第126話 新天地と入学式 6

「すごい! そんな事出来るんだ!」


 ミアが叫ぶ。

 スサーナはええ出来ますよーとのほほんと返事をした。

 そのまま、警戒するような値踏みするような目でスサーナの方を見ているジョアンにどうしましょう? と問いかける。


「やってもらおう! いいでしょ?」

「うるさい。……やって何か得があるわけじゃないだろ。家族だなんだって変な恩を売られたくない」


 ぶすっと言ったジョアンにスサーナはうーんと首を傾げた。

 やっぱりちょっと何か難しい子なのだなあ、と感想を抱き、さてどうしようと考え、とりあえず口を開いた。


「流石に家族だとかそういう訳のわからないことを申し上げる気はありませんけど。得、あるといえばありますよー。古い型の服をほどく機会はあんまりないので。勉強になります。糊づくりの服はあんまり後に残らないですし、型紙って後にとってあるかというとそうでもないんですよね。……あ、勿論私はいい仕立て手じゃないので、縫い直した服はあんまり綺麗にできるとは言いかねるかもです。つまり私の勉強のためということで……バラバラよりマシには出来ますけど、恩を売れるほどじゃないとは思いますので、先に言っておきますね。」


 嘘は言っていない。真実の全てではないし、スサーナとしては場の空気が悪くなるのが嫌だというほうが主の理由なのだが、それは言ってしまうとこの少年は拗ねるような気がしたので言うのはやめておく。


 スサーナだって同じ寄宿舎にこれから住むとはいえ初対面の男の子に家族だとかいう趣味はない。どうやら同じ島の出らしい雰囲気なので少しだけ親近感はあったが、スサーナの家族はおばあちゃんと叔父さんとお針子のみんなと、一緒に住んでいたわけではないけれどブリダと叔母さんたちと、ついでに従業員のみんなと、そのあたりで満員なのだ。


 答えたスサーナに予想外という顔をしてジョアンは黙る。


 代わりに表情をキラキラ輝かせたのはミアの方だった。


「スサーナは詳しいんだね!」

「そこまでではないんですけど、こっちにくる前はお針子の徒弟だったので……」


 それでどうしましょう、とジョアンに向けて首を傾げたスサーナに少年は吐き捨てるように答えた。


「好きにしろ!」


 そのまま背をいからせてずんずんと何処かに行ってしまう。ことの推移を見守っていたらしい――どうも同室らしいようだ――ジョアンの服を水に漬けてしまった上級生が慌ててその後を追ったのを見送る。


「あー、採寸したかったんですけどね、まあ後でいいか……」


 スサーナはボヤき、ぐしょぐしょの服の形を少しととのえて目を上げ、人垣に自分がいつの間にか囲まれていることに気づいてひえっとなった。


「少女! あのへそ曲がりに言い返すとはなかなかの素質があると見たぞ!」


 成人少し前というぐらいの男子学生が進み出てきて、スサーナははて何か言い返したっけと首を傾げる。


「寮母のオバサンに聞けば、なんと二人目の女子学生らしいじゃないか。俺は最上級生のディダック、代表生徒だ。挨拶前に洗濯を代わってくれているとはなんと素晴らしい心がけ。我ら寄宿舎生一同君を歓迎しよう!」

「は、はあ……どうも……」


 曖昧に頭を下げたスサーナに周囲からまばらにぱちぱちと拍手などが湧く。どうやらなんだかよくわからないものの概ね好意的に受け入れられたようだった。



 残りの洗濯物をミアと片付けた後にスサーナは上にもどって水筒を持ち、裏庭に戻ってくる。

 こっそりたらいに一杯水を注ぎ、服をほどいてから慣れた水質で布を洗い直した。

 たっぷり泡が立って気持ちいい。


 鼻歌などを歌いつつしっかりと布をすすぎ、あとがつかないよう板を使ってぴんと貼って乾かす。

 午後からの干し物になるが、乾いた風土のここなら風が通る場所に干せば夜には乾くだろう。


「ええと、あとは陰干しして……ここ、火のしは置いてありますかねえ……」


 表地の染みは縫い目、もとい糊張りの周りがほとんどで、仕立て直せば目立たなくなるだろう。あの子はだいぶ細身のようだったので大ぶりに作ったこの服の生地なら染みの部分は切ってしまっても大丈夫かもしれない。そのあたりは採寸してから考えなくては。大きく作って数年着るつもりならやや問題が生まれるが、逆に言えば体に合った仕立てに出来るので、見栄えという点では比べ物にならないはずだ。

 裏地はちょっと換えないといけないだろう、とスサーナは思案し、明日町中に探しに出よう、と決める。


 陰干しをしたら後は乾くまで特にやることはない。

 その後は部屋に戻り、荷解きの続きをし、リネン室から借りてきたシーツと毛布をベッドにセットして夜が来た。

 狙い通り陰干しにした布は乾いていたので取り込み、寮母さんに雑用室を貸してもらうよう頼む。

 快く貸してもらえたので、数日はそこに籠もって縫うことになるだろう、と予定した。


 ――縫い物をする予定はなかったんですけど、愛用のソーイングセットを持ってきていてよかったかな。ちょっと明日糸と針の種類を買い足さないと。

 ……正直、本土に来てまでいきなり縫い物をするとは思っていなかったのだが、これも成り行きというやつだ。

 スサーナは本当は本土に来た後でなにか縫い物をするつもりはなかったのだ。


 習い覚えた針仕事はおうちで働くためのもの。それ以上の心づもりはなかったけれど、服の形を見て、うっかり口出しをして、さらにああ出来るなーと思ったらうっかり手が出た。


 まあそれはそれでいいか、と思うことにする。おうちとの強いつながりは残しては後々面倒が起こるだろうからいけないけれど、こういう無形の繋がりみたいなものは残っていたところでスサーナの中だけで完結できる。それは悪くないような気がした。



 夕食は用意してもらえたのでありがたく頂く。

 なんだかちょっとしたスサーナの歓迎会のような雰囲気になっており、女子生徒が増えたので皆のもの行儀よくするように、というディダックの一言の後簡単に紹介されて乾杯と相成った。


「あ、お皿、食べる分は先に確保しなきゃ駄目だよー?」


 ミアの言葉の意味はすぐにスサーナにも理解できた。

 スサーナがえんどう豆の煮物の皿を半分あける間に男子学生たちはエールを数杯空け、皿を数枚空にし、結果ちょっと奮発したと思われる豚の茹で肉料理もマスの煮込みもスサーナの口には入らず終わった。


「……ミアさん、慣れてますね。」

「一週間もあれば慣れるよ……」


 ミアは遠い目をし、でもこの豆の煮物だけでもうちよりいいもの食べてるし、最初の一皿は絶対に足りなくしないで配ってくれるから寮母さんには感謝しきりだよね、と笑う。

 その豆料理は島で食べる似たようなものより少し渋く、硬いような気もしていたが、その言葉を聞いてスサーナは黙って口に入れた。



 ジョアンは夕食の時間中には食堂に姿を現さなかった。



 その後、入浴の時間は当然ながら特になく、消灯時間がやってくる。

 階下の蝋燭の明かりが消され、玄関ホールに吊るされたランプの灯心が下げられた。

 年かさの学生は夜遊びをしているらしく、夜中に戻ってきて騒がしいかも知れない、と、まったく、という口調で寮母さんが言い、おやすみの挨拶をした後で部屋に戻る。


 そのまま安眠した、と言いたかったスサーナだったが、ベッドには入ったものの結局眠れず、一旦は外した髪覆いを付け直し、荷物から手持ちランプを取り出して火をつける。

 光が安定したところできちんと服を着直し、そっと階下に降りて奥の端にある雑用室に入った。


「まあ、ええ。夜中うるさくするのは駄目だって言ってましたけど、夜中に下に降りるなではなかったわけですし。あと半月しかないので、手はつけておきたいんですよね。ええ。」


 そっとスサーナは自己正当化をはかる。


 多分今晩は眠ったら悪い夢を見るような気がした。枕が変わると良くないんですよねー、とスサーナは胸の中で言葉にして呟いておく。



 乾いた布地を広げ、まち針で留め、縫い幅のとり方やデザインを変えるならどうしようかなどとしばらく考える。


「やっぱり肩幅はきちんと採寸し直して……胴はあまりピッタリしないほうが優雅ですかね」

「なあ」

「……ううん、裏地は色を変えちゃったほうが今年の流行りかな……」

「なあおい!」

「わっ」


 後ろから掛かった声にビクンとして振り向いたスサーナは、そこに開いた扉と忌々しげな顔のジョアンが立っているのを見た。


「なんでしょう……? もう糸は解いてしまったので今からやめたと言われても微妙に厳しいですけど」

「こんな夜中になにやってるんだよ」


 スサーナはおお、と手を打ち合わせる。一瞬深夜のこっそり作業だということを忘れて普通に反応してしまったのだ。


「ええと、寝付きが悪かったもので……寮則違反だったりしますかね?」

「俺だって半月前からだし、知らない」


 彼はむっすりと首を振る。


「じゃあ初日から違反ってことになりますと肩身が狭いですので、黙っていただくということで……」


 作業に戻りかけたスサーナはその場を動きそうにないジョアンに首を傾げた。


「まだ何か?」

「お前さ」


 不機嫌そうに少年は続ける。


「なんでそこまでやる気を出してるんだよ? やっぱり恩でも着せるつもり? ありがたいなんて思わないからな」


 スサーナはううむと思案した。思春期男子というのは扱いが難しいものらしいというのは聞き知っているのだ。


「いやあ、頑張ってるつもりもないんですけど。よく寝られないもので、布を触ってると落ち着くんですよ。ええと、ここにくる前はお針子だったもので。」


 とりあえず素直な気持ちを口にする。現状、スサーナは彼自身に思うことは特に無いのだ。


「ふうん」


 ジョアンは鼻を鳴らすような声を立てた。


「甲斐甲斐しい振りして、貴族を落とす予行演習でもしてるのかと思ったけど。無差別に男に媚を売って楽しいか?」

「はい?」


 スサーナは目を瞬き、それからあーあーあー、となった。

 自分に縁がない話だと思っているのでいまいち言葉と意味の接続が悪い。


「ああ、なんか良い結婚を探しに来てる方もいるという……」

「しらばくれるなよ、じゃあお前ら他に何しに来たんだよ。貴族と結婚できればなにしてもいいと思ってるんだろ。学問をやる気もないのに! 」


 語調を荒げたジョアンにスサーナはうえーと声を上げた。目に義憤か怒りかの炎めいた光が揺れているのを見る。

 ――ううむ、なんというかなんかトラウマでもあるんでしょうか。

 スサーナはうーんと首をかしげた。どう説明しても伝わらない気もしたし、偏見を解くのはどんなものであれなかなか大変な作業のような気がする。

 それでもとりあえず、持っている共通認識から揺さぶるところだろう。

 とりあえず同じ建物で住み暮らすからにはあまりギスギスはしたくないのが人情だ。


「まあ禁止されていないものですからそれの是非はともかくですね、少なくとも私はそんな目的で来てないですし。」

「口ではなんとでも言える」


 拒絶の表情と共に憎まれ口が戻ってくる。


「とりあえずですよ、もしそのつもりの人でも、わざわざ庶民のジョアンさんに媚を売ったりはしないのでは?と思うんですが」

「男に媚びる練習のつもりじゃないのか」

「予行演習をするなら思うにもっと思考回路が貴族の方に近い人を選ぶんじゃないですかね?」


 ジョアンがぐっと詰まった顔をした。スサーナは微妙な勝利感を噛みしめる。


「と言うか、お嫌いですか結婚目的の方」

「当然だろそんなの! そういう甘い考えで学院に入って貴族の男に媚びて何になるんだよ!」


 嫌悪をあらわにした口調でジョアンが吐き捨てるのにスサーナはううん、と声を上げた。


「んーむ、とはいえ、男の方々も最終的に出世が目的で来ておられる方が結構いらっしゃるんですよね?」

「そりゃ……」


 何を当然のことを、と頷く少年にスサーナは首を傾げてみせた。


「その方々については当然と許容されてる感じですけど……」

「それはそうだろ。何がいいたいんだよ」

「ええと、だったらまあ貴族と結婚して権力をという方もそれはまあ目指すゴールは似たような物ですし、同列に評価すべきでは。……と。」


 結局、頭を使う分野が少し違うだけだ。

 ついでに言えばその手のお嬢さんたちも、より上のレイヤーの政略とか権謀術策に結構組み込まれているだろうことを考えると、出世目的の男の子たちとチェスの駒一騎分としては威力に変わりないのだろうし、そのあたりを見てもまあ似たようなものだろう。その手の話は前世からいやあな感じにチラチラ見知っているスサーナである。


 少年が鼻っ面を引っ叩かれたような顔をする。 


「まあ、純粋に学問をしたい方が不純だと思うのはわかりますけど、そこは男女変わりなくパワーゲームに参加しておられる方々は沢山来ておられるということで。……あ、どちらにせよ私はそのつもりで来てませんので、そうやって思っていないことをさも思っているように決めつけられるのはあまり気持ちが良くないといいますか。」


 実はさほど学問に情熱を燃やしているわけではないスサーナはすこし後ろめたく目を逸らしながら言うが、なんとかそれは気づかれずに済んだようだった。


 本土に来たのはおうちと距離を取るためだし、実は何の学者になるかは決めていない。いわゆる文学方面を専攻できたらなと思っているのだが、そのあたりは全力でふわっふわだ。そこを突かれて学問を舐めてると言われればおっしゃるとおりでございます、と返すしかない。


 少年がちっと舌打ちの音を立てる。


「じゃあお前はどういうつもりで学院に来たんだ」

「文学の博士か言語学か……。知ってます?女性の学者さん、言語学の。アウルミアの学者さんと知り合うことがありまして、これがきれいな女の方で――」

「そんな事聞いてない」

「え、じゃあ何をお聞きになったおつもりで?」


 スサーナがキョトンとしてみせると少年は鼻面にシワを寄せ、これ以上無いという勢いのしかめっ面をした。


「……俺はもう寝る。お前も寝ろよ、変に擦り寄っていい格好されてもムカつくだけだからな!」


 不機嫌そうに表情を歪めた少年がばたばたと踵を返し、ばたんと高い音をたててドアを閉めた。


「言い負かした……」


 我ながら大人げないなあとは思いつつもそっとガッツポーズを取るスサーナである。


 しかしそういう理由で女子にツンツンしていたのか、とスサーナは思う。

 貴族では男子継承が一般的だがそれでもそこそこ女性領主もいるらしい国だ。加えて島の庶民では家を継ぐ女子もそれなりにいる。

 前世の中近世ヨーロッパ感覚よりも女性はだいぶ強い。

 ……島では家を継いだ女性のところに婿入りをしてくる男性というのもいなくもない。スサーナもある程度家を継げるよう育てられていたわけで。

 というわけで結婚とか財産とかに関してはそれなりにお互い様感があるように思っていたスサーナは、そんな理由で毛を逆立てていたとは思っても見なかったのである。


「あー、貴族のやり方に媚びてる、みたいな感じもあるんですかねえ……」


 しばらく考えてからスサーナは思いつく。難儀な話だと思う。


 それからしばらく色の候補を思案したり、デザインを考えたりしてから眠気がやってくるのを待って寝た。



 次の日、朝。階下に降りたスサーナは洗顔用の水桶の置いてある水場の前でジョアンと出くわした。

 ジョアンはスサーナを見るなりびくんと硬直したが、スサーナが我関せずで水を使い出すとしばらく視線をさまよわせ、あんまりそこに立っているので一体何か用なのか、まさかこの朝人の行き交う中で文句をいうつもりではないだろうな、と顔をタオルで拭きながらスサーナが目を上げると脱兎のごとく駆け去っていった。


「……なんだったんですか今の。」


 スサーナは首を傾げた。



 そして昼過ぎ、寮母さんの協力を得てさくさくとジョアンを採寸する。

 なんだか物言いたげにしていたけれど、特に会話を交わす必要も感じなかったため事務的に寸法を取る。採寸は無事に済んだのでスサーナは特に言うこともなく満足だった。



 それから数日。街を上級生に案内してもらうついでに布をあさり、思う様デザイン案を思案したり、街で買ってきた粗末なトルソーを活用してまち針で仮止めしたりする。

 その合間合間に寄宿舎に落ち着いたとお嬢様たちに連絡をしたり、おうちから持ち込んだ荷物を受け取ったり、さらにお嬢様たちと使用人の皆と待ち合わせて街中へ足りないものを買いに行ったり。フローリカちゃんに忘れず手紙も書く。寄宿舎に入りました。集団生活は初めてですが、特に何事もなく入学式の準備をしています、と書いて出した。


 ところで、街のトイレは基本的に穴掘りボットンオアおまるだと知ったスサーナは本当に早まったと叫んだが、学院内に入り込めるおがくず利用タイプのトイレがあると知り、なんとか事なきを得たことを追記しておく。

 二日目にしてお腹を壊しだしていたので実に切実だった。インド旅行をした観光客か、とセルフツッコミをしながらも第三塔さんには死ぬほど感謝しなければいけない、とスサーナは思う。もらった胃腸薬がなければ尊厳とかが大変なことになっていた可能性がある。


 寄宿舎の学生の先輩たちともなんとなく顔見知りぐらいの打ち解け方はしはじめた。

 ミアとは朝夕に顔を合わせ挨拶をしているし、夕食のときには必ず顔を合わせるのでそこそこ打ち解けた気がする。

 一度もジョアンとは顔を合わせなかったけれど、仮縫い前なので試着させる必要もなかったため、特に問題も感じないスサーナだった。



 さらに次の日。水場にやって来たスサーナはまたジョアンと出くわした。

 渋い顔で水桶を覗き込んでいるので何かと覗き込んでみると、どうやら中が空っぽのようだ。


「あー、水汲み当番の方、まだ戻ってらっしゃらないんですね」


 スサーナは納得しつつも水筒から水を注ぐ。

 どうも川の水で洗顔をすると肌が荒れる気がするため、水筒を何処にでも持ち歩くようになりだしたスサーナである。第三塔さんの先見の明には感謝するしか無い。

 洗面ダライ一杯に水を注いで、少しスサーナは思案する。

 ――本土の人たちに術式付与品を見せるとなんだか良くない気がするから隠してますけど、まあ島っ子なら見慣れてるでしょうし、いいですかねえ。


「ジョアンさん、ジョアンさんや」


 気まずげにばっと振り向いたジョアンの洗面ダライの中にたーっと水を注ぐ。


「うわっ、なんだこれ」


 容量より明らかに大量の水がだばだばと溢れ出る水筒にジョアンがドン引きした顔をしたのでスサーナは少し頬を膨らめた。


「なにって、術式付与品ですけど。島の井戸と同じ仕組みだそうですよ。諸島を出る時に知人に餞別で戴きまして。」

「諸島……お前島っ子かよ!」

「わからなかったんですか。言葉でわかりません?」


 叫んだジョアンにスサーナは肩をすくめる。


「いや……何かこっちは言葉の感じが違うなとは思ったけど、気にしたことなかった」

「そんなこと言語学者の人に言ったら卒倒されますよ。本土はラトゥ語群西岸諸語ヴァリウサ語、島は古典ラトゥ語っていう大きな違いがあるそうで。あ、王都だけは例外らしいですけど、でも王都の言葉と島の言葉もちょっと違うらしいです。」

「……そんなの知らない」


 なんだか悔しそうに言ったジョアンにスサーナは追撃をかけた。多分、いやほぼ確実にこの少年は講で聞いたあと一人の成績優秀進学者なわけなのだし、講マウントは有効だろう。


「王都の言葉と島言葉が近いっていうのはうちの講ではやりましたよ。魔術師さん達の話される言葉が伝わったせいだって、習いませんでした?」


 心当たりがあったらしく、はっきり悔しそうな顔になった少年にスサーナは溜飲を下げた。大人気ないとは思いつつも、面と向かって罵倒されたのだからちょっとぐらい悔しがらせてやってもいいような気がする。

 そう思ったものの、まあそれでも程々でとどめておく。朝から嫌味を考えると脳の糖分を余計に使う気がするし、刺さるディスが思いつける脳みそを持っているわけでもなし、とスサーナはそのへんの技能については諦め気味である。


「まあ、というわけでどうぞ。だいたい島の水と同じですから洗顔にはいいと思います」


 それだけ言ってスサーナは顔を洗う。

 なんだか横でもしょもしょと何か口ごもるような気配がしたが、あまり気にせず顔を洗い終わったスサーナはその場を去った。


 更にその日の夕方、大体デザインを本決まりさせ、仮縫いしたものを着せるためにジョアンを捕獲する。

 少年はなにやら目を伏せたり目を上げたりもぞもぞしていたが、スサーナは脱ぎ着を手伝ってくれるために付いてきたミアの質問に答えるのが忙しく、特に注意を払うこともなくつつがなく補正の作業は終了した。



 更に次の日の朝。

 今度は水場ではなく一階に向かう階段前、周り廊下の隅に立っているジョアンと出くわす。

 これまで特に顔を合わせても挨拶を交わすこともなかったので、スサーナがスルーして横を通り過ぎようとしたところ。


「っ、その、おい」

「? 何か」

「ぉ、おはよう……」


 思わず二度見すると、彼はまた脱兎のように階下に向けて走っていった。

 ――どういう心境の変化でしょう?

 スサーナはハテっ面で首を傾げたのだった。


 それからは何故だか嫌がりもせずおとなしく仮縫いと試着に協力があったので特に手こずることもなく、兎にも角にもそんな具合で入学式二日前までにはなんとか手がけた服も仕上がった。



 滑り出しとしては概ね悪くないんじゃないか。寝不足気味ではあったけれどまあそれはそれで望んだ状態だし、新生活に目立った問題も新たに発生しそうな雰囲気はなく、スサーナは概ね満足だった。

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