第93話 楔石の騎士は遍歴せず 1

 秋も深まったある日の昼前。スサーナはセルカ伯のお屋敷で、奥方に秋物の着せかえをさせられていた。


「そろそろ寒くなってきましたから生地が厚くて光沢が映える服が合わせられて素敵。黒はやっぱり布地が厚いもののほうが素敵なデザインが多いものね。」


 嬉々としてビロードやら黒絹やらを取り合わせ、スサーナを鏡の前でぐるぐる回す奥方に、スサーナはもはや慣れきった遠い目の愛想笑いをしてみせた。


 本日は早いうちからスサーナは奥方に捕獲されている。


 現在、この家でのスサーナの立ち位置は通いの侍女と娘の友人の中間である。正確にはお嬢様たちの付き人と友人の中間であり、この家の命令系統とは別で、確かにお客様扱いはされているのだが、ちょっとした雑用はするしなんとなく他の使用人からも同格と思われている、というようなふんわりした立ち位置だ。


 部屋付きの侍女が今日は休みをとっているの、スシー、今日は私の手伝いをしてくださいな、奥方にそう言われたスサーナが雑用だと思ってほいほいと頷いたのが間違いであった。

 さっそく衣装部屋に引きずり込まれ、ああでもないこうでもないと着せ替えを楽しまれている。


 普段は奥方も早い時間はなんだかんだと采配をしていたりするので、どうやらセルカ伯の屋敷では休養日ということなのだろう、とスサーナは思う。そう思ってみれば使用人の数も少ない。


 まあお忙しい奥方の息抜きになれれば、と思わないでもないのだが。

 スサーナは内心独りごちて、それから、いや、でもなあ、と遠い目になった。


 このごろ、服のラインナップがレティシアや奥方のお下がりのありもの組み合わせから、なんだかどうにも着せかえ遊び用に用立てられたものが増えてきた気がするスサーナである。

 お下がりものはまだごく普通のデザインが多いものの、純粋に奥方の芸術心を爆発させられてチョイスされた衣装は、完全にコスプレの域に達しているものがあるような気がしてなんとなく危機感を覚えないこともない。

 もちろんここから新しい流行が生まれるのかも知れないが。


 ――エスカレートすると行き着く先はこれかあ……

 スサーナがちらりと向けた視線の先、衝立の向こうではデザイン様々、色とりどりのリボンを結べるだけ結び付けられたレミヒオが虚無になっている。


 島の文化圏ではリボンやフリルを衣装につけることに男性女性の別はない。髪を結ぶものはまた別だが、衣装につくぶんには男性も飾り布やひだをたっぷり取ったデザインの衣装を着なくもないのだ。

 だが、現代日本の記憶のあるスサーナにしてみれば例えば今日レミヒオが着せられているような服はどうにも女装、もしくはゴスロリ衣装の類に見えて面白い。なによりあんまりリボンの数が多くてちょっとうるさいと言うか、リボンに埋もれているというか。


 島基準にしてもこれだけリボンりぼんしているとちょっと男性の格好ではないだろう。


 髪には中央に大きなサテンリボン、両サイドに細い蝶結びリボン付きのヘアバンド。両肩と首下、腰と膝横に大きな結びリボン。その合間の布地には縫い付けタイプの小さなリボンが沢山。手首と足首にもリボン紐が結われている。

 そんなものに埋もれて、スサーナの語彙でいうとどうにもチベットスナギツネを思い出させる表情をしたレミヒオが虚空を仰いでいる光景はどう贔屓目に見たところでオモシロに振り切れていた。


「スシー。ちょっと横を向いてね。うーん。腰のリボンはレミヒオとお揃いのにしましょうか。」


 奥方が楽しそうに言うとスサーナの腰を幅広のサテンで巻く。


 現状のスサーナの衣装は黒地に緞子織りに似た手法で幾何学模様が織りだされた細身のワンピース。

 これは多分奥方のお下がりだろう。腰の下をぐっと絞り、そこから広がる形で、マーメイドラインに比較的近い形。足こそみせないもののちょっと国基準だと怪しいラインに入るだろう。まあなんとか室内でならぎょっとされずお客様の対応もできる、という具合だろうか。前世で言うならVOGUEに載っているような普段遣いできない感のある格好といえよう。


「私の若い頃に流行った形なのですけど、レティシアは着てくれないものですから、うふふ。スシーがよく似合ってよかったわ。」


 ――さもありなんですよ、これ、多分小悪魔ファッション系統のやつですよね?

 スサーナは内心でそおっと突っ込んだ。

 スサーナとしてはまだいまいちよくわからない気がするが、足のアタリが取れるこの手の衣装は男性になんらかのときめきを覚えさせるらしい。つまり大胆な格好で彼のハートをキャッチ系統のやつだ。服の趣味は保守よりのレティシアが着るとはスサーナには思えない。

 ……活発ながら上品な奥方が若い頃着ていた、というのもイマイチ想像できないのだが、まあ常に留袖の上品な親戚の奥様の昔の写真を見たらツィッギースタイルの超ミニスカだった、みたいな感じなのだろうか。


「ええと……ありがとうございます……?」

「うふふ、予想以上にピッタリ似合っていて驚いてしまいましたわ。これだけ似合うと予定を変えて皆にも見せびらかしたくなるけれど、なにかいいアイデアは――」


 言った奥様が奥のウォークインクロゼットへ向かい、数枚の服を持って取って返してくる。


「うーん、コンセプトを翻してもリボンはやめて……これは上になにか重ねて……膝を絞り足すのはやめておくのがよさそうね。本当なら歩いた時に足首が見えるぐらい下に少し切れ目を入れる予定だったのだけれど……」

「……奥様、もしかして今日のコンセプトは普段遣いできない過激なような感じです?」

「やっぱりスシーは服のことにはカンがいいわ。うふふ。今日はね、ギャップを意識してみましたの。昨日古い服を見ていたら思いついてしまって。レミヒオは可愛く、スシーは妖艶に攻めてみようと思って。もちろんそれでいてお揃いというのも大事ですから、スシーにもこの上におそろいでリボンを付けてもらうつもりだったのですけれど。奇をてらうつもりだったのに貴女普通に似合うんですもの。」


 つまりこれはテーマ仮装なわけだ、とスサーナはニコニコと肯定する奥方に納得する。まあなんとなくそういう欲求はスサーナにもわからないでもない。唐突に変形大正ゴスロリルックをきせかえ人形にさせたいみたいなやつだ、多分。

 リボンまみれのチベスナには申し訳ない話であるが。


「外では着られないデザインかと思っていましたけれど、もしかしたらこれは、今年のガウンと合わせれば――」


 顎に手を当ててなにか思案しだした奥方に微妙に商機を見つけた目の輝きを見て取ったスサーナは、あっこれは長くなるやつだ、と直感し――


愛し君ダーリン、レミヒオを見なかったかい」


 性急なノックのあとにドアを開いたセルカ伯に、その予想は裏切られることになった。


「まああなた、使用人も使わずに応えも待たずに女性の部屋のドアを開けるなんて。マナー違反ですわよ。」

「ああ、すまないね。急ぎで今すぐ出なくてはならなくて、レミヒオを探していたんだ。随行を頼みたくて――」


 言ったセルカ伯がリボンチベスナを目の当たりにし、短く絶句する。


「ああ、あー。レミヒオ、すまないが、着替えてもらう時間はないんだ。」

「いえ、旦那様、ほんとうに少しだけ待っていただければ――」


 部屋を出るように示すセルカ伯にレミヒオが言葉にできないうめき声めいた声を上げ、温情を願い出る。

 セルカ伯がそれに応えて沈痛な顔で首を振った。


「そのままでいい。伝書使が遅れてね、船で今日着く客を迎えに行かねばならないと今さっきわかったんだが、馬車を駆れる者が丁度出払っているんだ。どうしても、急ぐ。」


 セルカ伯が手にした封書の筒の印章をレミヒオに示す。

 レミヒオはそれをまじまじと見ると短く絶句し、頷いた。


「船は――」

「二便だそうなんだよ」

「……もうついている頃合いですね。……わかりました。マントはありますか。」


 レミヒオはため息をつくと、せめてもヘアバンドを引き剥がし、フリフリリボンのままで部屋を出ていった。

 借りていくよ、と一声言って早足でその後を追うセルカ伯を呆然と見送って、奥方とスサーナは一体何があったんだろうと目を合わせた。


 ジャンル傾向としては傾奇者ではあるものの、通常時の体面なんかはしっかり気にするセルカ伯があの格好でいいからできるだけ急げ、という相手とは一体誰なのか。



 急ぎの事態だ、と判断した奥方によって着せ替えはおしまい。スサーナは衣装を着替えて一応ちゃんと侍女の格好になり、お嬢様たちのところに戻るよう指示された。

 奥方もちゃんとした下級貴族の奥方モードになって広間に降りる。


 これはうっかりお客様とやらに見られても着せ替え遊びをさっきまで楽しんでいたとは思われない貴族の奥様っぷりだ、と、すっとすました顔になり、階段を降りていく奥方の横顔を見てスサーナは思う。


 ――きっと、もしお客様がレミヒオくんの服を見ても、奥方が遊んでいた、だなんて思いつかないですよね。


 絶対本人の趣味か何かだと思われる。この奥方の落ち着き払った奥様っぷりではそんな確信がある。


 お客様に見られずに済んだらいいね……。

 スサーナはレミヒオの名誉のためにそっとそう祈ったのだった。

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