些事雑談 分銅豆を買うこと
ある日、お店のお針子さんたちと市場に向かったスサーナは、一休みの時間に飲んだ飲み物に思わず勢いよく立ち上がった。
「このお茶!」
――チョコレート風味では!?
完全なチョコと言うよりだいぶ酸っぱく鉄っぽく、チョコと言うよりタマリンド風味かな?という感じもし、明治の板チョコというふうにはいかないが、産地指定の酸味が強いと表記されているチョコレートにならよく似ている、という風情。
「あらお嬢さん、気に入りました?」
「はいとても! これ、なんなんでしょう?」
力強く興奮したスサーナに比べ、他のお針子の皆さんはあらこんなものを、というような反応で、スサーナは少し残念になる。
これはチョコの味はみんなに受けない気がするぞ、と思ったからだ。
「これは分銅豆の果肉を入れたお茶ですねえー。健康にいいんですよ。」
「うちの曾祖母ぐらいのころはもっとよく飲んだそうですけど。あ、市場に多分ジャムがあるんじゃないですかねえ。」
「うんうん、おばあちゃんの味、って感じで最近はあんまり」
分銅豆! スサーナはその名前を頭に叩き込む。
皆の話を聞くに、昔は結構食べていたけれど最近は流行ってない、というような食物であるようだ。おばあちゃんの菓子盆の味、という感じ。日本で例えるならオブラートに包んだ硬いゼリーか何かの分類なのだろうか。
――流行って無くてもいいですもんね。私が食べられれば! 私が食べられれば!
スサーナは走ってジャム屋に駆け込み、端っこの棚でホコリを被っていた分銅豆のジャムを買い込み、さらにその足で乾物屋に飛び込み麻袋一杯分銅豆の鞘を買い占めた。
それをしっかり抱えてお店に戻る。
更に大事にお家に持って帰り、スサーナは台所を使えるタイミングを虎視眈々と待った。
その間にスサーナが調べたことによると、この分銅豆というやつは前世でいうキャロブに近い食物らしい。島だけならず本土や南の大陸でも流通し、癖のある味でやや過去のものとなっている、鞘の中に甘い果肉を持つ豆であり、豆の形が揃っているので昔は分銅代わりに使ったという。
――たしかに気候的にはキャロブの生育地帯ってこのぐらいの感じでしたものね。聖書に出てきたんだし。
植物の進化が比較的似た感じでとてもありがとう、と、どの方に祈ればいいかよくわからないながら神々に祈るスサーナだった。
――バニラとか本物のカカオとかも何処かで生えてるといいなあ。後コーヒー、は、あっても飲めませんけど。
うまいこと魔術師たちに存在を示唆したら勝手に発見されていい具合に流通しないだろうか。もしくは何処かで起こっていないだろうか、大航海時代。
スサーナはないものねだりをしつつ、台所が使えるようになったが早いか粉だのミルクだのを抱えて飛び込み、夢中で何やら作り出したのだった。
「というわけでおうちで新作のケーキを焼いてきたんですけど、レミヒオくん、食べます?」
セルカ伯のお宅で、次の日。
荷物から見慣れぬ色のケーキを取り出したスサーナにレミヒオは微妙に頬を引きつらせた。
「僕にはよくわからないんですが、分銅豆はケーキに入れるようなものでしたっけ?」
「入れちゃいけないってこともないと思うんですけどねえ。」
ほやほやと首をかしげるスサーナに、レミヒオはしばらくどう返答しようか悩む。
たまにこの少女は常識的な態度と裏腹に、妙な食物を持ち込んでは自分たちに食べさせたりするのだ。
半分は伝統の薬湯だったりどこかにルーツのある食べ物だが、もう半分はよくわからない。警戒と予想がなかなか出来ない味だったりする。
分銅豆の果肉は元々甘いのでよほど変な味ではないとは思うものの、三呼吸分ぐらいの覚悟を決めるタイミングはほしいレミヒオだった。
「ええ、それじゃ、はい」
覚悟を決めて切り分けられた棒状のそれに手を伸ばしかけたレミヒオは、横から無遠慮に伸びた手に目標のちょっと小さめのケーキの切れを奪われて歯噛みした。
「これ、なんだい? 凄く旨い」
「アラノくん。ええ、ブラウニーって言うものなんですよ。お気に召しました?」
「ああ、やっぱりスシーは料理上手だな! 」
その手の主はまだしばらくは帰っていきそうにない騎士殿に付き従う従騎士だった。貴様この間魚肉で酷い目にあったばかりだろう、と叫びたい気持ちになったレミヒオだったが、無遠慮極まりなく二切れ目に手を伸ばすその先のケーキを横からかっさらうことで言葉の代りにする。
勧められてもいないくせに食べることも、料理上手という褒め言葉未満のセリフで彼女が喜ぶかのような態度も全面的に気に入らない。
レミヒオはイライラと一切れをまるごと口に突っ込み、力を込めて咀嚼する。そして一つ目を瞬いた。
「あ、本当に美味しいですね。焼き物に分銅豆は鉄くさいからどうかと思いましたけど」
上質な油脂のコクがあり、まろやかに甘く、酸味はベリーのもののようだ。鉄の風味は残っていないこともないが、後味が気になるほどではない。
「バターと生クリームを多めにしたんですよ」
スサーナは胸を張る。
どうやらこちらではミルク系と合わせる使い方をしていないようなので、そこに突破口的なものを見出したのだ。酸味もセミドライの木苺をたんまり混ぜたおかげでそちらと混ざって判別がつかなくなっている。
それから砂糖は精製糖、つまり魔術師が趣味で売っている白砂糖を使うのが重要だ。分銅豆の甘みはすこし癖がある。例えて言うなら熟柿に近い。
――このぶんならココア的なものも多分個人的に楽しむなら十分いける!
生クリームで練って、酸っぱい系のジャムと白砂糖を足してドリンクにすればそういうものとして享受できるに違いない。
「もう一つ頂いても?」
手を出してくるレミヒオにスサーナは気を良くする。これは今回はなかなかのアタリだったようだ。
「はい、いま切り分けますね。」
そこに楽しげな声が戸口からかかる。
「おやお嬢さん、秘密のお茶会かい? ぜひ俺も混ざる栄誉を頂けないだろうか!」
スサーナがカッティングボードにブラウニーを乗せ、切り分けだしたタイミングで戸口にやってきた長身の影にレミヒオは嫌な顔をし、アラノはぴっと直立不動になった。
「あっ、フィリベルト様。ええと、試作品のケーキで、お客様に出せるようなものではないんですけど。」
「なあに、構わんさ。丁度甘いものが欲しくて死にそうになっていたところでね。まったく、前線で剣を振るっていればいい仕事だと思って騎士になったんだが、これほど書類仕事が多いとはね!」
肩をすくめたフィリベルトにスサーナはああ、と了解する。
今回の誘拐騒ぎの色々はどうも街の警吏レベルでは済まないようで――まあ、起こったことと起こした相手を考えれば当然なのだが――セルカ伯は通常の仕事に足して色々と采配を振るっているようだったし、本国に帰還するまでの待機状態、らしい、クロエの護衛に残っているフィリベルトも暇さえあればスサーナたちには内容を見ることを許されていない羊皮紙に向かっている。
それはまあ、とても糖分が欲しくなることだろう。
「ええと、それじゃ、お口にあうかどうかはわかりませんけど……ええと、じゃあ他のお菓子も出して……お茶も淹れましょう。流石にここで頂いてもらうのは悪いですから、ええと、ちゃんとしたお茶の時間ってことにして、お嬢様たちにもお声がけしましょうか?」
スサーナはとりあえず決めると、じゃあサロンで待っていて頂けますか、とフィリベルトにいった。
「逆に気を使わせてしまったな、申し訳ない。俺としちゃ、そう気を使ってもらうものでも無いんだが、ご厚意はありがたく頂いておくとも。」
「いやあ、本当に、これだけ食べて美味しいかどうかはわからないので! アラノくんとレミヒオくんにはそれなりに受けましたけど……。」
二人に受けは良かったケーキであるが、一般的に癖があるものだろう、という予想は流石にスサーナも立てている。たぶん、チョコが一般的ではないここでは好き嫌いが分かれるケーキなのだ。
「なるほど、確かに気になる子の手が触れたものなら何でも旨い、というのも一つの真理だからな。勿論俺としても君みたいな気高い乙女が作ったものならば何でも天上の美味と感じる舌ぐらいは持っているつもりだが」
「ふえ? はあ」
スサーナは騎士語を解読しかけ、それからまあ女子褒めの類型のやつだな、と納得する。
「そういうわけなので、ちょっとお待ち下さいね」
騎士語の褒めは褒めのようであって褒めではない。慣用句として扱うべきだ。つまり下手に真っ向から反応するといつまでもラリーが続くのでふんわりスルーするに限る。とくに台所でならスルーしても非礼ということはない。ここのところでそう学習し始めていたスサーナはお茶を淹れだし、あんまりに心当たりの一片もなさそうな無反応にフィリベルトは小さく肩をすくめ、自分の従騎士に『よほど頑張らないとお前全然意識されていないぞ』の内心を込めて目を合わせて苦笑した。
レミヒオが半眼で小さく鼻を鳴らした。
お茶会で、結局スサーナのケーキはなかなか受けた。
持ち込んだ四角いケーキ型二本分のブラウニーはほとんどフィリベルトが完食したし、一切れずつ食べたお嬢様たちも変わっているけどまずくないというような反応だった。
スサーナはいい気になり、しばらく代用チョコケーキを試行錯誤することに決める。
試していないチョコケーキはロールケーキにスポンジケーキ、まだまだたくさんある。フォンダンショコラとチョコタルトはすこし癖を取るのが大変だろうけれど是非試してみたかった。
チョコケーキがあるとないとでは人生の豊かさが少しだけ違うような気がしているスサーナであった。
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