第95話 楔石の騎士は遍歴せず 3
「ねえお父様、騎士様はなぜこんなところに?」
レティシアが不思議そうに両親に問いかける。
こんなところじゃないもん、とは思ったもののスサーナもそれは知りたいところだった。
「うん、夏の宴席にいらした方からいいところだとお聞きになって、それで興味を持たれて休暇にいらっしゃるんだそうだよ。」
「まあ、休暇に!」
「……さっき口を滑らせてしまいましたけれど。ミランド公様は夏のお休みの間中領地に詰めておられたそうですし、知りもしない島を人にお勧めするはずがありませんから、誰ともなくお聞きになった、ということだそうです。あなたたちも気をつけてね。」
「了解いたしました。」
「はいお母様」
「わかりましたわ、叔母様。」
奥方の注意に子供たちは一斉に頷いた。
わあ、貴族社会の建前!とスサーナは思ったが、まああの時ナヴァ伯を名乗って現れたのだしきっとそういうことなのだろう。偉い人は色々大変だ。
「フィリベルト様は色々なものをご覧になりに回るそうですので、くれぐれもお邪魔しないように。」
フィリベルト様とやらは家督を継がず、無位で騎士になった三男だそうで、立場としてはセルカ伯に礼をとってくれる側だそうだが、実家は中位の貴族であるらしく、まあそのあたりでもふんわりと気遣いが必要らしい。
奥方はその後細々した注意事項を言いおいて、先に下に戻ったセルカ伯とレミヒオの後を追うように階下へ戻っていった。
多分相談事項や、残りの使用人たちに差配することが増えたのだろう。
どうやら奥方の休日はこれで終了らしい。これは次の奥方の暇な時によほど気合を入れて着せ替え人形になって差し上げなくてはいけないなあ、とスサーナは思った。下級貴族の奥様というのもまた大変なお仕事だ。
奥方の言いおいていった注意事項は大体、
『表向き遠い係累として来た方なのでそのように振る舞うこと(ただし奥方が口を滑らせた内容は覚えて失礼がないように)』
『休暇のお邪魔はしないこと』
『くれぐれも休暇のお邪魔はしないこと』
と、そのようなことだった。
奥方が下に戻っていったあと、お嬢様たちは早速騎士の出てくるらしい物語の写本を引っ張り出してきゃあきゃあとはしゃぎだした。
「騎士様よ、騎士様。ねえマリ、あなただりゅう退治のお話は読んで?」
「ええ、レティ様も読みましたのね。うるわしのミルラ姫をお救いする巨人退治のは?」
「素晴らしかったわね! スサーナさんも読みまして?」
きらきらした目で問いかけてくるレティシアにスサーナはふるふると首を振る。
「いええ、その、あまり恋愛物語は読みませんもので……」
「まあ! それは大変ですわ。大損していましてよ!」
「まあスサーナ、今日にでも貸しますから、読んでいらして。本当に素晴らしいのよ」
「まずは騎士物語がどういうものかを説明してさしあげますわ!」
なぜか謎の情熱に燃えたお嬢様たちにずいずいと迫られ、座らせられながら、スサーナはあっこれ長くなるやつー!と悟っていた。
前世において、うっかり「ハインライン読んだこと無い」と言った可愛そうな被害者がほぼ類似の迫られ方をしていたのを見たことがあったのだ。
オールドハヤカワ創元徳間を網羅していた前世ではその手の被害は受ける立場ではなかったために、これほど圧の強いものだとは思いもしなかったスサーナである。
あっいや確か一二回、いやもしかしたら二三回こういう勧め方をしたかもしれないようなそうでもないような。ごめん、前世の知人。
スサーナはもはや顔も朧な大学の同級生を架空の青空に浮かべつつ、そっと懺悔をしながら説明を拝聴する覚悟を決めたのだった。
とっぷりと日が暮れる頃まで熱を込めて語られたスサーナが理解したことによると、少女界隈における騎士とは、大体探偵小説の探偵と類似の存在であるらしい。
……そう言い切ってしまうと語弊しか無いのだが、実在の騎士さんたちが普段本土……主に王都の治安維持をしているのは、なんというか、探偵が犬猫探しや浮気調査をしているあたり、もしくははぐれたりさすらったりはみだしたりする刑事がデスクワークをしている部分であり、ひとたび美しい姫君が攫われたりするとなぜか単独で解決に挑み、敵を打倒してその愛を得たりする部分が殺人事件を華麗に解決するパートである。
遍歴中の旅先で悪者と囚われの姫に出会うパターンと、攫われた姫君の係累なんかに依頼を受けて助けに行く依頼パターンがあるのもそれらしい。
いやまあ、物語の類型と言ってしまえばそうだし、まあ前世であった騎士ものも宗教色が強いものの類似構造だと言ってしまえばそうなのだが。
とりあえず物語の騎士は
相手は悪い魔術師(これを聞いた瞬間にスサーナの評価は5ポイントほど自動的にマイナスされた)だったり、知恵ある竜だったり、大昔の王様の悪霊だったり、強大な魔獣だったりするのが一般的で、大抵麗しい姫君が囚われており、彼女を救いに来たのか偶然かはともあれ大抵二人は恋に落ち、悪を倒した後に手に手を取って帰還したり悲劇的に引き離されて第二幕だったりするのだそうだ。
ちなみに、当然のように一章分ぐらいは詩の読みあいであるようで、とりあえずそこは読み飛ばそうとそっとスサーナは心に決めた。
とりあえずそこまで理解すれば、なぜ奥方が邪魔をするなと念を押していったのかは理解できた。
街場の駐在さんにはぐれ刑事純情派を求めて接してはとても失礼、というようなことだろう、これは。
――どこまで我慢できますかね、これ。
スサーナは目を輝かせてお気に入りエピソードを述べあっているお嬢様たちを遠い目で眺め、多分無理じゃないかな、と判断した。
バッグにずっしり重い大判本を持たされ、よろよろ階段を降りる。
お嬢様たちの貸してくれた本はとても重い。
豪華装丁の装飾写本ほどではないが、羊皮紙製の本はやたらと重いのだ。
植物紙もないわけではなく、どうやら手工業レベルの工業化はされているようなのだがヴァリウサでは一般娯楽の写本レベルにまではまだ流通していない。あまり膂力のないスサーナとしては早いところ一般化してもらいたいところである。
まあ、魔術師からやってくる注文票はどうにもユポ紙類似物っぽいのでそちらを大量生産してもらうのでもいいわけだが。
一段。
膝に力を込め、肩にかかる重量をやり過ごし、また一段。
足元を注視し、そうやって必死に階段を降りていると、頭の上から声が
「やあお嬢さん、なにかお困りかな?」
ひょい、と肩が軽くなる。
「おう、これは重いな! 誰だいこんな重いものをか弱い女性に持たせたのは!」
スサーナがおおう、と見上げると、そこには長身の男性が立っていた。
まず目に入るのは濃い灰色のボトムスとブーツ。ずうっと見上げていくと濃い草色と茶色の混ざったような色の飾り気のないチュニック。首から下げた楔石らしいペンダント。確かアラノも同じものを着けていた。さらにぐっと首を上げると後ろに撫で付けた黄みの強いサンドベージュの髪と、その下に線の強い顔立ち。年の頃は多く見積もってもたぶん30は超えないだろう。男性らしい造作に垂れ目気味なのが愛嬌を添えている、と言えるかもしれぬ。
そんな人がスサーナの腕からバッグを引き抜き、ひょいと担いだところである。
しかし背が高い。第三塔さんも高かったけれど更にそれより少し高いようだ、とスサーナは思う。良く見ればブーツはしっかり底が厚いつくりであるのでそれは差し引いてもいいとしても、今の自分の身長との対比からすると190cmを超えているかも知れない。しかもあの人はすらっとしていたが、こちらはしっかりと筋肉のついたらしい体型で、なかなかに圧迫感がある。階段の同じ段に立っている現状だと、ぐっと限界まで首を上げないと顎から上がよくわからない体たらくである。
「あっあの、えっと、どちら様でしょう、すみません、困っているわけでは……」
目を白黒させたスサーナが誰何しようとする間にもその人は先にたってどんどんと階段を降りていく。
三段先に相手が降りてもまだつむじが見えないのにうひゃあとなりつつ、スサーナは慌てて追いかけた。
「す、すみません、バッグ持っていただかなくて結構です! 返してください!」
バッグを他人に渡すのは良くない。
写本はとても高価で、ちょっとした財物である。
大体、簡素な作りのものでも一冊30デナルから50デナル。
おかげで本の所持が庶民層では一般的ではなく、貸本屋も高い。書物泥棒なんてのも存在する。本を貸してもらえるというのはなかなかの信頼の現れなのだ。
その本の入ったバッグを他人に渡して、万一本を損なったりしてはとても申し訳ないというものである。
「ん、そうかい?」
男……青年というべきだろうか? はちらりとバッグの中に目をやり、顔をほころばせた。
「おお、何かと思えば諸先輩方のいさおしの書じゃないか。騎士が好きかいお嬢さん!」
「えっ、ええと、どうでしょう……」
階段を下りきったスサーナの眼の前に写本入りのバッグをずいっと差し出して彼は笑った。
「おっと、自己紹介が遅れたな。俺はフィリベルト・ディアス。騎士をやっていてね! 今日からしばらくこちらで世話になる。どうぞお見知りおきを、お嬢さん」
おお。騎士。
スサーナは内心でぽんと手を打ち合わせた。
そういえば話の発端はそういうことだった。
言い訳をするわけではないが、
これは、お嬢様たちにどのタイミングかでご紹介されたら大騒ぎだろうなあ。スサーナは思った。
だって、いかにも竜とかを退治しそうに見えるのだ。
お嬢様方の騎士熱も上がることだろう。
この人が追いかけられるのはもはやもう規定事項と考えて、お嬢様たちの騎士熱の方向性に寄っては滞在中ずっと騎士物語の話題を振り続けられる……いや、最悪騎士物語を日替わりで貸し続けられる、というような状態になりかねない。
申し訳ないけれど、早めに休暇が終わってくれないだろうか。スサーナは薄情にもちらりとそう考えながらおくびにも出さずにお礼を言い、本の入ったバッグを受け取ったのだった。
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