第179話 くるくるまんまと言いくるめ。

 睨んでくるエレオノーラお嬢様にスサーナはまず非常に真面目な顔を作り、そして言った。


「文化の違いです、エレオノーラお嬢様」

「文化……?」


 エレオノーラの表情に疑問がよぎる。


「はい。国ごとで食べるものは大きく違うそうですね。使用人の皆にお嬢様も異国の方のもてなしの為に異国の食べ物を食べる訓練をされたことがある、と聞きました。」


 エレオノーラは嫌な顔になる。

 スサーナは先日雑用の二人に「お嬢様がいかに頑張り屋さんか」という話題の際、公の子たちが課される訓練の話を聞いた。その際に使えそうだと覚えていたのがその話だ。


「なんでも南の大陸のスワリアでは……」

「その話はやめなさい。思い出したくありません」


 南方スワリアでは虫食文化が盛んだそうだ。主に消費されるのはワーム類。

 当時9歳だったエレオノーラお嬢様は彼の国の食膳を前にして泣きながら逃亡し、隣室に籠城した結果日付が変わる頃まで出てこなかったという。

 スサーナは申し訳ございませんと一礼し、話を変えたような顔で言う。


「魔術師達が我が国の食べ物に馴染まぬのは仕方ないこと。可哀想なことですけど。ご聡明なエレオノーラお嬢様ならお分かりでしょうが、虫を常食する方々は羊を口にするのに気後れするとか。それと同じことです」


 塔の諸島はヴァリウサ国内だし、世界各国から来ているとはいえ近隣諸国出身の魔術師も居るだろう。ついでに正しい理由はもっと入り組んでいるのだが、そのあたりにツッコミはなさそうだったのでスサーナは強行する。


「お待ちなさい。今の話からすれば、あれらが宴席をないがしろにするのはつまり食べ物が馴染まないから、だとでも」

「はい。そう思っていただいて結構だと思います。」

「ではあなたは我が国の食事が口にも出来ないような……む、虫などと同等とでも言うつもりですか」

「いいえ、我が国の料理は全土でもっとも洗練されている一つで、料理人たちも最高の水準と聞いています」


 ――世界何処の食文化よりも自国のご飯が美味しい、わかります、わかります。

 スサーナはしれっと嘘を吐いた。本土のご飯に馴染めないスサーナだし、各国固有の食文化に優劣はあまりないものだと思っているが、この際正直さは求められていない。


「そ、そう」


 煙に巻かれた表情のお嬢様に畳み掛ける。


「それを前提に、彼らが口にするものがあるとしたら、エレオノーラお嬢様としてはそれを出すことはされますか?」


 考えがまとまりきれない、という表情のエレオノーラが視線をさまよわせる。


「まさか、そんな。これだけ長きに渡って……そんな馬鹿げた理由で? もしかして調べていたのはその事なのですか」

「はい、差し出がましいこととは思いましたが……」

「ええ、それなら……ああ、しかし、それはただの我儘ではありませんか! そんな小児の好き嫌いじみた行為に忖度しろと?」


 ――ええ、その反応は予想していましたとも。

 スサーナは頷きかけつつもイライラした表情になったお嬢様を見て、数秒タイミングを図って声を掛ける。


「はい、我儘です。もてなしの席では我を抑えよ、という礼儀をよく修められておられるエレオノーラお嬢様には度し難いことと思われるのも当然でしょう。」


 いきなり予想外の全肯定が飛んできて、憤懣やる方ないという顔からキョトンとしたエレオノーラにスサーナは微笑みかけてみせる。


 さっきの話には続きがある。エレオノーラお嬢様は一旦は逃亡したものの結局は一口食べられるようになるまでスワリア料理を出され続け、号泣しつつも一口食べてその後寝込んだそうな。

 それを貴族のあり方として誇りとする規範意識をもつ少女なのだ。彼女は。

 外交とはげに恐ろしいものである。


 それを踏まえれば「何故食べないのか」と怒っている彼女の感情はわかりやすい。

 エレオノーラにしてみれば、宴席であるなら理由如何はともかくちょっと我慢してでも手を付けるのが正しく、それすらしないなら客として遇する資格のない相手である、というのが正しいルールで、その正しさを前提にした対処を行っているのになぜか諌められる、という事態だったわけだ。

 これは相手が目下の場合の流儀であるが、まあ彼女の意識からすれば仕方ないだろう。意識としては下に見つつ厚遇しようとしている――実際の厚遇ですらない――ポーズだけしてみせる、という大人のやり方のほうが難解だ。


 ……この手の礼儀作法、ホストに恥をかかせぬよう振る舞う、出されたものには必ず手をつける、という類のものは招待主が「同等から目上の相手」である際の運用だ。

 大きく立場が下の相手や状態が整っていない場だと正直なことを言えば適用されない礼儀だから、食べ物の質の話を別にした所で作法に従ったとしても汲む理由はない、と言うかも知れないが、とりあえずそれからは目をそらす。

 ついでに言えば多分これはヴァリウサ流の作法であり、魔術師どころか異国ですら作法はまた変わりそうなものだが、それからも。


「ですが、先程質問させていただいたのは、魔術師の事情にどれほど道理があるか、は関係ないことなのです。道理を、と仰いましたので申し上げましたが……。だって、魔術師にマナーを守らせる、というのは目的ではありませんから。大切なのは、エレオノーラお嬢様がどれほど今回のお役目で功績を残せるか、ということですよね?」


 スサーナの言葉にエレオノーラがはっとした顔をした。


「あなた、いえ、でも、我が家がお役目を承った時からの長きに渡っての問題なのですよ? そんな、魔術師がなにを食べるかなど簡単にわかるはずが……」

「……これまでと違うことが一つございます。どうぞ出過ぎた真似とお思いでしょうがお許し頂けますか。私、魔術師にどのようなものを口にできるのか、聞いてまいりました。」


 嘘はいっていない。


「まさか。やはりそれで特別棟に……でも、そう簡単に手に入るようなものではないのでは」

「……数日、お夜食を出させて頂きましたが。あれがそうです。……私は魔術師達の島の出身ですので、どう作ればいいか解りました。一昨日昨日とお時間をいただきましたけれど、それで彼らが口にするかどうかも確認済みです。ですから、聞いてきたことに従えば、最終日の正式な宴席で魔術師達が口にするものを出すことも可能かと思われます。……お嬢様がお口にしてくださいましたので、宴席で出すに相応しくない下等なもの、ということも無いかと思っているのですが。」


 厳密に嘘ではない。 

 エレオノーラは短く絶句した。

 ――ううむ、ちょっといきなり押しすぎましたかね。もっとじわじわとやる方が受けたでしょうか。

 先にもしもの話で応答を得てから実は出来ますと言うつもりだったのだが、問答が転倒したのは確かだ。

 スサーナがそう考える間にエレオノーラは首を振り、声を上げる。


「どうしてそこまで。……いいですか、いくら良い結果を上げたとしてもあなたの功績と表には出ませんよ? 父にも、兄にも、いえ、派閥の他の者たちにも紹介はできません。解っていますね? それでもいいと?」


 ――どうして、と言われますと長期的な心の平穏と、まあ結構魔術師さんにまともなものを差し上げたいというのが大きいんですけどね!

 内心思いつつスサーナはしれっと言う。


「構いません。エレオノーラお嬢様のお気持ちが平静になる方が大事ですし。……それにこれは、やって損になることがないから申し上げているだけでもあるんです。失敗しても同じく食べないだけで、失態になるものではないなと思ったので。恐れ多い方々にご紹介頂くなど夢にも望まぬことでございます。」


 エレオノーラはしばし黙り、スサーナの言葉を勘案したのだろう。それからようやっとうなずく。


「ええ、そうですね。それなら……変わらず予算をとって食べ物を出す意味はあるでしょう。」


 ――いやあ、長かったなあ。

 スサーナは思う。だがまあ相手から詳しい話を引き出してから出ないとイエスノウを確定しない、というのは偉い貴族をやるにあたって求められる才能なのかも知れないし、仕方ない。


「ありますが……でも、どうするというのです。今からメニューの変更を料理人達に伝えるとしても、後5日で間に合うものなのですか」


 エレオノーラが眉をひそめる。

 確かにそれは常識的に考えて気にすべき条項だ。


「はい、ええと……ここに違いがあると実は不味いんですが、エレオノーラお嬢様、これまでの取引先にはメニューの改革をすると初日に連絡をされたそうですね?」

「ええ、当日では流石に損失が大きいということで、変えるとしても最終日だけ、と決まって……父に諌められたので変えずに終わるつもりでしたが。」


 最初にそう通告されているなら5日前に変更しても生産農家さんも料理人さんたちもまだ納得しやすかろう。

 スサーナは少し安心する。

 これが早々と材料を仕入れていたりすると目も当てられない。


 ついでに、噂を撒いておいたので多分心当たりのあるところは萎縮しているはず。それこそ契約を切られても向こうで勝手に納得する、と思う。苦情も上がってきづらいはずだ。


「ええと、ですね。取引先から変えてしまう、ということは可能ですか?」

「出来ますが、あなた」

「いえ、もちろん私の関わりのあるところに便宜を図ってほしいとかそういうことではなく……もし、変えることが出来るなら……貴族寮の料理長さんが、ツテがあると」


 なにやらぷるぷる震える料理長さんにお吸い物もどきの勘所を説明する代わりにちょっと材料の仕入先を紹介してもらえるかどうか聞いてみた所、異様にいいお返事をいただけたのが真相である。

 最終日の宴席のメニューの仕入先、では無く、今後料理を出す場合に自分の権限でまとめて仕入れて構わないよ、という話なのだが、雑談レベルで話を振った所、もしの話だけれど最終日の料理も可能だろうというようなことは言っていた。流石にその場合はついでの仕入れではなく正式に紹介という形になるそうだが。


 更に言えば調理法さえ教えてくれるなら実際の材料の準備も大量調理の方も、もう魔術師に出すものだろうがなんだろうが任せてくれて構わないというのを向こうから言い出してくれたし、料理人の皆様一同異様な情熱で同意していたのでよほど料理に真摯な方々なのだなあ、とスサーナは思う。

 明らかに腕は確かなのでそれが料理人さん達の裁量で出来ることだと言うならお願いしたいなあ、と思っているスサーナだ。


「それは一体どういう…… ! わかりました。殿下の思し召しなのですね。」


 エレオノーラがおののき、それから急に何か納得したようにうなずいた。


「はい?」

「貴族寮の料理長は前の宮廷料理人の長。国王陛下の料理番だった者です。殿下達がこちらに入学するのに従って引退したものを招聘された……。かれが殿下のお心に従って影に力を貸してくれるというなら……否やと言うはずがありません。わかりました。」

「は……」


 ――あれ、もしかして、そういう言い方をするってことは、あの人、ほんとはなんか王家の威光とかがないとお仕事してくれないようなジャンルの……?

 今度はスサーナが絶句する番だった。

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