第127話 新天地と入学式 7

 そして入学式の日がやって来る。

 前世の感覚で朝イチから式かとスサーナは当初思っていたが、数日前に資料を見ると式は昼から。朝起きた後でしばらく式まで余裕があった。


 当日、朝食が終わった後で寄宿舎全部で10人ほどいたらしい男子の新入生たちが裏庭で行水をし始めた。

 スサーナとミアは流石にそれに混ざれとは言われず、寮母さんが使っている台所の土間の隅の、一段低くなって水を流せるところに衝立を立てて水を使わせてもらう。


 かまどに火を起こしてもらったのでスサーナは誰も見ていないスキを見計らって大鍋に水筒の水を注いで肌触りのいい水を作成する努力をした。もちろん水桶の水も純度の高い水に交換することを忘れない。


 たらいを裏庭から奪ってきて、お湯を注ぎ、丁度良くなるぐらいに水でうめる。

 この半月近く、本土スタンダードは各人に用意された洗面だらいに水を入れて手ぬぐいで体を拭くだけ、しかも人によっては毎日でもない、と思い知らされたスサーナはちゃんとした入浴に飢えており――あまりに我慢できなくなって真夜中に水筒を駆使して台所で水を二度ほど浴びた――たらいとは言え入浴らしい入浴は微妙に涙が出そうなほどにありがたかった。


 湯の総量の問題で、先にミアに入ってもらう。

 という言い訳をしてミアを先に入らせた。入浴するなら当然髪覆いを外す。偶然髪の色が濃い言い訳は続けるつもりだったけれど、それでもあまり見られたくはない。


「ミアさん、よかったら背中を流します、いえ、流させてください」

「え、いいの?」


 慣れない体の洗い方にミアが手こずっているのを見てとり、スサーナは手ぬぐいを構えてミアのたらいに侵攻した。

 美少女は頭の天辺から足の爪先まできれいに洗い上げられているべきなのだ。スサーナはこればかりは譲れないと拳を握りしめる。


 ミアの背中と首の後ろと耳の裏を気合を入れて洗う。

 ――いかな美少女とは言え新陳代謝しているのは仕方ないですよね。

 スサーナはたらいの水がドロドロになっていくのからそっと目をそらし、なぜ入浴習慣が島の外には薄いのか、と虚空に向けて八つ当たりした。


 体を洗い終わったところでミアがたらいから立ちかけたのでスサーナは急いで制止する。

 まだ髪が洗われていない。きらきらのストロベリーブロンドなのに、この乾いた風土の春先ではすぐに埃っぽくなってしまうので残念である。

 そのまま石鹸で髪を洗いかけ、スサーナははたと動きを止めた。


「あ、ミアさん、私、実は洗剤を持ってきてるんですけど、使って洗ってもよろしいですか?」

「え、いいのかな。高いんじゃない?」

「実は貰い物なので、別に私の懐は傷まなかったりします。」


 秘密兵器を持っていたことを思い出したのだ。

 魔術師の塔からの戦利品……というと大げさだが、冬のさなかにお風呂を借りたときに渡された洗剤の残りを貰ったのを、うちを出る時にしっかり持ち出していたのだ。

 あのキラッキラな魔術師の髪を作り出すシャンプーとコンディショナーである。それはそれはミアの髪も輝くことだろう。

 せっかくだし自分でも使うつもりはあるが、スサーナ自身の髪は髪覆いの下にしっかりしまい込まれてしまうのでキラキラにしたところであまり面白みはない。

 スサーナはまだ着衣だったのをいいことに部屋までダッシュし、洗剤の小瓶を持って戻った。


 丹念にミアの髪を洗う。


「ね、ねえスサーナ、気持ちいいけど、髪ってこんなに洗うものじゃないんじゃない? もっとざーっとでいいよ」

「駄目ですよー。普段ならそれでいいかも知れませんけど、入学式ですよ。ちゃんとしないと。」


 居心地悪げに言ったミアの言葉は黙殺し、よく濯ぎ、コンディショナーを使って濯ぎ直す。明らかに手触りと指通りが良くなった髪を触りながらスサーナは本土でも女性だけでいいので入浴習慣は広まるべきだ、と強く思った。


 スサーナ所持のローズウォーター――これは島の市販――を全身に揉み込んだのちにやり遂げた気持ちでタオルドライを済ませたミアを上に送り出し、それからスサーナは自分も入浴することにした。

 久しぶりのお湯の感覚にふにゃんとなるが、ゆっくりお湯を使う余裕があるわけでもない。スサーナは石鹸にしようか迷った後に少しもったいない気持ちでボディソープを少しだけ使って体を洗う。ボディソープの香りで髪のキラキラが表に見えない分のテンションアップの補填をしようという算段である。それから髪を洗ってケアをした。

 ――魔術師さんたちはこういう物も売ればいいのに……。そして島だけじゃなくて本土でも商売をしてくれたらいいのに……

 無い物ねだりをしつつ髪を拭き、一旦髪覆いの下に仕舞い込む。濡れたまま髪覆いを使うと変な癖が流石に付きそうなので、部屋に戻った後で乾かし直すことにする。まだなんとかそのぐらいの時間はありそうだった。



 髪を乾かしてかし、髪覆いできっちり抑える。おばあちゃんが用意してくれた服を着て上にアカデミックドレス制服を重ね、下に降りるとなんとはなしに場がざわざわしていた。


 喧騒の中心に居たのはミアだった。

 きれいに乾いた髪は毛先まで滑らかに整っていて、動くたびきらきらと輝いたし、明るいバラ色の頬はスサーナと同じく化粧一つしていないようだったが、くすみなく透明感に満ちている。

 入学式のためのよそいきの服は胸の下で切り替えただけで装飾の殆ど無いシンプルなものだが上に羽織ったアカデミックドレスが上等の布なので釣り合いがとれている、というよりも清楚さを引き立てているようですらあった。

 ――やあ、ここまで打てば響くように効果が出ると嬉しくなっちゃいますね。

 スサーナはこっそり一人でニコニコする。


「あっスサーナ、どうかな、服装おかしくない? なんだか見られてる気がする」

「とっても似合っているかと! 凄く可愛らしいのでそのせいだと思います!」


 ホッとしたように駆け寄ってきたミアにスサーナは太鼓判を押した。


「やあ驚いたな。なかなか化けたじゃないか。」


 ラフな格好のディダックが近づいてきて飄々と言う。

 上級生たちは入学式はまだ休みらしい。ただ昼から始まる式の前に、新入生たちが腹を鳴らさないようにと寮母さんの心尽くしの昼食が用意されているためにおこぼれを狙って食堂に集まっているのだ。


「お風呂……行水をしただけなので真価を現した、という方が正確ですよ、ディダック先輩」

「おお凄い凄い。はい散れー、貴公らが今見つめるべきは野菜スープの器だぞう! っていうか寄宿舎内不純異性交遊は禁止だぞー、禁止ー」


 ディダックははいはいと手を振ると何やら突付きあったり囁きあったりしていた先輩や他の新入生やらをぺいぺいと散らし、席に追いやった。


 スサーナもミアと一緒に野菜スープをお腹に入れ、それから皆で並んで手はず通りに講堂に向かった。




 講堂は巨大なすり鉢状の建物で、中には舞台に向けてぐるりと席が作られている。

 すり鉢の底は来賓と貴族の成績優秀者、上の方の広い座席は観覧保護者の席らしい。

 スサーナたち平民寄宿舎生はというと、搬入口そばの少しほかの席からは切り離されたあたりに案内された。


 微妙に格差社会を感じたスサーナだったが、もしかしたら治安上の問題とかでそういう席配置になっているのかもしれないし、と気を取り直す。

 ヴァリウサの公学院は平民も入学できる、留学生も受け入れている、という触れ込みなので――留学生は入国の際になんらかの誓いを立てさせられるらしいが――他よりもそういう気遣いが必要かもしれない。


 ……市内通学組と思われる、貴族たちとは少し服装の違う、商人層とおぼしき子供たちが中段ぐらいに座っていたのからはそっと目を逸らしておくことにした。

 本来スサーナが座っていたのもそちらだという気はするが、それはともかく、である。


 そしてつつがなく式が開始された。

 国歌が演奏され、次にどうやら校歌が流れる。

 学院長だの学部長だの役員だのが壇上で紹介され、入学許可の宣誓が行われる。


 スサーナはおお入学式らしいなあ、と眺めていたが他の寄宿舎生には飽きたものも出たらしい。前の方の席でこっくりこっくり首を揺らすのが見え、ふふっとなる。

 思えば他人の演説を聞くことなど、人によっては契約式以降初めてということもあるだろう。


 そう思って周りを見渡してみると、こっくりこっくりしているのはどうも寄宿舎生だけではなく、視界が届く中では貴族の子供にも居眠りをしかけているものは居るようで、スサーナはほのぼのしながら内心激励した。

 ――緊張して昨日眠れなかったんでしょうか。ふふ、これから慣れていかないと大変ですよー。

 多分学院の授業は基本的には座学だ。講制度がない貴族の若君たちのうちにはもしかしたら初めて多人数で座って人の話を聞く、という授業を受けるものもいるだろう。

 ――お嬢様たちは大丈夫かなあ。

 姿を探して見回してみたが、座っていて姿が見えづらい上見分けづらい後ろ姿でうまく見つけることは出来なかった。


 その後学院長の挨拶がある。これがなかなかに長い演説で、こっくりする首の数はなかなか増えたように思われた。


 スサーナはその手の話であまり眠気を催す体質ではないが、演説を聞きながら実はだいぶ不機嫌になっている。

 話の内容が悪い。


 学校の成り立ちを話しているのだが、それ自体はとても興味深いのだ。

 しかし。

『神代の頃に最初に祖神の手で地上に降ろされた魔術師達の子に彼らの魔力も不死性も継がないものが居た。魔術師たちは彼を憐れみ、彼らの知恵を分け与え、知識を覚えさせた。魔術師たちのようには生きないその人は自分の死とともにその知識が消え去ることを惜しみ、弟子をとって惜しみなくその知識を常民に分け与えた。それが賢者の始まりであり、7つの学部の七人の学部長はその最初の賢者7人を継ぐことを表しているのだ。最初の七人の賢者に深い敬意と尊崇を忘れず彼らの後を継ぐことの偉大さを忘れぬよう』

 というような話運びであり、スサーナにはどうにもそれが気に食わない。


 ――つまり偉くて凄いのって魔術師さんたちなのでは? さっきから七人の賢者さんのことしか話してませんけど尊敬すべきはまずそれを教えてくれた魔術師さんなのでは?? 百歩譲ってその魔術師さんの子供だった方に敬意を払うべきなのでは??? 開祖ってその七人である前にその人一人ですし、むしろ人数すら注意を払われていない魔術師さんたちなのでは????

 ……というような具合である。

 いつもながら世間の魔術師の扱いはよくわからない具合に冷淡だ。

 スサーナは静かに歯噛みした。


 スサーナが演説の趣旨からすると枝葉末節の部分に引っかかりイライラしてる間に無事演説は終わり、新入生代表による宣誓が行われる。


 呼び上げの人が長ったらしい敬称を読み上げているのを聞けば、どうやら今年は第五王子という位の人が入学するらしく、その人が代表らしい。

 ――王子様が同級生っていうのも凄いですよね。つまり日常の行動範囲にうっかり王子様がいるということで……学習院とかの感覚に近いんでしょうか。

 曲がりなりにも国政に関わったりする為政者の子供たちである貴族の子供たちには逆に普通のことなんだろうか、などとぼんやり思考する。


 正直あまり慣れそうにない。できるだけ視界内にも入らないように生きていきたい。最適な距離は学内の端と端とかだ、とスサーナは思う。

 いつ何時失礼をしでかして無礼討ちされるかわかったものではないではないか。


 そんな感想を抱きながら壇上を見上げたスサーナは、思わずかくんと首を傾げた。

 壇上に上がり、王の臣下として自覚ある行動をとか、生涯信じ合える友をとか、きらきらしい文言を言っている王子様の顔に、どうにも見覚えがある気がしたのだ。


「……王子様ってどういう意味でしたっけ?」


 スサーナは小声で呟き、横に座ったミアがキョトンとした顔をしてスサーナの顔を見た。




 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「やっほー、おっつかれー」


 第五王子レオカディオは控室でだらんとした姿勢で茶を啜っていた、三月違いの異母兄フェリクスにゆるく会釈した。


「兄上」

「兄上じゃ駄目って言ったじゃーん。姉上って呼んで♪ 」


 この第四王子はごく幼いときから女性の装束を纏い、奇矯な行動を繰り返す鼻つまみ者だ。神々のいたずらとされる魂と体の性別を違えた者、ということになってはいるが、ごく親しい身内の目からしてみるとそうでもないらしいのが始末に悪い。

 しかしレオカディオはこの破天荒な兄と呼ぶには年の近すぎるきょうだいの事を好ましく思っていた。


「兄上は兄上ですよ。」

「ぇーっ。あったま硬いなー。しかし硬いと言えばレッくんよくやるねー、代表者挨拶なんかさあー」

「本当は兄上のお役目だったんですからね!」

「あははー、ボクにそんなことができるわけないじゃーん! 爺共がひっくり返っちゃうよお」


 ソファの肘置きに足を載せけらけらと笑う兄にもう、と腰に手を当てて見せ、それから自分も用意された飲み物を手にとる。


「僕がとても機嫌よくなければ、今頃兄上のお茶菓子は僕のお腹の中ですよ」

「むっ、それはヤだな。このクッキー美味しいんだよねー。食べられないうちに食べちゃおっと!」


 皿の上のクッキーを鷲掴みにし、口に放り込んでむしゃむしゃと噛み砕いたフェリクスは、弟の表情を眺め、それから指についたクッキーくずを舐め取った。


「でもレッくんほんとに今日機嫌良さそうだね! なんかいいことあったー?」

「ええ、ミランド公からお手紙があって。入学おめでとう、良い子にしていればきっと思いがけない贈り物がありますよ、と書いてあったんです。」

「へー、あのオッサンお前に甘いからなー! で、何貰ったの?」


 ちょっと困ったような笑顔でレオカディオはいえ、と首を振る。


「それはまだ全然。ただ、入学すればわかりますと書いてありましたから」

「えー、それ、友達とのかけがえのない絆とかそういうヌルいこと言うつもりじゃない?」

「あはは、かも。」


 笑った弟にフェリクスははあーっと大げさにため息をつく。


「お前、そういうところイイコすぎておにーちゃん心配だぞー?」

「おねーちゃんではなくてですか、兄上」

「わかってるんだったら言うなよ、もー!」


 くすくす笑ったレオカディオがいえ、と首を振る。


「でも、僕、ミランド公からお祝いのお手紙を頂けただけで結構嬉しくて。忙しい人なのに、わざわざ手紙を書く時間を割いてくれたってことでしょう?」

「そういうところがいい子ちゃんなんだぞー? えい、罰だ!」

「あっ、僕の分のクッキー!」


 言うが早いかフェリクスが電光の如き勢いでレオカディオの前に用意された茶菓子を引っ掴み、口に押し込んだ。

 レオカディオは悲鳴をあげるとそのまま笑い出す。



 戸口の横、気配を揺らさずに控えた忠実な衛士は、主とその兄の戯れを見ながら、知った顔が平民入学者……壇上から視線の通りづらい、薄暗い位置に紛れていることを主に伝えるべきかどうか、静かに思案していた。

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