第96話 楔石の騎士は遍歴せず 4

「その格好からするとこちらへお勤めかな? どちらへ? 」


 カバンをよいしょと受け取って頭を下げたスサーナはフィリベルト様とやらに問いかけられて頭を上げた。

 とくに侍女の格好で行き帰りしているというわけではなく、お仕着せには中で着替えたり着替えなかったりのスサーナだが、なんとなく行き帰りの通勤服のテイストもそれらしく他の使用人たちと雰囲気を合わせている。


「あ、ええと、通いで来させていただいていまして、帰るところなんです。」


 なんだかふわふわとした立場を説明するのもややこしい。スサーナはとりあえずふわふわ部分をばっさりカットして端的に説明した。


「なるほど。一人で?」

「え?はい。そうですけど……」


 長身の騎士が重々しくうなずく。


「それはいけないな」


 はい?

 完全予想外の単語に一瞬スサーナが内心きょとんとしているうちに、ぱっと空いた片手を取られている。


「こんなに暗くなってから愛らしい乙女一人で外を歩かせるとは、ここの風習じゃどうかは知らないが俺としては見過ごせないな! お嬢さん、よろしかったら俺のエスコートを受けては貰えないか」


 お、おう。


 眼の前でいきなりひざまずいたフィリベルト様とやらにスサーナは動揺し――

 き、騎士! と微妙に意味をなさない感嘆詞を脳裏に浮かべて、そして気づいた。

 腰の落とし方に違和感がある。あ、これひざまずいているんじゃなくてしゃがんで目線を合わせているやつだ!と。


 一瞬完全な異文化に叩き込まれた気分だったスサーナはそれで少し落ち着いた。

 いきなりフィクション騎士ロールめいた挙動を噛まされるよりも幼児扱いをされる方がまだ理解が及ぶ。

 まあ普通に目線を下げた程度では小柄なスサーナだと目が合わないので仕方ないのかもしれない。


「い、いいええ」


 ――跪かれているならお立ちくださいでいいんでしょうけど、……しゃがみこまれている場合なんて言うのが正しいやつなんでしょうこれ?

 ちなみに、講ではさすがに騎士階級にしゃがみこまれた際の対応法、みたいな作法は習わなかった。


「旅先で困ったときに!とっさのときの正しい外国の受け答えマナー一問一答」みたいなものが欲しい。スサーナは久々に無い物ねだりをしつつ、無難な返答をひねり出そうと試みた。


「ええと……あの、お気遣いなく。その、近くの馬車溜まりまで行って馬車に乗りますので。一人でも……その、お客様に気を使っていただいてしまっては申し訳ありません。」


 言いつつ、取られた手を上に引き、動きと目線で立ってくれるように促す。

 どうやらなんとか意図は通じたらしく、立ち上がった相手にホッとする。が、まだ手を離してもらえない。

 男性に手を取られる、という状況ではあるがなんだか肘から先に急角度がついており、微妙に格好がつかないので逆に恥ずかしさはないのだが、いたたまれない。

 ――捕獲された宇宙人ー。

 スサーナは脳内でここでは誰にも通じないだろう一発芸を想起しつつ、態度ばかりは淑女らしく、慎ましくそっと手を引こうとした。


「馬車溜まりか。ふむ、家の馬車は使わないのか?」

「主家の馬車ですよ」

「か弱い乙女を送るということなら否とは言われないと俺は思うが、まあいいか。それならそこまで送ろう。」

「いえ、そんなことをして頂くわけには」


 なにやら頷いて、人の手を掴んだまま歩きだそうとするのを慌てて固辞する。立場のふわふわした身分とはいえ使用人の行き帰りにお客様を伴わせるなんてスサーナの感覚で言えばとんでもないことだ。


「ははは、遠慮することはないさ。家の周りも確認しておきたかったことだし。」

「いえ、ですが、ええと」


 当人としても外に用事がある、そう言われてしまうとうまい断りの言葉が思いつかないスサーナである。


 とはいうもののいいのか、というとよくない。相手に申し訳ないというのもさることながら、つい先程にお邪魔をするなと言われた客人にいきなり送ってもらうというのはどう考えても注意が右から左に抜けている人ではないか。

 ええとええととスサーナは遠慮の言葉を探し、


「フィリベルト様、セルカ伯様がお呼びです」


 ホールの奥からやってきた従騎士の少年の声によしと勢い込んだ。



「あ」


 奥から出てきて、なにやら困惑した様子で立ち止まった赤い髪の従騎士は昼間お茶を淹れたあの少年だ。

 スサーナはとりあえず浅く礼をした。


「どうもー。」

「昼間はどうも。」


 応えた少年にフィリベルトが面白そうに笑い、問いかけた。


「なんだアラノ、知り合いか?」

「はい、昼間お茶をいただきました。」


 ぱっと姿勢を正し、かちっと靴の踵を合わせてアラノが返答する。


「なるほど、ちょうどいい。実はこのお嬢さんが今からお帰りになるそうなんだが、この暗いのに馬車停めまで歩いていかれるそうだ。俺がそこまでお送りしようかと思っていたところなんだが」

「わかりました。お代わり致します。」


 阿吽の呼吸で話が通り、スサーナがあまりの話の速さに一瞬ついていけないでいるうちにかっかっと小走りで従騎士の少年が駆け寄ってくる。


「そういうことで、申し訳ないが家主様からお呼びがかかってしまったらしい。 エスコートの栄誉を得られなくて実に後ろ髪を引かれる思いだが、代わりにこいつに送られてやってくれ。」

「ええと、その」


 別にどちらの方にも送っていただかなくても。と思ったスサーナではあるが、使命感に満ちた目をしているアラノを見るとどう穏当に断っていいものかと悩ましい。


「では頼むぞアラノ。じゃあ愛らしいお嬢さん、またお会いできるのを楽しみにしています」


 長身の騎士は大きく腰をかがめると、まだ掴んだままだったスサーナの手をとりあげてうやうやしく唇を押し当て、大股で奥に歩いていった。


 スサーナはあまりの予想外にぽかんと固まり、数瞬してからなんとか再起動する。


 ひええ、騎士。



「では、参りましょう」


 側まで歩み寄ってきたアラノがかっちりと言い、自分の腕を示した。スサーナは二度見して、それからあっ腕を取れってことか、と気づく。


 スサーナは悩んだ。

 一応講では男性にエスコートを受けるやり方なんかも座学ではあるが教わっている。商家の奥様レベルで求められる作法であればなんとかなるし、さらに言えばその際求められる振る舞いはいわゆる前世で知っているマナーの類とそう変わらず、他の人生一回目の講の子供たちよりかは先導慣れしている。


 つまり、多分なんらかの使命感に燃えている従騎士の少年に合わせることは出来るのだが、正直な話馬車停留所までのそう長くない距離の道を歩くのにそんなマインドセットはしたくないスサーナである。


 出来たらお断りしたいところだが、上司……主人?ともかく上役に言われたことを果たさぬというのも従騎士としては辛いことだろう。


「ええと、アラノさん。私、えーっと、平民ですので、そのようなお気遣いは不要ですよ」

「いえ、どうかそう仰らず俺に送らせていただけませんか」

「あっいえ、送っていただくのはありがたいのですけど、ほら、私、平民ですから。作法とかそういうのが苦手で。ですから、あの、昼間ぐらいの態度で居ていただけるとありがたいかなーって思うんですけど……」


 駄目ですか?と頼み込む目付きをしたスサーナにアラノはすこし考え、それからにっと笑った。


「そういうことなら。」

「すみません。助かります」

「いや、俺もご婦人をエスコートするのなんか慣れてないから、足でも引っ掛けたら大変なことになると思ってた。俺こそ助かるよ。」


 頬をぽりぽりと掻いて予習をサボったと告白する男の子たちのような顔で言い、それからじゃあ行こうか、とスサーナを手招く。

 送ってもらうこと自体はまあありがたく甘受するとして、貴族流のやり方は避ける。

 折衷案と言うか落とし所はこんなものだろう。スサーナはうむ、と気を良くして後に続くことにした。



 夜道を並んでてふてふと歩き、馬車溜まりを目指す。


「ねえ、それ、本当に持たなくていいのか?」


 アラノはスサーナが肩に斜交いにかけ、抱え込んで歩いているカバンを見て問いかけた。


「はい、私が借りた御本ですから。こう、責任の所在は認識しておきたいといいますか……」

「重そうだと思ったけど、本か。君はセルカ伯のお嬢さんと仲がいいんだな。」

「はい、とても良くしていただいています。」


 仲がいいから、とかそういうことではなく、レティシアお嬢様は明らかに布教衝動に駆られての行動だったのだが、わざわざ聞かせる話でもない。スサーナは模範的な笑顔を浮かべて行儀よく返答した。


「なんの本?」

「ええと。腕がたくさんある巨人がミルラ姫というお姫様を攫って――」

「あっ、『遍歴の騎士バルタザールの功名あるいは辺境の小国コレプロの王女ミルラがいかにして白骨の城より救われしかに関する驚嘆すべきロマンセ』? 俺も読んだよ!」


 ――うわあタイトル言い切った!!

 前世でも西洋古典ものにおうおうありがちなことではあったがあんまりに長過ぎてスサーナが全然覚えていなかったそのタイトルをさらっと言い切ったアラノにスサーナは微妙にひえっとなった。

 ――騎士物語マニアがまた一人!?

 数時間のプレゼンを受け続けたスサーナは微妙に疑心暗鬼になっている。


 ……まあ、スサーナが覚える気がないのが覚えられないほとんど主な理由で、普通はこうして覚えているものなのかも知れない。

 ――まあなんだかんだ日本人なら寿限無が唱えられるようなものかもですよね……。

 そう考えてなんとか気を取り直す。


「き、騎士物語、お好きなんですか?」

「ああ。小さい頃から騎士になるのが憧れでさ。だから恐ろしい魔獣を倒す物語の写本はずいぶん読んだよ。今も新しいのが出回ったら出来るだけ読んでて……。それは結構お勧めのやつだよ。」

「へえー。実際にお仕事しておられる方も騎士物語を読まれるんですね。実際のお仕事と違う事が書いてあると気になったりするかなって……」


 そうあってほしかった。というのは言わないでおく。


「あはは、そう? まあ大抵の騎士は物語と違って街の見回りとかそんなことばかりしてるな。」


 アラノは笑い、それから目を輝かせて言った。


「でも、フィリベルト様は。あの方は聡明さも武勇も騎士団で屈指って言われててさ、総長の覚えもめでたく、魔獣をお一人で倒したこともあるんだ。物語みたいにきっと巨人とだって戦える方だよ。」

「へーえ!」


 スサーナには凄さのランクがよくわからなかったが、きっとそれほど誇らしげに言うということはとても凄いことなのだろう。現実の話に接続したことにちょっとホッとしつつ、若い従騎士が仕える騎士のことを誇りに思うさまはきらきらとしていて素直に好ましい。


「凄い方なんですね。」

「ああ! とても凄い方だよ。俺がお仕えできてるのが奇跡みたいなものなんだ。この任務に伴っていただいたのも俺の身に余りある光栄で――」


 ――に、任務?

 スサーナはアラノが言った単語にふっと引っかかった。

 ――たしか休暇だって言ってませんでした……?


 これは、もしかして、本当にはぐれ刑事純情派。


 スサーナはあんまり勘付きたくない何かが目の前によぎった気がして、あんまり決定的な単語を聞いてしまう前に出来るだけ無邪気そうに急いで口を挟んだ。


「あれ?休暇じゃなかったんですか?」

「あっ! ……あっうん、休暇だよ。俺みたいな従騎士には休暇のお供をするのも任務だから。」

「あっ、なるほどー! 大変なんですねえー……。」


 はっと取り繕うように言った少年に微妙に確信を深めてしまいつつ、スサーナは出来るだけ無邪気に感心してみせた。


「そういえば、魔物を倒されたって、どんな魔物を?」

「あっ、ああ。そうだな、俺が目の前で見たのだといろいろあるけど、特に凄いのは辺境の村でアルキフスベが大発生したことがあって、発生場所を看破されたフィリベルト様は残りの討伐隊が来るまでお一人で持ちこたえて村への被害の拡散を防いだんだ。」

「アルキフスベ?」

「ああ、見たことないか。 短い親指みたいな足が下側にいっぱい生えてて歩き回るキノコだよ。一体一体はそんなでもないんだけど、人の頭を馬鹿にする毒の胞子を出すし他の魔物の餌にもなるしで厄介なやつ。良くない薬の材料にもなったりするから見つけた先から焼かなきゃいけないんだ。」


 ――うわー、違法栽培って単語が脳をよぎる案件!

 いい具合に話をそらしたつもりだったスサーナだったが、なんだか不正栽培は犯罪ですポスターが脳裏をよぎるような、三角地帯という文字列がすーっと横切っていくようなエピソードを聞かされて微妙に笑みがこわばった。


「へー、他には他には? 魔物って全然見たことがなくて。」

「最近だとヨロイムカデの討伐にご一緒させていただいて……」


 穏当に魔物退治エピソードを聞きながら歩く。


 しばらくして馬車溜まりについたスサーナは、アラノに丁重にお礼を言い、馬車に乗り込んだ。


 手を振って見送ってくれるアラノにお辞儀を一つ。


 それから馬車溜まりが遠ざかり、座席に落ち着いたスサーナは、走り出した馬車に揺られながら遠い目で思った。

 ミランド公のご紹介。騎士。しばらく滞在。任務とかいう単語。


 ……絶対触れないほうがいいジャンルの話である気がする。


 スサーナは、どんなきな臭さの片鱗が見えたとしても、できる限りかかわらないでいよう、と心に決めた。


 あの騎士様が島に対してどんな立ち位置でなんの任務かはわからないけれど。


 興味本位で近づいたりなんか絶対しない。

 ……少なくとも知人友人がかかわらない限り、絶対、できる限り、絶対にだ。


 

 何もしなくても人間、運が悪いと野犬や熊やヨドミハイと出くわすのだから。平穏に生きていけたほうがいいに決まっている。

 スサーナは探偵活劇に憧れを抱かない少女なのだ。

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