些事雑談 二の実りの月の満月の祭り 4
満月の祭りの直前になると、街の雰囲気はふわりふわりと浮かれ出す。
太い道沿いの商店は踊りの邪魔になりそうな道にはみ出したものを全部片付け、場所がある店は代わりに振る舞い用の小さな
広場沿いの木々には丸く打って月に見えるようよく磨いた真鍮板やら、余り布で作ったぬいぐるみやらがぶら下げられ、広場に出ている焼き栗売りは栗が売れるたびの挨拶代わりに「満月の祭りおめでとう!」と声を張り上げるものだから、通るものは否が応でもお祭りのことを想起する、という塩梅。
さて、例年はさほどではないのだが、今年はスサーナのお家でも浮かれた雰囲気が漂っている。
スサーナとフローリカが出来上がったドレスを試着して、作業場の鏡の前でくるくる回ったりしている、というのが皆が口に出すその理由、なのだが、スサーナ本人としては仕事場のムードを決定するところである叔父さんがなんとなく浮かれている、というのが理由だと力強く主張しておきたいところである。
物腰通常の一割増で柔らかく、笑顔が二割増で甘いものだからお針子たちも浮つき、さらになぜだかちょっとした理由で何回も訪ねてくる女性客が例年よりもずっと増えている。
冬服に冬のコートに冬の帽子に、きっと思い立った順に回遊してきては注文していくお嬢さんたちのおかげで今月の売上はなかなかのものだろう。
いやあ罪作りな叔父さんだなあ、とスサーナが観察する目で眺めている間にも、ブリダは粛々と叔父さんの補佐をし、雑務をし、呆れ声で叔父さんにお説教をし、背中をどやし、普段と全く変わりないように思われた。
満月の祭りをあさってに控えた晩。
なんだか寝付けなかったスサーナは台所に降り、水を一杯飲むことにした。
一階の明かりはほとんど落とされていて、僅かに作業場まわりにだけ明かりが残されている。
――こんな時間まで作業かあ。明後日をお休みにするためだけど、大変そうだなあ。
もともとこの時期は冬物の注文が勢いを増す時期だ。なぜだか例年無く女性客が多かった関係もあり、だいぶ余裕をとったはずの予定にもそこまでのすきまはない。
とはいえ今年は決まったお休みには全部ちゃんと休めたし、お勤めの人たちの急なお休みには全部対応できたのでマシなほうだった。去年は海風が寒いということを知らなかったらしい貴族の皆様から一斉に入った注文で大忙しだったのだから。
スサーナは水を飲み、グラスをゆすぐ。
棚にグラスをしまって、作業場の前を通って上に戻ることにした。まだお仕事をしている人たちにお疲れ様を言うためだ。
本当なら、今日は仕事のある日だったから、自分も手伝わないといけないのだろうけれど。おばあちゃんの方針でどんなに忙しい時でも年若の従業員は皆、仕事は夕食までで抑えられている。遅くまで仕事をし続けている年かさの皆には申し訳ないようなありがたいような気持ちである。
作業場を覗き込む。
あれ。
スサーナは目をしばたたく。作業場の中にはたった一人しか居なかったからだ。
よく見れば作業場自体も半分以上明かりが落とされていて、奥のランプだけがついている。
――ブリダだ。
中に残っていたのはブリダだった。
ブリダは街中に部屋を借りて一人で住んでいる。帰る手間があるので、うちでの仕事では後片付け番には回りづらいようになってはいるのだが、叔父さんの補佐みたいな扱いになっているので、面倒な仕事の時にはこうして残業をしていったりする。その関係で一番最後の片付けまでしていくことがあり、働き者っぷりにスサーナは頭の上がらない思いである。
声をかけようと思ったスサーナは、なんとはなしの違和感にちょっと考えてからにすることにした。
机の上も床の上もきれいに片付けが終わっていて、もうあとは帰るだけに見えるのだけれど、ブリダは奥の机のところでうろうろと行き戻りしているのだ。
――ブリダ?
どうしたの、と声をかけようとしたところで、ブリダが何か口ずさんでいるのが聞こえる。
「いち、に、さん。いち、に、さん。いち、に――」
――数? あ、これ、三拍子?
耳を澄ませたスサーナがブリダを凝視していると、彼女がなんだかきっとした表情で一歩進みだしたのが見えた。
両手を上げる。片手ずつ差し伸ばして。円を描く動きで下ろす。上げる。一歩斜めに進んで戻り、進んで戻り、踵でステップを取る。架空の裾を片手でつまんで、くるりと回る。
――……ダンスだ。
作業場の奥の大鏡に、そこだけ点け残されたランプの光がスポットライトみたいに当たる中、一人で硬い表情で踊るブリダが映っている。
何回かもたもたして、そのたびにやりなおしたりしながら数回。一パートをなんとかしっかり踊り終わって、ブリダがはっと息を吐いて動きを止める。
「ああ、もう。」
なんだか呆れたような声。
「馬鹿馬鹿しい、練習なんかしても踊るわけじゃないでしょうに。」
鏡に爪の先を当てるようにしてブリダが鏡の中の自分の顔を覗き込んでいる。
「でも……後一回だけ。」
とん、とまた生真面目な顔のままでステップを踏み出す。
たんたんたん、たんたたたん。
スサーナはブリダの靴の踵が鳴らす音を聞きながら、そおっと微笑んで、ブリダに気付かれないようにその場を離れることにした。
――ねえ叔父さん、ブリダきっとドレス、喜んでくれますよ。
自分たちの用意したものも喜んでくれるといいけど。自室の棚の中に隠したものを思いながらスサーナはそっと階段を登り、部屋に戻りながら自分も簡単なステップを踏んで、跳ねながら寝台に戻っていった。
祭りの日は人々は楽の音で目を覚ます。
八弦琴の音色、太鼓のリズム。
ところがスサーナのうちでは、早朝、目覚まし代わりになったのはブリダのぎゃーーーーっという叫び声であった。
「なっ、ななな……!」
「なんだい今の叫び声は!」
「ブリダ!? どうしたの!?」
家人たちがかけつけてみると、口をパクパクさせるブリダと苦笑するフリオが作業場に佇んでいる。
「何考えてるんです! こ、こんなの!いったいいつ!? まさかこの数日で用意したっていうんですか!? 作ってる素振りなんかなかったじゃないですか! もう!もう!」
取り乱すブリダの目の前には見事な踊り用のドレス。
「いや、じつはだいぶ前から…… 気に入らなかったかい?」
「もう! もう! あーもう! フリオさんってば馬鹿なことばっかり企んで! ああーーもう!!」
事情を悟った家人たちは、あるものはあくびを一つして寝直しに。
あるものはやれやれ若いっていいねえなどと言いながら着替えに戻るようだった。
むにむにと目をこすりながらやってきたスサーナがふにゃふにゃとしながらブリダに声を掛ける。
「ブリダー、叔父さん、はいこれ……。 私とフローリカちゃんからなので……よかったら使ってくださいね……」
その手元にぐいと大ぶりの包みを押し込んで、あとはごゆっくりなどと言いながら眠そうに目をこすり、部屋に戻っていくようだった。
不思議そうな顔になったブリダが包みを開くと、そこには踊り用の新しい靴。バックルベルトの布地には後から縫取ったと思われる図案抽象化したオレンジの花と実が飾られている。
「えっ……、お嬢さんったら、まあ、もう。」
「これはドレスのインパクトが薄れたなあ。……さてブリダ、ドレスは用意したよ。それで……その。今日、僕とダンスを踊ってくれるかな? 急な申し出だし、無理にとは言わないよ。けど……うん、付き合ってくれると嬉しい。」
「っ、し、仕方ありませんね! お嬢さんにここまでお膳立てしていただいちゃ無下にする訳にもいきませんからね!」
つんと肩をそびやかせて真っ赤になった顔をそらし、ブリダがトルソーに手を伸ばした。
月の出る頃になると、いっそう楽の音が賑やかになる。
昼はなかった屋台が店を開き、街の商店の前では振る舞い酒に振る舞い料理。
今日ばかりは
鮮やかな花の刺繍を飾った黒髪の女たちが手招く占いの屋台に、街の女たちよりもずっと切れのある振り付けと技巧で踊られる見事なダンス。男たちが独特の節でかき鳴らす十六弦琴。喉を楽器みたいに使った、物悲しいうつくしいうた。
最初はぽつりぽつりと思い思いに踊っていた街路の踊りは、警吏たちの
スサーナとフローリカは他の子どもたちと合流し、一緒にやってきたドンの兄に紹介された。アントニオと名乗った彼はドンに似たくしゃくしゃに癖のある金髪で、いたずら好きそうな雰囲気に年齢相応の落ち着きを足して快活さに昇華している、という具合の青年だった。15,6だろうか。
「やーあよろしく!俺はアントニオ。トーノって呼んでよ。」
「よろしくおねがいします。スサーナです。」「フローリカです。」
「スイちゃんにリカちゃんか。ドレスが最高に似合うね。ああアンジェ、君のももちろん最高だけどさ。 ドン、こんな可愛い子たちと知り合いだなんてどんな奇跡が起きたんだ? 」
「スイ! 兄貴と握手なんてしなくっていいからな!! 手が腐る!!」
挨拶を交わして、それから屋台を回ることになる。
トーノは子供たちに先に行かせてあとからのんびりついてくる保護者形式のようで、子供たちには自由が多くて実に好都合な保護者だった。
飾りコマやらが売っている屋台。
小さな笛や簡単な作りのタンバリンが売っている店。
焼きマジパン人形の中に小さな陶器板が入れてあり、それに運勢が書いてあるお菓子占いの店。
出てきた可愛らしい形の陶器を持ち帰ってもいいというお菓子占いにはアンジェが夢中になり、恋愛運について書いてある物が出てくるまでセーフという自分ルールを作って3つほどマジパン人形を割り、ほとんどをドンに食べさせるなどしていた。
澱粉を振って形を作った柔らかい暖かな飴を売っている店。
布をよじって作った輪っかを景品に投げつけて掛かると貰える、つまりは輪投げの露店。
大きな桶に水を満たしてりんごを沢山浮かべた、りんご齧りゲームの露店。
皆の後についてそれらを冷やかしながら、スサーナは内心気もそぞろだった。
たまにドンがぴゃっとやってきてなにか話しかけていくのも生返事である。
スサーナがずっと気にしているのは中央広場の灯火の周り。
屋台や人の波の中心。中央広場の真ん中には今はあかあかと燃えるともしびが掲げられている。
その周りで踊るのは女性は14、男性なら16を越えたものたちで、くるくると灯火の周りを回る。男女さえ問わず自由に曲の一つごとに相手を変えるもの、相手の異性を探す目的か、数曲ごとに同じ年頃の異性を探して相手を変えていく者。気に入った相手を見つけたかずっと同じ相手と踊るもの。二人手を携えてやって来て踊っていくもの、様々だ。
もっと外周、街路の踊りではもっと年幼い者たちも自由に踊れるが、火の回りで踊るのは未婚の、婚約できる年の男女の特権だ。
踊りの曲調は特に年若い者たちのための軽快なものから、すこし年の行った者たちが映える優美な動きのあるものに移り変わりだしている。
朝話していた予定の感じではそろそろ踊りの輪に混ざってもいい頃なんだけど。スサーナは思う。
「スサーナちゃん、ブリダはいた?」
すっと寄ってきたフローリカが問いかける。
なにやらリューに飴を奢ってもらったようで、柔らかな飴を棒に絡めて手にしている。
「いいえ、まだ……フローリカちゃんいいですよ。気になる屋台があったら先に行っててくださいね。」
「私も気になるもの。」
視界の端っこでどのぐらいの距離を保っていいものか、という風情でウロウロしているリューを尻目にフローリカはぴったりとスサーナにくっついて一緒に広場を眺めだすようだった。
「その……フローリカさん、スイ、どうしたの?」
すこしして、疑問げに問いかけてきたリューに少し申し訳ない気持ちでスサーナは返答する。
―― ごめんなさいね! フローリカちゃんと二人で動かしてあげられなくて……!
「リューくん、ええとすみません。うちの……叔父さんと、今日ついてきてもらう予定だった人が踊るかも知れなくて」
「ブリダは私の叔母さんなの。」
「ああ、身内が踊るんだ。……うん、わかった。皆結構歩いたし、トーノ兄に言ってちょっと一休みしようよ。あっちに出してあるテーブルでなにかつまもうって言えばいい。トーノ兄もそろそろ飲みたい頃合いだろうし」
そういうわけだよドン!と近づいてきたドンに声を掛けたリューが身を翻して走っていき、泡を食ったドンがその後を追った。
すぐに戻ってきた男の子たちの案内で広場脇のティーハウスが出しているテーブルに落ち着く。
トーノが皿いっぱいに削った生ハムと塩漬けのオリーブを貰ってきて、
子供たちもレモネードやシロップ入りの鉱泉水を飲みながら音楽に耳を傾け、広場の踊りを見る。
踊りの輪。パートナーに差し出される腕。くるりくるりとひらめくスカート。
――まだ踊ってない、んですよね?多分。
スサーナは踊りの輪の人々をじっと検分する。
――叔父さん、なにか失敗して踊ってもらえなくなったとしたらどうしましょう。
そうだとしても、信頼関係はちゃんとある関係だと思うから、ダンス一度のことで仲違いとかそんなことをするとは思えないけれど。
スサーナが静かに胸を騒がせて、
一旦鳴り止んだ楽器が次の曲を奏でだす。
多数の弦楽器の物悲しい、激しい旋律。囃し声と振り鳴らされるタンバリン。
踊りの輪の中に外周から入ってきた男女にスサーナは息を呑む。
鮮やかな紅茶色の髪の長身と金茶の髪を結って白い花輪で飾った乙女の
中天の月の光と燃え盛るかがり火の照り返しを受けた彼らはスサーナの知っている人達のようだった。
「フローリカちゃん! 叔父さんとブリダ!」
「本当ね! ちゃんと踊ってる」
「ドレスものすごく似合ってませんか」
「フリオさん、あれを縫うのにどれほど手間を掛けたんだろ、ここから見ても刺繍がすごくて怖いぐらい」
寸分の狂いもなく仕立てられたドレスの裾を閃かせ、ブリダが腕を上げて優雅に回る。その腕を支えた
脇から見ていても二人はとても目立ったし、何人もの綺麗なお嬢さんや青年が踊りが終わったら次の順番にパートナーになろうと側に寄って踊っている様子だったけれど、ふたりとも曲が終わるまでは視線すら動かさなかったし、一曲終わったところですこしソワソワと外周に体を向けたブリダの腕を捕まえて叔父さんが二曲目を誘う様子にスサーナはなんだかはしゃいだ気分になった。
――よし、これは進展ですよ!
とはいえ結局、曲が終わっても叔父さんはブリダにオレンジはもらえなかったようで、数曲終わったところで途中から気づいていたらしいスサーナたちのところにやってきた叔父さんとブリダは皆に挨拶し、保護者をしてくれたトーノに麦酒を一杯奢り。
付かず離れずの距離でそぞろ歩きに混ざり、角々で振る舞いに差し出される食べ物を皆と食べ、回し飲みのポット酒を飲み歩いた。
スサーナはちょっとだけ不満だったが、まあいきなりプロポーズはないだろう、とはおもっていたし、お付き合いにすら進展しないということだって予想していたのでまあ悪くない結果であるということができるだろう、と割り切ることにした。
二人共なんというかお互いを意識しているという感じはしたのだ。後は時間が解決してくれるのかも知れない。
子供たちの後ろを少し離れてゆったりと歩きながら、踊り衣装の男女二人は祭りの喧騒を眺めている。
「そういえば、ブリダ、覚えている?」
「何をです?」
「兄さんがアエロアさんにプロポーズしたのも祭りの夜だった。」
ブリダはわざと眉をひそめてみせて、つんと肩を上げた。
「覚えていますとも、だって私はその時振られたんですからね!」
「はは、そうだね。……あの時兄さんが言ってたじゃないか。ブリダにもいつか踊りのドレスを秘密にしてプレゼントしてくれるような人ができるよ、って。」
「ああ、フリオさんにしては気の利いたことを仕掛けると思っていたら、そういえばベニーさんがアエロアさんにやったのと同じじゃあないですか。」
「うん、それでねブリダ。……ちょっとやそっと運動しても筋肉はつかなかったし、僕は兄さんのようにはなれないからブリダの好みだとは思わないけど、その、僕で良ければ先のことを――」
「呆れた! ちょっと見た目は素敵になって大人になったかと思ったら、フリオくんは口説き文句の一つもロマンティックに言えないんですか」
たじろいだフリオにブリダは腰に手を当てて威圧してみせる。
「そんなことを気にしてるようじゃまだまだですとも。でも、ええ、今日は素敵でしたから――」
一瞬、子供たちの視線が前に向いていることを確認して。フリオの襟先を掴んだブリダの影が一瞬彼のものときれいに重なった。
しばしして、フリオが呻く。
「先に立てない……絶対出し抜いて驚かせたと自信があったのに、この歳になっても一枚上手をいかれるんだ……」
ブリダは心底楽しげに、声を上げて笑った。
叔父さんとブリダはどこかに消える、ということもなく、しばらく祭りの喧騒をスサーナたちと一緒に楽しみ、夜通しに踊るということもなく、常識的な時間に叔父さんがブリダを送っていき、そしてそう時間を置かずに普通に帰ってきた。
その明後日から普段どおりに仕事もあったけれど、特に二人共の様子が変わったということもなく、少しワクワクしていたスサーナをがっかりさせた。
――絶対進展したと思っていたんだけどなー!
このぶんだとまたしばらく叔父さんはお見合いを断り続ける日々なのかも知れない。
――でも、叔父さんには絶対ブリダだと思うんですよねー。こう、なんというか……割れ鍋に綴じ蓋?
いやそれは違うかも知れない、と前世のことわざの別の候補を探しながらスサーナはぐっと気合を入れた。
気性が合っていると言うか、気心がしれていると言うか。この二人が一緒になってくれたら絶対に先が安心なのだけど。
視線の先ではスサーナの目論見など知らぬげに、また叔父さんがなにやらブリダに説教をされているようだった。
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