第100話 楔石の騎士は遍歴せず 8
奥様の部屋につくとレミヒオは捕獲されておらず、代わりに数人の奥様づきの召使いたちが待機している。衣装室の平台の上を見れば女性ものの下着から何から一揃えが用意してあった。
なるほど、これじゃ流石にレミヒオくんは呼べませんね、と納得しながらスサーナは上から下から全部脱がされ、素っ裸の状態からドロワーズを着け、シュミーズを着せられ、さらに
――ぐえ。
こういうときにイメージされるコルセットほど胴を締めているわけではないが、スサーナはあまり胴体を締め付けた服は得意ではない。
こういう服はものすごく気軽に心拍数は上がるし酸欠にはなるし明らかに脳貧血を引き起こすしいいことがないのだ。
普段から細身なのでこの手のものにほとんどお世話にならないのが救いだが、今日ばかりはそういう事は言っていられないようだ。
――まあ、商品候補なら仕方ないですよね。しばらくの我慢……。
修行僧めいた気分で耐えることにしたスサーナに着せ付けられたのは、この間簡単に着せられたマーメイドラインめいた黒いドレスだ。
前回と違うところは、前来た時はシンプルな、そこそこきゅっと絞った部分がわかるような作りだった腰から下部分に斜め裁断のフリルと大きなドレープが足されている。全体的な印象はある種の逆さにしたチューリップの花に近いだろうか。
――ああ、これなら足はそんなに目立たないかもしれないですね。
なるほどと納得したスサーナに更に奥方は光沢のある黒地のガウンを着けさせる。
「うふふ、これよ、これ!」
鏡の前でスサーナを回らせた奥方は実に満足そうに微笑んだ。
ガウンに寄ってぱっと見たときの印象は普通のドレスに近く、しかしよく見ればガウンの一枚下でスカート部分はただ広がっておらず、大きく動作すればガウンの作る円形の空間の下ですっと絞られた部分が垣間見える。
殿方の心を捉えるのはいつも隠した危うい色気と相場が決まっている、というものね、と奥方はうきうきと自画自賛している。
スサーナとしてはこのデザインなら小柄で痩せっぽちの自分よりも長身でマーメイドラインの映える体型のすっと胸の張った美女に着て欲しい、と思ったものだが、まあそれは奥方が色んな人で試せばわかることだろう、と思うことにした。
「最後にこれを着けてね。うふふ、これは……流行ります。ぜったい流行るわ。島どころか本土へ持っていってもきっと皆さん絶賛してくれるはずですよ」
満足げな奥方に渡されたものを見てスサーナはおや、と言う顔をした。
「あ、これ、うちの髪覆いです」
「ええ。そうね。このヒラヒラした部分、ドレスの下側のフリルに似ていない? ひと目見たときに絶対合わせるべきだと思ったの。この穴飾りのある部分だけ黒で注文したのよ。」
髪を覆う白布の上に黒絹のカッティングレースのヴェール。袖が優雅に広がったデザインの光沢のある黒の前開きのドレスガウン。その下に全面刺繍の黒のマーメイドラインのドレス。
全部身につけ終わったスサーナを見て会心の表情をする奥方を眺めつつ、鏡を見て自分でも確認したスサーナはなんだか悪の女王とか、わるい占い師、でなかったらすごく華美で色気重視の喪服みたいだなあ、などと思っていた。
ここらへんの喪服は別に黒一色ということもなく、お葬式に来ていく服は白だったり暗い紫だったりするし、なんとなれば別に色が決まっている、というわけでもないのだが。
奥方には悪いけれど、これが流行したらパーティーの圧がものすごいことになりそう。ああ、でもマンティラってこんな感じだっただろうか。
そう思いながら、奥方が満足するまで回ったり椅子に座ってドレープの出方を見たりを繰り返す。
「うふふ、完璧、完璧よスシー。」
満足気に奥方がため息をつく。
「さて、それじゃ下に降りてみなさまに見ていただきましょうか。」
言った奥方にスサーナはえっと声を上げた。
「えっ、あの、部屋の外に?」
「ええそうよ。商品にするのですもの。皆様にまず見ていただいて感想を聞かないといけないわ。」
反論しかけたスサーナだったが、奥方の目が普段の着せ替えのときとは違う商機を見つめた真剣なものだったのでぐっと詰まる。
言われてみればそれはそうかもしれない。スサーナのうちでも新しいデザインを売り出す時はおばあちゃん以下複数人が見て納得したものをお出しするのが主なのだ。
スサーナは納得はしたものの、なんだか微妙に気が引けた。
――そうか、これがこの間のレミヒオくんの気持ちなんですね……!
思ったスサーナだったが、とはいえ珍奇な格好ながらも黒歴史リボンフリフリよりもこの格好は商品化をもくろんでいるぶんマシだ。
「奥様、もし流行ったら仕立てはうちで独占させてくださいね……!」
「ええ、ええ、勿論よ。その時は細部のデザインの改善も
悪あがきのような裏取引を交わし、スサーナはこれは商売だとなんとか納得した。
脱いだ服の中から身繕い用にと、ついでに半分ぐらいはずみをつけるお守りの気持ちでハンカチを抜き、
流行ればお店も得する。そう唱えて、やぶれかぶれめいた気分で胸を張り、手伝ってくれた召使いの皆さんの激励を受けながらスサーナは奥方と一緒に一階を目指すのだった。
スサーナを一階ホールに待たせ、ドレスの袖を勇ましく腕まくりした奥方は審査員役になる誰かを探しに行く。
確か今日はセルカ伯が屋敷にこの時間にいるはずなので、たぶんセルカ伯が呼ばれてくるだろう。とスサーナは思う。
あとはレミヒオを含む男性の使用人たち。そこまではともかくフィリベルトとアラノはあの後出かけてくれていればとてもいいのだが。
奥方の趣味の延長、もしくは商機を見出した先見の明だと理解している屋敷の人間たちはまだしも、事情を知らない客人たちがこれをどう受け取ることか。
まあ、もともとちょっと古いデザインの流通しているドレスなのだし最悪でもそれで済むだけレミヒオのアレよりかは言い訳がつく。
スサーナははあっとため息を付き、手持ち無沙汰に少し立ち尽くした。
ガウンの裾を調整したり、ヴェールの角度をちょっと直してみたりして、本格的にやることがなくなったスサーナはホールの端に置いてあるベンチに座って待つことにする。
座りかけ、スサーナはふと台所の裏口の方から聞こえてくる音に意識を刺激された。
――あれ?
聞こえてきたのは出入りの商人らしい話し声だ。
――食料品の仕入れ、一昨日確かにありましたよね?
来たときに使用人と話したように、食料の搬入は日程が変わったはず。
――お店の人も勘違いしてるとか?
それは一言確認しないと良くない事項だろう。連絡不行き届きがあったなら経理とかが大変になってしまう。
帳簿の不備、という単語は商家のこどもであるスサーナにとってはなかなかのホラーワードだ。
スサーナは首を傾げ、奥方も遅いことだしとちょっと台所の方に足を運ぶ。
台所まで入ってしまうと服が汚れてしまいそうだが、手前の廊下までなら問題ないだろう、という判断だ。
台所の前の廊下に入りかけたスサーナは、台所から青年が一人早足であるきだしてくるのを見る。
――あれ? あんな人出入りの商人でいましたっけ……?
なんとなく姿を確認しようと廊下に出たスサーナは、廊下の向こうの方から響いて聞こえた、どうやら奥様や男衆のものらしい声を警戒するように肩越しに振り向いた青年にどんっと勢いよくぶつかられる。
――あいてて、前方不注意、いや、黒だから見づらいのもあるのか!
ドレスの改善点に気づいたスサーナは、とりあえず大丈夫ですか、と青年に声をかけようとして。
「え?」
なぜぶつかったのかわからない、と言うような。いっそ唖然とした、といった驚きの表情を浮かべ、勢いよくよろけた相手の頭から布帽子が落ちるのを見た。
フチに髪の毛を模した金色の羊毛を縫い止めた帽子。
その下からばさばさに広がった髪は、スサーナが今丁度身につけた衣装と同じ闇の色をしている。
「ちっ」
舌打ちをした青年に腕を掴まれかけ、スサーナは反射的に身を引こうとした。しかし身体感覚を掴みきれていないドレスとガウンがかさばって、うまく身を翻すことが出来ない。
こちらの格好を上から下まで、まるで何者かを確認するように見た目がへんに冷たい。
「ここの娘だな、丁度いい! 捕らえろ黒犬!」
後ろから出てきた別の商人らしい格好の男が短く叫ぶのが聞こえる。
「間違いないのか」
「馬鹿を言うな、犬めが!」
捕らえられた腕を一挙動で引き寄せられる。
「えっ、え?」
屋敷にスサーナとレミヒオ以外には黒髪は居ない。
出入りの食料品商人にも、もちろんいるはずがない。
「貴方、一体」
どなたですか!と叫ぼうとしたスサーナは、襟首を捕らえられ、ただでさえ目眩を起こし気味だったところにぐっと首を押さえられてすっと瞼の裏が白くなる感覚を味わった。
――あ、これ、落ちるやつ……
一瞬そう考えたスサーナは、体の力が勝手に抜けるのを味わいながら、廊下の向こうで焦った声のアラノがフィリベルトを呼ぶのを最後に耳に留めていた。
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