第211話 スサーナ、王都にて先を憂うること 1
全面的に嫌な予感しかしない。
スサーナは木靴をぺたんからんと鳴らしながら歩き、呻いた。
脳内を横切っているのは前世で楽しんだ、文化人類学でいうフォークロアの類。
見知らぬ人に親切にしたら「○月○日にここに近づかないように」と言われ、後日テロがあったと知る、という類型のやつだ。
明日、貴族の家系の、それなりに役がある人間が出かける場所、と言ったら祝賀演奏会にほかならない。多分演奏会らしい場所で人がたくさん死ぬ夢を見たあとで、夢の中に出てきたのと同じ顔の男……と知り合いらしい人に「彼がその日出歩かないように」、と言われる、というのはあまりに出来すぎていやしないだろうか。
――そう言葉にしてみるとそれはそれで小泉八雲が書いてそうな話!
唸りながらホテルのロビーまでたどり着く。
――これ、誰かに言ったほうがいいんでしょうか。
万が一、本当になんらかのテロ、もしくは王族の毒殺が画策されているとするなら大変な問題だ。
――いやあ、でもなあ。
それはそれとして、だいぶ失礼な関連付けをしている、というのも自覚している。
怖い夢を見た後にちょっと気になる挙動の人と出会ったから夢の内容が起こるかもしれない、とか、スサーナだって他人から聞かされたらアナタ疲れてるのよ、と言ってしまう案件だ。たとえちょっと気になる挙動の人がいて、スサーナにとって良くない印象のあるヤロークの単語を話していたからと言って、彼の国の言葉自体には罪はない普通の言語であるし、使っていたのも単語だけ。気になる挙動も常識の範囲内で説明がつきそうな程度なのだから。
スサーナは悩んだ。
ただ不穏さを感じるというだけなら、心配性だと笑われる想定をしてダメ元でご注進すればいい。
だが、今回の件だと不穏だと感じる理由を述べようとするともしかしたら捜査の手がミッシィにも及ぶのかもしれないという可能性を捨てきれず、そうすると、結局何もなかった場合、立法上犯罪者ではあるものの理不尽な目に遭った後で強く生きているのかもしれない女性の生活を大きく壊してしまうかもしれない。
確定で良くないことがある、と言うならまだともかく、なんとなく不穏だ、程度で他人の人生を大破壊するのは流石に気が引けた。更に言うと、良心上気が引ける、だけならまだしも、彼女は明確に恩人なのだ。
というわけで、スサーナはなんとか平和に出来そうなことを考えてみる。
一応可能そうなのはこの後エレオノーラお嬢様、もしくはなんとかしてレオカディオ王子殿下にお目通りを願うに際して、なんだか祝賀演奏会に関して不穏なので気をつけるよう上申して頂けませんか、と言うこと、であるのだが、根拠がそれではもう本当にどうしようもない。
――というか、私なんかが言わなくても厳重な警備が敷かれてるのは間違いないんですよね……。
なにせ、次期の王位後継者が定まったそのお披露目の祝賀の一環なのだ。一年掛けた祝賀なので諸外国の要人までは招待されていないものの、国内にいる者は招待されるし、王族たちも出席する場だ。それは厳重な警備が敷かれるに決まっている。
――杞憂、かなあ。
何か出来る、と考えるほうがおこがましいやつだろうか。
スサーナはううん、と腕組みする。
まあ、ここで考えていても仕方ない。スサーナはそう考える。まず処理すべきは私的事情のほうである。ぐずぐずしているうちにうっかりプロスペロさんに行き遭って、これ以上面倒なことになったりしないうちにエレオノーラお嬢様の所に行くのが先決だ。
思考をまとめて一旦保留にする。そしてスサーナはフロントに声を掛け、馬車を呼んでもらうことにした。
フォルテア邸に着くと、スサーナは通用門に降ろしてもらってまずマレサに取り次いでもらう。
一応、エレオノーラの知人と扱われる立場のはずだが、家人にそう認知されても困るかもしれないし、念の為の気遣いだ。
しばらくしてやって来たマレサにエレオノーラへのお目通りを願うと、流石に同僚、秒の逡巡もなく中に入れてくれてなんとなくホッとする。
マレサに先導されてエレオノーラの部屋に向かうと、彼女はどうやら手紙か何かを書いていたらしい。
エレオノーラは入ってきたスサーナを見て怪訝そうな顔をし、ペン立てに羽ペンを置き、こちらへ来るように、と言った。
「どうかしたのですか? 貴女が本邸に来るなんて」
「申し訳ございません、エレオノーラお嬢様。」
スサーナはここぞと丁寧に頭を下げる。
「とても困ったことがありまして、わたくし一人ではどうにもならないことで……。本来ならわたくしごとでエレオノーラお嬢様を煩わせるなど考えられないことでございますが、お嬢様の判断を仰がなくてはいけないと思い、僭越ながらご相談に参りました。お許しくださいませ。」
「困ったこと? 構いません。お話しなさい。」
エレオノーラは鷹揚に手を振り、メイドに筆記用具を片付けさせた。
「恐れ入ります。では……、あの、エレオノーラお嬢様はプロスペロ様とおっしゃる方をご存知でらっしゃいますか?」
「プロスペロ様……ええ、存じています。お兄様……兄の部下に当たる方ですが、どうか。」
「実は……その方に今日呼び出されまして……」
スサーナは強いて憔悴したような不本意そうな表情を作り、プロスペロに「オルランドという方に取り入ろうとする毒婦であると決めつけられ、怪しまれて私物を取り上げられた」ということを切々と述べ立てた。
「まあ……何故そんな事を」
「その……私が平民であると……その、エレオノーラお嬢様が平民を知って側に置くはずがないとお疑いで……私が身分を隠してエレオノーラお嬢様に取り入ったか、エレオノーラお嬢様の許しがあって別邸にお泊めいただけたということを疑っておられる、という感じでらっしゃいました。」
「ああ……」
エレオノーラが納得を表情に浮かべ、困った様子で眉を寄せるのを見る。
言いながらスサーナは、あ、これはうまく立ち回れば小間使いを円満終了させられるのではなかろうか、とほんのり気づきもしたが、とりあえずまずは誤解を解くのが先決だ。
「それで……金輪際フォルテアの家には関わるな、とご忠告を受けまして……その、このままではエレオノーラお嬢様にもご迷惑が掛かるのではと」
「なんてこと。……ええ、お兄様がお戻りなのですからプロスペロ様もおいでなのは当然。失念していました。それにしても間の悪い……」
エレオノーラがため息交じりに言い、目を閉じて眉間を抑える。
「平民を雇ったと知られるとうるさく言われると思ってお父様に言わず置いたのが裏目に出ましたね……。ええ、でも……プロスペロ様もプロスペロ様です。同じ平民とはいえふしだらなあの女とは似ても似つかないと見ればおわかりでしょうに……」
エレオノーラは思案しながらいらいらとテーブルを指で叩いた。
その彼女にそっとスサーナが声をかける。
「エレオノーラお嬢様」
「なんでもありません。別に褒めたわけではありませんので勘違いを……」
「いえあの……呼ばれておられるのですが」
スサーナが後ろの扉を指差す。エレオノーラが目を上げるとそこにはオルランドが立っていて、苦笑しながらドア横の柱をノックのペースでこつこつと叩いていた。
「お兄様、いらしておいでだったのですか」
「うん、勝手に開けて済まないね、エレオノーラ。入ってもいいかな」
「勿論です! マレサ、お茶を用意して。」
慌てた様子でエレオノーラがマレサにお茶を言いつける。
オルランドは入ってくると、椅子を勝手に取って運び、エレオノーラの座ったソファの横に立ったスサーナの横によいしょ、と置いた。
「座って」
「は、はい?」
「これからご婦人に謝ろうというのに立ちっぱなしにさせておくのは気が引ける。どうぞ座ってくれないか」
焦ったスサーナがエレオノーラの顔を見て、エレオノーラはため息をついた。
「構いません。お座りなさい。」
おずおずとスサーナが椅子に座り、アイマルがオルランド用にまた別の良さそうな椅子を持ってやってくる。オルランドはエレオノーラが座るように勧めたその椅子を断り、さて、と言った。
「ドアが開いていてね、今の話、聞こえていたんだ。」
「は、あの、ええと……」
スサーナはエレオノーラの表情を伺い、なんと返答したものか、と考えたところに、
「友人の失礼をどうか許して欲しい。キミに大変な侮辱をしてしまった。」
さっと膝下に跪かれ、手を取られてスサーナはぴええと悲鳴を上げる。
「言い訳できることではないけれど、僕に原因がある。名誉は必ず回復すると誓う」
「あっ、頭をお上げください! ええとあの、理由があってのことだとはよく分かりましたので! あの! あとあと面倒が起こらなければと私物を戻していただければそれでいいので! 頭を上げて頂けませんか!」
「お兄様、わたくしの使用人をあまり困らせないでください。」
エレオノーラの言葉でようやく立ち上がってくれたオルランドにスサーナはほっとした。
「お兄様がご説明に行かれるまでもなく、わたくしからプロスペロ様にはしっかり言っておきます。納得していただけなければわたくしへの侮辱ですから。……とはいえ平民だからとはいえ誰彼無く疑うとはプロスペロ様の人を見る目もどうかしているのではありませんか。確かにそう、平民とは卑しいものではありますけど、ええ、その、忠義があるものはいないわけではない……と言えないことも……」
なにやらもごもごと言い出したエレオノーラにオルランドが少し困ったような表情を向けた。
「あまり言わないでやってくれ。エレオノーラは父様に聞いていないかい。最近あいつはピリピリしているんだよ。色々、不心得があるみたいで……」
「不心得ですか。お父様のお仕事の関わりで?」
「ああ、あいつも大変なんだよ」
そういえばエレオノーラお嬢様のご実家は治安維持に関係するお仕事だったんだっけ、とスサーナは思い返した。
魔術師の慰撫というのばかり覚えていたけれど、メインは確かそちらのお仕事だとか言っていた。なるほどプロスペロ様はそう言う関係の部下なのか。流石に直接そういうお仕事をしている人ではないのだろうけど――
「まあ、一体何が? よくない事があるならどうぞお兄様もお気をつけになってくださらないと」
「高位の家のあまり外に出ないゴシップが外に漏れてる、とかそういう奴。エレオノーラが心配するような血なまぐさいこととはあまり関わりはないけど……娼……平民が関わっているんじゃないか、って話があって。僕が戻ってきたのもあってどうしても思い出すんだろう。平民を見る目が厳しくなるのは……」
――ん? 娼婦?
エレオノーラと会話しだしたオルランドの言葉の切れ端を耳に留め、スサーナは微妙に表情を引きつらせた。
――関係、あったりしちゃいます?
いやいやまさか。スサーナはそっと願った。
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