第302話 スサーナ、もっとわたわたする。
お父様はスサーナにゆっくり食べていなさいと言って椅子を横に向ける。どうやら執務室の方に戻らず、残りのご飯を食べ続けながらなにか確認事項を行うつもりのようだった。
「マルマラ街道の件はどうなった? 」
「資料をまとめて王軍長に連絡を。治安隊にお任せする形になるかと。」
副官らしい人がテキパキと返答する。
「修道院のほうは」
「セワジェ、ラームル、アーミント各村の神殿についてはロンゴリア教区長から抗議があったそうです。調査に入ることは神殿の独立を侵す行為だ、だそうで」
そう答えたのはセルカ伯だ。手元の書類箱から
「ふうむ。小教区から話が行くには随分と日数が早いようだな。それで、ラエティアとの密貿易についての釈明はあったのか」
「上がってきておりませんなあ。抗議文だけで。」
――お、落ち着かない!
スサーナは身じろいだ。
どう考えても大人の話が鼻先でされている。まずもって自分が同席して耳にしていいような話なのだろうか。
話が一段落したらごちそうさまを言って席を立とう。そう考えつつもスサーナはしかし、とふと思う。
――しかし、外務卿直通のお仕事にしては地域密着なことをしておられるんですね?
話されている話は辺境の村の神殿が他国と密貿易をしていた、という案件らしい。
ラエティア、確かヤロークとアウルミアの国境沿いの高山帯のなかにある小国だ。
確かに税関は対外国の重要な事象だという気はするのだが、生の話がお父様に上がってくるような命令体系なのか。
――まあ、そういうものなのかもしれませんけど、結構官僚の方も部下の方もいらっしゃるのに、それだとお父様は体がいくつあっても足りなかったりしません?
流石に前世での近現代ほどの行政システムの整備はされていないのだろうが、そこまで直通なものなのか。
そっと首を傾げていると、書類を見ながらお父様が副官さんと話していて暇になったらしいセルカ伯が横にやってきた。
「いやあ申し訳ないショシャナ嬢。せっかくの食事の時間を。」
「いいえ。あの、このお話、私が同席していて構わないのでしょうか。部外者に聞かせてはいけないようなものでは」
「ははは、なあに。閣下のご令嬢なら部外者でもありませんでしょう。ああ、しかし何のことかわからぬ話をされてもお暇でしょうな。もう少しだけお待ち下さい。向こうの部屋でするより少し都合が良かったりするもので。」
折角なのでご説明しましょう、と言い出したセルカ伯にスサーナはそっと内心いやつまり向こうの部下の方々にも聞かせないような話をいくら令嬢とはいえわかりやすく解説するのは駄目なのでは、と突っ込む。
「いまお話されているのは村の神殿がラエティアとの密貿易をしているというものなんですが、小さな村の神殿が密貿易というのもね、確かに証拠は出てるんですが、妙な事なんですなあ。」
「妙なんですか」
オウム返しに返したスサーナにセルカ伯はにこにこと説明をしだした。
まず小さな村の神殿が密貿易に手を染めてなにが得するのか、ということらしい。
周辺国との関税は高くなく、得があるとするなら禁輸品の密売買で、村の神殿がどうやったらそんなものを扱えるのか、という問題。
そのうえラエティアは大きな河川で海に通じているが内陸国で、陸路はアウルミアをそのまま横切るような具合。海路は内海を通るものの、そちらでも当然苦労は大きい。そこまでして当然違法の密輸をするほど得があるのか、というものもある、という。
きな臭い話だ。スサーナは遠い目になる。一応立場的には上司の娘とはいえ年端もゆかぬ子供に説明してもいい話なんだろうか、どうもそうは思えないが。
「それで、ご抗議をたまわったロンゴリア教区長という方はですな、所領を賜っているそれなりにお偉い司祭様で、身分の高さを見込まれて神殿に教区の統括を任されたという方ですねえ。ただ、セワジェ、ラームル、アーミントというのは直接の統括ではなく、まあ小さな村なので、直接抗議がくるのは妙な話だなあ、と。」
わあさらにきな臭い。食事中に聞かされる話としては十指に入るぐらいに不適当な話題なのではないだろうか。スサーナはそう思いつつ相槌を打ちかけ――
「それでねえ、この方はセイスデドスの関係者でして、まあそれで余計面倒でしてねえ」
「セイスデドス?」
聞き慣れない単語にスサーナが繰り返すとセルカ伯はええ、とうなずく。
「セイスデドス家、と言ったほうがよろしいんでしょうなあ。最近隆盛な金貸し……おっと、失礼、穢い言葉を。銀行業を営む一族ですな。」
――ん、金貸し?
最近なんだかやたらと身近で聞く単語だ。
「例えば――名乗る姓は違いますが、レブロン卿。あの方はセイスデドスの当主の直系です。」
あまりといえばあまりな名前にスサーナの背中がぴんと伸びた。
そういえば調べた。名乗る屋号までは気にしていなかったが、レブロン卿やアブラーン卿は色んな所に沢山お金を貸している金貸しの血族で、その影響ゆえに忖度する貴族達が多く、手出しがしづらいという話。
「そのレブロン卿の腹違いの兄弟に嫁いだ女性がロンゴリア教区長の姉に当たる方でしてねえ。いやはや、なかなか金貸しというものも馬鹿にできない。やはり人に貸しというのは作っておくに限りますな」
「あの、もしかして、そのロンゴリア教区長の姉という方の息子さんにアブラーン卿と言う方が……」
「よくご存知でらっしゃる」
――なるほど! お父様が直接気にする事案なわけですね!!!
嫌な繋がり方したなあ!!! と頬を引きつらせつつ、スサーナは心の底から納得していた。
つまり、その村の教会が密輸を、という話はロンゴリア教区長とやらの関係であるかもしれず、そのロンゴリア教区長とやらはセイスデドス家とやらに関わっている可能性がある人物で、そのセイスデドス家はアブラーン卿その他の関係者であり、ということは教団ともつながっているかもしれない、と。
そういえばネルさんの報告でもどこか辺境の村の神殿に拠点を作るような話をしていた。密貿易だしそれどころかネルさんと知り合った件のほうにも密接に関係しているのかもしれず。
つまるところはアレだ。ちょっとした密輸事件なんてものではなくきな臭い話であるのかもしれず、国家転覆めいた陰謀に関わっている可能性がある事件ということか。
――密貿易、密貿易。ああー、あの再装填品とかを運んでいる可能性とかもあるんですね……?
島で作ったものをそんなルートで運ぶというのは考えづらいかと思ったが、どこかに保管することもあるだろう。逆にラエティアからその手の物を運んできているということもあるだろうか。元々どこかにあった技術なのだし、ならば余所でも出来るだろう。
――しかし、なんというか……有力な金貸しが国家転覆に関わって、みたいなの、あらためて言葉にされるとなんというか、ええ、メディチ家とかヴェルザー家とかフッガー家とかそういうアレみたいな。やだあなにその歴史ロマンミステリー! 関わりたくない!!
パリは燃えているかをバックにモノクロ映像で歴史の一ページになどなりたくない。祝賀演奏会の時点でちょっとギリギリのような気がするが、歴史の転換点になどなってたまるものか。スサーナは不吉なイメージを振り払った。
――ともあれ、お父様達のほうも調査は進んでるという感じなんですね。
こういうことを調査している、ということは外側からじわじわ網を狭めている、みたいな感じなのだろうか。
ネルさんの方で拾った情報は大体フィリベルト氏に回すよう指示してあるので、なにか役に立っていればいいのだが。
考えていると、お父様が会話を一旦切って首をこちら側に向けたのを見る。
「おお、そうだ。そのアブラーン卿な。ブラウリオ、我が愛しの娘がアブラーン卿の養女を気にかけているようでな。手隙のもので少し洗ってやってくれ。そちらについては殿下のお調べもあるだろうということだな。詳しい説明は後でやろう」
お父様の言葉にスサーナはぴゃっと目を輝かせた。
「不埒者が用意した乙女候補」は普通に考えれば尊い犠牲枠だ。計画の黒幕なのだろうお父様自身が一つ多く事情を気にかけてくれると同義のこの発言は願ったり叶ったりである。
「お父様、よろしいのですか?」
「何、そう手間でもない。だろう、ブラウリオ。」
茶目っ気たっぷり、という具合に笑ってみせたお父様と裏腹にセルカ伯は何か悟りを開いたような表情をした。
「いやまあ、いいですがね。」
「うっ、すみません、お忙しそうですのに……」
「いえいえ、まあショシャナ嬢はお気になさられず。それで、そのアブラーン卿のお嬢さんとはどのような?」
「ええと……なんと言いますか、彼女、先日まで王宮の下級侍女をしておられて……急にどなたかの養女になるような雰囲気ではなかったんですが……」
セルカ伯に問われてスサーナはもそもそお返事をする。初手で侍女のフリがバレていたのはセルカ伯だったらしいし、後ろめたいもののこれは逆に話が早くてよかった、というべきだろうか。
「はぁーなるほど。わかりました。あとでちょっと詳しくお話を聞かせ願えますか。よろしいお時間をお教え願えれば……私が伺うのは無理……でしょうなあ。無理だねえ……うちの侍従をよこすので……そちらにお話をお願いいたします」
「はい!あの、多分夜にでしたら空いていますので……」
話が一段落したところで副官さんがセルカ伯を呼び、いくつか伝達事項らしきことを確認した後に先に部屋から出ていった。仕事に戻るというお父様にスサーナはごちそうさまの挨拶をして、自分も部屋から出る。
――ええと、まさかバレているとは予想外でしたけど、結果オーライだったのかな……。これで多分、サラさんに関することはだいぶマシに事を進められるはず。
仕事場に戻っていくセルカ伯を見送り、スサーナは一つ息を吐いた。
とりあえずこの後は侍女の格好で下級侍女の控室に出てみよう。バレバレとあっては今後下級侍女のフリをしながら滅多なことは出来ないし気をつけなくてはいけないが、お父様のお墨付きがあるようなものだ、ある意味だいぶ気楽になるようなものか。
スサーナはそんな事を思いつつ、待たせてあったミッシィのいるあたりに向かうことにする。
――ともあれ、これで、後は出来ることを地味にやっていればなんとかなりますよね?
とりあえず肩の荷は三分の一ぐらい下りただろうか。スサーナはそんな事を思っていた。
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