第99話 楔石の騎士は遍歴せず 7
「なんなんスかあの人! かっ、カッコいい!」
「うんうんそうですねー」
「スサーナさんもなんであんなすっと誤魔化せるんすか、すごい! 親父の武勇伝みたいっス!」
ぐいぐいとサンディアの手をとって歩いていたスサーナは、あ、と声を上げてぴたりと足を止めた。
「サンディアさん、さっきのこと、誰にも言わないでくださいね。」
「えっ、なんでですか? めちゃくちゃカッコよかったじゃないですか、ゴロツキをスマートにすっと誤魔化して、大人みたいで!」
「いや、だって。見つかったら大怪我をしそうだなと感じて思わずああいう風にやっちゃいましたけど」
スサーナは強いてとても深刻そうな顔をした。ここが大事だ。
「もしその話が広まって、大通りまで逃げた人が見つからなかったー、じゃなくってごまかされたんだ、ってあの人達がわかったら、恨まれちゃいますよね。」
「あっ、言われてみれば……いやでもぉ……」
「それで、子供にごまかされたなんてわかったら面子が潰れた、ってことですから、お店に脅しとかに来ちゃったりするのでは? おもての高いガラス窓とかバーンって割られて……お店の人たちが棒とかで殴られちゃったりするかも……」
「ああっ、そ、それはめちゃくちゃ困るっす!」
言わないでくださいね、という念押しにサンディアは首が取れそうなぐらいにぶんぶんと首を振り、頷いた。
ここはよし。スサーナは思う。いや、どのぐらい我慢してもらえるかはわからないけれど、軽々に言い回るということはなくなったろう。
考えなしに、と言うか、流れで、と言うか、本気で後先考えずのムーブで誤魔化したのでこうして後々気を使わなければならないことが多い。スサーナは過ぎたことながら反省した。
そして、次の日。
顔を合わせなければいいなあ、と思っていた騎士様が運悪く屋敷に居て、奥様のところに参上するスサーナを目ざとく見つけてわけありげな目線で寄ってきたのでスサーナは遠い目になった。
「やあ麗しの君、昨日はどうも」
「何事もなかったようでなによりですのでもう行っていいですか!」
階段の上を見つめ、さっさとあっちに行きたいなあ!という雰囲気を全身から発散させるスサーナに、フィリベルトはおやっと言う顔で目を丸くした。
「お嬢さん、昨日の顛末、興味はないのかい?」
「ぜんぜん知りたくないです!」
「ふむ? 普通はあんな光景に行きあったら、一体なぜ貴方のような素敵な方があんな目に、と聞くのが御婦人の常だと思っていたんだが。」
「その形容詞への疑義はともかく、そういうの深入りして良いことが起こることなんか絶対ないじゃないですか! 知りたくありませんよ!」
力強く主張したスサーナに、フィリベルトはふむと顎を撫でる。
軽く周囲を見回し、それからじゃあこうしよう、と声を上げたフィリベルトにスサーナは不審そうな目を向けた。
「では、話して俺に都合が良さそうなところだけ説明させてもらおうか。実は俺はとても重要な主命を帯びていてね? 誰にも秘密なのさ。とても危険だから後をつけたり詮索をしたりも良くない。そうそう、当然だが昨日見たことは誰にも話さずに居て欲しい。奥様や娘さん方にもだ。出来るね?」
「正直その情報も要らなかったです」
微妙にそうじゃないかな、と思っていた答え合わせがされてしまった。そういう秘密のことは軽々しく明かさずに居てほしかった。秘密任務を帯びている身分ならば無理筋でも休暇と言い張るべきではないのか。スサーナは唸りたくなる。
余計な情報を知ってしまうとそこからそれを前提に思考してしまうのでイヤなのだ。
カンガルーのことを考えるな、と言われたら当然即刻脳内をカンガルーが縦横無尽に飛び回るに決まっているじゃないか。
周りが何も知らないことを前提に振る舞うつもりなら、是非それを徹底して欲しい。
スサーナはそのあたりの思考のトゲを抜いて、断片的にでも情報があるとその事を考えてしまうので態度が変わってしまい、そちらにも不都合があるのでは? 教えることはなかったじゃないか、と、穏当な形にした苦情を述べ立てた。
「お嬢さん、年の割に……というか、随分と場馴れしたことを言うじゃないか。」
「物語本にだって書いてある世界の真理ですよう。」
「そんな事が書いてある本はあったかな? 龍の巣に入らねば宝物は得られない、という金言ならよく見かけるが。」
「べつに竜の宝欲しくないですもん! だったら竜に近寄らないで生きていくのが一番です! 竜の巣の場所も知らなかったら竜の尾を踏んだりもしないんです!」
全力で主張するスサーナに、フィリベルトはもう一度、ふうむ、と声を上げた。
「君がその夢のない本をどこで読んだかはともかく、お嬢さん、そういう思考をする君は秘密の共有者としては信頼が置けそうだね。」
スサーナは力いっぱいうええ、となる。なった。予想外の反応である。
「ははは、なにも何か機密事項を知っておいて欲しい、と言うわけじゃないさ。ただ、少し口裏を合わせてくれる相手は居たほうが――」
「ご遠慮いたします!」
「ははは、しっかりしているな!」
ではくれぐれも誰にも言わないでくれよ、と言ったその後で、フィリベルトはああ、それはそれとしてお礼はなにか考えておくよ、と完璧なウインクをしてみせた。
スサーナはそれには取り合わず、脱兎のごとくに奥方の部屋を目指して離脱した。
後ろの方でフィリベルトが妙に楽しげな顔をしたのなぞ気づく余裕などありはしない。
必殺仕事人だろうがうちのかみさんがというピーター・フォークだろうが「2、3お伺いしたい事があるんですけど~」という田村正和だろうが僕の悪い癖という水谷豊だろうが、ともかくその手の人からは何か任されるようになってはいけないのだ。
虎の尾を踏むどころか、周辺全部が虎の尾みたいな状況に叩き込まれるに決まっているのだから。
逃げ込んだ、もといご挨拶に参上した奥方の部屋では部屋の女主人が実に張り切って待っていた。
「いらっしゃい、スシー。あの子達の用事が終わったら今日はまたわたくしの部屋に寄ってくださるかしら。あなたの為に誂えた服があるの。」
少女のようにはしゃぐ奥方の言うことを聞くことに、古いデザインを現代的に復活させる一手であり、これがいい感じなら島内の仕立屋に言って複数作らせ、貴族の奥方同士の集まりなんかで侍女に着せたり自分で着たりして流行させていくつもりなのだという。
「ああ、楽しみだわスシー。わたくしの身につけるぶんはあなたのお家にきっと注文いたしましょうね。 まずは貴方に着ていただいて、似合うかどうかですけれど。」
――趣味が実益の方に振れたやつ……!
普段の着せ替え遊びとは違ってちょっとこれは責任とかがでてくるやつだ。と認識しつつ、それなら今日はあの騎士様に関わる余地は殆ど無いだろう、とスサーナはほっとした。
今日はお嬢様たちには外国語の授業がある。その間はお嬢様たちの側について、終わったら奥方に呼ばれている……実務に関わることであることを理由にすっと離脱すればいい。
多分これまでの感じだと、顔を合わせるタイミングを一度逃せば数日はろくに顔を合わせないはずだ。
やはり気持ち的に数日開けばほとぼりが冷めると言うか、比較的接しやすくなる気がするのだ。知らん顔をするにもやっぱり心の準備というのがある。
なんで秘密任務とやらをしている人のほうがのびのびしていて不可抗力でなにか目撃してしまった側の自分がまるで黒シルエット系犯人のような気の使い方をしているんだろうか。スサーナは微妙な理不尽さを感じつつも今日さえ乗り切ればなんとかなる、と意気込んだ。
とりあえず深呼吸を1つ。
これまでの予想に裏付けがついてしまった程度ではあるが、お嬢様たちのフィリベルト様の話題に相槌を打つにあたり頬が引きつったりしてはいけない。
それからお嬢様たちの部屋に向かう。
行ってみると、召使いの一人が教師用の椅子と書台を設置しているところだった。
「あ、手伝います。」
スサーナは駆け寄って椅子を引っ張り定位置につける。
「スシーちゃん、今日もよろしくねえ」
簡単に挨拶を交わし、今日の注意事項を聞く。
「えーと、今日は食料品を入れる日でしたっけね。夕方台所を使うなら邪魔にならないようにしてね。もうすっかりわかってるでしょうけど。」
「食料品を入れてくださる日程、変わったはずですよ。ほら、健啖家の男の方が二人も増えたから、減りが早いですし。」
「あら?そう? アタシは隔日だからねえ、スシーちゃんのほうがもうすっかり詳しいわあ」
台所番と話もしないものだから、と頬に手を当てる若い召使いと笑いあい、スサーナはそれからお嬢様たちの座る椅子に干したクッションを乗せ、本を用意し、勉強をする支度を整えた。
程よいところでお茶を用意し、時折そっと回答を教えたり、いつものようにお嬢様たちの授業に付き合う。
授業が終わった後、フィリベルト様をお茶にお誘いしましょう、とはしゃぐお嬢様たちに私は奥様に呼ばれていますので、とことわってスサーナは席を立った。
道々アラノを見かけたので、フィリベルト様がお嬢様たちに呼ばれているよということを伝言し、それから奥方の部屋に向かう。
用意されているという服はどんなものだろう。スサーナは思う。
奥様が見立てたデザインなのだろうが、古いデザインとか言っていた。
そういえばこの間の服は古いデザインなのだっけ。この間のようなリボンまみれの衣装でなければいいのだが。
スサーナは、レミヒオがリボンフリフリ第二弾を着せられて、さらにまたアラノに目撃されるのではないかとそっと心配しはじめた。
一度ならず二度ともなればそれはそれは誤解がときづらいだろうから。
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