ゆめみる真珠

第92話 血赤珊瑚のひとしずく(面倒な話)

「定例報告。ベルガミン卿がしたぜ」

「そう、ずいぶん早かったな」


 ヨティスは行商人のふりをしたミロンと台所脇で言葉を交わす。

 7日に一度の定期報告だ。ミロンからは調べた情報を、ヨティスからは内情を、言葉と氏族のやり方で記された書き付けで取り交わす場。

 声は一応抑えているが、欺瞞は掛けている。常民には今の彼らはほとんど知覚できない。


「その関係で一つちょっとやばそうなことがあってよ。『取引相手らしい貴族が氏族連れてる』ってのあったろ」

「ああ、直接見たわけじゃないけど村民が何人も黒髪を見ている。」

「こっちでちょっと当たってたんだけどよ、ちょっといい芋づるが引っ張れたみたいだぜ。ベルガミン卿の使用人とかが結構そいつらを見てるんだけども」


 使用人が道の向こうを横切る気配に念のため言葉を止め、糖蜜の瓶や干し野菜を取り交わす。

 しばし耳を澄ませ、それから目を見交わし、またぼそぼそと口を開く。


「まずあれ、貴族のほうな。この国内のやつじゃ無いわ。話したやつが覚えてた感じ、よくヴァリウサ諸語には寄せてるけどアクセントの感じヤロークの訛り。そんでまあ、特徴とっていろいろ聞いたとこヤローク人と親しげに喋ってたのを見たやつがいるし、後ろ暗い船に乗ってる旅客当たってみたら人相がドンピシャのやつがいるし、多分ヤロークのやつで間違いなし。そんで、今回ベルガミン卿食った殺したのは国内の誰かの差金じゃなくてそっちじゃねえかなって気配」


 ミロンが手渡した紙をヨティスはしばらく覗き込む。該当の貴族に関する証言や人相がいくらか。


 ヤロークはヴァリウサから見るとアウルミアを挟んだ東側にある内海沿いの国家だ。半島と、南の大陸まで続く無人の小島列を擁し、南の大陸のうちでもネーゲにほど近い地域と接するために、海を超えて逃げてきた逃散兵と難民が大量に流入した経緯があり、同時に魔物の類の発生と侵入も多かった。ネーゲからは内海を挟んだ対岸諸国のうちではごく混乱が深かった場所だ。

 そのため、現在に至っても政権に混乱が多く、なんとか王権の働きは保たれているが、戯れ歌に「すべての首が別を向いた竜」と歌われるほど。

 今や荒事屋上がりが金銭で貴族位を買っただとか身元が確とせぬものでも成り上がれるとかきな臭い話も多い。


 諸島からしてみれば、距離はあるものの海上で遮るものがなく海流があるため、時折入り込んでくる外国人といえば大抵はヤロークからの来訪者と相場が決まっている、というような関係の場所だ。


「なるほど、流石に早いと思ったけど、掘られると喫緊に不味いやつの仕業か。」

「なんか領内どころか国の上のあたりまで派手にアホの話が回ったらしいじゃねえか。大事になって破れかぶれになったアホがもののついででゲロったら不味いやつがビビったんだろうな。」

「……ああうん、まあ。うん。なんでか……派手にね。うん……。」


 曖昧に相槌を打ったヨティスが微妙な顔をする。そのあと、なにやら気を取り直したげに問いかけた。


「……相手の詳しい身分なんかは洗えてる? あとあちらの情勢は?」

「あっこは荒れに荒れてるからなー。まあヤローク沿岸の貴族の誰ぞだろうとは思う。多分独断専行。王家は多分他所に手を伸ばしてる余裕はねえだろうが、派閥グッチャグチャだからはっきりは言えねえなあ。今後の調査次第ってやつだなー。」

「そうか……。じゃあこっちでわかる話を。人相からして多分そいつは何回か来てるやつだと思う。ベルガミン卿だけの勝手な商売相手というよりも馬鹿な跳ね返りの貴族共の共通のお友達でいいはずだ。目標ターゲットも知ってる……というか、遊びの席で一緒なのを見たことがある。裕福な領外の貴族ぐらいの扱いだったけど……多分素性は知ってたんだな。」

「あー、確かエステラゴ領周りってヤロークに親戚周りやら貿易やらの関係はなかったよな? 弟殿と仲良くしてもあんま得もないしやっぱ最初っから目的付きで近づいたやつっぽいよなあ。 悪い、そのあたりちょっと見といてくれ。」


 万が一他国が諸島に手を伸ばしてきている、ということになれば正直洒落にならぬ。どれだけ軽く見積もっても国家間の領土紛争の端緒だし、場所柄それで済めば御の字だ、と鳥の民であるヨティスは思う。

 島で戦端を開き魔術師共の逆鱗を引っ剥がしでもすれば、世界にまっさら平らの更地が増えかねない。いや、まっさら平らとは言い過ぎた。今後百年草も生えぬ穴ぼこである可能性もそこそこあるし、恒久的に凍りついているか燃え盛っている可能性もないでもない。



「 目的は読めそうかな。 まあ、他国領に余計なちょっかい掛けるのなんか欲しい以外に理由ってあまりない気がするけど」

「まあそれだよな。結局馬鹿な後継者候補を煽って場を荒らして、支援を頼まれたって言いながら兵士連れて入ってくる気じゃね? そんでそのうち実効支配。」

「……流石にいくら阿呆坊アホボンでも国への背信一直線だとわかるようなことまでやらかすかな。」

「ヨティスくん、ちゃんと歴史の勉強してるか? いくらでもいるいるそんな馬鹿~~~~。都合いーことしか見えてねえんだって。」


 ミロンが手を肩の位置まで上げてひらひら振って笑った。

 ヨティスは鼻を鳴らす。……一応歴史は学んでいるが、歴史的国境事象はもっと裏で複雑な事態と高度な政治的判断が動いた結果そうなっているものではなかろうか、と訝しんでいる。師に付いていた頃から普段謀略だ陰謀だという例ばかり聞いていたため、あんまりに単純に不味そうな状況で敵におだてられた奴が一直線にどう考えてもヤバい方面に飛びつく絵はいまいちまだ彼には想像しがたいのだ。


 鳥の民である彼、いや、氏族の民にとって国土とか国体とかそういうものは馴染みはなく、それも相まってよほど重く扱われているのではないかという幻想がないでもない。


「まあそれはいい。魔術師のもちものでよくやる……。元々の領主一族の小競り合いぐらいなら出てこないんだろうけど、流石に異国が絡んできたらあいつらも黙っていないだろうに。」

「荒れてるし代替わりも多いからな、まともに魔術師見たことねえんだろ。」

「あそこ、魔術師がいる国だと思っていたけど?」

「これが傑作、前のネーゲ探索で失敗したから追い出したおんだしたって噂だぜ。まあお行儀のいい奴だったんだろうが、そうでなくても貴族程度じゃ怖さはよくわからんだろ。」


 ヨティスはため息を付いた。常民は上位者を恐れるということができない生き物だとは知ってはいたが、それでも忘れやすすぎるのではないだろうか。

 魔術師月の民どもの肩を持ってやるつもりなどさらさらないが、奴らは神秘のしの字も帯びておらぬくせに魔術師だ漂泊民だと神代の裔子すえごらをことごとく侮るのだ。


 しかし、「竜の巣穴の中で小競り合いをする」だなんて古いことわざをそのまま再現したいやつがこれほど多いとは思っても見なかった。

 竜が誰に尾を踏まれても行儀よく我慢しているとは限らないだろうに。


「しかし、そうか。ヤロークが首を突っ込んでくるなら上の方針も変わりそうだが、どうなる?」

「戻ったら上申する。もしかしたら時を早めるかも知らんしやること自体変わる可能性もあるよな。」


 たぶん彼らの上、氏族の暗殺士を派遣する側の人間は事態を知ればそれなりに重くは見るだろう。他国ラインが関わっていようと領内の後継者争いで済む事態と、国家間紛争になりかねない事態では話も値段も違うのだ。

 精々いい値段でこの話を依頼主に売りつけるのだろうし、もしかしたら別の方面に売り込みを掛けるかも知れない。


 彼にとって一番楽なのは現領主の逝去を待たず暗殺時期が早まること。次に公的な糾弾に舵を切る材料に十分だとして情報をアドリアン兄貴族側に提供する方針に雇い主が転換する……つまり公的に勝つ方向に兄が転換すること。これは彼を始め数人放り込まれていると思われる暗殺士たちはみなお役御免だが、まあ迷惑料ぐらいは上がかっぱぐだろう。一番イヤなのは同じぐらい雇い主が後ろ暗く、もしくは折角だからみたいな意識で余計なパワーゲームの舞台として島を使おうとすることだ。


 暗殺よし、陰謀もまあよし、戦争もよかろう。それらは彼らにとって良い飯の種だ。ただし、魔術師月の民の目一杯に詰まった場所でだけはやるものではない。

 個人の脅威度は特に世界に愛された氏族の使い手ほどではないが、彼ら月の民は特に数が揃うと非常に恐ろしい。


 なぜ常民の政治をするやつらはどこであれ貴族が入れたというだけで貴族流の捏ね方をしていい土地と認識を塗り替えるのか。これがわからない。

 ヨティスの懸念の種は忘れっぽい常民であるのが小競り合いをしている側だけでなく、雇い主たちの側でもある、ということであった。



「面倒な話だ。……ミロン、そういえば予定外にいい拾い物があったのはわかった。それはいいとして、連れられている氏族の方は? そいつが殺したんだろう?どこの氏族だ? 暗殺士?」


 本来、前回調べてもらったのはこちらのほうが主体だったはずなのだ。つるを引いて出てきた芋が特大だったために後回しにされているが、ヨティスとしてはまだ十分気になる事項だ。いや、むしろ重要度が増したと言えなくもない。


「いや、わからん。すくなくとも西岸の氏族じゃなさそうな感じがする。氏族とつながりが切れた旅隊の出か、でなかったら混血か、どっちかの可能性が高い」

「面倒な……」


 わざわざ暗殺用の手駒として使われているなら、それは混血よりも鳥の民であるという可能性が高い。混血は契約の殻を必要とするため、大三項小二項に縛られるのだ。


 鳥の民は国家を基盤としない。変わりに彼らの中で意味を持つのが血縁。

 熱意と相伝に差こそあるが、大抵の氏族の群れならば、同じ血の氏族には親しさを、古き血の濃い祖の氏族には敬いをもつように氏長から教えられて育つ。自らの氏族の名すら忘れた末端の氏族でも、鳥の民全てへの同族意識は消えてはいない。


 つまり、たまさかその鳥の民が常民のために働いていようと、――とはいえ賃仕事ゆえにヨティス自身立場としてはそうはかわらぬのだが――氏族次第では、接触しうまく納得してもらえればこちら側に抱き込むことも見込めたのだが、氏族のあり方を知らぬものとなるとそうはいかぬだろうと予想できた。


 様々な理由でたまにあるのだ。無軌道に群れをはぐれた若者が素行の悪い常民と旅隊まがいを作って好き勝手やっていること。生きることに汲々として氏族の伝承の伝え方すら忘れ去った小氏族。旅隊すら保てず路地裏で常民の闇社会に組み込まれるもの。

 もちろんそのような者たちも呪司王にはゆるされている。存在していい。ただ、ヨティスにとっては多くは軽蔑の対象だし、この際実務としてもひたすらに面倒なのだ。

 そういうはぐれものの鳥の民は契約を必要としないだけの常民に近く、氏族のわざを使わぬものの氏族の則に従わぬぶん予想がつかず、かち合うと面倒だ。加えて言えばたいていその手のやつはろくな知識もない上に野良犬めいて素行が悪い。


 期待していた情報役としても手駒としても使えない可能性の高い、氏族の則も知らないだろう、常民に暗殺役として使われる鳥の民同族


 この件では絶対に顔を合わせたくない。ヨティスは不確定同族の分類タグを、「使えるかも知れない」からそのように脳内で張り直した。


 どうか、調子に乗った馬鹿者で、踏まなくてもいい魔術師の尻尾……髪……ともかく踏まれて怒るような場所をわざわざ踏んでくれるような奴でなければいい。

 これ以上胃が痛くなるようなことはごめんだった。


 この間すこし胃の具合を崩した際にうっかり同族の娘スサーナにこぼした所無理に飲まされた謎の煎じ薬センブリ茶類似物はもう金輪際何があっても口にしたくないと言うほどに苦かったのだ。

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