第98話 楔石の騎士は遍歴せず 6
そうしてなんだかんだ10日ばかりが過ぎた。
今日のスサーナはお店で雑用のお仕事だ。
「三番、五番の箱は船荷になるそうだから油布重ねて、隙間に蝋を張って」
「採寸待ちのお客様に誰かお茶を」
「綿別珍が足りなくなりそうです!」
「こないだのアレ揃い40着入りました。縫製所に指示書き届けて、ついでに品物受け取ってきて」
昼過ぎのお店の裏側はてんてんてこまいだ。
スサーナにだって次々仕事が入る。大物のドレーピングの補助をしたり、仮縫いの衣装をお客様に当てる助手をしたりする合間合間に、梱包をしたり仕立物を畳んだりリストを作ったり型紙を纏めて名前順に保管したりする業務をひたすら行っていた。
夕方になり、従業員たちが一休みに入って皆ご飯に行く時間になる。
――うーん、後ちょっとで終わるんですよね。これが終わったら休み時間終わりから別の仕事に入れるし。
スサーナは手元を確認してすこし考えた。
本当は良くないし、ダラダラ仕事をすることはおばあちゃんや叔父さんに見つかったら叱られてしまうことなのだが、運良くと言うか運悪くと言うか、今はどちらも出ている。
一人で完結できる仕事で、後ちょっとで終わる、となるとやってしまいたいスサーナである。
結局スサーナは型紙をもうしばらくまとめることにした。
みなが出かけた店内。留守番の若い裁縫師のゴルカとスサーナ、あとは休み終わりに使うハサミを研いでいる一番下の徒弟のサンディアが残っているだけだ。
スサーナはまとめ上がった最後の1つづりを棚にしまい込み、うんと背伸びをした。
そんなところに、
「すみませーーん!」
息を切らせて若い男が一人駆け込んでくる。
見れば、取引のある船の船員だ。
「すみません、アマラの船なんすけど、注文のマント出来上がってますかあ!」
ぱっと注文票を繰ったゴルカがものを確認して言う。
「出来てますよ。あしたお届けに上がることになってますが」
「すんません、日程が間違いで、今晩必要なんですけど、ちょっと今持ってきてもらうこと出来ますか! あっこれ、これ船長のサイン入り引き換え依頼です!」
「今晩」
書状を確認したゴルカはぱっと店内を見渡し、スサーナとサンディアに目を留めた。
「二人、悪いけど届けてくれ! 終わったら休み時間にしてメシ食ってきていいから」
二人は頷き、出してきた注文品を船員と手分けして抱え、船に届けることになった。
なんとか必要な時間前に船にマントを引き渡し、厚くお礼を言う船員さんたちにこれからもご贔屓にと一礼し、宅配完了だ。
「いやー、お駄賃いただけるだなんてラッキーでした。スサーナさんご飯どします?」
船長さんから急な配達のお詫びを込めてお駄賃を頂いたので、サンディアは非常に上機嫌である。
スサーナも悪い気はしない。お駄賃、と言うよりも外で夕ご飯が食べられるのが理由だが。
おばあちゃんはスサーナが外でウロウロするのをあまり好きではないのだ。
貴族のお宅への往復は許してもらっているし、たまに市場へ叔父さんと来たりもするけれど、出かける時は大抵誰かと一緒だし、フローリカちゃんと遊ぶ時なんかも向こうの家の人がついている。
講の行き帰りに寄り道は可能だが、最初の一回があんまりに波乱万丈だったせいで気が引けるし、おばあちゃんの目を盗んで早朝とかにぱっと出掛けることも出来るけれど、下手にバレて気付かれたら悲しまれてしまう気がするし。
おばあちゃんの言いつけを破ってまで外遊びがしたいわけではないスサーナは基本的にあんまり一人で出歩くことはしない。
というわけで、現状。
ひとつ年下であるサンディアと二人で街中で買い食いというのはほとんどない非日常であった。
「うーん、どうします? なにか買って帰るか、食べられるお店に行くのか……」
「あ、アテがないならアタシいい店しってるんすよ!行きましょ!」
ずんずんあるき出したサンディアに従って街路を歩く。
路地をショートカットしたり道を渡ったりしつつ辿り着いたのは港湾労働者の皆さまが一杯に詰まった半地下の一杯飲み屋だった。
――こ、これは、せんべろ系ディープ!
微妙にたじろいだスサーナを尻目にサンディアはずんずんと店に入り、高い椅子に落ち着くと女将さんに内臓肉の煮合わせとオーブン焼きの芋を注文した。
「すごい所知ってるんですね……」
横の椅子に登り上がったスサーナは周囲を見回し、とりあえずバターを載せた芋に目をつける。
「えっへっへー、親父がここらで働いてまして。行きつけなんス。」
胸を張ったサンディアに、スサーナはああいいなあそういうの、とにこにこした。
食事が終わり、帰路につく。なんと二人で食事をしたというのに
「えっへっへ、余ったぶんは明日のおやつ代にします!」
「よかったですねえー。すごくお安くてびっくりしました。」
「うふふ、そうっしょそうっしょ! 安くてウマいんすよ。スサーナさんも芋だけじゃなくてもっと食ってもよかったのに。」
「いやあ、あれで十分お腹が一杯で。」
サンディアはお店で働いている人には珍しく下町生まれで、お店に徒弟に入ったのは彼女のお兄さんが取引先の金物屋で仕事をしていて、その紹介だった。だから下町の穴場の美味しいお店を知っているのだろう。
普段あまり仲良く話すわけではないサンディアと打ち解けるきっかけみたいなものができたのがスサーナにはなんとなく嬉しい。
お針子の間のうわさ話とか、職場を今席巻している恋バナ……つまり、叔父さんがブリダにモーションを掛けているのを第三者の立場から見たやつの話なんかを聞きながら歩く。
いくつかの近道。
海の方から続いた路地から誰かがばたばたと走る靴音が聞こえて、二人は歩く速度を落とした。
走ってくる誰かに先に行ってもらうつもりで少し待つ。
路地の向こうから走り込んできた誰かが道の横に刻んだ溝に飛び込むのが見え、スサーナは目を瞬いた。
見た顔だ。
「えっ、なんすか今の」
サンディアがぽかんと声を上げかけ、それに被るようにまた路地の彼方からばたばたと複数人の足音が響いてきた。
スサーナはサンディアの手をぱっと掴む。
「えっ?」
サンディアが握られた手の方を見る。
そこに、路地から数人の男が飛び出してきた。
「ひぇっ!?」
サンディアが間の抜けた悲鳴を上げた。
人の気配にばたばたとスサーナとサンディアの方を向き直った男たちのうち幾人かの手には確かに刃物が握られている。
「ちっ、ガキか!」
「おいガキども! 今俺達の前に走ってきたのがいたな!? どっちに行った!?」
「ひっ、あっちです……!」
スサーナが通りに通じるほうを指差すと、男たちは1つ舌打ちをし、そちらの方に走っていった。
しばらく少女二人はそこに立ち尽くし、路地にしんとした静寂が戻ってくる。
「あの、スサーナさん?」
「はい?」
「今、なんで……」
「ええと、はぐれ刑事……まあ、ええと、話すと長いですし。」
不安そうな声を上げたサンディアの手を離し、スサーナは溝に近寄る。
「ええと、今の人達行きましたけど。」
「やあ、お嬢さん。助かったぜ。」
溝に張られたゴミ取りの網の影から出てきたのは目立たぬ平民らしい服装をした、本土から来た騎士様だった。
「スサーナさん、知ってる人なんスか?」
「ええ、まあ一応。警吏に叱られるような立場の方じゃないはずではあります。」
「まあ、さっきの奴ら港の方のごろつきっぽいですし、悪いんならあっちだとは思うっすけど……。」
「それじゃサンディアさん帰りましょうかー。」
「はァ!?!? えっこの展開で!?」
フィリベルトが溝から上がってくる間に少女たちは言葉を交わす。
心外そうに叫んだサンディアに、スサーナは逆に心外な気持ちであった。
こういうことには深入りしないのが一番なのだ。
「いやだって、私達みたいな子供が関わってもいいことないんじゃないですか?」
「いや、そうかも知れませんケドぅ、気にならないんですかスサーナさんん……」
「全く全然!」
胸を張ったスサーナにサンディアがぐったり脱力した。
「つれないなあ。だが、こちらのお嬢さんの言う通りだとも、愛らしいお嬢さん。」
服を払いながら上がってきたフィリベルトが楽しげに同意する。
そしてサンディアの手を握り、麗しい貴女に害が及ばないように願うこの真心に免じて今日はおとなしくお帰り願えないだろうか、とやったので彼女は耳まで顔を真赤にした。
「はっ、ハイ。帰りまス!」
ぽーっとした目でこくこくうなずくサンディアを見て、うわあ罪作りだなあ、とスサーナは思う。11歳の女の子にはちょっと刺激が強いのではなかろうか。
「お嬢さん、君も。ありがとう、この礼は必ず」
「別にいいです!」
意味深にウインクしてきたフィリベルトを遮ってスサーナはサンディアの手をとり歩き出す。
お礼も事情説明も欲しくはない。
まさか本当に刑事ドラマみたいなシーンに出くわすことはないのではないか。
事情を聞いたら何故か深入りすることになる、明らかに刑事ドラマのセオリーなのだ。
スサーナは心底そんなのはごめんだった。
やっぱり、寄り道なんかするんじゃあなかった。スサーナはサンディアの手をとってぐいぐい歩きながらそう思っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます