサーナはセルカ伯のもとに呼ばれ、学院へ行く気があるということだけれど、と話を切り出されることになる。


「君が行く気があるのなら、我々が全て取り計らうよ。お金のことは心配しなくていい。私も娘たちと君が同行してくれればありがたいし、そのぐらいの事はさせてもらいたいぐらいだ。」


 セルカ伯はデスクの上で指を組む。


「それに、君が行くというなら表向きには出来ないだろうが後見に名乗り出たがるだろう人がいてね。ミランド公なんだけれどね……彼も君のこの間の働きにとても感謝している。」


 それだけではないんだろうが、とセルカ伯が呟いた意味はスサーナには良くはわからなかったが、セルカ伯が具体的に手元に広げてみせた羊皮紙の表記……入学に必要なものの書き付けと学院とはどういうものなのかの説明書き――多分貴族の入学者たちに配られるもの――に、どうやらこの申し出は本気のものらしい、と薄々察した。


 これまでならお気持ちだけ受け取って丁重にお断りしていた申し出だ。

 お針子になるつもりだったスサーナは本土へ行くことなど全く考えられなかった。


 ――本土か。

 近くの別の島で暮らすより、本土の学院へ行くほうが家族のあきらめも付くだろうか。

 学院は学問の場であり、同時に栄達の手段だという。


 数少ない学院へ行く子供たちについて、大人たちからそう説明されることがあった。


 島の子供たちは実利を学ぶ講で十分だと皆思っていて、学院へ進もうという者はとても珍しがられたけれど、「一旗揚げる」場所だという印象は強い。

 それを選ぶのは大抵は継ぐ家のない職工や農民の子供で、特に優秀なものたちだ。


 そのうちでも講を出て本土に渡る者たちがよく選ぶハイクラスの使用人になる進路ではなく学者や軍人として出世することを望む野心のあるものたちであり、スサーナは自分にそんな野心があるなどとは少しも思えなかったけれど、そういうことにしておけば家族も安心して送り出すかもしれない。


 下級の貴族の娘や商人の娘たちにとっては高位の貴族に見初められる場、という側面もあるらしいということはレティシアやマリアネラの会話を聞いていればわかったが、そちらは縁のない話なので置いておく。


 ――学者かあ。

 国に重用される学者たちは商家にとって結構なコネになるという。

 なれれば、離れたままで家に報いられるだろうか。


「ええと、そのお話、あの、本当に考えさせてもらってもいいでしょうか。私、お嬢様たちと学問をしてみたいなって思うんです。」


 ――そういえば、前世では結構真面目に、それなりに学者になりたいって思っていたんだっけ。

 ――今生では絶対にそんな進路は選ばないだろうと思っていたんだけどな。

 スサーナは他人事みたいにそう考えながら微笑み、驚くだろう家族にどう説明しようか考えはじめていた。

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