第301話 スサーナ、わたわたする。
セルカ伯から伝言が行ったのだろうか。お父様は昼の鐘が鳴ってすぐ、休憩室にスサーナを迎えに現れた。
「待たせたな、スサナ。」
「いいえ、お忙しいのにすみません。」
入れ替わりによく出来た侍従のフリで壁際に控えていたレミヒオがすっと部屋を出ていく。休憩室には王宮の侍女が控えていたため中で会話は出来なかったものの、なんだか居てくれたのだ。
さて、食事を誘ってはみたものの、一旦帰るのか、それともどこかへ食事に向かうのか、と思いきや、食事は執務室に続く部屋で取るらしい。スサーナはお父様に続いて食事の支度がされた部屋に向かう。
そこは多分一休みや仮眠を取るための多少私室めいた性質を帯びる部屋らしく、執務室に比べればカジュアルな作りをしていた。
部屋の真ん中に置かれた、長机と呼ぶにはやや短いテーブルにはクロスが敷かれ、二人分の席の支度がされている。
「簡単なものばかりで済まないがね。出来ることなら帰ってゆっくりと食事をしたいものだが、あまり席を外せぬのでな。」
ワゴンで用意されたのはしっかりしたパンにベーコンと茸の炒めもの、カリフラワーと白チーズの入った厚焼きのオムレツににんじんのピクルスだった。スサーナにしてみればしっかり一食、という感じなのだが健啖家のお父様からすると軽食らしい。
食べだしてすぐは何か指示を求めに副官らしい人が何度もやってきていたが、すぐに家族の団欒をそんなに邪魔するのが楽しいのか、とお父様に追い出され、執務室の方に締め出されてしまった。
「なんだか、申し訳ないような……」
「なあに、どうしても食事の邪魔をせねば後の予定に支障が出るというようなことはない。それにスサナ、あれらが居たのでは気軽に話も出来ぬだろう。」
入口の方を気にして申し訳ない顔をするスサーナに、お父様は薄切りにしたパンの上にがさっとオムレツと茸炒めを載せ、大きな口で噛み取りながら片目を瞑った。
「普段物足りぬぐらいに手のかからぬそなたがわざわざ訪ねてきたのだ、何か気になることでもあるのではないかね。……もちろん、この父と昼食をとってくれるつもりだっただけだと言われても嬉しいがね。」
むぐ、と口の中のものを飲み下したスサーナは急いで居住まいを正す。話し出すきっかけを探していたのだが、そのあたりの逡巡はすっかり見抜かれていたらしい。
――やっぱりカンが鋭くてらっしゃる。
「はい、実は……。お話しておいたほうがいいかな、ということがありまして。」
スサーナは殊勝な顔で話し出した。
「実は……、昨日ビセンタ婦人と一緒に伺ったパーティーに、亜麻色の髪の乙女の候補を連れてこられた方がおられまして。養女だと。……それが、とても評判の悪い……アブラーン卿という方だったのです。」
「ふむ。」
何を言うのか、と楽しみにするような顔でお父様が小さく眉を上げる。
「……前に見かけたことがある方で、私、あの方のこととても嫌いです。……それで、その方が連れてきた候補の方にも私、心当たりがあって。……ええと、ひょんなことから親しくなった方なんです。とてもいい子で……急に乙女の候補に名乗りを上げてくるのには違和感がある方です。ご家族の話も聞いていて、急にどなたかの養女になるような感じの様子はなかったんです。アブラーン卿にはあんまりいい扱いをされていないような様子でした。……それで――ラウルさん、レオくんの護衛官の方が、乙女候補の身辺の調査の結果を教えてくれる、と。」
スサーナはそこまで言って一旦言葉を切る。お父様は特に口を挟むことはなく、先を促す目をしてスサーナの方を見ているようだった。
「それで……彼女の身辺を調査していただいても構いませんか?」
「スサナ、それは私にそれをしてくれ、ということでいいかね?」
「いいえ。いえ、それはそれでとても嬉しいのですが、レオくんの周りの方がそうしても構わないか、ということです。」
それを聞いたお父様はなにやらとてもおもしろそうな表情をする。
「ふうむ、ふむ。それが話しておきたいことか。」
「ええ。差し出がましいことを申し上げましたでしょうか。実は昨日、レオくんと話していて、乙女探しには評判の悪い方々も混ざっているという話になったんです。レオくんにはとても気をつけてほしいのですが……、お父様は……レオくんが嫌がっておられた時に「これもまた必要なこと」と仰っておられましたよね。……そのうえで、お父様の権限で素行や評判が悪い方を弾くことはされておられない。では、そういう方々が参加してくることに何か意味があるのかもと。レオくんにそういうお話をしたことと、ラウルさんが調べるかもしれないということはお話しておくべきかと思いまして……」
スサーナが今朝から考えてひねり出した言い訳のひとつめがまずこれだ。嘘ではないし、ネルさんの出してくれた情報やレミヒオくんがリークしてくれた情報なしに辿り着ける。必要最低限の伝達事項はこれでなんとかなる、はずだ。
こう言った上で、ふんわり話の本筋に関係ない、という感じで出さずにおいたサラとの関係を聞かれたら、そこを心配していたら素行が悪い貴族の色々な常套手段なんかを聞かされて侍女のふりを勧められ、その先で出会ったのだ、と言い張って全部フェリスちゃんとの企みのせいにしよう、と思っている。
さて、今ので良かっただろうか、と答え合わせのような気分でお父様の顔を見上げると、彼はなんだかとても上機嫌そうにニコニコしているようだった。
「お父様?」
「ふむ。いや、ありがたい。スサナ、よく伝えてくれた。」
笑顔を片頬に抑えきれず残したまま、お父様は重々しく頷いてみせた。
「殿下の為を思えば排除すべき者たちだが、残してあることにこちらの思惑があることは事実。陛下にはお話してあるが、ザハルーラ妃殿下にもレオカディオ殿下にもはっきりとはお告げしてはおらぬ。下手に問題になると厄介だったかもしれぬ」
「やっぱりそうでしたか。……申し訳ありません。私が気にしなければまず注意されないことだったでしょうけど……」
そのまま、しゅんとしたスサーナにいやいやと首を振る。
「いいや、素直に考えればレオカディオ殿下のことがご心配なのは当然。そなたでなくとも別に気にする者が出てもおかしくはないとは思っていたとも。ザハルーラ妃殿下が気にかけることにはならぬようにしていたつもりだったが、殿下に親しい人間がご注進することについては抜けていたな。この父の落ち度だ。思えばご兄弟のうちでも特に親しいフェリクス殿下などがご心配になるというのはありえる話。そなたであって助かった。フェリクス殿下の一存であったならこちらに確認はなかったろうからな。」
「そ、れは……ええ。フェリスちゃんもレオくんのことは大変ご心配しておられて……」
スサーナがしなくてももしかしたらあんまりに目に余ればフェリスちゃんがレオくんに気をつけるように言った、という可能性は0ではないかもしれない。だが、フェリスちゃんは結構そのあたりは割り切った考え方だったようだからスサーナがあの時気にしなかったらそうはならなかった可能性も高いので、結構後ろめたい気持ちでスサーナはうなずく。
「やはりご心配になられていたか。フェリクス殿下はあまり心づもりをこちらにお話にはなってくれぬゆえ、スサナがお二人ともと親しいのは助かるが。」
言いかけて、なにかちょっとしたことに気づいた、という感じでお父様が一つ眉を上げる。
「ああ、もしやそうか。スサナ、そなたが侍女の格好で王宮に紛れ込んでいるのもフェリクス殿下のご心配ゆえの」
「ぷえ」
スサーナは反射的に喉をつまらせたような音を立てた。
――あれだけ悩んでいたのに!!!! もしかしなくてもバレバレですか!!!!????
「ご、ご存知でらっしゃいましたか!? もしかして最初からお気づきに?」
わたわたと言ったスサーナに
「いや、恥ずかしながら私は勘付けなかったな。スサナ、そなた隠密の才能があるぞ。……先日、ブラウリオに「あれは貴方がそうさせているのか」と詰められてな。まさかと思ったが。」
――あ、ああー! セルカ伯!!
スサーナは内心想定していなかった穴にぴゃーっとなった。そういえば外廷に出入りして、下級侍女たちともよくすれ違うような地位、つまり官僚の知り合い、さらに侍女ばたらきをしているスサーナをとても見慣れた人物がそこらへんにいたのだ。なんならさっきお菓子を差し入れた。ものすごく盲点だった。
「間違いないと言うのでそなたに聞いてみようかとも思ったのだが、それなら随分楽しげにやっているのでせっかくの息抜き、不問にせよと言われてな。確かに慣れぬ土地で屋敷に押し込めるばかりではそなたも辛かろう。気晴らしは必要かとな。……侍女たちへの伝手が強いのはフェリクス殿下の持ち駒ゆえ、あの方が関わった遊びごとの一環だろうと思っていたが」
「うぐっ、ええ、まあ、はい……。」
スサーナは小さく肩を縮める。自分から言い出すパターンは想定していたが、バレバレというのは想定外だった。ある意味ではいっそ楽なのだが、こうなるとどうしても気分は弁解じみたものになる。
それでもフェリスちゃんの関与として理解されているのは不幸中の幸い。おそるおそる想定していた説明を口にする。
「そのう、確かにフェリスちゃんとの悪戯……のようなもので……。ええ、素行が悪い方々も乙女探しには多いということで、レオくんが誘惑されたりするかもしれないと思い……。その、そういう事はよくあるとフェリスちゃんが心配して……。……申し訳ございません。お怒りになりますか?」
上目遣いで見たお父様はなぜだかもう笑顔を抑えられない様子の大ニコニコだった。訝しげな顔になったスサーナに彼は悪戯っぽく笑ってみせる。
「いや、末頼もしいな。スサナ、私も若い頃は随分といろいろやったものさ。そう、この父は馬丁の真似事が得意でな。陶器の商人やら召使いやら、乞食に扮したこともある。暇ができたらコツを一度話して聞かせようではないか。……どうだ、私によく似た跡継ぎで良いだろう。安泰だと思わぬか。」
最後の台詞は戸口の方へ向けてのものだ。スサーナがそちらに振り向くと、なんだか呆れた顔のセルカ伯が副官らしい人物に伴われて入ってきたところだった。
「閣下、ご令嬢に乞食の真似事を教えようとされないでください。お呼びになっていたセルカ伯が参りました。」
「なんだ、折角の団欒を邪魔するなと言ったではないか。まったく、食べ終わるまで待つという気遣いも出来ないのかね。」
「お言葉ですが、閣下ご自身がお呼びになられた者を待たせるのでは示しが付きません」
副官さんの言葉にお父様は大きくため息をつくと、残りのパンにおかずを乗せると口いっぱいに頬張るようだった。
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