第94話 楔石の騎士は遍歴せず 2

 お嬢様たち二人が通いの家庭教師に勉強を教わっていたりする部屋に下がってきたスサーナは、しばらく飲み物を運んだり壁際に控えたりする業務に従事した。


 とはいうものの、今島にいる貴族の子供たちを教導する家庭教師は、貴族たちと一緒に島にやってきた人間であり、常民の知識階級であり、つまるところ島で食べていくたつきの道はだいたい誰かに何かを教えることである。

 というわけで、スサーナには実におなじみの顔……つまり、講で教養を教えている教師で、とても気楽……なのはいいのだが、なぜか唐突に回答を振られるため微妙に気が抜けない。


「はい、じゃあスサーナ。アウルミア語で『どうもありがとう』は?」

「先生、私今侍女なんですけど……」

「お嬢様たちにお手本を示すのも侍女の本懐ですよ。」

「違うと思います!」


 ツッコミを入れつつも回答する。

 近隣諸国の言葉は地理条件のためか比較的どれもある程度共通しており、とくにプレーンな語形を保っている島言葉を聞いて育っているスサーナにとって覚えるのはそれなりに楽だ。

 細部のイントネーションや語形の違いはそれなりに大きいが、スサーナの感覚としてはキツめの方言ぐらいの差に感じられるのだ。使っている文字も小異はあっても大体同じなので、方言で使う特有単語を抑える感覚で単語を覚えれば七割はなんとかなる。


 しかしどうやらお嬢様たちにはそこそこの苦労があるようで、スサーナがいる時に外国語の授業があるとできるだけスサーナに回答を回そうと毎回なんらかの教師との攻防戦が発生する。


 ちなみにどうでもいい話であるが、島言葉は周辺諸国で使用する語のごく古い形が残っていると知った時に、もと文系のスサーナはおおっ蝸牛考!この世界でも方言周圏論が!と興奮したものだったが、魔術師たちが使う言葉=前世で言ういわゆるラテン語に近い基幹言語=島言葉という経緯を知り微妙に寂しい思いをしたことがあったりする。閑話休題。


「よくできました。ではヤローク語で「お茶をどうぞ」」

「『お茶をどうぞ』」

「お嬢様方にもお願いね。頭がよく回るようにたっぷり甘くしてあげて。」

「先生……」


 スサーナは回答に引っ掛けて流れるようにお茶を所望した教師に呆れの目を向け、それからうんと綺麗に一礼した。


「承りました。ただ今ご用意いたします。」

「すばらしい。パーフェクトな作法よ。」

「では先生、実地でこれだけ出来ているんですから、明日の礼儀作法の試験……」

「それはそれ、これはこれです。さ、お早くね。」


 軽くあしらわれて不満の声をあげてみせつつ、スサーナは台所にお茶を取りに向かう。


「スサーナさん、台所の昨日焼いたジャムを挟んだクッキー、それも!」

わたくしは蜂蜜を挟んだほう!」

「はい承りました」


 途中、さっきは開けてあったホールと応接室へ向かうドアが閉まっているのを見かける。どうやらセルカ伯のお客様はつつがなく到着したらしい。

 レミヒオくんはリボンを隠し通せただろうか、と思いながら台所にはいると、そこには知らない男の子が立ち尽くしていた。


「……あの?」


 大体スサーナと同じぐらいだろうか。ひとつかふたつは上かもしれない。明るい人参みたいな赤毛を短く刈って、そこそこ背が高い。ややきっちりした感じの立て襟の服を着ているけれど、襟際に楔石の飾りを留めているのが少し目立った。

 このぐらいの男の子がレミヒオの他に屋敷に勤めているとは聞いたことがない。

 スサーナが訝しく声を掛けると、少年はビクッとしてスサーナの方に向き直る。


「わっ」

「ええと、どちら様でしょう」

「いやっ、悪い、俺は怪しいものじゃないんだ。水を貰おうと思って……」

「水ですか? ええと……多分、お客様、の方ですよね? もしかして部屋にお飲み物が出ていらっしゃらないんですか?」


 声を掛けたスサーナに向き直り、慌てたふうで言う少年に、とりあえず客人ということでいいのだろう、と判断しながらスサーナは応接室にお茶を出すべきなのかと思案する。


「ああ、いや、そうじゃない。君はここのメイド? 俺はアラノ。騎士見習いで、フィリベルト様の従騎士をしてるんだ。フィリベルト様がここの主人と話している間に待機しているように命じられたんだけど、喉が渇いて」

「ああ、なるほど。」


 今日はただでさえ使用人の数が少ない日だ。たぶん大事なお客様の方に人手が行って、待機をしているというこの少年のところまで人がついていられなかったのだろう。それで、台所を教えられて勝手に水を飲んでくれ、と言われたというところか。


「私、お嬢様たちにお茶を淹れに来たんですけど、もしよろしかったら、一杯余分に淹れるのでいかがです?」

「いいのか? うん、それは嬉しい!」


 少年は尻尾を振る大きな犬めいて人懐こく笑った。



 湯を沸かし、ポットとカップを温める。

 島でとくに一般的なお茶はハーブティー。本土から輸入する紅茶も比較的よく飲まれ、セルカ伯の台所には奥様がプロデュースした緑茶も置いてある。

 ……どれにも結構に甘みを足すのがスタンダードで、スサーナは緑茶に蜜やジャムを混ぜる行為にだけはちょっと同意し難いが、まあどれでもお嬢様たちも教師も喜んで飲んでくれるだろう。


「ええとー、アラノさん? お茶の好みとかはあります?」


 というわけでスサーナはお茶の好みのわからない相手にまず問いかけた。


「俺? いや、淹れてもらえるならどんなお茶でも美味しく飲むよ」


 あんまり参考にならない返答に、よしこれ抹茶を点てたらどんな顔をするんだろう、とスサーナは思ったが、無難に紅茶を入れることに決める。


 温めたポットに茶葉を入れ、かーっとお湯を注いで、


「ようし、とうっ」


 本土産らしい、微妙に当てにならない砂時計をひっくり返す。

 まあ正確でなくとも、大体二分から三分だとわかればいいのだ。スサーナはティーポットに蓋をせんとつまみを持ち上げ……


「……」


 興味深そうな顔つきでずいっと覗き込んでいる従騎士の少年の視線をなんとなく切るようにかたん、と蓋をポットに重ねた。


「……もしかして茶葉が回るのをご覧になるのがお好きなんです?」

「いや、あまり淹れているところは見たことがないから、どうやって茶になるのかと思ってさ」

「どうやって」

「今色がじわじわ広がっていたけど、茶葉に染み込ませてあるのかい?」

「いやあ、違うと思いますけど……。元からの色ですよ。」


 言いながらスサーナははてと頭を巡らせる。

 うっかりツッコミそうになったけれど、従騎士スクワイアということはこの少年は貴族階級なのだろうか。ならばまあ、お茶を入れる過程を見たことがないというのも納得がいく。


「へえー、そうなのか、赤いのに。」

「赤い元が含まれてるんだそうですよ。」


 タンニンがどうこう言っても伝わらないだろうなあ、と思ったスサーナは詳しい説明を放棄した。


「このあとどうするものなんだ?」

「砂時計の砂が落ちきるまで蒸らして、それから注いで、蜜を入れて甘くするんです。甘いのはお好きですか?」

「んっ、甘すぎるのは苦手だけど、嫌いじゃないな。」

「それじゃそちらの飲むぶんには蜜はお好みで入れてもらうのがいいですね。」

「ああ、ありがとう。助かる。」


 砂が落ちきるまであと二分ほど。

 スサーナはアラノと名乗った少年の方を伺い、特に会話などが必要なさそうに砂時計を見ているのを確認し、自分も砂時計を眺めることにした。


 しかし、この子が従騎士ということは騎士が来ているのか。


 従騎士というのは大体騎士の見習いで、騎士の補佐をしたり従者の真似事をしたりしつつ騎士のやり方を習い覚える立場の若者のことだ。


 騎士、騎士団というのはこちらではまあ大体軍隊と警察が混ざったような存在である。兵士の中でも治安維持を特に任される、と言うべきだろうか。

 貴族位とは別に叙勲される一つの階級でもあり、名誉ある職業という扱いである。まあ騎士になるのはほぼ貴族の子弟で、だいたい貴族だと思って差し支えない。

 まあ個人裁量のとても効く警察、という認識でそう外れてはいまい、とスサーナは思っている。


 ところで島には騎士はいない。街の警備を担っているのは警吏で、一般市民階級のお仕事だ。騎士団が頑張っているのは主に本土で、島の人間は騎士には馴染みがない。

 これまでそれで回ってきたし、貴族の人たちもそれに文句があるようではなかったのになんだろう、とスサーナは不思議に思う。まさか二年もしてから騎士を赴任させようと決まった、というのも変な話だ。しかも下級貴族のセルカ伯のところにわざわざ来るなんて。


 と、そこまで考えたスサーナははっと合点した。そういえば警察のお世話にとてもなりそうなわるいロリコンが夏に騒ぎを起こしたっけ。

 なるほど、きっとその用事というのが有力だ。


 納得し、ちょうどよく抽出された紅茶をカップに注ぎ分ける。


「はい、できました。」


 一つをアラノに手渡し、次いでお茶用のシロップの入った小ピッチャーを渡す。


「甘みはご自分で好きなだけどうぞ。」

「ああ、ありがとう。」


 シロップを少し注いだ紅茶を口にする少年を背景に戸棚からクッキーを取り出す。

 スサーナは少し考えて、酸っぱいジャムを挟んだ方のクッキーを一枚多く取り、小皿に乗せて差し出した。


「お茶菓子です。あまり甘くないものなのでよろしければ。」

「いいのか?」

「身分のあるお客様に出すものではないので、お口にあうかどうかはわかりませんけど。」


 うちうちで口にする飾り気のない焼き菓子である。主人の娘であるレティシアや係累であるマリアネラも食べるが、余ったら使用人たちも口にしていい、ぐらいの裁量が許される品だ。あまり食べては他の使用人たちががっかりするが、スサーナの取り分一枚を誰かに渡すぐらいなら問題がない。問題があるとすれば貴人に対しての無礼に当たる可能性があることだが、まあそこで苦情を言う人は台所でうろうろ水を飲むまい。


「ありがたく頂くよ! しかし君はお茶を淹れるのがうまいんだな。」

「はあ、お口にあいましたら幸いです。」


 美味しいよ、と言った少年に、それはどうも、と返答したスサーナはとりあえず冷める前に上に茶菓子と茶を持っていくことにする。


「ええと、では私は失礼しますね。どうぞごゆっくり……と台所でいうのも変ですけど……。」

「うん、ありがとう。助かった!」


 朗らかに笑った少年に一礼し、スサーナはお嬢様たちのところに戻っていった。


 お嬢様たちに、騎士の方が来ているらしいよ、という噂話をし、お茶をしたあとにしばらくまた勉強につきあわされ、もうお客も帰るだろうしこの話はこれで終わりだろう、と思っていたスサーナだったのだが。


 しばらくしてお嬢様たちのところにやってきた奥方が、


「ミランド公からのご紹介で、しばらく島に滞在する方をお泊めすることになったの。」


 そう言った。


 騎士というのはどうやら恋物語ではなかなかの位置を占める立ち位置らしく、お嬢様たちが騎士の響きできゃっきゃとはしゃぐのと裏腹に、セルカ伯に付き従ってきたレミヒオがとても浮かない顔だった。

 気になったスサーナがそっと聞くと、なんでもマントをすっぽりかぶり続けているわけにもいかず、リボンフリフリ衣装を見られた挙げ句に騎士についてきた従騎士にとても笑われたのだという。

 ――ああ、わかります。レミヒオくん、地味にプライド高いですもんね。

 ……そうでなくてもあの服装を目撃されるのはなかなかの痛打だと言う気がしないでもないのだが。


 スサーナは可哀想なレミヒオに明日また煎じ薬を持ってきてやろう、と心に決めた。

 おばあちゃんが取り寄せてくれた健胃薬茶はとても効く……のだ、たぶん。


 スサーナは魔術師から買う常備薬の方を愛用しているし、そのせいでお茶を飲まされたときでもどちらが効いているのかよくわからないのだけれど。

 多分、きっと。あれだけ苦いのだから。



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