第97話 楔石の騎士は遍歴せず 5

 絶対に絶対に関わらないぞ!

 そう思ったのもつかの間。


 ――まあうん、無理ですよねーーー。


 次の日、スサーナは早速遠い目になっていた。


 スサーナはここの所最近は週に一日か二日、お店のない日でフローリカちゃんも来ない日、講が終わった後か講も無い日を選んでお嬢様たちのところに伺ったり奥様に構われたりすることになっている。

 最初は特にお給金が出るという話もなかったものの、あんまり奥様がスサーナを側使うものだから呆れたセルカ伯が日雇いの侍女の扱いでお小遣いを出してくれるようになったのだが、まあそれはともかく。

 普段、二日続けてお屋敷に伺う、ということはない。

 ところが今日、講から戻ると、セルカ伯のところのお使いが来て後で来るようにと言っていたよ、と伝えられたのだ。



 首を傾げたものの、急いで支度をして屋敷に向かったスサーナがセルカ伯のお屋敷の中庭で目にしたのが、


「まあ、まあ、素晴らしいわ!素晴らしいわ! 」

「本当に! 他にはどんなお話がありますの?」

「ははは、麗しのお嬢様方に気に入っていただけるなら何よりだ!」


 お嬢様方二人がフィリベルトを囲み、キラッキラの目でなんらかのお話をせがんでいるところだった。



「レティシア様、マリアネラ様」


 スサーナがぱたぱた駆け寄ると、お嬢様たちは上機嫌で手招きをする。


「もう、遅くてよ。 ご紹介いたしますわ。フィリベルト様、この子はスサーナ。わたくし達のことを手伝ってくれたりするお友達ですの。 スサーナ、こちら、フィリベルト様。騎士様でらっしゃいます。あなたご挨拶がまだでしょう?」

「やあお嬢さん、どうぞよろしく。」


 中庭のベンチに座り、なんだか縮尺を間違えているのでは?という具合の長い足を組んだ昨日見た顔の騎士様が小さく手を上げた。


「ええと、よろしくお願いいたします。」


 スサーナが使用人らしく一歩控えた位置でうやうやしくお辞儀を終えると、


「もう二人だけで色々お話を聞いてしまいましたわ」

「スサーナ、今フィリベルト様に魔獣退治のお話をしていただいていますの。」

「これは是非スサーナさんにも聞いて凄さを判っていただかなくてはと急いで使いを出しましたのよ。」


 お嬢様たちがはしゃいだ声でスサーナが呼び出された理由を教えてくれる。

 ええー。

 スサーナは無駄な気もしたが、一応良心の勧めに従ってそっとツッコミを入れた。


「奥様にくれぐれもご休暇の邪魔をするなと言われませんでしたっけ……」

「あら、邪魔なんてしていませんわ、お近づきの印にお話してくださると仰っていただいたのよ。」

「いやでも……」

「なに、お嬢さんの心遣いは嬉しいが、麗しい乙女の耳を楽しませることが出来るならば騎士の本望さ。」

「は、はあ。そういうことでしたら……」


 もしょもしょと一応諌めに掛かるスサーナだったが、笑ったフィリベルト本人に取りなされてしまって諦めた。


「じゃあ座って……ああ、待って、スサーナさん、お茶をまず淹れていただいてよろしい? ゆっくりお茶を飲みながらお話していただいたほうがよろしいですもの!」

「あ、はいはい。」

「今日はベニトのお茶をいれてくださる?」


 はっと思い立ったようにお茶を注文するレティシアに、ああなるほど、とスサーナは了解する。

 レティシアは奥方がプロデュースしたお茶がなかなかの自慢なのだ。この機会に憧れの職業である騎士のフィリベルトに振る舞って感心されたい、とそういうことだろう。


 奥様のプロデュースしたお茶は一つ問題があり、普通に紅茶のように淹れるとちょっと渋い。何度も淹れて慣れた一部の召使いでなければ美味しくは淹れられない……のだが。

 スサーナが手前勝手に淹れたベニト茶はやたらとこの屋敷の中で評判がいいのだ。

 お茶の自慢をしたいに当たり、レティシア的に一番味が気に入っているスサーナを待った、という部分はあるのかもしれない。


「はい、承りました。お茶菓子もお持ちしても?」

「ええ、お願いね」


 スサーナは心得て一礼をし、一応フィリベルトに問いかけた。


「フィリベルト様、甘いものはお好みになられますか?」

「おお、いいねえ。俺は行動食はとことん甘くするタチでね。糖蜜を水袋に入れてアラノに怒られたこともあったな……」


 わあ、ガチの甘党。

 これは茶菓子に悩むことはなさそうだな、と判断してスサーナは席を立つ。

 煎茶にはしょっぱい物も甘いものも合うが、インパクトを狙うならこっくり甘い系統の茶菓子に合わせてもらうのがよかろう。確か台所にはお客様用菓子としてナッツのマブルーマ糸包み菓子があったはずだった。


 台所に向かい、日本流に淹れた煎茶を用意する。

 シロップはスサーナとしては入れたくないので別に添え、客用菓子を持ち、ついでに少し自分用の安い方の菓子をポケットに入れて完成だ。


 盆を持って回廊を歩いていると、回廊につながる廊下から磨き布を持ったレミヒオが出てきた。どうやらこれからセルカ伯の文房具を磨くところなのだろう。

 ――あ、レミヒオくん。

 そういえば荷物に煎じ薬を入れて持ってきてあったのだ。あとで渡そう。そう思いついたスサーナは、とりあえず挨拶をしようと声を上げかけて、


「おおい、ちょっと! リボンの!」


 奥からレミヒオを呼び止める声に、一旦足を止めて待つことにした。


「ちょうどいいところにいた。リボン君、フィリベルト様を見なかったか?」

「アラノ様、僕はレミヒオです。そのような面白い名前になった覚えはありませんが」

「はっはっは、悪い悪い。まだ覚えられなくてさ。もうすぐ覚えると思うから気にしないでくれ。で、フィリベルト様を知らないか? 先程から姿がお見えにならなくて。お一人で外出されたのではないと思うが……」

「従騎士のアラノ様がご存知でないのでしたら、フィリベルト様がご自身で伴わぬご判断をされたのでは?」

「うっ、手厳しいな……」


 ――うわあ、レミヒオくんの声が絶対零度だぁ……

 めちゃくちゃ険があるうえに声のトーンがめちゃくちゃ低いレミヒオに、スサーナはハラハラしていいのか同情の目で見たらいいのかよくわからなくなる。

 アラノのほうは全く気にしていない、と言うか、快活な声の調子的に邪険にされているというのも気づいていない様子なので、まあ、失礼ですよと今ここでたしなめる必要はなさそうではあるが。

 ――まあでもうん、リボン君はね……

 レミヒオはああ見えてプライドが高い。いや、行動の端々の感じ、スサーナとしてはなんとなくそんな気がする、というだけだが。

 それなのに多分、今年最大級の黒歴史レベルのあのフリフリを引っ張るのはとてもよくない。……多分アラノはあれをレミヒオの趣味だと思っているのだろうが。


「まあ、見かけたら教えてくれよ。部屋に上着を置きっぱなしにされておられるので着ていただかなくちゃならないんだ。」


 そう言って去っていったアラノの後ろ姿を見送って、レミヒオが低い低い舌打ちをひとつした。両手で握った磨き布に力をかけすぎたようでびっと布の裂ける音。


 ――わあ。

 スサーナは急いで手すりにお盆を置き、レミヒオに駆け寄り、後ろ背にアタックした。

 職場の人間関係の悪化とかで雰囲気が悪くなるのはよくない。


「レミヒオくん!」

「わっ」


 レミヒオが棒立ちになり、慌ててスサーナの方を振り向く。


「すっ、スサーナさん? 今日はいらっしゃらないはずでは?」

「レミヒオくん、はいどうぞ」


 その口の中にとやーっと一つ、ポケットから出した焼干菓子ボーロを放り込む。

 これは実はフローリカの得意技の真似だ。

 甘いもので気がそれるし、島で売っている焼干菓子は貝殻の粉を混ぜてあったりする。制作意図は違うのだろうが、結果的にカルシウムが豊富でイライラに効く。


「……? !?」


 そして口の中の水気を全部持っていかれた様子で口を抑えて困惑するレミヒオに、スサーナはあ、水分。と微妙にやっちゃった顔をした。



 さくさくさくさく。


「……あの、今のは」

「ええと、なんかすみません……あの、甘いのと貝殻粉はイライラに効くらしいので……」


 なんとか焼干菓子を飲み下したレミヒオに困惑声で聞かれたスサーナは微妙に目をそらし、謝る。


「……。 見られていました?」

「ええ。あのえーと、多分悪気は無い方だと思いますし、奥様のご趣味なんかご存知じゃないでしょうから、あまり怒るのも。」

「いえ、まあ、今の驚きで怒りもどこかに去りましたけど。」


 レミヒオが眉間を寄せてはあっとわざとらしくため息をついた。


「せめて飲み物があるときにしてもらいたかったです」

「あ、あはは……ほんとすみません。お客様用のを飲んでいただくわけにもいかなかったですもんね」

「お客様が?」

「あ、はい。いえ。お嬢様たちとフィリベルト様のです。ああそうだ、アラノさん行っちゃいましたけど、レミヒオくん、次通りかかったらフィリベルト様は中庭でお嬢様たちにお話を聞かせてくださっているって伝えてくださいね」


 レミヒオの声色から険が取れたのを確認して、スサーナはお茶の盆をよいしょっと抱え直した。


「ええ、では顔を合わせたらそうします」


 レミヒオがため息一つ。だが、絶対イヤだとかそのようなことは言われなかったのでよしとしよう。

 このままなんとか関係が改善、もしくは良好に保たれてほしいなあ。スサーナは希望的観測を胸に抱く。


 この屋敷には他に同年代の男の子というのはいないのだ。

 普通の立場のこどもなら使用人と言っても他に同年代の知り合いぐらいいて、休みに遊んだりもするだろう。だが、たぶん外国の出の青帯奴隷で完全に身柄がセルカ伯のものであるレミヒオにその余地はないだろうと思われる。


 短い期間でも同年代の男の子と交流する機会はあったほうがいいだろう。滞在期間が結局どのぐらいになるかは知らないが、昨日の奥方の物言いでは3日4日のことではなさそうだし、親しくなれるなら親しくなったほうがいい。初対面の印象が悪かったぐらいで機会を逃してはもったいない気がする。いくらセルカ伯に重用されようと、奥様に可愛がられようと、友だちがいるということはまた違う大事さなんじゃないかとスサーナは思うのだ。



 レミヒオに見送られ、中庭に戻る。

 各人にお茶を配り、配り終わった後でお嬢様たちに座るように促され、座るとすぐに中断していたらしい魔獣退治の話の続きが始まった。


 毒のある一つ目の大蛇を騎士団総出で退治したこと。六本足の大野豚と野営中に出くわした話。都市近くまで現れる、金属のように毛の硬い、巨大な野犬の群れを迎撃する話。


 これが、困ったことにめっぽう面白かった。

 休暇の邪魔をしないよう今後お嬢様たちを適度なところで引き離さなければ、と思っているスサーナでもうっかり聞き入るぐらい、平易な語り口ながら臨場感溢れ、タメではぐーっと不穏さを煽り、戦いの部分では力を込める。

 お嬢様たちは目を輝かせ、夢中で聞いている。


 その間にフィリベルトはお茶とお茶菓子が非常にお気に召したらしく、お茶を2杯おかわりし、皿の茶菓子を殆ど一人で食べ尽くした。

 それだけ長い時間話してくれた、という言い方もできなくはない。茶菓子の減りはちょっと平均的時間から考えると倍速ぐらいだった気はするが。


 これは、駄目だな。

 スサーナは話に耳を取られながらお茶を淹れ直し、お茶菓子を追加し、そうしながらも判断した。

 確かにこれは物語のステキな騎士とニアリーイコールに見える。よく聞いてみれば話にロマンスは混ざっていないし、他の騎士との共同作戦の話だったりもするが、こうなると些細な問題だろう。中座しながらでも面白いのだからすごい。本物だ。

お嬢様たちがこの騎士様に飽きて構わなくなる、ということは絶対にない、断言できる。

 まだ、『刑事ドラマだと思ったら所轄の巡査さんだった』という事態なら幻滅もしようけれど、面白いエピソードを抱えに抱えた捜査一課の刑事さんが泊まりに来ちゃった、ぐらいの感じなのだから刑事ドラマに見えてしまっても仕方ない、というやつだ。



 スサーナのその予想は大いに的中した。

 非日常にかこつけて次の日も、そのまた次の日も、流石に一日おいてさらに次の日だって呼び出されたスサーナは、ぷすっと膨れたレティシアたちの言葉を聞いたものだ。


「今日はフィリベルト様はお出かけですの。残念ですわ、昨日のお夕食もお外で食べられたのに。お話を聞かせて頂く機会がなくて……」

「残念です……。昨日のお話は本当に胸がドキドキしましたもの、早く続きをお聞きしたい……」


「ねえ、マリ、スサーナさん、今日の午後はフィリベルト様は屋敷にいらっしゃるのだそうよ。今日こそお茶にお誘いしましょうね。」

「レティ様、私チータにビスコッチョを焼いてもらいましたわ、フィリベルト様のお気に召しますかしら?」


「お茶にお誘いできると思ったのに、お父様とお話があるって来ていただけませんでしたわ……ねえレミ、あなたもフィリベルト様のお話をお聞きしたかったわよね?」

「ええ、はい。お嬢様。」

「次は一緒に聞きましょう。お仕事を休憩する許可は、わたくしからお父様にお願いしておきますわ。ふふ、ほんとうにすごいお話でしてよ、レミもびっくりしてよ?」


「ねえスサーナさん、今日のお勉強の時間そっと手伝ってくださいな。早く授業を終わらせて今日こそフィリベルト様にお話をお聞きするのだわ!」

「スサーナ、私からもお願いしますわ。外国語、お得意でしょう?」

「今日こそいろいろお聞きできるかしら。ロマンスのお話とか……」

「ああレティ様、私とても楽しみですわ……」


 どうやら騎士様はアラノを伴って出かけたり、一人でどこかを見に行ったり、貴族たちの集まりに顔を出したり、こまめに毎日出かけ続けているらしい。

 また魔獣退治の話を聞かせてくれる、と言ったのに顔を合わせる時間が短く、お嬢様たちはそれが不満の種のようだ。

 邪魔をするなと言われたじゃないですか、と突っ込んだところ、邪魔を出来るほどお話できていませんもの、と口を揃えられてスサーナは苦笑した。


 しかしそれほどどこに出かけているんだろう。島へやってきている貴族の社会なるものはよくわからないもののそれほど集まりとかがあるんだろうか。

 刑事ドラマの調査シーンのテーマソングが頭をよぎったスサーナは、一体何をしているんだろう、とあまり純粋ではない興味が頭をよぎったが、いやいやいや、と考えないことにした。

 平穏。平穏大事。好奇心は猫を殺すのだ。


 ところで、一週間経ってもレミヒオのアラノに対する態度から険は取れず、とうとう思い余ったスサーナは家の台所で焼かせた特製カルシウム添加たまごボーロを屋敷に大量に持ち込むことにした。


「なんですこれ!? 口が!? 口が! これまでになく乾く!?」

「おっ、うまそうなものを食ってるじゃないか、ひとつ――」

「ああ、アラノ様。僕ら使用人と身分違いにもかかわらず仲良くしていただけるのはありがたいことですが、僕が頂いたものを勝手に摘まないでいただけませんか?」

「まあまあレミヒオくん、いっぱいあるものですし……はい牛乳。」

「……(さくさくさくさく)」

「アラノ様、水はご自分でご都合くださいね。この牛乳は僕のなので。」


 ――これはこれでなんらかの仲良しなんだろうか。いや、違いますよねこれ。

 スサーナは事あるごとに他愛もないよくわからない威嚇をしにかかるレミヒオを見て、遠い目をする。

 まあ、年相応らしい、といえばそう言えるのかも知れない。レミヒオは普段年よりずっと大人びた態度ばかり取っているのだから。

 でも、ありかなしかというとどっちかといえばギリギリナシじゃないかなあ。

 スサーナは、口を抑えてコップを取りに走るアラノを眺めて何故か勝ち誇ったような笑みを浮かべるレミヒオを見ながらそう思った。


 仲良くすればいいのになあ。

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