第180話 大団円と言い張りたい。
魔術師達が滞在する最後の日。夕刻。
式は粛々と始まった。
というものの、公学院の責任者である学院長と魔術師達の代表が書状……魔術師達が学院とその成員を尊重し大きく害をなさず、学院の者たちも彼らに過度に干渉しない、という約束事が記されたものを初日に取り交わしてあったのをそれぞれ元の主に戻し、来年も同じように、と確認するだけの儀式であり、そう掛かるものではない。
貴族の統制の元行われる、という建前である式だが、その建前に十分なほど例年は貴族が同席するわけではない。勿論、位の上では都市伯である学院長と四学部長は別の話であるが。
しかし、この年は丁度学生であるガラント公令嬢が責任者となり、彼女が同席を良しとしたため、ガラント公令嬢と、彼女の父親と党派を同じくする三名の貴族がその場に存在していた。
式が終わり学院長と学部長達が下がっていく。
通例通りならこの後食膳が用意され、貴族たちは退席し帰還する。
そして魔術師たちもそれに手を付けること無く姿を消し、特別棟を引き払い、残りの時間でまた遺跡とやらに潜っては明け方、星が消えるとともに去っていくものだ。
もう何年、もしくは何十年も繰り返されたはずの流れだ。
長机が各々の前に設置され、続いて大鉢が給仕役たちの手で運び込まれる。
貴族たちは机に載せられたものを確認して目を疑った。
まず最初に運ばれた大鉢いっぱいに盛られているのは花だ。薔薇、
飾りかと思いきや、給仕人達の手には取り分け匙と深皿がある。
魔術師達が薄く目を見交わしあったようだった。
通常なら貴族たちが席を立つ頃合い、しかし今回、ガラント公令嬢エレオノーラは通例を破り、ヴァリウサがいかに魔術師たちとの良い関係を望んでいるか、という決まり文句を演説したのちに、彼女のために用意された席に着いた。
「エレオノーラ様、お戻りには……」
「わたくしの主催する席ですから。卿らもどうぞお座りなさい」
残りの貴族たちも戸惑いながら彼女に続く。
普段なら饗し側の言葉が済めばこれで義務は済んだとばかりに魔術師たちも各々席を立つものだ。しかし、通例の食膳よりも余程不可解な花を満たした鉢などというものを前にしても魔術師たちも席を立とうとはしなかった。
貴族たちはほっと息を吐く。未成年の娘とはいえ、上位貴族の家柄の責任者が饗応を蔑ろにされるのを執り成すのは彼らにとっても非常に気が重いことだったからだ。
食事の前の手順を済ませたところに数名の料理人らしきもの達が食前酒を、次いで片口に
「こちらを掛けてお召し上がりください。」
つまり、この花を食べよと言うのか。困惑とともに問いかけようとした貴族の一人、なかなかの食道楽と知られた男は、目の前に立ち、手順を説明する料理人をまじまじと見て目を剥いた。
前の宮廷料理長の内弟子、ともに下野したという者だ。ごく高い家格の調理場に抱えられているものだと思っていたが、一体こんな所で何をしているものか。
彼が驚きを込めてガラント公の娘を見れば、ふっと自信に満ちた表情で笑う。なるほどこれはあの娘の意図か。可愛がられているばかりの娘御だと思ったがどうもそうではないようだと彼は恐れ入った。
片口を受け取ってみれば中の液体も常のものとは違うようだった。
ヴィネグレットに獣の骨や腱を煮詰めたらしきゼリーが混ぜ込まれている。氷の欠片にも見えるそれは如何にしたのか初夏だと言うのによく冷え、涼しげに見える。
なるほど皆纏めて出すのが通例の食膳のうちにこればかりが先に出されたのは冷えているものだからに違いない。
魔術師達も奇妙な食膳を前に侮られたと怒り出すということはない。大人しくその器を受取り、中の液体を花の上に広げている。
――食べるのか、奴らもこれを。
そうなれば彼ら貴族もまた食べずに済ますということは出来まい。何よりこれはガラント公の娘の趣向だ。
彼は宮廷料理長の内弟子の顔を頼りにおそるおそる調味液を花に振り掛け、時ならぬ霜にあったような見た目になったそれを口に含む。
ゼリーは口内でかそけく溶け、味の殆ど無い花に強いスープの旨味を足していく。
――悪くはない……いや、美味い、の、か?
淡白な花に掛け物の酸味、そこに不規則に広がる塩気と複雑な風味。所々に混ぜ込まれたプラムの欠片が甘い。
見上げた料理人がこれまた自信たっぷりというふうに微笑んだ。
奇妙な趣向は花だけではない。その後に続いたのは非加熱の果菜を使ったポタージュ。奇妙に言い表し難く味の深い肉のスープ。数種の野禽の肉をそれぞれ別のハーブに漬け込み切り纏めて焼いたもの。なんとか一般的だと言えるワイン煮の肉もよく使われる羊ではなく仔牛のものだった。肉に焼いたマルメロジャムとイチジクを合わせてある所が前の料理長の気配を感じさせる位で、取り合わせは大体が目新しい。
宮廷料理に範をとったものを思われたが、それにしてはスパイスの刺激の薄い、元の材料の風味が判る温和な味のものが多い。その代りに添えられた香草や茹で菜の風味が強かったり、明確に塩気や辛味に差がついていたりと味の濃淡を意識していると察せられた。
奇妙ではあるが、不味いわけではない。
物慣れなさは残ったままであったが、貴族たちはそれなりに皿を楽しむ。
最後の何皿かのはじめには宮廷流のやり方のバターと猪の脂で焼いたプラムと真桑瓜に、ごく甘くしたクリームに合わせた刻んだ果物とベリー。
結局食事が終わるまで場を辞すものはいなかった。
饗応が終わり、30余名の魔術師達がそれぞれ席を立つ。
これまで無いことだ、と囁き合う貴族達に、ふと魔術師達の代表が歩み寄った。
身を固くする彼らのうち、主催たるガラント公の娘に代表は顔を向けて言う。
「よきもてなしと気遣いに感謝する。」
すっと去っていく魔術師を見送り、エレオノーラは呆気にとられ、それから興奮と喜びが綯い交ぜになった表情でふるふると震えた。
深夜少し手前。
派閥の貴族の皆様の前に出るわけにも行かず待機していたスサーナは興奮しきった様子のお嬢様が帰ってきたのを迎え入れる。
「ああ! アイマル! ねえ嘘みたい! お父様が知ったらなんとおっしゃられるでしょう! 夢ではありませんね!? 嘘みたい!」
普段のエレオノーラお嬢様が見たらはしたないと眉をひそめるような具合で、歩みはもはやぴょんぴょんと跳ねる動きだ。
マレサに手伝われて長椅子に腰掛けたというのにぽんぽんと縦移動が体に残っている。
――ああうん、上手く行ったんですね。これは。よかったよかった。
お嬢様がご機嫌でさらに魔術師さんたちが美味しいご飯を食べられたのならスサーナとしても本望である。
スサーナはマレサの指示に従って熱いカモミールの煎じ湯を淹れ、たっぷりと蜂蜜を足した。
「お疲れ様でございました。」
カップを受け取ったエレオノーラは夢見るような目つきでカップを胸元に抱いてはふーっと息をつく。
「まさか、こんな何もかもうまく行くだなんて思っていませんでした。ああ、あなた、スサーナ、貴女も。よい働きをしてくれました。」
貴族は基本的に使用人にお礼を言わない。
ということはこれは破格の扱いだなあ、そういえば平民ディスすら入れ忘れている。
スサーナはほのぼのしながらお嬢様のお力ですと返答した。
あれからスサーナの働きは八面六臂というところであった。
いきなり近づきづらくなった料理長さんに丁重にこれまでのお詫びとお礼を申し上げ、相談しながらメニューを組み立てた。
料理長さんにはいやだいぶ前に引退した身だから気にしないでくれと言われそんなことより島料理だと根掘り葉掘り島の郷土料理について聞かれたので一通り答え、ついでに多分魔術師さんたち受けしそうな前世知識での料理の小技をところどころ混ぜておく。
島の夏の氷菓子について話した所目が輝いて止まらなくなったので、多分料理長さんは夏の休暇に島に行くことになるのではないかとスサーナは思う。
メニュー構築にはちょっとしたズルもした。魔術師当人、つまりいつもの第三塔さんにこっそり保冷庫を都合してもらったりしたのだ。
これで料理の幅がぐんと広がった。術式付与品、とはいえ簡易的に箱に術式を掛けたものをスサーナのそそのかしと仲介で買ったのは料理長さんで――手紙でやり取りしていたので値段は知らない――、スサーナは熱狂的な魔術師シンパが発生するのを目の当たりにしてしまったりもした。
さらにネルさんに頼んで今期の契約を切られた農家さんや料理人さんたちがいきなり路頭に迷ってやしないかなども確認してある。そんなことはなかったようでホッとする。
しっかり怪談は信じられていたようで、これなら来年どうなってもまあ最低限の食べられるものは用意できそうだ、とスサーナは算段したりもした。
とはいえ、寮の食事時間と宴席の時間がだいぶずれているのが幸いし、日常業務に支障が出るような事にはなっていないので来年も料理人さんたちの副業として料理長権限でごり押せると料理長さんが断言していたので、このままだと来年からは貴族寮の料理人さんたちが宴席の料理人を兼任することになるだろうが。
それはそれでちょっと拘束時間が長くなりそうでスサーナは心配だが、当人たちがものすごくやりたがっているようなのでなんとも仕方がない。貴族寮との契約上違反などなければいいがと祈るばかりだ。
そして料理長からメニューをお嬢様側に出してもらい、承認を貰ったあとで、空き時間にまた調理場に詰めては説明をしたりしつつ、洗練は料理長さんにお任せし、そして当日がやって来たわけだ。
お嬢様のこの様子ならきっと余程いい結果が出たのだろう。スサーナはそう思う。
あとはエレオノーラお嬢様のご実家に報告をして、褒めてもらうだけだ。
――うん、これなら大団円と言っていいんじゃないでしょうか?
スサーナはそう頷いた。
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