些事雑談 粘土を取りに。

 別に一日も休んでやしないのだけれど、まるでしばらくぶりみたいな気持ちで講に行ったお昼の時間。スサーナがお昼に二つに割ったパンにハムとチーズを挟んだやつを食べようかとしていると、身も世もない悲鳴が近くの椅子から響いてきた。


「いやあぁ!なんてことなの!」


 スサーナはハンカチで包んだパンを開くのを一時停止し、とりあえずそちらに近づいた。


「どうしたんです、アンジェ。お弁当を忘れました?」

「違うわ!スイ! ああ最悪、見て!」


 スサーナがぐっと近づけてきたアンジェの額を見ると、そこには小さなニキビが一つ浮いていた。


「ああー、ニキビですねえ。」

「ニキビですねえ、じゃないわ! ひどいわスイ。そろそろねそろそろねって脅かされてきたけど、とうとう……」


 がっくりと肩を落としたアンジェにスサーナはほのぼのとした気分になる。

 そういえば思春期と言えばニキビ。もう12歳ともなるとそれはニキビの一つも出てくる頃だ。思い返してみれば夏頃からドンもぽつぽつできては掻き崩してたしなめられてりしていたっけ、と思い出す。


「まあ、大人になるってそういうことなのかもしれませんよねー。とりあえず洗顔すると改善するそうですから。」

「そうね、その時がきたのかもしれない……じゃあスイ、授業が終わったら壺を持って集合よ。」

「はい?」

「粘土を取りにいかないといけないでしょ!」

「粘土を。」


 そういうことになった。

 スサーナは首を傾げつつも授業が終わった後で一旦家に戻り、おばあちゃんに訳を話すとああもうそんな頃なんだねえと感慨深げにしたおばあちゃんによって、口に出す前に流れるように壺が出てきた。首をひねりながら指定された集合場所に陶器壺を抱えて集合する。

 すると、そこにはアンジェが呼び集めたらしい数人の女の子たちがワイワイと集まっていた。皆が皆、小さな壺やら器やらを手に持っている。


「あっスイちゃん、アンタも来たんだ? ニキビなんかまだ全然出なさそうだけどー。」

「ええ、アンジェに集合しろって言われたので……ええと、ニキビと粘土に何の関係があるんでしょう?」


 スサーナは、いくどか同じ授業になったことのある女子に声を掛けられて曖昧に手を上げた。

 確かパオラという名の細かい雀斑のある顔をした快活そうな少女は楽しそうに声を上げた。


「知らないの? うちはおかあちゃんに聞いたけど、ニキビが出た時は粘土で顔を洗うものなんだってさ。」

「ああーっなるほど、クレイ洗顔!」


 スサーナはなるほどと納得した。


 そしてそう経たないうちに馬車に乗ったアンジェがお手伝いさんと一緒にやってきた。なんでも、粘土が取れるところの川まで皆で馬車で行くのだという。


「皆付き合ってくれてありがとう。馬車を出さないといけないでしょ? 川だし。一人だと許可が出なさそうだったのよね。皆で行くつもりよ!って言ったから話が早くて助かったわ。」


 アンジェがニコニコする。

 皆に紹介されたお手伝いさんは粘土取りの凄腕という触れ込みで、スサーナはその大げさな紹介文がなんだか少し面白かった。


 スサーナが馬車の中で聞いた話はこうだ。

 ニキビが出た時は粘土を水でゆるめたもので顔を洗う。

 基本的に年頃の女性のいるうちには常備してあるアイテムではあるし、買えば街でも買えるものの、集まっては特定の河原に粘土を取りに行くのはこの年頃の街の少女たちのお決まりの行動パターンだ。というか、思春期時代における大義名分つきピクニック概念、つまり思春期の一大イベントとして粘土取りが存在するのだ!

 街の女性たちが思春期のイベント、共通の話題として懐かしそうに話すジャンルのやつ、それが粘土取りなのである。

 ……と、いうことであるらしい。


 ところで、普段の洗顔では島ではオリーブオイルの石鹸を使い、保湿はローズウォーターである。洗顔自体に使う水は魔術師産の井戸水で、たぶんほぼ無菌で精製水近似と呼んで良さそうな具合だ。スサーナがつらつらと前世を思い出すに、結構に恵まれた洗顔環境と呼んでも良さそうだった。

 それにも打ち勝ってニキビを発生させるのだから思春期の皮脂腺というやつは凄いものだなあ。やはり自然化粧品では太刀打ちならず、ビフナイトが無いと駄目なものなのか。スサーナは半分他人事めいて感心していた。

 スサーナはまださほど思春期のテカリと言うやつに縁がない。



 しばらく馬車に揺られて農道をゆく。

 石畳ではなく、ある程度平らにしてある街道とも違う結構な悪路であったが、尾てい骨を守る努力をするよりも、馬車に詰まった六人の女の子たち、のうち五人はよもやま話が盛り上がるほうが重要らしく、おお、女子! とスサーナを感動させた。


「ねえねえアンジェ、ドンとはどうなの?」

「うふふ、今度冬のうさぎ追いがあるでしょ? ドンのお母様がいらっしゃいって言ってくれたから、私がお弁当作ってもっていくの!」

「いいなー、すごくロマンチック!」

「じゃあそう言うニーナは? 気になる男の子出来たって言ってたわよね」

「あっ私も聞きたーい!」


 よもやま話の内容は当然主に恋愛に偏重する。尾てい骨を振動から守る努力をしつつもほのぼのと聞いていたスサーナだったが、しばらくして射抜くような、もとい輝くようなアンジェの目に気づき、はっと身をこわばらせた。


「そういえばスイ! あなたはどうなの? 好きな子出来た?」

「ふえ、私ですか!? いやあ、そう言う方面はさっぱり……」


 そういえばセルカ伯のお宅に伺うことになった原因はアンジェの「スイに恋愛に興味をもたせよう」運動だったな、とスサーナはようやくなんとなく思い出した。


「んもう、貴族のお宅に行ってるんだし恋愛物語もいっぱい読めるんでしょ?スイもちょっとは大人にならないと。」


 つんとお姉さんッツラをしてみせるアンジェにスサーナは曖昧な笑顔でぱたぱたと手を振る。


「いやあ、いまいちああいうのはよくわからなくてですね……」


 正直スサーナはあれを読んで実際の恋愛に目覚める女子が存在するのか、甚だ疑問であった。タイトル長いし。詩も長いし。靴下止めだし。


「好きなタイプぐらい思いつくようになった? ああ、もちろんドン以外でよ。スイはそういう話をしてくれたことないわよね。さあさあキリキリ吐いて頂戴」

「ひえ」

「恋愛物語! いいなあー、私も貴族のお家に行きたかったわ」


 別の女の子が目を輝かせ、問い詰められかけてたじろいでいたスサーナは話題のそれそうな気配にそっと安堵した。

 急いでそちらの話題に食いつく。


「お勤めまではしてませんけど、皆様もけっこうお呼ばれているんじゃ?」


 別に島にいる貴族の子はお嬢様たちだけではない。

 貴族でも子供が一人っ子ということはほとんどなく、島に伴われている未成年全部で13,4人はいて、島に伴われているのは男児より女児のほうが多く、お嬢様たちを抜いても確か4人か5人は女の子である。

 そして彼女たちもまた島の女の子たちをお茶会に招いているので、街のそれなりの階層の商人の娘のうち結構な人数は貴族女子のお茶会に招かれているはずであった。

 ついでに言えば、お嬢様たち二人もお茶会を開催していないというわけでもない。夏の騒動が終わってからスサーナ抜きで二回か三回は――スサーナにも声がかかったが面倒なので逃亡した――街の子を招いているはずである。


「そうだけど、恋愛物語を読ませてもらえるお茶会ばかりじゃないし。」

「ね、自慢ばっかりの子もいるのよね」

「ねーえ」


 そりゃまあお茶会とは本来そう言うものですからね、と半年ぶりぐらいに突っ込むスサーナである。


「あーあ、講を卒業したら、あたし学院に進もうかなー! 本土なら最新の恋愛物語が読み放題でしょー?」

「そんな理由って言ったらおばさん大激怒よー」


 ふざけた口調で叫んだ女の子の一人に別の子が突っ込み、替わった話題に完全に気を取られたアンジェが進路かあ、と呟いた。

 スサーナたちはこの冬で講を終了する。

 その後はほとんどの子供は家や仕事場で家庭教師や先達に学んだり、親類の家に修行に出たりするのだ。特に専門の学問を学びたいという子供は本土の学院に進むものもいる。


「卒業したらみんな会う機会が減っちゃうわね、スイはどうするの?」

「特にまだ決めてはないですけど、多分お針子ですね。アンジェは?」

「私はもちろん花嫁修業。成人したら何でも出来るお嫁さんになってドンのところに行くんだから!」

「アンジェなら完璧な花嫁さんになりそうですよね」


 胸を張るアンジェにスサーナは笑い、二人の会話を聞いたパオラがぐっと横から顔を突っ込んでくる。


「なあに卒業した後の話? 講がなくっても粘土取りにとかまた集まろーねー! 」

「そうそう、粘土取り、うちのお姉ちゃんも月に一度ぐらい友達皆で行ってるよー」


 別の女の子がそれに追随して声を上げ、スサーナはなるほど粘土取りは年頃の女の子が集まる大義名分なのだなあ、とほんのり理解する。




 そうして騒ぎながらたどり着いた河原は、スサーナが想像していた上流帯ではなく、海近くの広い場所だった。


「ここの何処にそんな粘土が……?」


 周りを見回す女の子たちを手招き、お手伝いさんがスコップを持って斜面に近づき、ガコッと壁面に垂直にスコップの歯を叩き込んだ。

 ボコッとブロックで落ちた土は薄い緑灰色をしていて、よく見ると固めた片栗粉か葛粉のような質感で、とても細かい粉質で出来ているように見える。


「この緑の土のところが粘土ですよー。混じりけのないところだけを取るんですよ。」


 お手伝いさんの指示で次々にスコップで落とした緑の粘土を割り、壺に入れられるぐらいの大きさにしてそれぞれ持った壺に詰めていく。


 始まりの物々しさに比べ、あっけないほど簡単に粘土を集め終わり、女の子たちは拍子抜けした。


「こ、これだけ?」


 問いかけた少女たちにお手伝いさんは豪快に笑って言った。


「簡単に見えますでしょ。そのうち女の子たちだけで来るようになるんだから簡単じゃなきゃ困りますけどね。最初はどの土が粘土なんだかわからないで困りますわよ。」


 みんなで粘土を入れた壺を抱えてまた馬車で街まで戻る。

 行きとは違って少女たちはこの粘土をどうしたら顔を洗えるものになるのか、という話題一色で、自分の壺の中を崩したり、他人の壺を覗き込んだり皆好奇心に満ちて忙しい。


 そして次に連れて行かれたのはなんと陶器を作っている窯場であった。


「アラいらっしゃい。粘土取りはじめての子たち? アラアラ、ちゃんと粘土。上出来ねえ。」


 お手伝いさんの後ろでおそるおそる列になった少女たちは愛想のいい窯場の小母さんにそれぞれ壺を手渡し、中身が大きな舟形の器に入れられるのを見る。


 見る間に葛粉の塊みたいだった粘土は砕かれ、たっぷり水を混ぜられてトロトロの泥になり、それをバタ練りみたいに練りながら網で濾されていく。


「……このドロドロのを持って帰るの?」


 眺めながら疑問を口に出したアンジェに窯場の小母さんが笑った。


「これをどんどん細かくしながら後五回ぐらいやって、それからあっちの枠で濾して、天日でよく干すのよー。」


 乾くまで数日かかる、という小母さんにすぐに洗顔料のほしいアンジェが青くなるが、そこで粘土集めの新たなルールが小母さんから開示された。

 取った粘土をそのまま持って帰るのではなく、もうすでに出来上がった洗顔用の粘土をこの取ってきた粘土と交換するのだ、という。

 スサーナにはちょっと商業上どういう意味があるのかはわからなかったが、きっと効率とかとかあんまり関係のない街の伝統みたいな側面であるのだろう。


 小母さんに薄く枠に広げられてすっかり乾いた洗顔粘土を割ってもらい、ガーゼにくるんで、綺麗にした入れ物に入れる。

 一通り貰い終わった後で、枠に残ったぶんを小母さんが手早く器に入れ、ローズウォーターを入れて混ぜた。窯場の井戸で顔を洗ってみてどういう風になるのか試していきなさい、というのに一も二もなく頷いたアンジェに押されてなんだか皆で一緒に顔を洗うことになる。


 顔の上にマスク状にトロトロの泥を盛り、しばらく置いてから洗い流す。まあクレイパックってそう言うものだよね、と思っていたスサーナは特に衝撃はなかったが、あんまり泥パック概念のなかった少女たちは泥を塗った顔をさんざん面白がり、きゃあきゃあと笑いさざめいた。


 気の早い女の子たちはまたひと月後に粘土を取りに行こうという予定をもう立てていて、まだあまり粘土洗顔のお世話にはならない気がしているスサーナも『今度は河原で食べるお弁当を持っていこう』だとか、『ついでに近くにいい原っぱがあるらしい』だとか、ただのピクニックの予定になりつつある予定建てに巻き込まれることとなった。



 ところでここでちょっとした悲劇が発生する。

 アンジェの母親に言われたらしいドンがタオルを届けにやってきて、泥パックをした女の子たちの集団に鉢合わせたのだ。

 うわあ化物、と叫んだ彼がそのあと一週間ぐらい女の子たちに邪険にされたのは仕方のないことであった。



 次の日の講の時間にはアンジェの額はまたツルッとした感触に戻っていて、ドンはアンジェの荷物を全部持たされていた。


「ねえスイ、次の粘土取り楽しみね」


 アンジェが笑う。ドンが一体なんだよおそれ、何のじゃあくな儀式だったんだよおあれ、とぼやいた。

 楽しみか楽しみでないかと言えば、スサーナも少し楽しみだった。

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